魔女の呪いと嘘つきな聖職者
オスカーはシステリア邸に訪れていた。
広場でのロベリアの魔女化事件は一応の収束を見せたが、一方でクルースニク協会はニルチェニアを手放そうとしなかった。
彼女を【魔女】ではなく、【聖女】として認定し、協会の象徴にしようという話が持ち上がったのだ。
何を都合の良いことを、とその場にいた全員が思い、オスカーが口を出しそうになった瞬間にニックが「この女性はシステリア卿に預けるものとする」と宣言し、ニルチェニアが家族のもとで穏やかに暮らせるように手を打った。
それに引き続いてノージニッツィやロベリアと協力関係にあったクルースニクを処罰する、とも発表した。何度となくクルースニク協会の内部を調べていたニックは、自分が思っていたよりも教会内部の腐敗が著しいのに気付いたそうだ。「この事件を利用するようで申し訳ないが、この機を逃したら次がいつになるか分からないんだ」とニルチェニアには頭を下げて、貴族と癒着しかけていた協会を丸ごと生まれ変わらせた。
彼のいうところの『資金の出所が一つだけだと、どうしてもそっちに寄ってしまう』はそういうことか、とニックの話を聞いたソルセリルは納得し、まどろっこしいことを、と呆れた顔を見せながらも、友人の労をねぎらうことにした。
なんとなくはぐらかして本質に言及するのは避けていたところが、兼業とはいえ商人らしいニックだ。そこに少し呆れたものの、ニックはクルースニク協会の腐敗を変えてやろうと思っていたのだろう、とソルセリルは何も言わないことにする。ニックはニックで自分とは違う考えを持っているだけだ、と。
だからこそあの火傷薬を自分ににすすめたわけだ、とソルセリルは感心した。火傷薬の契約書も貴族向けと一般向けでわざわざ二つも用意し、ニルチェニアが『善良である』というイメージを庶民に持たせるためにやったのだ。彼の根回しは地味なものだったが、効果的に働いた。
「全く、回りくどい男ですよ。あらゆるところに配慮して、最後の最後まで他人の意思を尊重するから、常にギリギリの橋をわたっているような気分にさせられる。今回だって聴衆たちがあの子の味方になってくれたから良かったものの……。賭けだったでしょう」
高位のクルースニクとしての権力があるのなら、それを適切にふるえば良いのに、と流石にぼやいたソルセリルに「まあ、それが先生のやり方だから」とオスカーは苦笑いした。伯父のソルセリルはニックのように繊細な配慮を見せてバランスを取ったりしない。自分がそうすべきときには躊躇いなく権力もふるう男だ。適切であるから誰も文句を言わないし、使い方としては間違っていないから、権力を持つ者ともあればそうあるべき、と彼がいうのもそうだろうとオスカーは思う。
「伯父さんやルティカルは先生とは違うやり方だから、まどろっこしいとか、回りくどいとか、そういうふうに思うのかもね。でも、悪くないでしょ?」
オスカーの問いにソルセリルはほんのり微笑む。つまりはそういうことだ。ところで、とオスカーは上機嫌の伯父に一つ尋ねる。
「──メイラー家もかなりの人数が処罰されるって聞いたけど、どうなの? クルスからぼんやりとは聞いてるんだけどさ」
僕はもう、クルースニク協会の方で忙しくて、とオスカーはソルセリルに話をゆだねた。あの事件後、オスカーは昇進して立場も上がってしまったし、それに伴って今回の事件に絡んだクルースニクたちの処遇も任されてしまったのだ。本当だったらメイラー家の人間に少しは文句を言ってやりたいところだが、その暇も与えられなかった。
たずねたオスカーにソルセリルはうっすらと笑みを浮かべる。普段見せない伯父の笑顔がこんなにも恐ろしいとは、とオスカーはひっそり考えた。
「──それはもう、クルースニク協会とは比べ物になりません」
侯爵以上の貴族当主だけが集まる会にて、ルティカルがメイラー家の人間の処分について報告した際、ルティカルはメイラー家の因習をなくすことを宣言し、そして今回の事件に関わったものすべての処分を発表したらしい。一番重い処分については追放もあるらしく、こちらもやはり『この機を逃したらいつになるか分からない』のだろうとオスカーは察した。
