異世界再び 2
少しでも楽しんで頂けましたら幸いです。
──あまり冷たいことを言ったら可哀想だよ」
「あの女が余計なところに踏み込もうとするからだ」
──クロウは優しい奴なんだって、僕は知ってる
「俺が優しい?違う!それはお前だ…――」
名前を呼びかけて目が覚める。
「また夢を…」
そうだ、夢に決まっている。
昨夜は二杯目の酒を空けると吐き気に耐えられなくなりセグシオを置いて店を出てすぐに家に帰った。
ベッド代わりのソファから立ち上がると、リビングのキッチンスペースの隣にある扉を開けて通路を通り、洗面台で顔を洗う。
顔を上げると壁に掛けてある鏡が目に入るが、それは中央が砕けて丸く細かいヒビが入り、そこから割れた線が放射状に枝分かれして伸び姿を歪に映していた。
水を止めて顔を拭いてから腰まで伸びた髪をブラシで丁寧にとかして三つ編みにすると、左手につけた不規則なサイズの紅い丸い宝石が連なったブレスレットに右手を添える。
「おはよう、アトス」
意識を集中してステータス画面を見つめる。
深い蒼色の魂のマークが欠けることなく十二個並んでいる。
増えたスキルに目を通し、他に変化がない事を確認してから着替えて袋を掴み家を後にする。
家の周りを囲む林を抜けて少し歩くと、王都を取り囲む天にも届きそうなほどの高さの防壁が見えてくる。
裏門までたどり着くと見張りの兵士が数人、俺に気がつくと急いで門を開けて待っている。
通り際に兵士を見ると、知らない者が一人いた。
「そこの奴は見ない顔だな」
俺が声をかけると、そいつは背筋を伸ばし敬礼するが、その顔からは怯えているのが見て取れる。
「は、はい!本日から森の門を警備させて頂くことになりました!よろしくお願い致します!」
「ああ、可哀想にな、ハズレを引いたな」
若そうな兵士に思わずそう呟くと、言われた兵士は戸惑いながらも否定する。
「滅相もございません!」
「おい、あまりからかってやるなよクロウ」
黙って見ていた他の兵士が助け舟を出す。
「そうか?こんな場所の見張りで気の毒にな」
「全くだ、お前のお守りは心臓に悪い」
言ってから持っていた袋を笑う兵士に渡す。
中身は王都の市場で買った大量の果物だ。
受け取った兵士は袋の中を覗き、俺に憐れむような視線を送り問いかける。
「いつも悪いな、また食べなかったのか?」
「ああ、食欲がないらしい、アトスの好物ばかり買ってきたのにな」
「…そうか。皆で分けさせてもらうとするよ」
このやりとりはよくあることだ。
俺はアトスという人物と暮らしている、ということになっている。
実際は一人で住んでいて、その事は兵士たちも知ってはいるのだが、時々こちらが口にするその人物の話に合わせてくれているのだ。
それはまるで頭のおかしい男に同情するように。
門を通り過ぎると後ろから声が聞こえる。
「聞いていた通りの方ですね」
「そうだな、クロウはまだあの家にあの方がいると思いたいんだ…、いや、あまり滅多な事を言うもんじゃねえな」
歩きながら俺は思う。
これもいつもの事だが、それは本人に聞こえないように言って欲しいものだ。
しばらく芝生と樹木のある敷地を進み、無機質で大きな建物の裏庭に回りそのまま通り過ぎると、レンガが敷き詰められ舗装された道に変わり広場に出る。
そこには噴水と王の彫像があり、街の至る所に通じる道が繋がっている。
円形の噴水の階段端に座って街並みを見ると、街の人々が忙しそうに歩き回って、また歩みが遅く周りをキョロキョロと見渡している旅行者もいる。
商人の乗る馬車が目に入るが、引いているのはペガルスではない。
ガームと呼ばれる四足獣だ。
見た目は虎だが、縞を無くしたような単色で、野生では人を襲うこともある。
躾をして餌さえ与えていれば凶暴になることは無いので、荷を守る為の盗賊避けにと商人が好んで扱う生き物だ。
ペガルスも見かけるが、それはだいたい旅行者か冒険者だろう。
兵士が遠征や見回りの為に乗るとしたら、騎龍というコウモリのような翼を持つ二足歩行のトカゲだ。
飛龍とは違い身体はあまり大きくはなく、人が一人背に乗るとちょうどいい。
やはり空を飛んでいる姿はそれなりで、ペガルスより速いのだが地べたを走る姿は不格好で遅いのが難点である。
ガームは高価で餌代がかかる割に乗り心地はあまり良くないと聞くので、だいたいこの三種が用途によって分かれている。
変わり映えしない景色をぼーっと眺めたあと、立ち上がって再び歩き出す。
「にゃあー」
「後でな」
耳元で聞こえる鳴き声に小声で注意をし、広場を抜けて西に進み図書館に向かった。
図書館は誰でも利用可能なのだが、俺は自分が通い始めてから他の利用者をあまり見たことがない。
図書館に入り席に着くと石版にカードと手をかざして、種類を絞ると引き出しから本を取り出す。
そして少し遅れて引き出しから、さらに本が入った音がする。
