スクレイド5/7
少しでも楽しんで頂けましたら幸いです。
…しかし、いつもならタイミングよく出てくるベルの姿はなく、何度か呼ぶとどこか沈んだ様子のベルが顔を出した。
「ベル?どこか具合でも悪いのかい?」
「ううん、少し疲れただけだよ…レイお願いがあるんだ」
「なんだい?」
「僕を人間の国に連れ出して」
初めて聞いたベルの願い、よどみ無く真っ直ぐと見つめるベルの瞳には希望というよりも得体の知れない仄暗い灯火があり、スクレイドは言葉に詰まった。
確かに、今日リーゼンブルグと不可侵の話をしてきた、だが今までずっと心に閉まってきたであろう事をなぜこのタイミングで?
スクレイドは一歩引いてベルを見た。
ベルが魔力の薄い人間の国であれば壁の外に出ても生存できる可能性はあるのかもしれない、だがまだ安全とは言いきれない。
昔はそう言って、一人だけ自由に外に出ることのできる自分を責めてくれたらどれほど楽かと思った事もあった。
しかしそれを聞かずに済むならとベルの強さに甘えていたのも確かだった。
スクレイドはなんとか喋り始めた。
「いつか必ず君をここから連れ出してみせる…」
まだ英雄王を信じきることは出来ない、たとえ協定を結んでもエルフが人間の地で暮らすのには問題が山積みだろう、特に力の弱いベルでは。
するとベルは打って変わっておどけたようにニッコリと笑うと言った。
「最近暇でさ、少し外の世界に興味が湧いただけなんだ、困らせてごめんよ!」
「謝るような事じゃないからねぇ!言ってくれてありがとう!いつか二人で出かけよう」
「うん、今日は疲れたから休むよ」
変わらない笑顔のはずなのに、どこか陰りを帯びた雰囲気はスクレイドを不安にさせた。
「そうだねぇ、ゆっくり休んで…また来るからねぇ」
フィールファントから何かを聞いた?まさか有り得ない。
ベルを大切に育てた彼女は無駄に希望を持たせるようなことはこれまでしなかった。
初めてベルが遠い存在のように感じる、お互いのことはお互いが一番理解していると思っていたのに。
それでもスクレイドはベルの元に足しげく通った。
しかしその日以降ベルに会えない日が増え、アレイグレファーを通じて聞いたのはベルが熱を出すことが多くなり体調が思わしくないという事だった。
狂いだした歯車をスクレイドは認めたくなかったが、嫌でもそれを思い知らされる。
スクレイドは約束通り定期的にリゼイドを訪れた。
空を飛び国境を越えても攻撃されることもなく、プレーシアへの進行や攻撃もパタリと止んだ。
書面も術による誓約もなかったにも関わらず約束は守られた。
王と会う時は時間が許す限り話を聞いているだけだった。
時には同じ話を何度もされ、それでもスクレイドは優しく相づちをうち孤独を埋めようとした。
また帰り際には次の約束はせずに別れるのも恒例になっていた。
リゼイドからの侵略行為が無くなったとはいえ、時折ルクレマールの術式がプレーシアの空を覆い襲撃されることもあり、巫女であるスクレイドが長く留守にする訳にはいかないことを王もわかっていたのだろう。
そんなある日、ベルの家の前で壁に手を添えた時、珍しく顔色の良さそうなベルが出てきて同じように壁に手を添えた。
「ベル、今日は調子がいいのかい?」
「うん、心配をかけてごめんね」
話したいことはいっぱいあったはずなのに、毎日会っていた頃よりも会話は弾まず、お互いに交わす言葉はまるで決まったセリフのように味気ないものばかり。
そしてベルは壁に額をこつんとあて、しばらく足元を見ていた。
「ベル?」
「終わりにしよう、もう来ないでくれ」
とうとうこの時がやってきた。
スクレイドはベルからいつかこんな日がくることを覚悟していた。
「俺が嫌いになったのかい?」
「嫌いになりたくないからもう会わないんだよ、さようなら」
「俺はいつまでもベルを愛しているよ」
そう言ってもどちらともなく壁から手が離れ、お互い後ろを向くと振り返らずに別れた。
そして血の匂いが近づいていた。
「ルクレマールはあの高度な術式をなぜリゼイドのように発展のために使わないのかなぁ、理解に苦しむよ」
王の遺した“精霊の息吹”は呪文を唱えることなく発動する力。
術式のように自然から借りた力をねじ伏せるものではなく、思うだけで世界の精霊がその時に必要なだけの魔力を与えてくれるもの。
それはルクレマールの術式さえ消し去る。
その力を使えばルクレマールなどおそるるに足らなかった。
それをルクレマールの民もわかっているはずだろうに、術式による襲撃だけでは飽き足らずに国境付近で自決しては、呪詛のような血溜まりを作るのがスクレイドの頭痛のタネだ。
「全く同感だな、白の王はこんなことの為に術式を広めたのではないというのに、そもそもあの男が!英雄王などと名乗り無責任に攻撃用に書き換えた術式をばら撒くから悪用されているのだ!」