今回の件でメイラー家は責を問われていますからね、と貴族会で一番手厳しくメイラー家を追求したソルセリルは続ける。
「一族の決まりごとの果てに【魔女】を生み出すに至っただなんて、とんでもないでしょう。そんな危険な決まりごとなどなくしてしまえ、と手厳しく申し上げました。再発防止に務めよ、とね」
「そうやって締め上げることでルティカルの行動に正当性を持たせたわけだ。伯父さんってそういうとこあるよねえ」
にやりとしたオスカーにソルセリルは飄々として「何のことでしょう?」ととぼけてみせる。僕は言うべきことを言ったまでです、と。
「こんなことでもなければ無くせない【決まりごと】でしょうからね。僕も友人に倣うこととした、それだけです」
「ふふ。……伯父さんもずいぶん回りくどいことするね?」
「おや。何をいうのだか」
またもやとぼけたソルセリルにオスカーは優しく目を細めた。ルティカルだけにメイラー家内部の非難が向かないようにしたのだろうとオスカーは察する。内側から変えるのが難しいときは、外側から働きかけることも時には必要なのだ。合理的思考で物事を進めるソルセリルらしい優しさだったと言えよう。
「言い逃れとかがなければいいけど」
「事件の発端をリラ嬢の追放時と設定し、そこからの関係者を引っ張り出している状況ですが……。ずいぶんな数の人間が関わっていたようですからねえ。ニルチェニアをクルスの元から連れ去ったのも、クルースニクではなくノージニッツィの息のかかったものだったそうです。襲われた時に抵抗したトゥルーディオが彼らを手当たり次第に引っ掻いたようでして。そこから採取された皮膚片を調べたら、一致する人間がメイラー家内部にはちらほらと。……ロベリア嬢の証言もあります。言い逃れはまず不可能かと」
「そうなんだ。ロベリアは……」
「ノージニッツィだけとは言え、人を一人殺めています。その罪はなくなりはしません。もっとも、状況が状況ですから、酌量の余地はあろう、ということで話を進めています」
ニルチェニアが見せたロベリアの心情は、誰の心にも重苦しくのしかかるものだった。あれだけのことをされて恨むなというのはやはり酷で、ロベリアが最悪の手段に出てしまったのも無理はないという見方が多い。
その上、一番の被害者とも言えるニルチェニアがロベリアの減刑を望んでいるのだ。そう重い刑は科せられない、とソルセリルは言い添えた。
「ノージニッツィという男に人生を狂わされた、という人間も多くいます。君もご存知のとおり、彼は様々な理由をつけて沢山の人を処刑してきた。……それゆえにロベリア嬢を称える者たちも出てくる始末」
ほんとうに事件が収束するまではまだ時間がかかる、というのがソルセリルの見立てだった。
「……さて、ニルチェニアに会いに来たのでしょう。今なら庭にいる時間ですよ」
「──ありがとう、伯父さん。会いに行ってくるね」
応接室を出て、オスカーは足早に庭へ向かう。あの日以来、ニルチェニアとゆっくり話す機会がなかったのだ。
クルースニク協会は彼女を【聖女】に祭り上げようとして、それをオスカーとニックとで何とか阻止し、ニルチェニアにとって安らかに過ごせる時間を作るのに腐心した。もうこれ以上彼女を他人の思惑で振り回したくなかったのだ。
システリア邸の庭はいつ来てもよく手入れされている。部屋の中にいるよりきれいな庭を散歩したほうが心も休まるだろう。
ニックがニルチェニアをソルセリルのもとに向かわせたのは、単純にソルセリルが医者であったこと、そしてここから波乱を迎えるであろうメイラー家からは遠ざけたかったことなどが挙げられるが、それを差し引いても良い選択だったとオスカーは穏やかな風の吹き抜ける庭を見て思う。ノージニッツィのあの庭とは違っていた。管理はされているが、息苦しくないのだ。
オスカーは庭を歩き回り、ガゼボのひとつにニルチェニアがいるのに気付いた。彼女はベンチに腰掛けてただぼんやりと庭を眺めている。穏やかなその表情が絵画のようで、美しくて、オスカーは何故か泣きたくなった。本当だったらもっとずっと前に彼女にはこういう生活が用意されていたのかもしれないと思うと、今までに彼女を取り巻いていた環境すべてを呪いたくもなる。それでも、オスカーはそれをしてはいけない。ニルチェニアは誰にも恨みや呪いをぶつけなかったのだから。だからこそ彼女は【魔女】にならずにすんだ。
