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ひとでなし

「アイリス、食べて」

「なにそれ……」


 ギルバールの手元にある皿の上にはぶよんとした物体が揺れている。ゼリーとは少し違う。何だろう。色はよく晴れた空と似ていて、近距離でありながら全く香りがしてこない。


「いいから食べて?」

 そもそも食べ物なのか?

 食えと言うくらいだから食えるのだろうが、到底食欲をそそるようなものではない。

 アイリスは首を横にフルフルと降って「無理」と短く拒絶を示す。けれどギルバールはアイリスの意見などまるで聞くつもりはないようだ。謎の物体と共に用意していた銀のスプーンですくうと無理矢理アイリスの口にねじ込んだ。


「ゔっ」

 口内に入った瞬間、ぶじょりと変な音をしながら暴れまわる。まるで生きているかのようで気持ち悪い。行儀は悪いと知りながらも吐き出そうと身体をよじった。けれどジャラジャラと金属が擦れ合う音が響くだけ。口元はギルバールの手で覆われ「ちゃんと飲み込んで」と無機質な瞳で命令を下される。


 そう、アイリスに拒否権などないのだ。

 ギルバールに監禁されてから何日が経っただろうか?

 初めの数回はまともな食事だったが、回を増すごとにそれらはアイリスの見たことのないものへと変わっていった。今日は固体だが、三度ほど前は何かよく分からない液体を口移しで飲まされている。コップ一杯分ではあるが、ドロっとしたそれを飲み込むのには覚悟が必要だった。一度腹のなかに入れたものが口元までせり上がったのも一度や二度のことではない。彼が部屋から出た途端にベッドに吐き出してを繰り返した結果、今では口に水晶玉のようなものを嵌められるようになった。


 食事以外はひたすら放置。

 アイリス自身、食事で体力を使ってしまうため、ずっと寝ているというのもあるのだろうが、娯楽品の差し入れは一切ない。かといって身体を求められる訳でもない。監禁前同様にアイリスは純潔を保ち続けている。

 ただの誘拐にしては、ギルバールが望む何かがわからない。なにせギルバールは貴族で、アイリスは平民。薬草探しの途中で出会わなければ話すキッカケさえなく一生を終えたことだろう。だから余計にわからない。


「ほら、全部食べないと。ただでさえ遅れているんだから」

「遅れている?」

「予想よりずっと遅い」


 一体何のことか。

 アイリスは眉間に皺を寄せたが、ギルバールが答えてくれることはない。ただただちゃんと食べろと何かを口に運んではアイリスが飲み込むのを見守るだけ。皿に山盛りになっていたそれを平らげればやっと彼はにっこりと笑った。


「お昼の分はこれで大丈夫。また夜に来るね」

 その言葉でようやく今は昼なのかと認識する。

 ギルバールはアイリスの髪を撫でながら、彼女の口に水晶玉をはめる。毎回物が違うのか、今日は紫色をしている。ギルバールの気分によって変えているのかもしれない。だがそんなこと、アイリスにはどうでもよかった。やっと食事から解放されたことに安堵し、身体を横に倒す。ボフンと軽く跳ねれば、そのまま眠りの世界に溺れていった。




 ギルバールはアイリスの眠る部屋を後にし、小さくため息を吐く。今日も今日とてアイリスはヒトの身体を保ったままだ。3ヶ月も前に嵌めた枷はどれも外れることなく、彼女の手足に居座っている。予定なら1ヶ月もすればスルリと外れるはずだったのに。そのために一日三食、アイリスのために作った食事を運び続けている。


「ギルバール、あの子はまだスライムにならないのかい?」

「まだみたい。もう3ヶ月も俺の身体を与え続けているのに……」

「核が出来ないのか。相性の問題もあるし、そろそろ別のスライムの粘液や魔石も混ぜてみるのもいいかもしれないな」

「嫌。アイリスは俺だけのものだ。他の個体のものなんて食わせてやるもんか」

「あらあらギルバールったら随分アイリスさんを気に入っているのね」

「ついに嫁を取ると言い出した時は驚いたが、よりによって人間とはな……。人を魔族化するには時間がかかる」

「早く結婚したい」

「まぁ気長に待ちなさい」

「……ああ」


 ギルバールはスライムだ。

 それも長年ヒト属に擬態し続けた魔物。ギルバールの家系は代々同じ魔物と縁を結び、子をなしてきた。中にはヒト属と契った祖先もいたらしい。その祖先が残した書物というものがある。森の中で薬草を摘んでいたアイリスに一目で恋に落ちたギルバールは家に帰ってすぐ、その書物を読み漁った。

 そしてスライムとヒト属は決定的に子孫を残す方法が異なることを知った。スライムの場合、メスに取り込まれたオスが体内で魔素を放出することで子を成すことができる。他の種族と交わる際も似たようなものだ。けれどヒト属は根本的に体内構造が異なる。魔素を放出したところで何にもならないらしい。


 色々と試した祖先が導き出した方法ーーそれが相手を魔族化させてしまうことだった。


 相手も魔族なら子を成すだけではなく、ヒト属の短い寿命に囚われることもなくなる。実際、祖先は元ヒト属の番と長い時を過ごしたらしい。


 だからギルバールも書物に記されたのと同じ方法を取ることにした。口内から自身の魔力を流し込むのだ。ただしヒト属とは厄介なもので、形を持った物でなければ取り込むことができない。


 だからギルバールは身体を切った。

 痛みはあるが核さえあればスライムの身体はすぐに再生する。毎食限界まで切って、早くヒトでなくなってくれ、と祈りながらそれをアイリスの食事の材料にする。初めのうちはヒト属の食材を混ぜ込んでいたが、次第に自分以外の物が彼女の身体を形成することに憤りを感じるようになった。


 ただでさえ自分が出会うまでの16年間アイリスの周りにいた人間どもが許せなかったというのに。切り刻んで他の魔物に食わせてやってやっと溜飲が下がったほど。これ以上彼女に自分以外の何かが与えられることが許せなかった。


 そして彼女から与えられる物も全てギルバールの物。

 同じ屋敷に暮らしている両親にだって、話こそすれど彼女の姿を見せるどころか声ひとつとして聞かせていない。


 アイリスが吐き出した食べ物も、寝ている最中に垂れ流した汚物も、汗や皮脂に至るまで。アイリスから出るもの全てがギルバールのもの。彼女をまるまる包み込み、そして胎内でアイリスという存在を堪能するのだ。


「愛してる、アイリス」

 ギルバールはアイリスへの愛を囁きながら、彼女の口から回収したばかりの魔水晶を舐め回す。ギルバールの魔石から作った水晶で、本来ならば真っ青であったはずのそれは彼女の唾液と混じってすっかり色が変わってしまった。けれど色が変わるということは彼女もまた魔を帯び始めてきたという証拠でもある。


 少しずつではあるが、ギルバールを取り込むたびに、アイリスは着実にヒトから外れていっている。


 本人に自覚はなくとも、彼女が人ではなくなる日も遠くはない。


 スライムになった愛しい女性を想像して、ギルバールの頬は緩んだ。


 愛している。

 繰り返し囁きながら、ギルバールは愛しい彼女のために右腕を切り落とした。

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