バーチスと嫁とクロウ
少しでも楽しんで頂けましたら幸いです。
一秒だってこんなところにいられるか。
アトスが殺されたこんな場所!罪人とはいえ事件に関係の無い者まで席に座り人が死ぬのを見て歓声をあげる、この世界の奴らは頭がおかしいんじゃないか!!
くそ、あの日から目眩と吐き気が治まらない。
相変わらず込み上げる黒い何か。
苛立ち裏門に差し掛かると見慣れた禿頭に赤茶色の髭、バーチスだ。
「お、おい、バーチス、あれ…」
「なんだ?…あ?」
遠目に俺を見つけた兵士同士は声をかけあい、こちらを凝視し距離が近くなるとバーチスが代表して声をかけてきた。
「おいおい、その姿、クロウなのか?」
「それ以外に誰がこんなところを通るんだ…」
「そりゃあそうだ!いや、すまん」
「一昨日アーツベルが来た」
「なんだと!?」
「帰ったら部屋の中に居たんだ、怒鳴ったら出ていったが…勘弁してくれ」
「それは…お前が怒鳴るなんて余程のことがあったのか?」
バーチスは責任を感じたのか、心底心配そうに言ったが、何故かその様子にさらに苛立ちは増す。
「余程?ああ!よりによってアトスの部屋に勝手に入ろうとしたんだ!」
「なっ、それは…本当にすまない…」
バーチスと兵士たちは困った、というより叱られた子供の用に元気を無くした。
「…いや、俺の方こそ悪い。エルフなんて普通じゃ手に負えるものじゃなかったな」
バーチスはひどく悲しそうな顔をした。
「なんでだろうな、謝られているはずなのにお前の低く静かな声は、胸の深くに響いて痛む」
「…悪かったと言ってるだろう、夜にまた出かける」
「わかった」
気まずくなり足早にその場を後にし、部屋に帰った俺は怒りに身を任せ脱ぎ散らかしてソファに身体を預けた。
そしてしばらくしてから仕方なく着物を畳もうとして後悔した。
「着物の畳み方なんて知るかよ…」
見れば見るほど高価そうで、そのままにしておくことは出来なかった。
しかし袴の折り返しが何度やっても綺麗に畳めない。
せめてもとシワにならないようハンガーに掛け、ため息をついてソファに座り込んで自分の手を見つめた。
「人を二人殺した…」
それなのに、罪悪感もなければ感触も残っていない。
剛田に切りつけられた傷は僅かな跡になっているが、先生に手当してもらったおかげでもうじきに消えるだろう。
時間を見ると昼過ぎの二時…なんだかんだと時間がかかるもので、アトスはさらにこの後水浴びをしていたのだから自分では考えられない。
日が暮れて裏門に向かうと、またバーチスの姿はなかった。
ほかの兵士を呼び止めると、兵士は俺を見て笑った。
「クロウ、その大荷物はなんだ?」
「とうとう逃げ出す準備か?」
「ほっとけ」
大きな風呂敷のようなものはシーツの替えだが、肩にかけていたのが昼間の姿とのギャップを生み出し、ツボにハマったらしい兵士たちに散々いじられる。
「それよりバーチスはどうした?」
「バーチス?何か用だったのか?」
「昼間八つ当たりをしてしまってな、謝りたかったんだ」
そう言うと、兵士たちは気まずそうに顔を見合わせた。
「バーチスなら兵士を辞めるかもしれないな」
「なに?」
「もちろんお前のせいじゃないぜ!?」
慌てて兵士たちがフォローする。
「嫁さんが病気なんだとさ、田舎に引っ込むかもしれねえって」
「それで最近俺たちも奴と時間をかわってやったりしてるんだけどよぉー」
バーチスという男は仲間の兵士たちに好かれているのか、その話をする男たちは寂しそうだった。
「その病気は田舎にいけば治るのか?」
「逆だぜクロウ、最期くらい嫁の育った村で暮らしてやりたいんだと」
「なら先生に…」
そう言いかけると兵士たちはまさかという顔をした。
「俺たちみたいなのが勇者様に…それも国医の勇者様に診ていただける訳がないだろう!?」
「そう…なのか?」
これだけ異世界人もスキルも技術もあって、この国は民の病気も治せないのか。
いや、使う人間を選んでいるという方が正しいのだろう。
「…バーチスの家はどこだ」
「見舞ってもしょうがねえ、そっとしといてやりな」
「いいから連れて行け」
「…仕方ねえな、持ち場を離れたのはお前の護衛ってことにしといてくれよ?」
「恩に着る、お前の名前は?」
「知らなかったのかよ…ベナンだ」
「よろしく頼むベナン」
噴水の広場を抜け、途中で適当な店に寄ってから表門まで行くと北西に走ると初めて見る一般人の居住区…。
