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数日前より明らかに人が増えた教会の前では、裁判が始まるのを待ち望む人々が熱狂の渦に巻き込まれていた。
本来なら教会の中で行われるはずだった魔女裁判は、見物人の多さに場所が変更された。教会前の広場だ。
待ちわびる見物人たちの前に、いくつもの馬車がやってくる。豪奢な馬車は貴族たちのもので、素朴な馬車はクルースニクの所持するものだ。全員が一斉に素朴な馬車の方へと注意を向け、誰が魔女なのかと目を凝らす。
馬車の扉が開き、小柄な人間がクルースニクに囲まれて降りてくる。それが魔女なのだと誰もが悟った。
【魔女】には古ぼけた毛布がかけられており、その姿かたちはほとんどつかめない。布切れがゆらゆらと動いているようだ。シーツを被ってお化けだとふざける子供よりも、もっとみすぼらしい姿で【魔女】はよろよろと歩く。両脇と前後をクルースニクに固められていて、顔も体つきもよくわからない状態だった。それが面白くなかった聴衆の数名が【魔女】に向かって石を投げたが、どれもこれもクルースニクが弾き落とす。
「裁判が済むまでは!」
クルースニクが声を張り上げる。聴衆も渋々と石を投げる手を降ろした。裁判が済むまでは、ということは、裁判が済めば自由にしていい、ということだと理解したからだ。
魔女は広場の真ん中に置かれた証言台の前に立たされた。毛布は未だに取り払われることなく、貴族たちの馬車から人が降りきるまで裸足で立たされている。その足の細さに誰かが「可哀想だ」と呟いた。
「まだ魔女だと決まったわけでもなかろうに」
「あの足だと、子供か、やせ細った女か」
同情的な声をかき散らすように、堂々とした様子で馬車から降りてきたのはノージニッツィとその妻のロベリアだ。まずは使用人たちが馬から降りて、ノージニッツィの乗る馬車の扉を開けた。豪華絢爛な装飾の施された馬車は、ため息が出るほど美しい。
「【血濡れ花】!」
「火刑台に送るのはこれで何人目だ」
面白がる声にちらりと目を向けて、ノージニッツィは悠々と歩く。胸につけた白い花のコサージュが、陽光を受けて華々しく光っている。ノージニッツィはつとめて堂々と振る舞っていた。余裕を見せれば見せるほど、聴衆はこちらが正しいのだと勘違いすることを知っていたからだ。焦っていれば「何かやましいところがあるのでは」と思われるのが常で、そこに論理は存在しない。必要なのは【正しさ】ではなく、【正しいと思わせる振る舞い】なのだ。
ノージニッツィの後ろにはロベリアがつく。詰め襟で長袖のドレスを纏い、こちらも優雅に歩みを進めた。化粧と薄いヴェールがロベリアの顔を覆っているから、彼女の顔に殴られた跡があるなど、誰も気づかない。
ノージニッツィはロベリアをエスコートして、傍聴席へと連れて行った。急遽整えられた席ではあったが、柔らかな長椅子にロベリアはゆっくりと腰掛ける。外行きの微笑みがロベリアの顔を彩った。
ロベリアに続いて、ノージニッツィ側の傍聴席をメイラー家の人間が次々に埋めていったが、そこにメイラー家の当主の姿はない。二人の目の前、相対する位置、【魔女】側の傍聴席には背の高い男が腰掛けて、ノージニッツィを冷えた目で見ていた。
この場の中で一番体格の良い、そのメイラー家の当主に視線だけで挨拶をくれて、ノージニッツィはゆったりと席につく。ルティカルの隣にはソルセリルもいた。硝子玉を嵌め込んだような目がノージニッツィに向けられて、それから証言台の方へ向けられる。古びた毛布を頭からかぶったその【魔女】の姿に、ソルセリルは一瞬痛ましそうな表情を見せる。あの男にもそんな感情があったのか、とノージニッツィは感心した。
