34話目 残されたもの ソフィアの後悔 編
「その数か月間のどこかでソニアは行方が分からなくなったと。」
「そういうことです。
続けますと、意思の疎通もなく、体の方もボロボロのソフィア様をこのままにしておけないと思い、お付きの人はソフィア様をまずはエルフ領に連れて帰り療養させることにしました。
赤子のことも心配ですが、母親にその消息を確かめようがない以上はどうすることもできません。
そして、ソフィア様はエルフの王都のはずれにある離宮で療養されることになりました。
それから30年ほどはぶつぶつ何かつぶやいてはいるけれど意思の疎通ができない療養の日々が続きました。
人類領で過ごした最後の数か月間で、心が完全壊れたものと皆が思っていました。
幸い食事は何とか自分でするので助かりましたが。
心は閉ざされたままでした。
それから徐々に食も細くなり、ベッドで横たわっていることが多くなり、さらに数十年の時が過ぎたときにはもう起き上がれないほどで、すべてのお世話をお付きの人たちにお願いするような状態でした。
何とか体だけは生きているという感じですね。
そして、今から120年前にこのソシオが生まれました。
叔母さんが亡くなる20年前になります。
これまでも私は叔母さんのことが心配で月に一度は様子を見に離宮を訪ねていました。
その日はたまたま生まれたばかりのソシオと妻を連れて、叔母さんの見舞いに訪れていました。
叔母さんの部屋に入った途端にソシオが大泣きしてしまいました。
それまではおとなしく妻に抱かれていたのに、病人のいる部屋で大泣きするソシオに私たちは焦りました。
その時です、今までは何をしてもぶつぶつとつぶやくだけの叔母さんの手が挙がって、ソシオを指差したのです。
そして、「私のソニア」とつぶやいたのです。
叔母さんはソシオをソニアさんと勘違いしたようでした。
叔母さんはソシオを抱こうとしましたが、100年近い療養生活でもうそんな力が残っているはずがありません。
私は叔母さんの手にソシオの手をのせました。
叔母さんはソシオの手を握る力も残っていない様でした。
叔母さんはひとこと「ソニア、ごめん」と言って、枯れたはずの涙を流したのです。
そうして、叔母さんは意識を取り戻しました。
しかし、体の方はもう、水魔法でも回復できないほど弱り切っていました。
私たち家族はソシオをソニアさんとしてみている叔母さんのために離宮で一緒に生活を始めました。
意思の疎通はできるので、きちんとソシオはソニアさんではないことを告げました。
叔母さんはそれを頷いて受け入れてくれたようでした。
数か月後、私は聞いておかなければならないことを聞くことにしました。」
「ソニアの行方についてですね。」
俺は言葉の後、ソニアを見つめ、大丈夫だと目で訴えた。
ソニアはそれに答えて、しっかりと頷いてくれた。
「私は叔母さんに尋ねました。
赤子はどうしましたかと。
叔母は手をベッドから上に持ち上げて、それはまるで赤子を抱き上げるようなしぐさだったのですが、涙ながらにつぶやきました。
「ソニア、ごめん」と。
そして、ソニアと別れた当時のことを語ってくれました。
"夫のことを探すために戦場の跡地を数か月間、赤子とともに彷徨いました。
しかし、戦闘で焼けただれた大地からはなにも出てきません。
夫の痕跡は魔族の炎の大魔法で消滅したか、消滅を免れたものも既にあらかた軍が持ち去った様でした。
突然、消えた夫に、跡形もなく消えた夫に、私は絶望しました。
もう、戦場後では夫の形見を探すというより、ただそこの大地を這いずり回っていないと死んでしまいそうで。ただただ、彷徨い続けました。
もう死んでもいい、夫のいない世界なんて、まるで空虚の中でただ息をしているように思えました。
でもね、時々お腹を空かして泣くソニア、おもらししては泣くソニアだけはこの空虚に一緒に引きづり込んではいけないという思いだけが、現実と私を繋ぎとめていました。
今思えば、何も考えなくてもいい空虚を漂うためにはソニアが邪魔だったのでしょう。
私は夫のいないこの空間が憎かった。夫を奪ったこの世界が憎かった。
私は何も考えなくてもいい、ただ漂うだけの空虚に今すぐ入り込みたかった。
その空虚が唯一私の居場所と思ったのです。
私はそれからの記憶はぼんやりとしかないの。
私はソニアを抱いて教会本山に帰って来たようだった。
そこで、声を聞いたような気がする。
