第五章:戦火の影に
「予定ではあと半日と少しでセリオルに着くと思いますが、一応この村である程度補給をしますか?」
ビビットがバレルの側に馬を寄せる。バレルが辺りを見回すと、ホラストの軍が運ぶ荷車以外にも、南から北上してくる人が多いことに気づいた。
「彼らは?」
ビビットは、分からないと首を振る。先日より、道中で多くの人達とすれ違っていた。バレル達を見る目は一瞬怯えるものの、ホラストの軍だと分かると、何かを請うような目で見る。
「なにやら、様子がおかしいようだな。セリオルにヨハンが攻め込んだという知らせはあったか?」
ビビットはこれにも首を振る。何かが噛み合っていなかった。セリオルの住民が流れてくるのには、まだ早い。側を通りかかった薄汚れた着物の初老の男に、声をかける。
「失礼、お前はセリオルから来たのか?」
男は一瞬驚いたように目を開くと、違うと首を振った。
「ラケーテンの街からですが…」
「ならば、セリオルに助けを求めたのでは?」
「はい、ですが、州長様は我々を受け入れて下さらなかった。突然、我々を街を捨てて逃げ出した逆賊だと。賊共に与えるものはないと」
バレルは衝撃を受けた。この者達が街を捨て逃げたのは正しい。そして、確信には至らないが、ある結論に達する。
「ビビット!補給をしろ!すぐにセリオルに向かうぞ!!」
「はっ」
ビビットが馬で、村の中に駆けていく、バレルもその場を離れようとしたとき、男がそれを静止した。
「?どうした。まだなにか?」
「あの、若い者達がわたしらを逃がす為に、ラケーテンでヨハンを足止め致しました。まだ何人かは生きてるはずです。どうにか、どうにか助けてやって欲しい…。所詮わたしら一農夫ですが、それでも…」
「安心なされ、我らはベリオルの民を救うために来た。あとは任せていただく」
初老の男は、その場で土下座をすると、額を地面にこすりつけて、すすり泣く。バレルの予想通りなら、急がなくてはセリオルの住民だけでなく、ベリオルが危ない。
「一通り、補給は終わりました」
既に、陽が傾き始めていた。バレルが手を挙げる。
「一気にセリオルまで南下する!時間はないぞ!!」
騎馬隊を先頭にホラスト軍隊が一気に駆けだした。小さな村だけに物資を集めるのに時間が掛かった。その消費した時間を埋めるように、進軍が加速した。
「(もしかすると、セリオルの州長の奴、ヨハンに寝返ったかもしれん)」
「どうだった?」
翼伯が、宿屋に入ってきたバンセツを見る。
「駄目だな。ずっと、街に戦は持ち込めんの一点張りだ」
バンセツは明朝に州長の屋敷を尋ねて、ヨハンの進行の経緯を話した。しかし、協力は得られず、現在に至る。
「ヨハンがもう一度夜襲をかけてきたら、俺らは良くても、この街の者達は全滅だ」
「そのことだがな、俺はヨハンに行ったことがあってな、一つだけ知ってることがあるんだ」
翼伯は首を傾げる。バンセツは眉を顰めて話し出す。
「ヨハン国ってな、軍事大国って言われてるから、すぐに軍を動かしたり、戦争を好んでそうな国のイメージがあるだろう?」
「まぁ、俺はそう思ってたな」
「だが、ヨハンのドルト王ってのは国内だと正義を謳う、ホラストに並ぶ王って言われてるんだ」
「だったら、内部の反ドルト派がって?」
バンセツは首を振る。
「違うな。あの国に限って有り得ない。ドルト王に魅せられて付いてきたものが周りを固めている。将軍は正々堂々の戦を重んじる男と聞いている。しかも、それを誓う印として、ヨハンの兵は手の甲に、十字の焼き印を入れてるって聞いたがな」
それが事実だとすると、夜襲の件からしておかしい。翼伯もバンセツも何かがあると感じているが、それを未だに掴みきれない。
「だが、今はセリオルに向かってきている軍隊のことが先だな」
「あと、どれくらいだ?」
