5
大変長らくお待たせしました。
(とりあえず月イチ!←前回が5月1日だったことに気づいて慌てた作者でした)
「……夢か。」
私、綾瀬美海は、昔からたまに同じ夢を見る。
近づいてくる炎。熱くて苦しい。でも、誰かに抱きしめられて、それが暖かくて、切なくて、嬉しくて。そんな気持ち。
謎なのは、横になってる訳でもないのに妙に目線が低いことなんだけど、煙に巻かれて倒れたらそうなるのかなぁ。でも、そんなリアルな事情が夢に反映されるものなのかしら。そんな経験があったとは聞いてないし。
「ま、いっか。」
軽く頭をふって、夢のことを頭から追い出す。客観的には悪夢なんだろうけど、なんか幸せな気分でもあるし、昔から見てる夢でもあるから、あんま気にしても仕方ない。別に、この夢を見たから一日が不幸になったことも、逆にラッキーが続いたこともないわけで。
アラームを止め、まだぼーっとした意識を引きずりながら顔を洗い、髪をざっと整えたら、まだ新しい深山高校の制服に腕を通す。先週入学式が終わったばかりで、先生や同級生の顔と名前とキャラクターがやっと一致してきた。ほぼ全員が大学へ進学する、そこそこ偏差値の高い高校だからか、スクールカーストなんて大層なものは出来なさそうな穏やかなクラスだけど、女子でいうとなんとなく可愛くてイケてる子はそんな子同士でキャッキャと言い合い、一人が好きな子はそっと敬遠されている、そんな色分けは少しずつ表に滲み出している。
私はイケてる方でも一人派閥でもない。たぶん中間層だと思う。偶然前後の席になった内堀枝延ちゃんは、面倒見がよくていい子だ。重要なこととしては、おしゃべりのトーンとかが割と私と近くて、話していて居心地がいい。それから、枝延ちゃんと同じ塾だったという、小野寺万由ちゃんも一緒にごはんを食べる仲だ。なんとなく、三人で一緒にいることが多い。私も同じ塾や中学校から来た友達はいたが、クラスが離れてしまった。
昨日のうちに準備していた鞄を手に、階下に降りる。両親はもう出勤したらしい。誰もいないキッチンで、袋からざっとサラダボウルにシリアルを流し込み、好みでレーズンを一掴み足す。冷蔵庫から牛乳を取り出した。ぎりぎりの量、いや、好みとしてはちょっと足りないか。今日、生協で届くんだっけ。
お行儀は悪いが、シリアルを掻き込みながら片手でスマホをいじる。中学生になる前から買って欲しいと言い続け、結局受験生になって、帰宅が遅くなってから連絡手段がないと不便だということになってやっと買って貰ったものだ。その上、受験生の間は親相手の電話とSMSのみ使用可で、スマホの意味なくない?と、当初大喧嘩になったが、両親は頑として譲らなかった。受験が終わってやっとフィルターありのWeb閲覧と一部のチャットアプリの利用が許可されたものの、課金はもちろん、自室に持っていくこと自体まだ禁止。その上、親に解錠の仕方がわからないようなロックも禁止で、何かあればWebにしろチャットにしろログを見るよ、と宣言されている。うちの親、厳しすぎないかなぁ。
チャットアプリから、家族のグループトーク画面を呼び出す。チャットアプリ自体は中学生の頃部活で必要になって、家族の共有PCでの使用が許されていたから、使い方には慣れている。
『おはよー。牛乳なくなった。今日生協で来る?』
送信ボタンを押すと、すぐに既読が2つ付く。通勤中で二人とも携帯をいじっていたのだろう。しばらくすると、母から返信が届いた。まずはスタンプだ。
『おはよーっ。』
くるくる、とオランダの誇るお利口なうさちゃんが画面の中で挨拶しながら踊っている。新卒以来の安定した職業につく、バリバリのキャリア・ウーマンである母は、今日もベーシックカラーのキャリアスタイルにA4ががっつり入るサイズのショルダートートを下げ、ローヒールのとんがりパンプスで一見颯爽と出勤しているはずだ。見た目と中身が大幅にずれている。
(キャラ違いすぎでしょ。)
毎度のことながら内心で突っ込んでいると、次のメッセージが来た。今度は文章だ。
『牛乳は今日二本来るよ。でも、サラダ野菜が欠品みたい。帰りにスーパー寄れる?』