「この赤子は輪廻の会合の子だ。お前のわがままに付き合わせて失ってもいい子じゃない。
この子の運命を切り開いてくれるのはお前ではない。
儂はその中心にいる者にこの赤子を引き渡さねばならない。
もう、お前の役目は多くはない。
儂がその会合の日までお前に代わって育てよう。ここに置いていくが良い。
お前は、お前の入り込みたい空虚を気のすむまで彷徨っているがいい。
最後の一働きをするまではな。」
と言うような声を聞いた気がしたの。
私はもう何も考えたくなくて、早く空虚の中に入り込みたくて、ソニアを渡してしまった。
その後のことは、すべて黒い霞が掛かって何も思い出せない。
でも、先日、ソニアの声を、私を呼ぶソニアの声を聞いたの。
生きてって、私を励ます声を。"
それが私の子のソシオの鳴き声だったそうです。
そして、叔母さんは静かに目を閉じで、泣いていました。
何度も同じことをつぶやきながら。「ソニア、ごめん」と。
ソシオは歩けるようになると叔母さんのところに入り浸るようになりました。
叔母さんもソシオを実の子のように愛してくれていたと思います。
私も妻もソシオと叔母さんの好きなようにさせていました。
ソシオが5歳の時の魔法の適性検査で、風の他に水属性を持つことがわかりました。
叔母さんと同じです。
エルフ領では水魔法術士の数が少ないので、いつも忙しく、大きくなって学校に行くまでは水魔法を指導してくれる者がいません。
魔法に興味が出てきたソシオを優れた水魔法術士である叔母さんが指導してくれるようになりました。
ますますソシオは叔母さんのところに入り浸ってしまい、実の母の妻が嫉妬してしまいそうでした。
しかし、夫を亡くしてから漸く訪れた平穏な日々を叔母さんから取り上げたいとは私も妻も思いませんでした。
平穏な日々を取り戻したと思いましたが、叔母さんの体はもう長く生きることに耐えられなくなっていました。
昼間起きている時にはソシオと一緒にいて、楽しそうにすごしているのですが、夕方寝入ると、息が荒くなって苦しそうにしていました。
そして、ソシオの成長に反して、叔母さんの起きている時間は日に日に短くなり、寝ている間にも時折苦しい声を上げて、ソニアさんに謝罪の言葉をつぶやいていました。
あの日、叔母さんがソニアさんにしてしまった、取り換えしが付かないことに対する惜別の思いが夢の中でも彼女を捕まえて離さないようでした。
月日は過ぎ、もう目を覚ます時間もほとんどなくなり、夢で苦しめられることもなくなり、おそらくは意識が遠のいていたのでしょう。
ソシオが20歳になって行くばかりか過ぎた、そんなある日のことです。
その日は珍しく、朝から叔母さんは目を覚ましていました。
そしてソシオを呼んだのです。
ソシオが来ると二人きりにしてくれと、叔母さんは懇願しました。
ここからはソシオに話をしてもらいたいと思います。
ソシオ、ソニアさんに叔母さんから託されたことを話してやってくれるか。」
「わかりました。
今日はそのために私はここに来たのですから。
呼ばれた私は部屋に入り、もう手すら上げられないほど衰弱したソフィア様、いえ、師匠の側に行き、ベッドの横にある椅子に座りました。
師匠はまず、安寧な日々を送らせてくれた父と母、私、私の家族、そしてお付きの人に感謝の言葉を口にされました。
そんな死に際のような言葉を並べるのは止めてほしかったのですが、師匠の様子を見ているととても止める勇気はありませんでした。
その目には凛とした覚悟が宿っていたからです。
止めるよりも、師匠が話したことをしっかりと心に刻みもうと思いました。
感謝の言葉の次には、亡き夫への思い、今も変わらぬ深愛の思いが語られました。
ちょっと聞いていて気恥ずかしいほどののろけでしたけど。
そして、最後に後悔の念。
取り返しのつかないことをしてしまった後悔の念が語られました。
そうです、ソニアさんを手放してしまったことです。
以前から師匠は意識が戻ると、お付きの人に頼んで人類領の教会本山にソニアさんを探しに何度も行ってもらっていました。
しかし、それらしい方を見つけられませんでした。
まさか、別れてから数十年たっていてもその背格好が7歳ぐらいのままの人がソニアさんだとは誰も気づきませんでしたので。
ソニアさんがどうしても見つからないという失意が、また、師匠から生命力を奪っていったものと思います。」
活動報告に次回のタイトルと次回のお話のちょっとずれた紹介を記載しています。
お話に興味がある方はお読みくださいね。