35話目 残されたもの ソニアの受け取ったもの 編
「私を枕元に座らせた師匠はこう言いました。
"私はダメな母親です。大事な子を手放してしまうなんて。
母親の資格がありません。
それでも、私はあの子の母親なんです。
あの子のために何かしてあげたい。
私の命が消える前に、私が母親であったことを知ってもらうために何かをしてあげたい。
わがままかもしれないけれど、私があの子を心から愛していたことを、あの子が見つかったら伝えられるように何かを残したい。
そのために私はエルフに伝わる風の魔法の秘儀を行う決心をしました。"
"秘儀ですか。それはどのような。
まさか師匠の命を懸けるようなものではないですよね"
"私はあの子に私の命を渡したいと思います。魂込めの秘儀を今から行います。
でも、もう私一人で儀式を執り行うことはできません。
そこで、あなたに秘儀を手伝ってもらうとともに、どれだけあの子を愛していたか、どれだけ後悔し、あの子に謝っていたかを、いつかあの子が見つかったときにあなたの口から伝えてほしいの。
これが最後の私のわがまま。"
この風の秘儀、魂込めとはその魂と持っているすべての魔力を代償に自分の思いを、例えば、指輪などに残すことができるというものです。
エルフ族は寿命が長いことが幸いして、わざわざ物に思いを込めなくても時間をかけて相手に直接伝えることができるため、この秘儀を行うことは全くと言っていいほどありません。
しかし、時間のない師匠はこの秘儀でしか自分の思いをソニアさんに伝えることができないと思い至ったのでしょう。
それを聞いて、私は師匠の母としての我が子への深愛と、手放してしまったことを後悔する地獄の日々を改めて思い知りました。
まだまだ子供だとはいえ、毎日一緒に暮らしてきたのですから。
この秘儀の結果がどうなるかはわかっていました。魂と魔力がその身から抜けるのですから。
それでも私は師匠を止めることができません。
その悔しさ、師匠のソニアさんに対する思いへの嫉妬、或いは二度と師匠と話ができなくなるという寂しさ、いろいろな思いが頭を駆け巡りました、
しかし、私からは同意の頷きと、止めようのない嗚咽と涙しか出てきませんでした。
そして、師匠は枕元の宝石箱からリングを取り出し、その胸に乗せるように言いました。
私はその通りにしました。
でも、手が震えて何度もベッドにリングを落として、師匠に笑われてしまいました。
その笑顔は何の屈託もない幼女の笑顔のように純粋なものだったと記憶しています。
リングを置いた後に、師匠は私にベッドの周りに風の壁を作るように命じました。
そして、私の方を見て、儀式が終わったらこれを大事にしまっておいて、ソニアさんが見つかったら渡してほしいと私にリングを託しました。
師匠は最後にもう一度誰とはなくお礼を言うと目を閉じました。
未熟な私には何が起こっているか正確にはわかりませんでしたが、師匠の魔力が自分と胸の上のリングを繋ぎ、師匠の魂がその魔力の道を通ってリングに入り込んで行くような感覚を覚えました。
そして、すべてが終わったことを感じ取った私は、胸の上にあるリングを宝石箱に戻しました。
師匠は既に息をしておりませんでした。
私は・・・・・・・、師匠の弟子としてやることが残っています。
ほんとは泣き叫びたかったです。
風の壁を納めて、外にいる両親、そして私の家族を師匠の部屋に招き入れ、師匠の死を、秘儀のことを告げました。
それから間もなくです。人類領域とエルフ領との行き来ができなくなったのは。
本当はもっと早くソニアさんを探し出してこれを渡したかった。
見てください、これが師匠の魂、ソニアさんを思い続けて逝ってしまった師匠の心です。
是非受け取ってください。」
そういうとソシオさんは古びた宝石箱から大事そうに銀色に輝くリングを出して、ハンカチの上にのせ、ソニアの目の前に差し出した。
その手は若干震え、目からは涙がとめどなくあふれているように見えた。
ここで話を聞いていた者も、何度も同じ話を聞かされていたと思われる王太子でさえ、涙をこらえることができないようだった。
当のソニアは、青ざめて、そして、涙。
やがて、ソシオさんから差し出されたリングを受け取るとそっと右手の中指にはめた。
そして、涙で濡れた目を通してじっと指にはめたリングを眺めていた。
「奥様、お別れの時が来たようです。」
"えっ、どうしたの風神様、急に。"
「ソフィア様の魂を込めたリングからその魂が消え去ろうとしています。
もともと魂がかなり弱っていて、さらにかなりの時間がたっていたためと思います。
