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 警戒されているなあ、とオスカーは思う。


 無理もないこととわかってはいるものの、それでも寂しいというか、切ない気持ちがそこにあった。精神的な距離が遠い。元より近いわけでもないが、露骨とは言えない程度に避けられているというか──やはり、警戒されている。


 オスカーが動けるようになってからはなおさらだ。魔女のオスカーへの気遣いが雑になったりすることはなかったが、オスカーに向けられるその視線は疑いの色を十分に含んでいる。挨拶がわりに差し出した手も握ってはもらえなかった。


 無理もない。無理もないのだ。そうなることを知っていて、オスカーは自分の身を明かした。


 自分がクルースニクであることは所持品を見ればすぐにわかることでもあるし、そうでなくてもいずれ知られてしまうことだろう。ならば、先に伝える方が誠実なのではないか──とオスカーは思ったのだ。だから彼女に素直に申し出た。


 自分の敵とも言える者が、身分を隠して自分の世話を受けていたとき──良い気持ちになる者はまずいないだろう。それは魔女であっても、人間であっても、クルースニクであってもだ。魔女とクルースニクという関係だからこそ、早急に身分を明かすべきだと思ったのだ。


 しかし、時期尚早だったかもしれないとオスカーは歯噛みする。せめてお礼の気持ちくらいは純粋な気持ちで受け取ってほしかったからだ。これからオスカーが何か魔女に返したとしても、魔女は素直に受け取ってはくれないだろう。こちらがクルースニクで相手が魔女である以上、すべての行動に【裏の意味】が生まれてきてしまう。そこに【裏の意味】が存在していなくとも。


 命を助けてもらった事実があるからこそ、オスカーは魔女の行動に【裏】がないのを確信している。が、魔女の方は別だろう。命を救おうが救われようが、クルースニクはクルースニクなのだ。魔女の敵であることに変わりはない。ならば、オスカーの行動の裏を読もうとするのも道理だった。


 それだけ不安ならこの家をさっさと追い出してしまえば良いのに、とオスカーですら思うが、随分と心の優しい者なのだろう。傷が治って本調子になるまでは見捨てるわけにはいかない──と魔女は告げたのだ。


 結構なお人好しだと呆れそうになったが、魔女の前に出て唸る白狼を見て考えを改めた。オスカーが魔女に手を出そうものなら、この狼がオスカーの喉笛を食いちぎるに違いないと確信できたからだ。魔女は魔女なりの保険を以て、オスカーの世話をしているというわけだ。考えれば考えるほど、それが切なくなってくる。


「クルースニクでも世話を焼いてくれるわけ?」


 そんな言葉を何度となく彼女には投げ掛けている。返ってくる言葉はいつだって、


「あなたがクルースニクでも構わないわ。私にとっては怪我人なのだし」


 というものだった。


 クルースニクでも構わない──が、警戒はする。


 微妙なところだ。奇妙でもある。けれど、今はそれがありがたい。どっちみち今の状態で見捨てられて森にでも捨て置かれてしまえば、オスカーなんてすぐに獣の餌だろう。それをしないのだから彼女はやっぱり親切なのだ。魔女というのが信じられないくらい。しかし、それにしたって。


 ──ああ、それにしたって。


 甲斐甲斐しく世話を焼いてくれるそのひとの髪に、オスカーは手を伸ばしたくなっていた。こんな気持ちは初めてだ。細くて雪のように真っ白なその髪を、自分の指ですいてみたい。引け目でも感じているかのような、オスカーの顔を見ようとしないあの瞳。あの、丸くて大きなすみれ色の瞳に、自分の顔をうつしてみたい。


 命を救ってくれた相手に、好意を抱かない人間などいるものか。事実、オスカーは彼女に絶大な好意を抱いていた。なんて親切な人なのだろうと。彼女からは律儀にもベビーリングの件についてお礼を言われたけれど、彼女がオスカーにしてくれたこととを比べれば、ベビーリングのことなんてちっぽけだ。お礼を言われるのが申し訳ないとさえ思った。まったく釣り合っていない。お礼を言うのはオスカーの方だ。


 甲斐甲斐しくも身の回りの世話までしてくれて、感謝しないわけがない。見知らぬ他人に、しかも自分の敵であるはずのクルースニクに。「怪我人だから」。その一言だけを理由にして。


「本当に君、天使みたいだ」


 ぼんやりと口にしたオスカーに、魔女の女性はぎょっとした顔をする。私に言う言葉ではないでしょうと呆れながら。


「……神様が怒りますよ」

「そうかなあ」

「そうです」


 オスカーの肩の包帯を巻き直してくれている女性は、「まだ熱があるのかしら」などとオスカーの額にその手のひらを押し当てた。ずいぶんひんやりとした手だ。気持ちいいなあと目を細めたオスカーに、魔女の女性ははっとした顔で手を引っ込める。