本を取り出すためにもう一度石版にカードをかざして引き出しを開ける。
中に入っていたのは布の装丁の分厚い本だ。
本を手に取りページを開こうとすると、さらに魔法術式が発動しカードの照会を求められる。
一致するとやっと本が開き読むことができる。
これが限られた人間しか閲覧することのできない、秘匿書庫の資料だ。
秘匿書庫は数種類ある。
国の機関で働き、なおかつある程度の裏を知っている者が閲覧可能な一級と、国の重要人物だけが閲覧可能な機密事項の宝庫である特級などがある。
毎回すでに読み終えた一般書庫の本を数冊と秘匿書庫の本を同時に借りている。
というのも、秘匿書庫に保管されている物には全て強い魔法術式が組み込まれており、閲覧権利を持たない人間が近づくと手元から消えてしまうからだ。
本来は王宮の地下深くにある秘匿書庫へ直接行って閲覧するのだが、俺は王宮へ入る権限を持たないため制限された一級までの本を図書館で読むことしか出来ない。
仕事を始めた頃に上司と秘匿書庫の本を図書館に寄越すよう契約をしたのだ。
そしてこうして誰も来ないうちに、もう何度読み返したかわからない本を広げ、術式と呼ばれる魔法の使用法や仕事に関連する出来るだけの知識を集め確認するのだ。
一通り読み終わると今日は午後から約束があるため、早めに切り上げて図書館を出る。
すると、図書館の前にはセグシオが立って待っていた。
時計を見ると昼過ぎ、そういえば今日は非番だと言っていたな。
セグシオは普段街をみまわる兵士として勤務しているが、王都では特別な任務にでもついていない限り割と労働環境は良いらしい。
少し元気のなさそうなセグシオに近づくと、こちらに気づいて手を振る。
「クロウ!待ってたよ!」
「昼間からは付き合わないぞ」
「そうじゃなくて、ラーラのことなんだが…」
いつもの明るさはなく、どこか歯切れが悪い。
「悪いな、これから人と会う約束なんだ」
「急ぎなんだ、少しだけでいいから話を聞いてくれないか?」
俺の前に立ち、切羽詰まったように頼み事をする、こんなセグシオは初めて見た。
「仕方ない…時間になったら俺は行く、それまでの間だけだ」
「すまねえな!」
セグシオの顔がパッと明るくなる。
二人で広場に向かう途中、言いにくそうにセグシオが話を切り出す。
「昨夜お前が帰ったあとの事なんだ、覚えてるか?ラーラが髪留めをしていただろう」
「ああ」
「ラーラが飾りをつけるなんて、今まで無かったから俺も気になって理由を聞いたんだ」
「男でも出来たんじゃないのか?」
俺は呆れてため息をつきながら突き放したように言った。
セグシオの気持ちはわかっているが、相手にされていない所を見るとその可能性が高そうだと考えていた。
すると、セグシオは肩を落として近くの噴水に座り込む。
「弟がプレゼントしてくれたらしいんだ」
「それはお前にとってもいい話じゃないか」
聞く限り姉弟の仲がよくて結構なことだが、それの何がそんなにこの男を気落ちさせているというのか。
一呼吸置いてからため息混じりに続ける。
「その弟が病で亡くなったそうだ」
「病?」
「ラーラは元々貧しい農村の出だが、弟の治療費を稼ぐために王都に出稼ぎにきてたんだ、そして昨日の朝髪留めと弟の悲報が届いたそうだ」
ラーラはいつも明るく気さくな娘だった。
昨夜も普段と変わらぬ態度にそんな事情は想像もつかなかった。
「そうか、それは残念だったな」
「それで、お前から励ましてやってほしいんだ!」
「なぜ俺が?」
「ラーラには世話になってるだろ?それに…」
世話になった覚えは無いというのに、セグシオは一体何が言いたいのか。
言いにくそうにこちらを見てはまた俯いてしまった。
これでは拉致があかず話にならない。
「悪いが俺に出来ることはない、もう行くぞ」
立ち上がり歩きだそうとした時、腕を掴まれ引き止められる。
「ラーラはきっとお前のことが好きなんだ!お前なら元気にしてやれる!」
「なんだと?」
「俺にはわかってるんだ、自分が相手にされてないのもお前が髪留めを褒めた時、それだけじゃなくお前がいると嬉しそうなんだ」
何を突飛なことを言い出すのかと思ったら何とくだらない事を言い出したのか。
「それじゃあ何か?わざわざ好きな女を喜ばせたくて俺を誘っていたというのか?」
「誤解しないでくれ、お前を誘ったのは友達だと思ってるからだ!たとえお前が自分の事を何一つ教えてくれなくても!」
「友達?」
「ああ!」
「俺はそんなものになった覚えは無い、ラーラはお前がなんとかするんだな」
「クロウ!?待ってくれよ、クロウ…」
後ろでか細く俺の名を呼ぶセグシオの声を聞きながら、そこで改めてどうでも良くなりため息をついて空を見上げる。
あの店もセグシオも潮時だな。
「この世界は本当に面倒くさい」
ここまで読んでくださりありがとうございます。