風のアーティファクトとして、風の使徒のソニア様には是非にソフィア様の最後のお言葉を、その思いに接していただきたいと思います。
私をソニア様の指にはめてください。
そうすれば一度だけであればソフィア様の魂の延命が可能かと思います。
ソフィア様の魂の声を聞いたソニア様は私を決して手放さないでしょう。
私は奥様の指には戻ることがないと思います。
ご主人様、奥様には吹雪様をお渡しください。」
「しょうがないのう。
本来なら妾は小娘などではなく若い男の背中にしかいたくないのだが、我慢してやるかのう。」
「俺はシュウの愛人兼美人秘書だからシュウから離れねぇぜ。」
「もう、うるさいわね。ソフィア様の魂が消えかかっているの。
手遅れにならないうちに奥様、早く。」
「わかったわ。ソニア、この指輪をはめて。」
「えっ、これはお兄ちゃんとお姉ちゃんの結婚指輪じゃないの。
こんな大事な物をはめられないわ。」
「いいから、はめてみて、手遅れにならないうちに。」
エリナは半ば強引にソニアの右手の中指に風神様をはめた。
そうすると、一瞬、まぶしいほど光り輝いた後にソフィア様のリングと風神様が一体化して、黄金色の指輪となった。
そして、か弱い声が聞こえてきた。
"ソニアなの、今、ソニアがいるの。私はソフィア、あなたの母親よ。
母親という資格はないかもしれないけれど。
私の大事なソニア、そのソニアのぬくもりを感じるわ。
それはまだあなたが赤子の頃と同じぬくもりだわ。暖かいわ。
あなたと別れてから、いえ、そんな誤魔化しても無意味ね。
この指輪をはめているということはすべてソシオさんから聞いた後ね。
そう、私はあなたを捨てたの、私のわがままで。
今更、あなたの前に出て母親と名乗るのはおかしいわよね。
でも、ソニア、私の赤ちゃん。
あなたが生まれたときは私もお父さんもこの世がすべてバラ色に見えたぐらい嬉しかった。
ほんとよ。あなたとお父さんと一緒にいた、わずかな時間だったけど、それが私の人生のすべてだったわ。
でもそれがある日突然、引き裂かれた。
私は元の3人の生活を取り戻したかった。
お父さんの死が受け入れられなかった。
そのため必死にお父さんを探したわ。
でも見つからないの、もう3人で暮らすことができないの。
そう悟ったときに、わたしの心は壊れて、そして頭と目の前が真っ黒な霧で覆われたわ。
それからどのくらいの時が立ったのかしら、殻に閉じこもった私に突然聞こえたの、あなたの声が。
初めはソシアさんの声だと思ったのだけど、違ったの、あなたの声よ。
母親の私が間違えるはずがないもの。
そうして、あなたの声が私を覆っていた黒い霧を徐々に取り除いてくれたわ。
でも、霧が晴れると同時に、取り返しがつかないことをしてしまったことを思い出したの。
私とソニアはお父さんを突然奪われたのだけれども、私はソニアを捨ててしまったのだと。
あれほど3人での生活に戻ることを夢見ていたのに、私はその家族を捨ててしまった。
私は何ということをしてしまったのだろう。
私はもう動くことができないため、あらゆる手を尽くしてあなたを探してもらった。
でも見つからない、私とお父さんの最愛の娘が見つからない。
どうしたらいいの。どうしたらいいの。
でもきっと生きている。ソニアはきっと生きている。
生きているあなたに真実を伝えて、謝りたい。許してもらえないけど謝りたい。
そして何より、あなたの無事な姿を、あなたの成長した姿を見たい。
あなたの未来を祝福したい。あなたの幸せだけを祈りたい。
そう、私はもう何もしてあげられない、祈ることだけしか。
だから、このリングに私の魂を込めて、魂だけでも生きながらえて、あなたの幸せを祈りたい。
祈らせてほしい。
ソニア、幸せになってね。
誰よりも幸せになてね。
幸せになってね、お願いよ。"
「・・・・・・・・・ごめんなさい。
これ以上はソフィア様の魂を繋ぎ留めることはできませんでした。」
ソニアは指輪がはまった右手の中指を、震えた中指を見続けていた。
大粒の涙があふれるのも構わず。
そして、右手を左手で大事に包み込み立ち上がった。
指輪を中心にソニアから光の渦が立ち上った。
突然立ち上がったソニアは、天に向かって叫んだ。
「おかあさまぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ。」
それと同時に光の渦が大きくなり、真上にその渦が突き抜けて行った。
その光の渦は遠く風の神殿からも見ることができたそうだ。
活動報告に次回のタイトルと次回のお話のちょっとずれた紹介を記載しています。
お話に興味がある方はお読みくださいね。