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大変長らくお待たせいたしました。
飼い猫になったって言ったって、最初は散々だった。
そもそも、あたいは飼い猫になるなんて話にゃ同意してない。それなのに、慶之助の件の翌日、多助さんは廓の仕事もそこそこに猫まんまを持ってあたいに近づくと、
「ミャウ公、良かったな。お鈴姐さんが、お前を廓に入れていいってよ。そんで、お前の寝床は俺の部屋の中だ。温けぇぞ。」
なんぞと言いながら抱えあげると、廓の中庭まで運んでから、いきなり日溜まりにおいてあってちっと温んでる桶の水をあたいにぶっかけた。ちなみにお鈴ってのは遣り手ばばあの名前だ。強突張りの癖に名前だけは可愛いんだから、面白いやね。
『なんだい何すんだい、このすっとこどっこい!冷たいじゃないか!』
あたいは背を丸め、毛を逆立てて多助さんを睨んだ。
「すまんすまん。でもな、ミャウ公、そんな泥だらけじゃ廓に入れてやれないんだよ。」
『頼んでないよ、このとんちき!』
だいたい、日なたぼっこのたんびによくよく全身を舐めてきれいにしてるあたいに「泥だらけ」なんて失礼な。大騒ぎに廓じゅうの窓が開いて花魁や客たちがこっちをのぞいてたけど、構うもんか。あたいは爪を立てて多助さんをばりばりと引っ掻いて逃げようとした。けど、多助さんはしっかりとあたいをひっ捕まえてごしごしと容赦なく洗った。
そのあと、手拭いでごしごしと拭かれ、……その頃にゃ、あたいは抵抗もしつくして疲れてぐったりしてたけど、洗い上がりを見ていた花魁たちがほうっ、と息を飲んだ。なんと、あたいもあとからびっくりしたんだが、あたい、茶色じゃなくてまっ白の白猫だったらしい。
***
「ミャウは、ほんとに守り神の使いかもしりんせんなぁ。こんなまっ白な猫は珍しい。」
きれいになったはいいが、外は寒いし体は濡れてる。てことで、ちゃっかり廓で一番温かい、湯上がりの近江太夫のいる部屋へ逃げ込んだあたいを膝の上で撫でながら、浴衣姿の太夫はしみじみとそう言った。
「ほんとに。お鈴姐さんなら、三味線屋にうっちまえ、なんて言いそう。」
太夫の妹分の一人である禿がくすくすと笑いながらそう言い、あたいは太夫の膝の上でぴくりとした。三味線屋?冗談やめてくれ。
「おやめなんし。ミャウが怖がっていんす。それから、『言うかもしりんせん』とお言いなんし。」
「すみんせん。」
太夫が穏やかに諭す。売れっ妓の近江太夫は、妹分たちの指導もする。昼見世前で客のいないこの時間は、花魁たちの貴重な休み時間であると同時に、人前ではなかなかできない直接指導をするにもいい時間だ。今も、太夫と禿のほかに振袖新造などの妹分の遊女たちが五人ほどこの場にいる。
「ミャウは、お腹がすきんせんか?」
太夫に聞かれて思い出した。水をぶっかけられてひと騒動あって、結局出された猫まんまを食ってねぇ。あたいは、にゃあんと情けない声をあげてみせた。
「おやおや、お腹がすきんしたか。」
太夫が言って振袖新造を見ると、その振袖新造が心得て手をならした。多助さんがすっ飛んでくる。襖の向こうで手をついた気配がした。そのまま、開けずに声だけがする。
「へえ、多助でござんす。」
「ミャウがお腹がすいているようでありんす。それと、昨日は但馬屋さんがおいでなんして、焼き魚を召し上がりんした。もしまだ余っていたら、骨なりとおやりなんし。」
「ありがとうごぜえます。……よろしいんで?」
「あちきの妹分の一人と思えば、当たり前のことでありんす。」
