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クルスの屋敷の一角は蜂の巣を突いたような騒ぎになっていた。
朝早く、まだ鶏がなく前にクルースニクの一団がいきなりやってきたかと思うと、あの魔女を無理矢理に連れて行ってしまったのだ。当然のこと、誰もが抵抗した。勝手に入ってきて勝手に客人を連れて行かれるところに遭遇すれば、忠誠心に溢れる使用人たちはそれを許すわけがなかった。
それでも、使用人は使用人だ。戦い慣れているクルースニク相手にいつまでも耐えられるわけもない。結果的に魔女は連行されていってしまった。報告を受けたクルスが彼女の部屋に急いでやってきたときには、怪我を負った使用人たちと、特に念入りに危害を加えられたらしいトゥルーディオが床に転がっている有様だった。
「旦那さまぁ……」
「何があった!? トゥルーディア、けが人の手当を! 医者の手配もだ」
これ以上なく弱々しい声で自分に声をかけてきたトゥルーディオにクルスはぞっとした。打たれたらしい頬は赤く腫れ、ひゅうひゅうとか細い吐息をこぼしている。顔を苦痛にゆがめながら胸の少し下あたりに手をやるトゥルーディオに「しっかり」とトゥルーディアが声をかけている。もしかしたら骨が折れているかもと口にした彼女の顔には確かな怒りがにじんでいた。
「クルースニクが、お嬢さまを……おれ……引っ掻いてやりましたけど、助けられなくて。すみません……」
トゥルーディオはそこまで話すとぐったりとしてしまう。
それを聞いて顔色を変えたクルスはニックに急いでそれを知らせて、それに伴って何度もクルスの屋敷にきたことのあるリピチアが医者として屋敷へとやってきた。彼女の処置は的確で手早く、なるほど流石システリア卿の唯一の弟子だとトゥルーディアは舌を巻いてしまった。普段はマイペースに仕事をこなす彼女だが、こうして緊迫感のある場所では相応の振る舞いをしてみせるらしい。
魔女を連れて行こうとしたクルースニクをなんとか止めようとした者たちの大半は軽い怪我で済んだものの、トゥルーディオを看たリピチアは盛大に顔をゆがめて「何なんですか」と悪態をついた。彼だけはひどい有り様だった。トゥルーディアも奥歯を噛みしめる。怒りで喉が焼けるように熱かったが、必死の思いでこらえた。今ならいくつでも呪いの言葉を吐き出せそうだ。
「あの人たち、あなたたちが【ああいう活動】をしているからって、こんなことまでするんですか? 主義と主張が合わなくてもこんなことをしたらだめでしょうが。どちらが怪物か分かったもんじゃないでしょうに! まったく、何でこんなことに?」
「それは……」
流石にもう隠してはおけないとトゥルーディアが事情をかいつまんで説明すれば、リピチアはその聡明で親しみやすい顔を驚きに染め、あんぐりと口を開ける。
「め、メイラー家の……森に捨てられた女の子だったんですか? えっと……私がこの前診たひとですよね。吸血鬼に噛まれたかもって。その人が魔女っ?」
「申し訳ございません、リピチア様。あなた様を騙して診察をさせるなど……」
「あ、いえいえ! それは別に気にしません。魔女がどうとか私には本当にどうでも良いので! そうじゃなくて……」
しおらしく謝るトゥルーディアにリピチアは慌てて首を振った。
リピチアにとってはあの時に看た人間が何であっても本当に構わなかった。それよりも、何故あの人が魔女だと因縁をつけられて連れて行かれたのかの方が気になったのだ。リピチアが彼女を看たとき、彼女のどこにも【魔女のしるし】なんてものはなかったのだから。クルースニクが来て連れて行ったというには、雑なやり方であるような気もする。
「首は特に念入りに診ましたし、手首も足首も。あの人の体には魔女の証と言えるようなものなんて何一つなかったはずですが……?」
「それでも連れて行かれたということは……魔女として彼女を……断罪する気なのだと……」
そこまで呟いて悲しげにうつむいてしまったトゥルーディアに「あ、もしかして」とリピチアは何かに気付いた顔をする。
ここ最近、変なことばかり起きると思っていたが、これなら説明がつくのではないか、などと、自分で納得してしまえるような仮説が頭に浮かんできたのだ。
「連れて行ったのは……メイラー家の……分家の人たちじゃないですか? クルースニクじゃなくて」
「えっ?」
