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「いやあ、あの時に呼んでもらってよかったですよ。吸血鬼に襲われたかもしれないって。それがあって血液検査をしていましたから。診療録がばっちり残っています」


 これは大きな証拠でしょう、とリピチアはニコニコした。リピチアの医者としての師匠のソルセリルの顔は硬いものだったが、気にせずに続ける。そもそもこの師匠の表情が柔らかいところをリピチアは見たことがない。だから気にしなくてもいいや、という結論を出している。


 そんな師匠が「最近、君が診察をした人間の中に、火傷をした者がいなかったか」などと聞いてきたのだから、リピチアもすぐにそれがどういう意味なのか悟った。何を聞きたいのか分かった。あの【魔女】の診療録は残っているのか、そしてそれは証拠として扱えるようなものか、それを確認したいのだろうと。リピチアとしても師匠のソルセリルと同じことを考えていたから、師匠の求めにはすぐに応じられた。


「医学的に見てあの人は魔女ではありません。診療録の本人情報と血液検査での本人情報は一致していますし、診療録には【首の印】、【魔女の印】が一つもなかったことを記載していますから」

「それを【証拠】として扱えるような連中であれば良いのですがね」

「あら。結構手厳しい」

「……身内にクルースニクがいますから、あまりこういったことは言いたくないが。一般的なクルースニクの頭の固さなんて、三歳児でも知っている。彼らは自分たちがそうだと決めたら譲りませんよ。僕や君の周りにいるクルースニクたちが軒並み変わり者だから、勘違いしそうになるが」


 リピチアの師匠が楽観的な物の見方をしないのもいつものことで、リピチアは師匠に「クルースニクもそこまで頭の固い人たちじゃないでしょう」と苦笑いしてしまう。ソルセリルのいうことに間違いはないし、たしかに頭の固すぎるところがあるものの、それでも証拠は証拠なのだ。


「あの人たちは確かに頭が固いです。けれど、その一方で公正さに厳しい……公正さに忠実という美点もあるでしょう。これはまだ、わたしが何も知らされていないときに、たまたま、偶然手に入れた証拠ですよ。もちろん、改竄の一つもないことを誓えます。なんなら服のボタンも全部提供できますから。あの日に私が着ていた服のボタンから、私の記憶でもなんでも読めば良い。私が何ひとつ嘘をついていないのはそこから明らかにできるはず」

「……【儀式】でもしてみせろ、と煽るわけですか?」


 少し呆れたような顔をしたソルセリルにリピチアはニヤリとしてみせた。

 リピチアはソルセリルほどクルースニクには詳しくないが、それでも【チェンジリングの儀式】を行える旧いクルースニクがもうほとんど残っていないのを知っている。今を生きるクルースニクたちがそれを歯がゆく思っていることも。無害な怪物とは共存していこう、という【共存派】のニックが高位のクルースニクでいられるのもそのせいだ。ニック以外に儀式を行えるクルースニクがろくにいないから、彼を引きずり下ろすことができない。


「【儀式】ができるクルースニクが今どれほど残っているか、私は知りませんけどね? 人を疑って処刑しようってんなら、それ相応のものをそちらも出せ、という話で。こちらだって出せるだけの誠意を持って、科学的に証拠を出しているんですよ?」


 診療録をぽんぽんと叩き、“科学”は最近発達してきた概念ですが、とリピチアは肩をすくめた。古くからある魔法や錬金術とは違い、科学は最近になって発達してきたものだ。それゆえに“伝統的な”クルースニクなどには理解されにくいものでもある。それでも、その正確性と再現性については魔法を遥かに凌ぐと言われてもいるのだ。決まった手順を踏めば必ず決まった結果になる、というのは魔法にはない特徴であり、だからこそ魔法や錬金術が身近にあってなお、その歩みは止まらない。


