健康診断
少しでも楽しんで頂けましたら幸いです。
バーチスの隣を見ると、泣きそうな顔のベルが床にちょこんと座っている。
「何時だ…」
「夕方の六時だ」
そしてバーチスに支えられ起き上がると、身体に見慣れない毛布がかかっているのに気づいた。
「それは医務室から拝借してきた、じきに国医の勇者様もいらっしゃるだろう」
「もう、大丈夫…だ、先生を煩わせたくない…」
立ち上がろうとしてふらつき、膝をつくとベルが駆け寄ってきた。
「ベッドに寝た方がいいわ」
「…だめなんだ、あの部屋はあいつが…」
「あいつ?」
ベルが首を傾げると、バーチスが俺をソファに乗せ、毛布をかけ直した。
「ここでいい、ゆっくり休めよ」
「バーチス、先生は駄目だ…」
「…わかった、大丈夫そうだとお伝えする、それでいいか?」
「すまない」
バーチスは一瞬眉間に皺を寄せたが、俺を安心させるように笑ってみせると、今度はベルに向き直った。
「ところで、先程は緊急だったので深くは問いませんでしたが、森人様が何故ここに?」
「え?あ!!バレちゃった!!てへっ」
ベルは頭に拳を乗せると気まずそうに笑った。
「責めないでやってくれ、謝りに来て、部屋を掃除してくれたんだ…」
「謝りに?」
「以前、怒鳴ったと言ったのを覚えてるか?」
バーチスは上を向き、思い出してから呆れたようにため息をついて俺に目で判断を仰いだ。
「それは…また随分前の話を…」
「ベル悪い、今日はもう一人にしてくれないか?」
「わかったわ、クロウちゃんまたね」
そう言うとベルは大人しく荷物を持つと、バーチスに連れられ家を出た。
慌ただしい一日だった。
身体が重い、いや軽いのか、自分の体じゃないようだ。
感覚のない足を引きずり、小瓶に目が止まると返し損ねたのに気づいてポケットにしまい、棚から罪人の資料を出して読み込むと、紙がバラけるのも構わず床に落とした。
「明日もまた俺はただの人殺しか」
・・・
・・・・・・
・・・・・・・・・
──翌朝、いつも通りに処刑人の仕事を終えた俺は、王宮の一室に通され上司の到着を待たされていた。
事の始まりは仕事の後、帰ろうとすると兵士に呼び止められ、裁判長トール様こと高柳透から王宮に来るようにと命令された事から始まった。
普段トールに呼び出されるのは裁判所にあるトールの自室だが、仕方なく兵士について初めて王宮に入ると、床には赤い絨毯が敷かれ、壁はもちろん、広い階段の手すりや至るところにまで調和の取れた細工の行き届く白と金と銀の美しい装飾に目を奪われた。
さらに進むと別の兵士に引き継がれてひたすらついて歩き、濃い茶色に金の取っ手がついた重い扉の前で兵士が止まり、扉を開くと中にはお茶とカットフルーツが用意されており、しばらく待つよう言われたのだ。
「遅い…」
時計のない部屋で懐中時計を見ながら待つこと一時間。
やっと扉がノックされ座ったままそちらを見ると、入ってきたのはトールと見知らぬ女、そして国医の勇者様こと先生だった。
「待たせちゃったかなぁ~?」
「ああ、まあいいさ。年をとると時間の感覚が変わるらしいからな、年寄りに合わせてやるのも務めのうちだろう」
「んふふふっ、相変わらずクロウはおもしろぉ~い子だね、子供はもっとわがままでもいいくらいだよぉ~?ルカは役にたってるかなぁ~あ?」
「ああ、お前が今までよこした中で一番価値がある、今更返してはやらないがな」
毎度の嫌味合戦を済ませ、トールはご機嫌な様子で上座の立派な椅子に腰掛けた。
机を挟み、トールと俺の間に立つ医者をちらりと見ると隣の女を気にしているようだ。
女は俺より少し歳上かというくらいの見た目に、柔らかそうな栗色の長い髪を後ろに三つ編みにし、背は小さく細身で全体的に存在感と幸の薄そうな女だ。
「今日はこんな所で何の用だ?」
「頑張ってるクロウにぃ~、ご褒美だよぉ~!健康診断っ!」
「ボケたかじいさん」
突然何を言い出すのかと思えば、涼しい顔でにやにやと笑うトールとは裏腹に医者は少し汗ばんでいた。
「うーん、うーん、君が図書館で借りた本をチェックしたよ」
「それがどうかしたのか?」
「術式と異世界人とスキルの事ばかりだぁ~!興味があるのかなぁ~!?」
俺に秘匿書庫の閲覧権利を与えたのは、何を読むか試していたということか。
「当たり前だろう」
「ん~?え~?なんで~?わからないよぉ~?」
「俺は異世界人でもないのにある日突然スキルを手に入れた。英雄祭で闘う相手は異世界人ばかり、興味を持つのがおかしいのか?」
そう言うとトールは少しつまらなそうに頷いた。
「あー、あー、そうね、まあ、そうねぇ~」
「勉強熱心だと褒められてもいいくらいだがな」
「んっふ!そうね!エライエライ~」
トールはもう楽しそうに笑っている。