「ご、ごめんなさい、不用意に触れたりして」

「何で? 別に構わないのに」


 なんならもっと触れてくれても構わない──とからかいを口にしたオスカーに、魔女は呆れたような照れたような、複雑な表情で返す。


「あなた、本当にクルースニク?」

「よく言われるけど、クルースニクだよ」

「魔女にそんなことをいうクルースニクなんて、初めてだわ」

「僕の他に知ってるクルースニクでもいるの?」

「……そういう訳じゃないけれど」


 嫌じゃないの、と魔女はオスカーに静かに尋ねる。


「その……魔女に世話なんてされて。不幸になったらどうしようとか、呪われるんじゃないかとか……」


 途中からもそもそと不明瞭になりながら、戸惑ったような顔で魔女は言う。

 何言ってるの、とオスカーは笑った。


「君が魔女でも構わないよ。僕にとっては命の恩人なんだから」


 だから大丈夫、と胸を張ったオスカーに「変なクルースニクね」と魔女が困った顔をした。




***




「あの子はまだ見つからないのですか」


 表情にも声音にも出てはいなかったが、ソルセリルは確かに苛立っていた。甥のオスカーが姿を消して今日で一月だ。最初の十日ほどはクルースニクだから──と自分に言い聞かせていたものの、こうも連絡がつかないとなると不安にもなってくる。オスカーはちゃらんぽらんに見えるが、それでも一月も連絡を絶つような性格じゃない。


「ニック。……君にも分からないんですか?」

「探させてるし、俺も探してるんだが……。どうも、足取りがつかめないんだ」


 悪い、と口にする銀髪の青年に「どこへいったのやら」とソルセリルは呟いた。


「口のうるさい僕には何も言わず、勝手に何処かに行く──。そんなのは慣れっこでしたが。慕っている師たる君にも何も言わず……というのはおかしいですよ。あの子はどこに出掛けたっていうんでしょうね?」


 ソルセリルと話しているのは、ニックと呼ばれる青年だ。聖職者か貴族のような、上等な服装に身を包みつつも、その態度は飾り気がない。そんな彼はソルセリルの友人だ。


 彼はクルースニクとしてのオスカーの師であり、同時にクルースニクの中でも最高位の者であった。


 面倒見のよさとクルースニクらしからぬ気さくさで、オスカーは彼をよく慕っているのだ。そのオスカーが、伯父(ソルセリル)はともかく師匠(ニック)にも何の連絡も寄越さず行方不明──というのが不穏極まりない。とソルセリルは考えている。ニックもまた同じ考えのようだった。


「悪事を働いてる【闇に親しむもの】を現行で見つけでもして。それを追いかけたりしたなら、多少連絡が取れなくても仕方はないんだが……。流石に一月となるとな……」

「……死んだりしていないでしょうね」

「それは……ない、と……思う……」


 ニックの語気も弱まる。ニックとて、それがゼロとは言い切れなかった。オスカーは確かにクルースニクだし、自慢の弟子でもある。信頼だってしているが、本物の(・・・)クルースニクであるニックとは違い、オスカーはあくまで人間なのだ。


 ニックのように、【化け物を狩ることに特化した種族】である【クルースニク】は、身体能力は人のそれを凌駕する。魔術の類いだって使えるし、伝承通りに人以外の姿──狼や猪や炎など──の姿だって取れる。


 しかし、オスカーたち人間はそうはなれない。根本的な【力】の部分では、【種族としてのクルースニク】には及ばないのだ。他の部分で種族としてのクルースニクを上回る場合はあれど。


 オスカーは【怪物退治】の役目のみを引き継いだ、いわば仮初めの(・・・・)クルースニクだ。普通の人間よりはずっと鍛えてもいるし、怪物を始末する技能にも長けている。けれど、言ってしまえばそれだけ(・・・・)だ。それを理解しているからソルセリルも心配をする。【信頼すること】と【心配しないこと】は似て非なるものだ。


「最後にオスカーに会ったのが、ロベリア嬢だってのは分かってるんだ。そのロベリア嬢が言うには、オスカーは『恋でも探しにいこうかな』……と言ってどこかにいったらしくて。ソルセリル、お前……心当たりあるか?」

「………………恋?」


 たっぷり時間をかけてから聞き直し、何か聞き間違えたのかとでもいうようなソルセリルの顔に、その気持ちはよくわかるよとニックもうなずき返す。恋だもんな。と。


「可哀想に、ロベリア嬢も混乱していたよ」

「それは……」


 友人に意味深な言葉を残されて、その相手はそのまま姿をくらましたのだ。すぐに探しに出られるわけでもないのだ、ロベリアが混乱するのも無理はない。ロベリア嬢がいうには、とニックは咳払いをひとつ。


「直前に『恋人でもつくったらどうですか~』みたいな話をしていたんだと。それで追い詰めちまったんじゃねえかってロベリア嬢が言ってたけど……なあ?」

「……それはないでしょう」

「だよなあ」


 オスカーは恋愛や縁談だのとは無縁の人間ではなかった。システリア家の青年であること、それから神聖な存在であるクルースニクであること、本人の人当たりのよさも相まってそこそこ人気の青年だった。選ぶ相手ならよりどりみどりといったところだが、今に至るまで、告白や縁談問わずにすべて本人が断ってきているので──ロベリアの考えているようなことで姿をくらましたとは思えない。


「しかし、こんなふらっと姿をくらますなんてことあるかァ……? ソルセリル、何か最近変わったことでもあったんじゃねえの?」

「変わったことですか?」


 何かあったか、としばし考えて、もしや、とソルセリルは思い至る。


「……落とし物の持ち主を見つけにいったのかもしれません」






 


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