「なら、それを否定するための論拠もまた、こちらと同等の誠意であるべきでしょ。あちらさんは科学なんかとはまた別の次元に生きていますが、それならそれで、あちら側での【説得力のある方式】で出した結果をよこせと私は思うわけです。お互いフェアにいきましょうよって、そういうことです」


 誠意には誠意で返せ、というリピチアにソルセリルは半ば笑うようにして口を開いた。科学的根拠をもとにクルースニクに反論するのはこの弟子くらいだろうとソルセリルは思う。全く違う基準を以て、それでもお互いに同じ土俵に立ってやろうという大胆さは、何年経っても変わらないリピチアの長所の一つだ。そして、自分はそこを買ったのだ。


「聞く限りは無茶苦茶なことかと思いますが。……【儀式】で判ぜよというのは、彼らの理に適いますね。【儀式】が出来るのは力の強い……神聖さに優れた一部のクルースニクのみ。その者の力によってお墨付きが出るのなら……」

「どれだけイヤだろうが、認めたくなかろうが、あっちだってそれが真実だと認めるしかないんですよ」


 ニックさんならそれが出来るでしょう、とリピチアは続ける。


「あの人は絶対に裁判に参加しなくちゃいけない立場ですし、【儀式】もできるクルースニクです。ニックさんがいくら私たちに近い立場であったとしても……魔女や吸血鬼に甘い立場であったとしても。【儀式】の結果そのものは捻じ曲げられないことを他のクルースニクも知っています。私がこの診療録を提示して、あちら側がこの診療録の正当性を疑ってくれれば幸いですよ。私はその場でボタンを差し出すつもりでいますから」


 後ろにメイラー家の分家の方がいるのでしたら、とリピチアは続ける。


「私の提示するこの証拠を、彼女の診療録を、疑わないはずがありません。先生もそれをわかっているから、私のところに来たんでしょ」


 ソルセリルは言葉を返す代わりに、微かな微笑みで応えた。



***



「俺には伝統もなにも分かんないスけどね。そこまでしてやるようなことか? って感じで」


 たかだか目の色が違ったくらいで裁判なんて物騒な、と心底理解できないという顔でミズチはしきりに首をかしげた。目の色が違おうが、肌の色が違おうが、あるいは髪の色が違ったとしてもそんなものは何の意味もないでしょ、とずらりと並んだガラス片に視線をすべらせる。すべて【人工種石】の欠片だった。この前森で拾ってきたもので、これらが数日後に行われる裁判で使われる証拠品になるのだという。


 証拠品を手際よく整理していくミズチのすぐ近くには、椅子に腰を掛けたルティカルがいた。先程から押し黙っていて空気が重いが、ミズチは気にしない。軽い調子で話しかけた。


「裁判にかけられるの、隊長の妹さんでしたっけ」

「そうだ」

「その子、箒で空を飛んだこととかあるんスか」

「ない。少なくとも俺は見たことがない」

「他に魔女っぽいことをしたりは? サバトとやらに出かけたり、怪しげな術を使ってみたり?」

「ない。……そもそも、外にも出してもらえない子だった。一族の他の人間に知られたらこうなることが分かっていたから、外に出したことがないんだ。あの子のことは姿形しか知らないやつしかいないよ。……森に捨てられたその日に、初めて外に出たような子だ」

「それじゃ、本当に魔女かどうかなんて誰にも分かんないわけだ。見た目しか知らないんじゃァね」


 ひっでェことしますね、とミズチは受け応え、「良いんですか」とルティカルに軽くたずねる。

 規則は遵守するタイプの上司が、一族の掟を破って妹を助けようとしているのは涙ぐましいが、現実を見る必要はあるだろう。瓶のうちの一つを手に取り、ゆらゆらと揺らす。瓶の中に入った人工種石の欠片がからからと音を立てた。


「この証拠を突き出して『メイラー家の中に悪いやつがいます!』って言うのは簡単に出来ますよ。オスカーさんを襲ったのもメイラー家の人でしょ。そこをうまく煽ればクルースニクもこっちの味方につけられるかもしれないし。でも、それやったらアンタ、他のメイラー家を敵に回すんじゃないスかね」