「クルースニクもメイラー家の方も、銀色に青い瞳がデフォルトじゃないですか。だから、勘違いしたのかも。詳しくは彼が起きてからになるでしょうけど、彼は見た目だけでクルースニクだと判断したのでは?」
自分でも少し大それた話だと思うんですが、とリピチアは思ってもいないことを前置いて話した。
大それた話などではなく、彼らならやりかねないことをリピチアは知っている。ルティカルがメイラー家にしては異様なほど親しみやすいだけで、もともと彼らは同族同士でも争うようなところがあるのだ。
今よりもずっと前は、蹴落とし討ち取った同族の首を杭にさし、家の前に飾っていた、などという話も聞いたことがあるくらいだった。ここ百年くらいは大人しくしてるスよ、というのは昔をよく知るとある錬金術師の話である。
「最近、変な話ばっかり起こってて……森の中の小屋が燃えたり、オスカーさんが襲われたり。あなた方も聞いていますよね」
「ええ」
「あれ、全部メイラー家の人のやったことじゃないですか。……ということは、森にあった小屋はその、今日、ここから連れて行かれた女性の住んでいた小屋だったのでは? 私があの人を診た時期と一致しますし」
さらさらと状況を組み立てていったリピチアに、トゥルーディアは「この人の前ではめったな話をしないようにしよう」と決意する。まるで物語に出てくる探偵のように素晴らしい観察眼だった。それほどに聡明だからこそ、ソルセリルの弟子としてやっていけるのだろう。
「……私がまだ幼かったころ、森にメイラー家の女の子が捨てられたって話を聞いたことがあるんです。そのときは……。あまり……どうとも思いませんでした。現実味がなかったから。今の御時世、実際にそんなことをする人がいるとも思えなかったし。でも、今から思うと、メイラー家ならやりかねないですし……そもそも、その女の子って……」
リピチアがすべてを口にする前に、トゥルーディアは頷いた。そうですよね、とリピチアは何かを考えるように目を伏せる。
「メイラー卿の……ルティカル様の妹君でいらっしゃいます」
「……ですよねえ」
リピチアの中で合点がいく。ルティカルがどうして【メイラー家らしくない】のか、ずっと不思議に思っていた。彼がいわゆる普通の──【慕われる立派な貴族】なのは、どうしてなのかと。もちろん、先代のメイラー家当主が立派な人だったとは聞いている。それでも朱に交われば赤くなるものだ。立派な親から生まれた子供でも、ろくでもない大人のろくでもない慣習に染まれば『まともでいること』は難しい。すり込まれる常識とはそういうものだからだ。いくら間違ったことであっても、聡明さを持っていたとしても、抗いにくく、疑いにくいのだ。
ルティカルは妹を捨てられたことを全く許せなかったのだろうし、恨んでもいるだろう。だからその『ろくでもない大人たち』にならないように生きてきたのではないか。彼らとは違った世界でモノを見ようと、立派な人間であろうと心がけてきたのではないか。メイラー家らしくないルティカルやクルスのほうが『貴族らしい』のは皮肉なことだとリピチアは考える。
手当を終えた後のトゥルーディオの痛ましい顔をチラリと見て、リピチアは「私はもう戻ります」とトゥルーディアに声をかける。トゥルーディオはトゥルーディアに任せて大丈夫だという確信があった。
「やらなくちゃいけないことが出来ました。どうせここから裁判にもつれ込むでしょうから、誰も文句をつけられないように準備しておくことにします。あの人、魔女じゃありませんでしたから」
「リピチア様」
「普通に生きていて、何も悪いことをしていないのに、こんなに苦しい目に遭い続けなくちゃいけないんなら……。そんな世界は間違いだって私は思います。目の色が違ったからって森に捨てられて、家を焼かれて、挙げ句の果てに【魔女】? 弱いものいじめですよそんなの」
馬鹿みたい、とリピチアはあきれかえった声で呟く。
「誰にもどうにも出来ないもの、生まれ持った性質を【落ち度】として責め立てる権利なんて誰も持ち合わせてはいません」
絶対にそんなの認めてやりません、とリピチアはきっぱり口にした。
「本当にみっともないったら。私、こういうの大嫌いです。弱い人間相手なら何したっていいと思ってるんなら、私がぶん殴ります」