医者と女は俺の毒づくのに対しトールが機嫌良さそうにするのに驚き、冷や汗をかいてそのやり取りを見ていたが、トールが手を叩くと女が怯えたように一歩前に出た。
「この娘はサキ、異世界人だよぉ~」
「は、初めまして!」
紹介されたサキは勢いよく頭を下げて、オドオドとした様子でこちらに近づいてきた。
「サキ…さんも医者なのか?」
サキに尋ねると慌てて首を振り、それを庇うようにどこか不安げに医者が口を開いた。
「彼女はひと月ほど前に召喚された、【透眼】というスキルの保有者なのだよ」
「とうがん…なんだそれは?」
「あのっ、私のスキルは少し時間がかかるんですけど触れた方のスキルがわかるというものでして…っ」
サキは一息で言い切ると肩で息をして、泣きそうな顔をした。
「そうか、よろしくなサキさん」
「よっ、よろしくお願いしますっ!」
そう言うと、サキは安堵したように首を何度も縦に振った。
そこでトールは身を乗り出してテーブルに置いた腕を組むと、優しそうに微笑んだ。
「クロウさぁ~、執行人として人気なのはけっこうなんだよぉ~?君を選んだワタシも鼻が高いっ!」
「そりゃ良かったな」
「でもねぇ、どうもスキルを使わずに処刑してないかなぁ~」
その時部屋の温度が下がり、薄ら寒い笑みを浮かべたトールの目は笑っていなかった。
「使っても使わなくても、殺すのに違いがあるか?」
「あるんだよぉ~、ねぇ、そのスキルは何のためにあるか知ってるぅ~?ねぇ~!」
「真偽を確かめる為、だろう?」
「うん、うん、闘技場での活躍もすばらしーぃけどね?クロウはそのスキル以外に興味があるみたいじやなぁ~い?どう思うぅ~?」
トールはさらに威圧感を込めて言った。
「あの家に住みたいとかぁ~、あとを引き継ぎたいがために、同じスキルがあると嘘をついてる、なぁ~んてこーとーはぁー、無いよねぇ!?」
なるほど、俺があまりに言われた通りに処刑を行い、さらには最強と思われたスキル保持者である剛田、それからもルカを含む数多のスキル保持者である異世界人に勝利しているにも関わらずしっぽが掴めずにいたと。
そこでスキルを見抜く者が現れたタイミングで確かめる行動に出たわけか。
「スキルなら本当にあるさ」
「いい、いい、サキに調べさせればわかるからぁ~」
「トール殿」
口を出したのは医者だった。
「なぁにぃ?国医様」
トールが先生に“ 様“”をつけるのは嫌味なのかとも思ったが、トールは医者に一応の敬意を払う形で立ち上がった。
「スキルなら散々ボクが検証したと言わなかったかね?まだ続ける必要があるのかね」
なんという事だ、あの医者がトールと対等に話をしている。
たしかに医者は元々トールの専用の部下ではなく、裁判所での仕事の際には最高責任者にあたるトールの立場を考慮して、摩擦がないよう従うだけと言っていた。
裁判所を出れば二人の間に上下関係は無く、医者は見た目と違いこの世界に召喚されて百年以上が経っている、古株というだけでその間生き延びてきた力のある証拠だ。
その関係性を目の当たりにするのは初めての事で、少々驚いた。
「国医様ぁ、何か調べちゃ困る事でもあるぅ~?無いならいいですよねぇ~?」
「困ることはないがね」
そう言うと医者はこちらを見た。
恐らく医者が危惧しているのは【真偽感知】の有無ではなく、他のスキルがトールにバレること。
通常この世界の者がスキルを持つことも有り得ず、まして異世界人でも確認されている保有スキルの数は三つと聞いた。
それを多数持ち合わせることが知られれば…。
「いいさ、そんなケチをつけられたままじゃ、俺も気分が悪いんでな」
そう俺が言うと医者は顔をしかめ、大人しく下がった。
「サキ、やっちゃってぇ~?」
「はっ、はい…、あの、失礼しますっ!」
サキは近づくと俺の額に冷たい手を当て、目を閉じて集中した。
その様子を固唾を飲んで見守る医者と、愉快そうに見つめるトール。
少しすると、サキが手を離して目を開いた。
「どうだった~?ねぇ~?早く教えてくれなぁい?」
急かすトールに怯え、俺に大きく頭を下げるとサキはトールの方を向いて報告した。
「【真偽感知】確かにこの方は保有してますっ!」
「…ふぅーん、うん!さすがクロウだねぇ!」
サキの言葉にトールは手を高らかに上げて拍手した。
それを聞いた医者はほっとしたように頷いていたが、トールは隙をつきサキに聞いた。
「ねえ、他に何か無かったぁ~?」
「トール殿、知りたいのは【真偽感知】の事ではなかったのかね?」
「国医様ぁ~、ワタシはクロウがだぁ~い好き、お気に入りなんだよ、クロウの事は全て知りたいじゃない、この世界の者がスキルを持つだけでも異例中の異例なのにさぁあぁ~!例えば…どうやって【剣神】を破ったか、とかさぁ~!」
とうとう核心に迫ったその言葉に医者は押し黙り、俺とサキを見た。
ここまで読んでくださりありがとうございます。