アレイグレファーは怒りの矛先をかつて同じ師を仰いだ者、今は英雄王としてリゼイドを治める者に向けた。
「君はすぐそれだねぇ、昔のことはいいんだよ…問題は今ルクレマールの土地が荒れていて、それを何とかしようとせずに他から奪うという考えを持つことだ、そうじゃないかい?」
「そ、そうだな」
ベルとの別れから100年余りを経てスクレイドはすっかりと落ち着き、国を守るだけでなく他にも気を配らせるようになっていた。
「この間リゼイドの小さな村で魔物が暴れていたのを退治したらねぇ、村人たちに森人様と呼ばれたよ」
それを聞いたアレイグレファーは大笑いした。
「森人様と呼ばれているのか!?それはいい!昔から人間の村に出向いては気まぐれに助けるような真似をしたせいで世代を跨ぎ伝わったのだろう!はははは!!」
スクレイドはやれやれと頬杖を着いてアレイグレファーの笑いがおさまるのを待った。
「笑い事じゃないよねぇ」
「ならば捨ておけばよいだろう」
「それは出来ないかなぁ、エルフに力があり慈悲深い生き物だと認識されれば和平も長く磐石な物となる、俺の次には平穏を渡してやりたいからねぇ」
スクレイドがぼんやり呟いた言葉にアレイグレファーは驚き、スクレイドの背を力強く叩いた。
「いってぇ!!なぜ俺は今叩かれたんだい!?」
スクレイドは前のめりになり、地面ギリギリでピタリと止まると背中を押さえながらアレイグレファーに涙目で激しく抗議した。
「お前が立派になって嬉しかったものでな!ついだ!つい!!」
「喜びを暴力で表現するのは反対だなぁ…」
スクレイドは相変わらず読めないアレイグレファーに振り回されながらも、色々な事を考えるようになった。
ルクレマールはなぜ適わないとわかっていて何度も襲ってくるのか、国境を越える前に自決する意味はなんなのか。
おびただしい血溜まりは黒く大地に染み込んでいく。
その中には異世界人が混ざっていることもある。
召喚について英雄王にやめるよう話したが、白の王を呼び戻すためだと譲らず、そればかりはスクレイドの手の届かない問題であった。
リゼイドの術式も万全ではなく、地方になればなるほど魔物の被害や天候の調整の効かない土地がままあり、その度にスクレイドはそれを解決しながら国を見て回った。
人間がどういう生き物か近くで見ては今までアレイグレファーを基準にしていた認識を改め、人間は弱い生き物であると知った。
そして各地に赴いてはベルの住める土地がないかと探して歩いた。
しかし魔力の弱い人間の土地とはいえ、まだまだベルが生活出来るほどの場所は見つかっていない。
空に、大地に、水に、木々に、全てに魔力という生命力が宿る以上は無理な話だった。
「スクレイド、悪い知らせだ…」
唐突に話を切り出したアレイグレファーは自分の眉間を押さえて一呼吸置いて言った。
「アーツベルは長くないかもしれん」
「知っているよ」
スクレイドは穏やかにそう言うと、アレイグレファーは目を見開いた。
「会っていないはずだ!アーツベルは念話もできない!」
「わかるんだよねぇ、ここ数年あの子の魂が俺に流れてきている、辛い事を話させたねぇ…ありがとう」
「魂を分かつとは…そこまでのものなのか」
アレイグレファーは己の憂いなど余計なものであったと知り、誰よりも哀しみを抱いているはずのスクレイドはそれを堂々と受け入れるばかりか気遣わせてしまった。
その時、スクレイドが顔を歪めた。
「まただ、国境付近で多くの血が流れた。なぜ遺体を弔ってやらないのかなぁ…嫌な予感がする」
「じき遺体は千になる…腐敗が疫病の元と知らぬわけでもないだろう」
「黒魔術…アレイグレファー!フィールファントを呼べ!お前より術式に詳しいな!?」
「…ああ」
その時に頭をよぎったのは恐ろしい可能性。
「スクレイド、お呼びですか?」
「呼び出してすまないフィールファント、黒魔術について確認したいことがある」
「…急を要する事態のようですね」
スクレイドは頷いてからフィールファントに言った。
「魂を一所に閉じ込める術式はあるか?」
フィールはまさかと口を押さえた。
「なぜ彼の人が秘したはずの術式を…」
「あるんだな!やはりルクレマールの自決の狙いは魂だ!」
スクレイドは手早く文献や書物を漁り、フィールファントの前に何枚かの紙を出して指さした。
「これとこれ…これも、応用すれば可能だと考えてはいた!魂を創り出すほどの王だ、魂の行方など造作もないだろうとな」
フィールファントは驚き汗が一筋流れた。
「ご自分で辿り着いたのですね、彼の人のように」
スクレイドは己には使うことはできないと知りながらも術式の知識を蓄えていた。
ベルを救う手立てをあらゆるものに期待して諦めてはいなかったのだ。
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