【魔女】側の証人としてはリピチア、オスカー、クルスが選ばれたらしい。オスカーはカバンの蓋を開けて、それを地面に直接おいた。何かを取り出そうとしているようだったが、ノージニッツィは気にしなかった。どうせ無意味なのだ。全員が大きな鞄を持っているところを見るに、それなりの証拠を集めてきたようだったが、それすらもどうでもいい。証拠を提示したとて、理解する頭があるものはごく少数だろう。聴衆などはその最たる例だ。
どうせ、ひっくり返る余地のない裁判なのだ。誰もが魔女を、怪物を恐れるのだから。ノージニッツィはその恐怖を少し煽ってやればいい。そうすれば勝手にまわりの人間が恐れ、あの【魔女】を処刑しろと騒ぎ立てる。声が大きいほうが『正しい』ように思うのが人間で、それを利用して次々に処刑を行ってきたのだ。今回もうまくことが運ぶだろう、とノージニッツィは内心でほくそ笑む。これまで幾度となくやってきたことなのだから、慣れたものだ。
【魔女】側の傍聴席には様々な人間が座るようだった。ソルセリルやルティカルのような貴族もいれば、どこから来たのかわからない老婆、商人らしい人間もいる。みっともないとノージニッツィは鼻で嗤った。貴族が一般人に紛れて同じ場所にいるなど、恥も良いところだ。
全員が席を埋めた頃、裁判の始まりをクルースニクが告げる。裁く立場にある彼らは、魔女の立つ証言台がよく見える場所に椅子を並べて腰掛けていた。高位のクルースニクがのべ三人、そのうちの一人は【共存派】のニックだ。ノージニッツィはこのクルースニクを疎ましく思っていた。誰よりもクルースニクとして強いくせに、その力を正義のため、化け物の根絶のために使おうとしないからだ。
「裁判を開始する!」
クルースニクが高らかに儀礼用の木槌を打ち鳴らす。広場の周りをうろうろとしていた鳥たちが音に驚き一斉に羽ばたき、そのうちの数匹が魔女の証言台の下に潜り込んだ。魔女が驚いてよろめき、被せられていた毛布がばさりと落ちる。魔女の顔があらわになった途端、聴衆が息を呑む音が嫌に響いた。
「あの子、街で見たことあるよ……」
聴衆の一人が囁いた。薬売りの子じゃないのかと誰かが応じる。【魔女】を知らなかったらしい誰かが、「きれいな顔つきの子だねえ」と呑気なことを口にした。
「それにしたってやせ細って、まあ。もう少し肉付きが良けりゃあねえ……」
「ごらん、あの紫の瞳」
「メイラー家の当主様に似ておらんか?」
思い思いにざわつき始めた聴衆を鎮めるように、木槌がもう一度打ち鳴らされた。怯えるようにうつむいた【魔女】に浴びせかけるような声が響く。クルースニクのものだった。
「この者は魔女であるとの告発があった。よって、これよりこの者に対する魔女審判を開始する。まずは──」
クルースニクがノージニッツィの方を向いた。それに応じ、ノージニッツィが立ち上がり、高らかに「この者は、魔女である」と宣言する。堂々たる振る舞いを疑うものはいなかった。誰もが何度も見てきた光景だ。今度もノージニッツィは自分の正義を疑わなかった。
「その紫の瞳。森に隠れ住み、この地を呪い続けていた魔女である。この者はこの地を呪い、人を呪い、不幸を撒き散らし続けてきた。火傷、火事……。近頃、火に関する災禍が多いのもこの者の呪いだと言えよう」
言いがかりだ、とリピチアがオスカーとクルスにしか聞こえないような声で呟く。その後もノージニッツィはもっともらしく、つらつらと【魔女】の罪深さについて並べ立てた。そのどれもが堂々としていたが、よくよく聞けば言いがかりに近い内容だ。それでも、聴衆が【魔女】に向ける視線は段々と厳しくなっていく。オスカーの表情がどんどん固くなりつつあるのをリピチアもクルスも察していた。ノージニッツィのいつもの手だからこそ、オスカーはその先にあるものを警戒している。
