約束の日
少しでも楽しんで頂けましたら幸いです。
そしてあっという間に二ヶ月が経ち、アトスの仕事の見学の前日。
いつもの手合わせ中に術式の結界の中で、息を切らして両手を挙げたのはアトスだった。
「僕の負け」
「手を抜いてないか?」
この頃はアトスの攻撃は俺に当たることはなくなり、必ず俺の刀がアトスの急所を捉えてギブアップで終わるばかりだ。
「クロウの上達が早すぎるんだよ、スキル無しでそれでしょ?おかしいよ」
確かにアトスは不貞腐れたような呆れたように言うところを見ると、本気で相手をしてくれているのがわかる。
時には殺気をまとい全力で。
そして時には二本の剣以外にも盾や鎖の先にトゲのついた小さい鉄球など様々な武器や魔法を使い、アトスの攻撃のバリエーションが増えたばかりか、医者に頼んで結界のアトスへの支援効果は、より強力なものへと何段階もグレードアップしていた。
そんな鬼コーチに対して俺は痛みだけではなく本気で命の危機を感じるようになった。
そしてがむしゃらに、それはもうひたすらに必死に生きるために練習をした。
「僕じゃもうクロウの相手にならないみたい」
つまらなそうに口を尖らせるアトスに、俺はニヤニヤが止まらない。
「アトスさんアトスさん!」
「はいはい?」
「発表しちゃっていいですかぁ~?」
「気になるから早く教えて!」
目を輝かせ前のめりになるアトスを焦らし、最近は悪戯心で隠していたレベルを言う時が来た!
「317レベルになりましたっ!!」
「はあ!?」
アトスはあんぐりと口を開けて珍しく大きく動揺し、心做しか少し引いている。
「ウソじゃない…!怖いよクロウ!!あんたと手合わせし始めてから僕も上がったと思ったのに…」
「アトスもそろそろ今のレベル教えてくれよ!」
「…245」
勝ったーーーーー!!!
まさかのあの短期間に追い越すどころかここまで差がひろがるとは!!
ウッキウキな俺に反してアトスはぐったりとした。
レベルが上がったのは魔力を使った事も大きいとは思うが、剣の腕は確実にアトスのスパルタにより身についたものだった。
「これも全部アトスのお陰だよ!試合も少しは期待できるだろ?」
「まさかクロウがここまで上達すると思わなかったよ、…本当に勝てたりして」
二人でにんまりと笑い、感覚だけではない技や剛田のやりそうな事を細かく確認して俺はその日めでたく免許皆伝した。
──そしてとうとうアトスの仕事の見学の日になった。
朝目が覚めると隣のベッドにアトスの姿はなく、時間は朝の五時、まさか置いていかれたのかと気配を探るといつもの井戸にいることがわかった。
「朝も井戸で何してるんだ?」
初めて井戸に行くと、そこには服を着たまま井戸水を被るアトスの姿があった。
「アトス!?」
声をかけるがこちらに全く構わずに水浴びを続ける。
朝方は肌寒く、俺にはレジストスキルのおかげで影響はないが、普通ならとても水なんて被って平気でいられる気温でないことだけは確かだ。
さらに近づき目の前に出ても、俺などその場にいないかのように気にせず黙々と水浴びをする。
一体どうしたというんだ?
アトスの奇行は今に始まった事ではない、少し様子を見てヤバそうなら一度家に連れ帰ろう、そう思いしばらく観察していると、ふとある事に気づく。
着ている物が見た事のないものだ。
真っ白い着物?
仕事の制服?
それにしてもなんで着物?
それを今濡らしちゃったらまずいんじゃないか?
お風呂と洗濯を同時に済ませる、にしては井戸水を被るだけ。
その時、アトスの動きが止まり、服の中に仕舞ってあったらしいネックレスと、いつも身につけている医者からもらったブレスレットを両手で握りしめると、目を瞑り立膝で天に向かって祈りのような姿勢になる。
待ってこれ、宗教?
そう言えば、この世界にも教会があるらしいことはレモニアに聞いた事がある。
もしかして仕事前に毎朝やっていた?
邪魔しないように数歩後ずさり、姿は見える位置で再び待つこと数十分。
長い。
もう回収してしまおうかと悩み始めた頃、祈りを終えたアトスがゆっくりと立ち上がり、こちらに向かって歩いてくる。
「アトス!」
「…クロウ?どうしてここに」
良かったいつも通りのアトスだ、先程までは集中しすぎて聞こえてなかっただけのようだ。
「邪魔しちゃったか?目が覚めたらいないから探しに来たんだが、何してんだ?」
「身体を清めてお祈りだよ、爺ちゃんもやってたんだ」
なるほど、久しぶりにこのパターンか。
この世界の常識タイム!
邪魔しなくて良かった。
「それにしても、こんな時間に寒い中でやらないといけないのか?」
「気温は関係ないんだ、仕事に行く日の朝と仕事が終わった後に必要なことなんだ」
「そんな事して大丈夫か?風邪ひいたりしたら仕事どころじゃないだろ」
「これも仕事のうちなんだ、心配かけてごめんね」
どんな仕事!?