 一族の当主が掟を破るのは、あんまりいい顔されないでしょ、とミズチは証拠品をまとめ終えた。融けた瓶や人工種石の欠片を割れないように鞄に詰めて、その種石を販売した商人と客の取引の書類まで押さえてある。この件の背後に誰がいるのか、誰がこんなことを引き起こしたのか、これ以上ない証拠だった。

 だからこそミズチは確認しなくてはいけなかったのだ。ルティカルが今からすることはどんな結果を引き起こすのか。それを本人が理解しているのかどうか。


 ルティカルはいつもどおりの顔で、淡々と頷いた。そんなことはわかりきっている、とでも言うように。


「そうだろうな。全員敵に回っても驚かないよ」

「ふうん。……それで、そのあと。無事に全部済んだとして、助けた妹さんと安穏と暮らせます?」

「難しいだろう。どういう形であれ掟は掟だ。掟は破るものじゃなく、守るものだ。個々人で差はあれど、破るのは許せないと思うものがいて当然だ。なら、俺は彼らにとってはとんでもない罪を犯すことになるのだろうよ。当主でありながら」

「分かっててやるんだ?」


 とんでもねー当主だなァ、とミズチは薄笑いを浮かべる。堅物の上司がたまに見せる破天荒なところが気に入って、ミズチはこの男のそばにいるのだ。何百年と生きてきてなお、こんなに面白いことを次々に見せてくれる人間はそういないだろう、と感じている。

 錬金術師として高みに登りつめ、真理を垣間見た今であっても、真理よりもルティカルのほうが面白い。生身でバカでかい熊に圧勝できるのなんか【面白さ】のほんの序の口だ。クソ真面目で堅物なくせに、ここぞというときに全部ぶち壊すようなめちゃくちゃさが心地よいのだ。今後何百年続くかしれない人生のうちにあっても、この男のことを思い出せたら退屈しないだろう。


 錬金術というこれ以上なく緻密で狂いを許さないモノに人生を捧げてきたくせに、ミズチは混沌としたものが大好きだった。だからこの男につい肩入れしてしまう。秩序の番人のような顔をしているくせに、誰よりも混沌に近いところにいるこの男に。


「本ッ当〜に困った時は、俺を頼ってくれて良いスよ。妹さんと一緒にね。自分で言うのもどうかって話スけど、俺は凄腕の錬金術師なんで。アンタの望みも大体叶えられると思うし。最後の最後の保険としてさ、俺のこと頭に入れといてよ」


 軽い調子も含みつつそう話したミズチに、ルティカルは少し驚いた顔をしてから、「気持ちだけ受け取っておくよ」と微笑んだ。


「……妹が最後の最後に頼るのが、俺ではないのは……兄として情けないからな。君を巻き込むのも気が引ける」

「またそうやってクソ真面目に。まあでもアンタらしいか」


 そんな答えが返ってくるだろうなとミズチは思っていたが、やはり返ってきたのは予想の域を出なかった。兄とはそんなものなのか、と淡泊に思う。ミズチは兄も姉もいる五人姉弟の末っ子だったが、兄からも姉からもこんな風に〝優しく〟接されたことはない。世の中の兄や姉はもっと下の兄弟に当たりの強いものだと思っていたが、どうやらルティカルはそうではなかったらしい。それを嬉しくも思えば、どこか妬ましくなるのも不思議なものだった。


「それに……。いつでも、君に助けられているからな」

「そうスかねえ」

「君がいなければ、今回の件もうまく進められなかったと思うよ。こんなに手早く正確に分析してくれなければ、これらのものを証拠として提出はできなかっただろうから。ありがとう」

「アンタ、ほんとメイラー家とは思えないスわ」

「……褒め言葉として受け取ればいいかな」


 苦笑いをしながらルティカルは「それでも私もメイラー家だからね」と青い瞳をゆっくり細めた。




 

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