ノージニッツィがひとしきり話し終え、クルースニクは【魔女】側にいるクルスの方に目を向けた。クルスはノージニッツィと同じように朗々と声を上げる。
「──異議あり」
クルスはルティカル経由でミズチから預かった鞄を取り出し、中から小瓶を取り出した。小瓶の中に詰まっているのは細かな硝子の欠片のようなものだ。
「この者は魔女ではない」
クルスはくるりとあたりを見回す。聴衆に目を向け、それからノージニッツィに向き直った。
「火に関する災禍が増えたのは、【人工種石】によるものだ。種石の普及に伴って事故が増えただけで、そこに魔女の関与はない。むしろ──」
火による災禍を運んだのは、と、クルスは鞄から紙の束を取り出す。そこに記されていたのはとある商品の購入に関する契約書だった。商人が個別に作成するもので、契印のあるそれは差し替えや抜き取りが成されていないことを証明できるものだ。余裕ぶっていたノージニッツィの顔がわずかに歪んだのをクルスは見逃さなかった。
「森に建っていた小屋が先日、全焼した。その際に少々不審な点があり、調べさせていただいた。焼け跡から見つかったのはこちらの【人工種石】だ。腕の良い錬金術師に調べてもらったところ、人工種石に封入されていたのは火の魔力だとわかった。つまりこれは『火種』だったものだ。それから、溶けた瓶がいくつか……。中身は引火性の強い液体。こちらの商品購入の履歴を追い、購入者を調べたらメイラー家の分家がこれを購入したことがわかった。ノージニッツィ、あなたの家の者がこれを購入していた。ノージニッツィ、その小屋に誰が住んでいたか分かるか」
言うまでもないかもしれないが、とクルスはノージニッツィを静かに見た。
「そこにいる【魔女】とされた女性だ。あなたは、森に住む人間から家を奪おうとした……。いや、あなたは罪のない人間を焼き殺そうとした」
「仮に我々がその人工種石を購入したとして、それがそこにいる女の無実の証明にはならない。論点のすり替えではないのか」
ノージニッツィは即座に鼻で笑いながらも、一度ロベリアの方に侮蔑と怒りの混じった視線を向けた。これらを手配したのはロベリアだ。ロベリアは貼り付けた笑みで夫のそれに返し、意に介する様子もない。ただ、あの時魔女を焼き殺そうとした現場にいた二人は震え上がって俯いた。自分たちのヘマでノージニッツィに害が及んだのだから、どんな仕打ちが待っているのか考えるだけで恐ろしかったのだ。次に【化物】だとされて殺されるのは自分たちになるかもしれない、と。
「第一、私達にはその者を殺す理由がない──わざわざ森に行ってまで? 馬鹿げている」
「貴方は【闇に親しむもの】の根絶、撲滅を謳っている。【魔女】だというなら、殺す理由はあるのだろう」
「真に【魔女】ならば、生きていることが罪そのものだ。殺して何が悪い? 魔女を殺すのは常識的に正しいことだ」
自信に満ちたノージニッツィの言葉にオスカーの瞳が鋭く冷えたものになる。クルスもまた同じ冷たさを顔に滲ませて、拳を握り、震わせながら、それでもノージニッツィを正面から見据え、応えた。
「あなたは、罪のない人間を殺すことを厭わない。自分が間違っているかもしれないと顧みることもしない。そこにいる人が、どうして【魔女】だと言い切れるのか」
「あの紫の瞳に呪いが込められていないとでも? 見ればわかるだろう。あれは魔女の色だ。魔女の持つ色だ。災いを運ぶ者。生きていてはいけないものだ」
ノージニッツィの冷ややかな声と視線に、【魔女】の唇が震える。気付けた者は少なかったが、俯いた魔女の瞳からは雫がぽたりと落ちた。オスカーの隣でリピチアが一度深く息を吸う。普段はゆるいリピチアの雰囲気が一瞬で変わったのにオスカーもクルスも気がついた。凛とした声が広場に響く。