「わからんな。早くて陽が傾く頃だろうな。遅ければ夜中だ」
既に、日が傾くまでに三刻もない。バンセツと共に来た男達はもともと農夫だ。これ以上、戦いに巻き込むわけにもいかない。
「坊主、お前は主人を見つけたか?」
バンセツが真剣な目で翼伯を見る。
「この街じゃ、用心棒はいらないらしい」
「だったら、俺に雇わ…」
突然、扉が勢いよく開いた。一斉に視線が扉に向く。もちろん、バンセツも翼伯もそちらを見た。
「みつけた!!」
肩で息をしながら、翼伯の側に歩み寄る。
「リン…?」
大きく頷いて、リンは翼伯の膝に袋を置く。
「これは?」
「おかね!」
バンセツ達は状況を飲み込めずに、呆然と翼伯と娘のやりとりを見ていた。
「けんきゃくなんでしょ?だからおかね!」
「俺を雇うのか?」
「うん!」
翼伯は袋を手に取り、中身を確かめる。そこに入っていたのは銅銭二枚。一食分程度の額しかなかった。
「これ探してたら、おにいちゃんどっかいっちゃったから」
突然、太い笑い声があがった。リンが驚いて、翼伯のズボンの裾を掴む。
「坊主、良い主人を見つけたな!饅頭五個分だ」
「いや、肉饅頭なら三個分。リン、契約成立だ」
リンの頭に手を置いてやる。リンは状況を飲み込めていなかったが、嬉しそうに笑った。
すでに、セリオルの街には夕日が差し始めていた。
「俺と坊主、そして残ったのは五十数人か。こんなんじゃどうにもならんが、どうにかするしかないな」
怪我をした者や、戦う意志のない者達は先に北へ発たせていた。
「この街の奴らは、ヨハンが攻め込んできてることを知らない。数人には噂をばらまくように言って、街に散らばしたが、効果は期待できないな」
バンセツの側に一人の男が来た。翼伯をちらっと見て、何かをバンセツに耳打ちする。翼伯はなぜかその男をどこかで見たような気がした。
「ごくろう、下がっていいぞ」
男は無言で頷くと、そのまま外に出て行った。
「今のは?」
「俺の使いっぱしりだ。それより、ここの州長さんはどうやら寝返ってるみたいだな。ヨハン国の使者らしき者と接触してる」
翼伯の違和感の答えが見つかった。州兵に緊張感がないのも、住民がヨハンのことを知らないのも、全ての違和感の正体が分かった。
「そういうことか…。バンセツ!リンをさっきの男に北まで連れてってもらえないか?」
バンセツが驚いたように、翼伯を見る。
「構わないが、どうする気だ?」
「肉饅頭三個分の仕事をしてくる」
「バレル将軍!セリオルが見えて来ました!既に街には火が出ています」
隊列全体に緊張が走った。思ったより、ヨハンの侵攻が早かった。バレルが腹の底から叫ぶ。
「騎馬隊は先行しろ!半分は住民の避難に当たれ!!ビビット!お前が避難民を先導するんだ!敵は任せておけ」
「はっ!御武運を!」
バレルは馬に鞭を入れて、一気に加速する。次第に近くなる街は混乱に陥っている。街の中に一つ大きな建物がある。州長の屋敷だろうか、その周りだけが嫌に暗かった。
「火が上がっていないのか」
バレルの予想に確信が生まれてくる。既に半壊状態の北門には、逃げまどう人々が集まっていた。目の前から騎馬隊が迫ってくるのを見て、慌てて道を開ける。人々に目をやると殆どの者が、ろくに荷を持っていなかった。
「謀られたか!!全騎!!南門へ向かって走れ!俺は屋敷へ向かう!!」
馬を翻し、角を曲がって突っ込むように屋敷へ向かう。やはり、この周辺だけ火の周りが遅い。街路を駆け抜け、屋敷の門を正面に捉えると、州兵達が集まって大声を上げている。様子がおかしい。州兵の一人が倒れた。また一人倒れていく。門を突破して、馬から飛び降りると、州兵が恐怖に引きつった顔で、こちらを振り向いた。その群衆の中心には、一人の少年が身の丈の半分以上ある刀を持って立っていた。