「──ニルチェニア」
そっと声をかけたオスカーに、ニルチェニアは驚きながらも嬉しそうな表情を見せた。まだ声は戻らず、ソルセリルもあれこれと手を打っているそうだが、声が出ない原因の中には精神的なものもあるらしい。「焦らず気長にやること」という方針で療養を勧めていた。
「元気だった? 体調は……」
ニルチェニアはにこにことして、オスカーを手招いた。ガゼボの中に置かれたベンチにオスカーを座らせて、『だいじょうぶ』と唇を動かす。
「ああ、良かった。その……うん、健康そう」
ソルセリルも特に気を配っているのだろう。今まで見た中でいちばんニルチェニアは健康そうだった。
クルスの元から派遣されてニルチェニア付きのメイドとして働いているトゥルーディアによれば、栄養バランスの徹底されたよい食事が三食きっちり出されているそうだ。ここにいて不健康になる方が難しそうですね、とはトゥルーディオの弁で、彼は時折ニルチェニアの様子をクルスに報告するためにやってくるらしい。
久しぶりにどう話したらよいものやら、しどろもどろになるオスカーにニルチェニアは心配になったのか、『あなたは平気?』と菫色の瞳でオスカーを見つめる。
「僕っ? ああ。うん! 僕はこのとおり。大丈夫だよ。元気」
『でも、わたしが【儀式】をした関係で大変だったんでしょう』
「クルースニクはみんな混乱してたけど、まあそういうこともあるでしょ。僕もびっくりしたよ。【儀式】なんて、先生くらいしかできないと思ってたし」
ニルチェニアがロベリアにやってみせたそれは、クルースニクが使うチェンジリングを見破る際に使う【儀式】に酷似していたのだ。物に宿った他者の意思を、思考を明らかにする【儀式】。それを使ってみせたからこそ、ニルチェニアを【聖女】としてクルースニク協会に留め置くべきだ、という話が湧いてきたのだった。【儀式】を介して魔女になりかけた人間を救ったことも、彼らにとっては神聖に映ったらしい。
ニルチェニアはそれをあまり重要なことだとは考えていなかったし、使った【儀式】がクルースニクのそれと酷似していても『もしかしたら【魔女のまじない】と【儀式】は由来が同じなのかも』と述べるだけで、自身に神聖さがあるなどとはこれっぽっちも思っていないらしい。あれだけの環境に置かれておいて【魔女】にならなかったのは十分に聖人に値するとオスカーは思っているのだが。
『わたし……』
躊躇うようにニルチェニアがオスカーを見上げる。どうかしたの、とオスカーがたずねたのにニルチェニアは深く頭を下げた。
『わたし、あなたに嘘をつかせてしまった。あなたはクルースニクで、ずるいことをしてはいけない人なのに』
「嘘?」
どれの話だ、とオスカーは考えて、コトドリの話か、と納得する。ここに来てまだこの子は律儀なのだなあと半ば呆れながら、「大したことじゃないよ」と眼差しを柔らかくした。
「あの時も言ったけれど、君がずっと苦しむより良いんだ。言いがかりだってある意味嘘みたいなものだろ。君はそういうものに苦しめられてきたのだし、僕はそれから君を救いたかった」
『それは……』
君のためにしたんじゃないよ、とオスカーはニルチェニアの瞳をまっすぐに見る。すみれ色の瞳は躊躇うように伏せられて、オスカーはそれを少し寂しく思った。
「全部僕のためなんだよ、ニルチェニア。僕が君を救いたかっただけ。たったそれだけのことだ。……どんな形であれ、僕は君を一度ひどく傷つけたでしょう。僕があの日、君の元を離れたりしなければ……君は穏やかな生活を奪われたりしなかったかもしれない」
『それは、……それは、あなたのせいじゃないのに』
わたしが勝手に勘違いしてあなたを恨んだだけ、とニルチェニアは顔を上げる。やっと合った視線にオスカーは微笑み、そうだね、と応じた。
「それでも、僕のせいにしてよ。そうしてくれれば、僕はそれを理由に君に何だって捧げられるのに。ねえ、ニルチェニア。そう思うくらい──僕は君を愛している」