教会勤め?それにしては普段信仰してる所とか見たことないけど。
俺のいた世界でも宗教に関しては謎の修行とかあったしな、何も言えないかもしれない。
「まあそれが普通なら…」
「僕たちが自分でやっているんだよ、この家に住む人間は皆してきた事だから」
仕事に関係するならばそうなのかもしれないが、アトスの顔は真っ白じゃないか。
「クロウは朝ご飯食べないと」
「俺も飯は食わないで行くよ」
アトスは途中の物置部屋、ではなく仕事部屋だと教えられた所から入ると言って、二手に別れて家に入る。
なんだろう、宗教って肌に合わないんだよな。
あれがいつもの事だと平然と言い切るアトスにも不安を覚える。
部屋で三十分ほどアトスを待つが、入ってくる気配がない。
やはりどこかで倒れてるんじゃないだろうか。
玄関の扉を開けると、医者を連れてきた時の荷車いっぱいに荷を積んでいた。
「ずいぶん大きな袋だな、何が入ってるんだ?」
「仕事道具かな?」
そう言うアトスの格好に目が釘付けになる。
中に着ている純白のシャツは、首に沿って立てられた折り返しのない襟に小さなフリルが着いており、小さな白い宝石の様なボタンが縦に細かく付いている。
その首元にはさらに漆黒のスカーフが巻かれ、同じく漆黒で厚手だがシルクのように光沢があるスーツの、ジャケットの上着はふくらはぎまでの長い丈だ。
胸元には白い大きな花が飾られている。
一番目を惹かれるのは普段はだらしなく、目にかかっていたクシャクシャの真っ赤な髪がオールバックになり、その上から刺繍がたっぷりと施された黒いレースのベールを被っている。
ベールは顔の部分は目と鼻にかかる長さで、それ以外は足下まで覆われている。
アトスが一歩踏み出すごとに薄いレースがふわりと揺れ、一見すると神父服のようなものに身を包んだその慇懃な所作や態度にはアトスの面影が全く無かった。
「誰?」
「僕だよ!?ホントウに言ってるのがわかるよ!?」
「嘘だ!アトスは元はいいのにボサボサ頭の元気っ子で庶民派だ!貴方のように厳かな少年ではありません」
「それは褒められてるの?」
「誰ですか!」
「僕だってば!しつこいよー」
「いや、ビックリした、アトスやれば出来るじゃないか」
「クロウ変だよ?あ、パンとジャムと果実は持った?」
「ああ!このバスケットに入れてある」
そんなアホなやり取りをして二人でぼちぼち歩き始める。
「その荷台俺がひくよ」
「ありがとう、でも大丈夫これも仕事で使う大事なものなんだ」
似合わないなあ、白黒の豪華な衣服を身にまとった赤髪の美少年がボロボロの荷台を引っ張っている。
しかしアトスは真剣そのものだ。
「仕事場に着いたら僕は誰とも話せないから、兵士に見学できる席に案内してもらってね」
「わかった…」
なんだかここまで来ると、俺が非常識というよりもアトスの職業が特殊な部類に入る気がする。
やがていつもの裏門につくと兵士たちはアトスに敬礼をし、俺が会釈をするとバーチスがウインクをした。
おう、気持ち悪い。
「アトス様、お仕事ご苦労さまです!」
「おはよう」
「これいつものやつだ。アトスが皆にパンを焼いてくれたんだけどジャムとポポンの実もあるから良かったら」
最近はすっかり差し入れが恒例になり、バスケットを渡すとバーチスが受け取り、先程までの形式ばった挨拶はどこへやら、兵士たちがアトスの元に集まり口々に例を述べた。
「先日のゲッシュの燻製やお茶もとても美味しかったですが、まさか勇者様のお手製のパンを頂けるなんて光栄です!」
「うちは頂いたジャムとパンを嫁と食べさせていただきました!とても美味しかったです!嫁もとても喜んでいました!」
アトスは初めは戸惑っていたが、そのうちにニコニコと照れながら笑顔になると兵士たちに言った。
「ありがとう、また持ってきてもいいかな?」
すると兵士たちもパッと明るい表情になり、アトスを囲んでぜひにとはしゃいだ。
「さあお前ら!アトス様はこれからお仕事だ!」
バーチスが手を叩き大声で兵士たちに声をかけると、兵士は隊列に戻り、再び敬礼をしてアトスを見送った。
「…あの人たちとこんなに話せるようになるとは思わなかったよ」
「音はどうだった?」
「うん、クロウみたいな心地のいいホントウの音がしてた!」
裏門をくぐり抜けて出た先でアトスは一度止まり、いつもなら通り過ぎる敷地の中へと進んでいく。
その先には美しいが、やはり味気ない無機質な大きな建物。
そこで裏口のような所に入ると中には兵士が待ち構えていた。
「それじゃあ僕はここで、クロウ!仕事が終わったら待ってて?一緒に帰ろうね」
「ああ!頑張ってな」
そう言い残してアトスはそのまま右に曲がりどこかに行ってしまった。
すると出入口の扉を開けてくれた兵士が俺に声をかける。
「このまま先にお進み下さい、突き当たりを左に曲がりますと下りの階段があります。その先はどこにお座り頂いても結構です」
それだけ告げるとまた扉に戻って行った。
天井も壁も寒々しい灰色、自分の足音がいやに響く廊下を進む。
ここまで読んでくださってありがとうございます。