聴衆たちも思わず背筋を正したほどの迫力で、ノージニッツィは今まで全く気にかけていなかったこの女がどれほど自分にとって『危険』なのかを悟る。聡く、しなやかな女をノージニッツィは毛嫌いしていた。自分の思い通りにならないからだ。
「異議あり」
啖呵を切るようにすぱっと切れた声は、続けてノージニッツィを真っ直ぐに刺すように声を響かせる。
「私はリピチア・チヴェッタ・ウォルターと申します。医者であり、学者です。医者、そして学者としての立場から申し上げます──その方は魔女ではありません」
これは医学的に正しいことです、とリピチアが続ければ、聴衆からは小さな笑い声が漏れた。ノージニッツィへの意趣返しなのは明らかだったからだ。
「私は以前、彼女の診察をしています。クルス・シチート・メイラーの邸宅にて、火傷を負った女性の診察を請け負いました。その女性が彼女です。その時の診療録もございます」
紙の束を取り出し、リピチアはある場所をとんとんと指先で示してみせた。ちょうど、診療録の中頃、身体の特徴や火傷の状態を図で残した部分を。
「魔女であるというのなら、首に【魔女の印】があるはずです。ですが、この人にはそれが一つもありませんでした」
一拍置いたリピチアに、ノージニッツィが食らいつく。
「それが虚偽でないと言えるかね。すでに貴方がたがグルになって、その【魔女】を庇い立てしているかもしれない。何しろ、あの【魔女】は──」
ノージニッツィは興味を惹きつけるよう、たっぷりの間を取った。何を言うのだろうと聴衆が聞き耳を立てるが、聞こえるのは鳥の鳴き声や風に木の葉のそよぐ音だけ。もったいぶるなとじれる声が上がりそうなタイミングで、ノージニッツィは広場に声を響かせる。
「メイラー家の娘だったのだから!」
身内なら庇い立てしたくもなるでしょうな、とノージニッツィは吐き捨てて、クルスを舐めるように見た。傍聴席にいたルティカルとソルセリルにもゆったりと笑いかけ、「しかし」と言葉を続ける。固唾をのんで見守る聴衆に語りかけるよう、声を張り上げた。芝居がかった仕草ではあったが、この場においてそれは一種の魔法だった。ノージニッツィの正しさを強調する魔法だ。
「身内だからと怪物を庇い立てするのは、はたして正しいことかどうか? それは正義と言えるかどうか! 私もメイラー家の血を引いております! だが、私は違う! 私は私の正義において、悪を断罪する」
わっ、と聴衆が盛り上がる。ノージニッツィの思惑通り、聴衆は完全にノージニッツィの言葉に酔っていた。彼こそが正義だと言わんばかりに拳を頭上に突き上げて、魔女に次々に罵声を浴びせ始める。魔女はうつむいて、唇を噛み締めて耐えていた。小さな体がもっと縮こまるように、彼女は立ち尽くしてただ罵声が収まるのを待っている。
仕上げとばかりに残虐なほほ笑みを浮かべ、ノージニッツィは「そのものの首に【印】があるはずです」と魔女の方を顎でしゃくる。魔女の側に監視としてついていたクルースニクが二人歩み出た。嫌がる魔女を地面に押さえつけ、服に隠れていた手首、足首、首を晒そうと服をまくりあげようとする。身ぐるみを剥いでしまえと誰かが叫び、高位のクルースニクのために用意されていた席からニックが立ち上がりかけた。傍聴席からソルセリルがそれを目でいなし、とどまらせる。
「さあ、ご覧あれ!」
【魔女の印】を、とノージニッツィは勝利に酔いしれて叫ぶ。
ノージニッツィはこの魔女に【魔女の印】があることを確信していた。彼女をクルスの屋敷から連れ去ったあと、ノージニッツィ直々に印を描いてからクルースニク協会へ連れてきたのだから。
【魔女】の服の裾が、袖が、襟がめくられる。そこからのぞいたものに一同が息を呑んだ。