ニルチェニアは目に見えて戸惑っていた。何度も唇を震わせて、それでも言葉は出てこないのだろう。困らせていると思うけれど、それでも伝えさせて、とオスカーは続ける。
「僕は騎士じゃないからね。君の好きな物語に出てくる騎士みたいに、お姫様を楽しませる嘘はつけないけれど。でも、クルースニクだから。お姫様を救う嘘くらいいくつだってつけるよ」
良い嘘をつくのが良いクルースニクだからね、とオスカーはくすくす笑った。一方で、ニルチェニアは目を潤ませながら、嬉しいけれど、とオスカーに謝る。
『わたしは魔女なの。……今は良くても、きっとあなたを不幸にしてしまう。今までもずっとそうだったもの。そう言われ続けてきたもの。わたしだけならいい、でも周りの人まで不幸になるの。あなたもそうなるかもしれないのよ』
「構わないよ」
『──だめ。不幸な魔女の側にいたら、あなたまで不幸になってしまう。そんなの、いやだわ。わたしはきっと……幸せにはなれない。幸せになってはいけない』
ニルチェニアはぽろぽろと涙を流し、ごめんなさい、と謝った。やはりこの【呪い】は手強いか、とオスカーは息をつく。わたしを愛してもきっとろくなことにならないとニルチェニアは唇を動かした。そのくせ、小さな手のひらはオスカーの手を握ったままだ。
ニルチェニア、とオスカーは涙で濡れた顔をそっと撫でる。
「君が幸せになれないなんて、魔女がお姫様になれないなんて、そんな決まりはどこにもないよ。キスで解ける呪いなんて風邪より軽い障りだと、いつかの君は言ったけれど」
たしかにそうかもしれないけれど、とオスカーは根気強くニルチェニアに語りかけた。他人には底なしの慈愛を見せたくせに、自分を殺しかけたロベリアを笑顔で許したくせに。自分の赦し方をこの〝魔女〟は知らないのだ。
「一度で足りないのなら、何度だって君にキスを贈るよ。不幸な魔女が、不幸であるべきだと思い込む魔女が、幸せなお姫様になれるまで」
どうして自分に呪いをかけてしまうんだい、とオスカーはニルチェニアを抱きしめる。ニルチェニアはもう泣きじゃくって、オスカーの胸に顔を埋めていた。華奢な肩を抱いて、オスカーは続ける。
「魔女が不幸にならなくちゃいけないなんて、そんな決まりはないだろう。君は僕に言ってくれたよね。クルースニクでも構わないって。その君がどうして、魔女は不幸じゃなくちゃいけないなんていうのさ」
君が自分自身を信じられないのなら、とオスカーは囁いた。
「僕を信じて、ニルチェニア。何年かかったって、君の【呪い】は僕が解くから」
オスカーは上着のポケットから指輪を取り出す。あの日、焼け落ちたニルチェニアの小屋で拾ったものと同じデザインで作り直した指輪だ。プラチナとアメシストで作られたその指輪に、ニルチェニアは目を丸くさせた。
「作り直したんだ。……君に、どうしても渡したかったから」
自分の声が震えているのをオスカーは自覚していた。こういうときくらい格好良く決めたいと思いながら、それでも【魔女】であろうとする最愛の人に希う。
「──僕のお姫様になって、ニルチェニア」
ニルチェニアは驚きのあまりに泣くことも忘れたようだった。オスカーの顔と差し出された指輪とを何度も交互に見て、それから。
──そっと、薬指を差し出した。
一歩踏み出してくれた勇気にオスカーは喜び、指輪をはめるやいなやニルチェニアを抱きしめる。そのまま立ち上がり、ニルチェニアを抱き上げたままぐるりと回った。慌てたニルチェニアに「ごめん、嬉しすぎて!」と謝りながら、そっと彼女を下ろすと、涙に濡れている顔に小さく笑いかける。
「ねえ、キスしてもいいかな。もちろん、唇に」
ニルチェニアは照れて耳まで赤くなりながら、それでもゆっくりと頷いた。そっと重なった唇は、ニルチェニアを【呪い】から開放し、幸せへと導く最初の一歩だ。
「──いつだって呪いをとくのは、愛のこもったキスだからね」
そんなふうに照れ隠しを言いながら、オスカーは【魔女】だった〝お姫様〟を抱きしめる。
──魔女の呪いと嘘つきな聖職者の物語は、こうして幸せな結末を迎えた。
無事に完結することができました!
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