そのさらに奥まった狭い通路を何度も曲がりたどり着いたのは、外国の映画に出てくるような古びた赤茶のレンガのアパートがいくつか並ぶ通りだった。
ベナンはその中の一棟のアパートの前で立ち止まった。
「ここの、N303号だ」
「悪いな、もう帰っていいぞ」
「一応待ってるさ、バーチスによろしくな」
ベナンに見送られて、今にも崩れ落ちそうな錆びた階段を駆け上がる。
「ここか」
部屋の窓からは明かりが漏れている。
扉をノックすると中で物音がして、しばらくすると少し疲れた様子のバーチスが顔を覗かせた。
「誰だこんな時間に…クロウ!?」
「手間は取らせない、中に入れてもらえないか?」
「それが、立て込んでてな」
バーチスは無意識に視線だけを部屋の奥に移した。
すると部屋の中からはひどく咳き込む音と小さなうめき声がきこえる。
「ユリシナ!」
バーチスが急いで部屋の奥に戻ると、むせながら謝る女の声がした。
「バーチス、入るぞ」
「クロウ、悪いが…」
「奥さんが病気なんだろう?俺はそれで来たんだ」
「…どういうことだ」
バーチスの顔が険しくなり、嫁を守るように警戒した。
そこでポケットから来る途中で買った瓶のジュースを出し、そのまま嫁の隣に座り込んだ。
「クロウ、そんなもので何をするつもりだ?ユリシナから離れろ!」
「バーチス少し黙ってろ」
その時、か細い声でユリシナと呼ばれる女が顔をこちらに向けて喋りだした。
「お客…さま?」
目が見えていないのか、焦点が合わずに俺を捉えることは無い、好都合だ。
「俺はバーチスの知り合いだ、薬を飲む気はあるか?」
「ごほっ、ごほっ、がはっ…」
「少しずつでいい、飲めるか?」
「は、い…」
ユリシナにジュースを飲ませながら、集中して辺りに淡く光る緑の霧を出す。
「クロウ!何だそれは!何してやがる!!」
「あな…た?」
がなり散らすバーチスの声に嫁は驚き、身体を支えていた俺の手から離れようとするも、力が入らずによろけそうになる。
「不安がるだろう、静かにしろ」
嫁を人質にとられたとでも思ったのか、バーチスは身動きが取れずに一定の距離を保ちこちらを睨んでいる。
そうしてジュースで口を湿らせる程度に数回に分けて半分ほど飲んだ頃。
「あ、ら?」
「楽になってきたか?」
「え、はい、とても…」
ユリシナの身体に霧が全て触れ、治癒魔法が完了した事を確認してから最後に。
「ユリシナさん目を閉じてくれ、少し触れるが怖がらなくていい」
「はい…」
偽薬なのだが、それが効いて楽になったと思ったのか、警戒心は薄れて身を任せるユリシナの目にそっと手を触れ生命の力を注ぎ込む。
「もうこれで大丈夫だ、俺が出ていったら目を開けていい」
「…え?」
そしてユリシナから離れた瞬間、バーチスが間に割り込み俺にナイフを向けた。
「クロウ!なんのつもりだ!妻に何をした!?」
「安心しろもう帰る、今日の事は誰にも言わないでくれ」
「やはり何か怪しい物を!?おい待てクロウ!」
「あなた!」
バーチスはナイフを俺に構えたまま、言いつけを守り目を閉じたままのユリシナを片手にしっかりと抱きしめた。
「じゃあな、バーチス」
「おい!!」
扉を閉めてもバーチスの怒号は外にまで響いた。
「クロウ!」
「あなた!やめてあなた!!目が…目が見えるのよ!!」
「なんだって…?」
「苦しくもないわ!息が出来るの!」
・・・
・・・・・
「待たせたなベナン」
「おい、なんかバーチスの怒鳴り声が聞こえないか?」
「怒らせたらしい。早く店に行かないと約束の時間だ」
「怒らせたぁ!?おまえっ、何してきたんだよ!?」
「いいから走れベナン」
何度も似たような細道を曲がる度に、これでは医者の気配を辿って朧月に向かっても遅くなっただろうと、改めてベナンが待っていてくれて助かった。
見慣れた場所に出るとベナンと別れ医者の待つ店にむかった。
──女将はくすくすと笑いながら着物を畳んでいる。
「だから聞いたのだよ、着替えなくていいのかと」
「耐えられなかったものはしかたない」
笑う医者を冷めた目で見てから、女将に礼を言う。
「仕事を増やしてすまない、女将さんしか思い浮かばなかったんだ」
「いいんですよ、でもどうせならお着物姿でいらしてくださればよろしかったのに」
「…勘弁してくれ」
シーツに包んで持ってきた大荷物の中身は着物だった。
結局畳めずに、かといって放置も出来ずに女将に頼ることになった。
ここまで読んでくださりありがとうございます。