トゥルーディアたちの分まで怒るかのようにぷりぷりと腹を立てているリピチアは、去り際にトゥルーディアの顔をしっかりと見つめる。それからベッドで寝込んでいるトゥルーディオの方に視線を移し、またトゥルーディアに目を向けた。
「トゥルーディア、あなたはトゥルーディオの面倒をしっかり見ていて下さい。彼は大丈夫ですから。あなたがついている限りね」
「……ええ」
「それでは。……ああっと、帰る前に抱擁をさせてください! 親愛のね!」
トゥルーディアのことを親しげに抱きしめたリピチアにトゥルーディアは小さく笑った。「わたくしたちにこんなことをなさるのは、あなた様くらいですわね」と少し呆れたように。
自分たち【魔女の従者】にこんなふうに親しげに、親身に接してくる人間をトゥルーディアは今まで知らなかったのだ。そもそも、トゥルーディアは一介の使用人に過ぎず、リピチアは彼らとは違う立場にいるのに。それでもリピチアはトゥルーディオを殴った者に腹を立てるし、トゥルーディアには優しく抱擁してみせる。それがなぜなのか、トゥルーディアには理解しかねた。不快ではないが不思議なのだ。
「あなた様は、わたくしたちとは違う人間なのに」
ぽろりとこぼしたトゥルーディアのそれを、リピチアは「何言ってるんですかあ!」と笑い飛ばした。
「見てる世界とか、生まれたところが違うだけですよ! 私もあなたもおんなじもので出来ています。同じ肉で出来た同じ仕組みの生き物なんです。つまりね、私もあなたもおんなじ“人間”ってやつなんですねえ!」
だから、困っていたら助けたいし、危険なことをしようとしていたら止めるんですよ、とリピチアはまたトゥルーディアを抱きしめる。やさしくてあたたかい抱擁だった。どこか強張って遠慮がちなメイドをぎゅっと抱き寄せて、リピチアはその背をぽんぽんと叩く。安心して良い、と言うかのように。
「あなたの方から距離を取られるのは悲しいですよ、トゥルーディア。私はあなたのこと、友人だと思っていますからね」
「……リピチア様」
「大丈夫です。あなたたち二人が心を砕いて接したあの人のことは、これ以上酷い目になんて遭わせませんよ」
とびきり優しい笑い声でトゥルーディアの耳朶をくすぐり、リピチアは抱擁を解くと部屋を出ていく。深々と頭を下げてそれを見送ったトゥルーディアの背に、少しかすれた声がかけられた。トゥルーディオだ。寝たふりをしていたのか、話はすべて把握済みらしい。彼は、ほう、とひとつため息を落として、自分によく似た背中につぶやいた。
「あの人、……リピチアさまって、何でもお見通しなのかな」
「そうなのかもしれません」
どこか毒気を抜かれたようなトゥルーディアの声に、そうなっちゃうよなあ、とトゥルーディオは苦笑いする。ここにいると、【魔女の従僕】でいるのが難しくなってしまう。人から距離を取るための方法を忘れてしまう。捻くれたものの見方も、冷淡な口の聞き方も忘れてしまう。あまりにも柔らかい空気が二人を包み込むから。自分を守るために身に着けた一つ一つの棘が、ふにゃふにゃになってしまって役に立たなくなってしまうのだ。
参っちゃうよなあ、とトゥルーディオは内心で呟いた。おれたちから復讐心を奪ったら、一体何がのこるのかなあ、と。できれば何か、あたたかいものが残っていてほしいけれど。
「おれの仕返しをするつもりだったでしょう、トゥルーディア。しっかり釘刺されちゃって。ふふ」
「…………笑うと痛むのでは?」
「うん、凄く痛い……」
それでも笑いたい、と、トゥルーディオは頬に大きなガーゼを貼り付けたままで引きつった笑みを浮かべた。リピチアがさりげなく姉を止めたのをトゥルーディオは察していた。場合によってはトゥルーディオよりももっと苛烈な仕返しを企てることもあるトゥルーディアだ、リピチアが彼女を止めなかったら、どうなっていただろう。トゥルーディオとしてはそれを眺めるのはきっと愉しかったと思うのだが、それが良いことかと言われればきっと別で。
何もかもをめちゃくちゃにしたくなるのは、魔女や魔女に深く関わったものの宿命なのかもしれないが、それでも。
「──ちゃんと見てくれる人もいるんだね。嬉しいや」
「そうですね」
「ちゃんと見てくれる人にはさ、ひねくれてない自分を見せたいね、トゥルーディア」
「……そうですね。ええ。本当に」
トゥルーディアの言葉の後ろのほうが、少し涙混じりのものだったこと。トゥルーディオはそれを聞かなかったことにして、ふかふかのベッドに潜り込んで目を閉じた。