そう言うと、太夫はあたいを禿に渡すと、すっくと立ち上がった。休憩時間は終わりらしい。禿があたいを抱いたまま襖を開け、多助さんにひょい、と渡そうとした。禿の腕力なんて大したもんじゃない。あたいはするっと手を抜けると、
『なんだいお前さん、今度は湯でもぶっかけんじゃないだろうね?』
警戒して多助さんに対して唸った。
***
結論から言うと、太夫のご膳のお裾分けがあった猫まんまは、抜群に美味かった。
それまでの猫まんまは、イリコが申し訳程度入ってりゃ豪華、ってもん。多助さんは頑張ってたらしいけど、魚なんて残ってりゃ下位の遊女たちが争うように食べるし、廓の仕事はてんこ盛りで時間もないから、とにかく遊女たちが食べ残した飯に客の残した汁をぶっかけてただけだったらしい。今回は、太夫の言うことだから、と時間をかけて骨ごとことことと煮出し、ちょっとだけ残ってた身も丁寧にほぐしてくれたみたいだ。それらを冷や飯に混ぜて、太夫が目をかけてる猫だからって出がらしのかつお節までかかった猫まんま。あたい、匂いだけでもうぞくぞくしちまって、多助さんへの警戒なんかどっかに吹っ飛んで飯に飛びついた。
夢中になって食べたあと、この残り香を逃しちゃならねぇと一心不乱に毛繕いを始めたあたいを眺めて、多助さんはにこにこと嬉しそうにしている。さっきからちょいちょいと呼ばれて外しちゃいたが、それにしてもこんなにあたいに構ってて、男衆の仕事は大丈夫なのかね?
「美味かったか、よかったなぁ。またこんな飯食えたらいいなぁ、ミャウ公。」
ほら、そんなことを言った端からお鈴ばばあに呼ばれてら。
***
夜になると、吉原はここぞとばかりに灯りをともし、夢の世界を演出する。裏を知っててもそれはやっぱりきれいで、みんなが忙しそうに走り回り始めてからそっと郭を出たあたいは、大門から吉原を眺めてほうっと息をつく。
おなかはいっぱいだったし、温かい台所でのんびり昼寝もできて、郭も悪いもんじゃねぇ。ただ、あたいはあたいで縄張りの見まわりとか、集会に出席とか、いろいろやることがあるんだ。
そのまま縄張りを一周したあたいは、白くなったことに知り合いの猫たちにぎょっとされたりしながら集会にも出た。そのあとは馴染みの郭を覗いて飯をたかってみたり(別に桜花楼だけがあたいの餌場じゃねぇ)、ネズミを追っかけてみたり、のんびり遊んでから、桜花楼に顔を出す前に一眠りしようと夜が明ける頃にねぐらに立ち寄った。するとだ。
「ミャウ公!ミャウ公!」
朝もやの立ちこめる、まだ薄暗い神社の境内に、多助さんの必死な声が響いていて、あたしゃびっくりしたね。
「おめぇ……心配したじゃねぇか。いつのまにかいなくなってよ。ねぐらにも居ねぇし。さぁ、郭に帰ろう。」
帰ろうったってあんた、と思ったけど、あの猫まんまの美味さは忘れられねぇ。今だって、手に持ったかごに妓たちの古着からでも抜いてきたのか、ふあふあの綿がひいてあって、暖かそうで、そこで寝れば天にも上れそうだ。あたいはうん、とうなずくと、――多助さんに猫の頷きが分かったかはわかんないけど――かごに飛び乗って、丸くなって眠った。多助さんの歩くのに合わせて少し揺れるかごは、多助さんが胸元にしっかり抱いてくれたおかげで、思った通り暖かくって、揺れが気持ちよくて。あたいは、初めてってくらい、周りを警戒することなく、ぐっすりと眠った。
こうして、あたいは多助さんのもとに落ち着いたんだ。
少し短いですが、きりがいいので投稿します。
次の更新は、1月半ば以降かと思います。気長にお待ちください!