いやいや。華の女子高生に何お願いしてんの。放課後にコーヒーショップやコスメショップに行くのは女子高生っぽいけど、スーパーでレタス買うのはダメでしょ。
『あー、俺今日直帰だから買っとく。六時半には帰る。』
パパ、ナイス。さすが分かってる。ちなみに父も母と同じ職場の恋愛結婚で、母と同じく管理職だ。どっちかといえば、父の方が仕事に対する熱意は低いかもしれない。物心ついた頃から、家事育児は完全分担だ。おかげで、私は風邪のとき母のうどんで癒されたとか、そういう系統のノスタルジーについては、父と母の二人分の思い出がある。
『ありがとう~。あ、ミニトマトは来るから買わなくていいよ。』
そんな文章と共に、ぺこり、と今度は日本の誇る右耳にリボンをつけた猫が頭を下げる。ほんと、40代も後半になって、何でこんなにキャラクター好きかなぁ。
『美海は学校間に合うの?』
ヤバい。のんびりしていたらこんな時間だ。慌てて流しの水でサラダボウルをざっと流して食洗機にセットしたら、一瞬鏡で顔を確認してから玄関に向かう。火の用心、戸締まり確認。よし、おっけ。
「いってきまーす!」
誰もいない家に一声かけてから、私は慌てて自転車に跨がった。
***
間にを昼休み挟んで六時間の授業が終わる。二年間で高校のカリキュラムを終わらせて最後の一年は受験対策、という学校の方針から、わりと授業の進行は早い。予習復習をきちんとしておかないとついていけなくなりそうで、私はここ1週間で密かに、受験が終わってたるんだ気持ちに気合いを入れ直していた。
「ねーみうみうー、放課後どうする?」
枝延ちゃんが、ホームルームまでの僅かな時間にこちらを振り向いて言う。
「放課後、ねー。」
図書館に寄ろうかな、と思っていたくらいで、特に予定はない。スーパーにも寄らなくていいし。
「私、部活見学行こうと思うんだけど、みうみう一緒に行かない?」
「えっ、枝延ちゃん、部活入んの?運動部?」
私は驚いて尋ねた。ちゃきちゃきした感じの枝延ちゃんだが、ばりばりに運動をやってきた人特有の敏捷な雰囲気はない。どちらかといえば文化部だろう。ちなみに私は中学生の頃はなんちゃって放送部だった。幽霊部員とは言わないけど、校内放送や運動会などで義務だけ果たせばいいんでしょ?という感じで、動画サイトに投稿する有志作成のドラマ、なんていうのは敬遠していたクチだ。
「ううん、中学生の頃は帰宅部だし。うちの中学、部活は推薦入学狙いのマジのやつだったんだよね。」
「あー、わかるー。うちもそうだった。」
地区大会で上位ともなると、高校でその部活を続けることを条件に、実力では少し難しいような高校に推薦入学が決まる。そのため、勉強より部活に精を出すようなガチ勢がどの運動部にもいた。そういう子達は声も大きくて、平日も夜遅くまで、休日は丸一日、倒れる寸前までやる。試合にも命を懸けてる感じだ。学生の本分は勉強なんだし、ゆるーく楽しもうよ、なんてスタンスは許される雰囲気ではなかった。私が放送部に入ったのは、全員部活に所属すること、という事実上の圧力がかかっていた我が母校において、あえての帰宅部だと肩身が狭くなりすぎるけれど、運動部と「準運動部」扱いの吹奏楽部以外の選択肢が放送部しかなかったからだ。幸い、そういう生徒は各学年何人かいるようで、私のスタンスが部活内で浮くことはなかった。
「深山高校は基本的に勉強するのが大前提だから、運動部もバカみたいに練習ざんまいじゃないし、文化部も多いみたいで。だったら、せっかくだから部活に入るのも悪くないかな、って。」
「そうなんだ。どこ回るの?」
おしゃべりをしていたら、担任の御茶先生が入ってきた。50がらみの男性で、本名は小橋先生といい、御茶はむろんあだ名だが、出元は本人の雅号。現代国語の先生だが、趣味で俳句や川柳を捻るらしく、「こばし」だけに小林一茶にかけている。と、本人がオリエンテーションのときにそう言っていた。
「ほい、席につけー。ホームルーム始めるぞー。」
その声をしおに枝延ちゃんは黒板の方を向き、話の続きは放課後に持ち越された。
お読みいただきありがとうございました。
始まりましたの現代パート。お楽しみいただけたら嬉しいです。




