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 ニックというクルースニクは、大抵において朗らかだ。クルースニクらしからぬ軟派さがあると眉をひそめる者たちもいるが、気さくで親しみやすい。


 そんなニックが明らかに腹を立てているのにオスカーはぞっとした。こんな風に怒っている師匠を見たことがなかったからだ。ここまで怒らせるようなことを誰がしたのか分からなかったが、一方で嫌な予感もしていた。大概そういう予感は当たるものだ。師匠がどうしてこうまで怒っているのか、その理由を知ったときにオスカーは思わず机を殴りつけてしまった。


 朝方、いきなり『システリア邸に集合』という連絡が来たのだ。何か話したいことがあるらしい。集められたのはルティカル、ソルセリル、オスカーであるところから、間違いなくニルチェニアに関しての話だろう。

 ニックが普段の陽気な様子であれば、オスカーは楽観的に「ニルチェニアのことをルティカルやソルセリルにつたえるのかもしれない」と考えていただろうが、システリア邸に集まるようにと伝えたニックの顔はかなり厳しいものだった。


 ニックはまず、ソルセリルとルティカルの二人の顔を見た。それから、ただ一言「申し訳ない」と告げて頭を下げる。ルティカルはなぜ謝られたのか分からなかったようだが、ソルセリルはそれに「いつですか」と応える。


「……彼女が魔女として裁判にかけられるのは」


 知っていたのか、という顔をしたニックに「このタイミングで君が謝るとしたらそういうことだと思いますから」と案外冷静に返す。とんとん、と長い指が机を軽く叩いた。


「少し前に君がすすめてきた火傷治しの軟膏については、効能も良かった。僕と君との取引も滞りなく済んでいる。どちらについても謝る必要はない。なら、それ以外のことだ。そして……最近の事柄から察するに、君が僕に対して謝罪をするなら……それしかありません」

「彼女って……まさか。叔父上……?」


 ある程度の冷静さを装っていたソルセリルとは対象的に、ルティカルの顔は青白く染まっていた。頑健という言葉が服を着て歩いているような男の顔色が、こんなに悪くなるのをオスカーは初めて見た。顔色の悪い甥の表情に顔をほんの少し歪ませて、ソルセリルは首肯する。


「君の妹であり、僕の姪のニルチェニアのことですよ、ルティカル。……君の想像通り」

「そんな……」


 魔女裁判だなんて、とルティカルは呟いて俯く。それから、がばりと顔を上げた。


「裁判にかけられるのなら、あの子は生きているんだな? 今、どこに……」

「裁判にかけられるのなら、あの子はクルースニク協会に連れて行かれたことでしょう。君、クルスの屋敷に匿っていましたね?」


 疑問形ではあるが断定的な口調でソルセリルはニックに問う。ニックはそれに頷いた。

 

「……今朝、無理に連れて行かれたと報告があった。トゥルーディオがひどく殴られたと」


 そうですか、とソルセリルは頷く。納得がいった、というような目つきだった。

 

「その件なら、彼を診たリピチアから連絡がありました。今となっては一般人の使用人でしかないトゥルーディオでも、殴られるのですね」


 行きますか。と席を立ったソルセリルにルティカルも頷く。そのまま立ち去ろうとした二人をニックが必死で押し留めた。

 腕を掴んだクルースニクの男に、ソルセリルは冷たい視線を投げかける。これまでにニックには向けたことのない眼差しだ。鋭い氷柱のような声で、ソルセリルはニックに呟いた。


「どうして止める」

「それじゃあ何もかもがめちゃくちゃになるからだ」


 ぐっ、とニックがソルセリルの腕を掴む手に力を込める。ソルセリルはそれをちらりと一瞥し、振り払った。すかさずニックがまた腕を掴み直す。煩わしそうに目を向けたソルセリルは、ニックの顔に眼差しを向け、それからため息を付いてそれをそのままにした。


「すでに滅茶苦茶でしょう。君も知っているように。これ以上何が起こると言うんです」

「頼む。……頼むよ、ソルセリル」

「君を信じ、この場に留まったとして。あの子の身の保証は……安全は? 誰がニルチェニアを守るんですか。魔女だと言いがかりをつけられた一人の女性が、クルースニクに囲まれて無事でいる保証はありますか。ないでしょう。魔女の従僕だったとはいえ、もう一般人に戻って随分大人しくしているトゥルーディオですらひどく殴られたのですから。それなら、魔女だと疑われている僕の姪は? あの子の無事は? 誰が保証できるのです? ……今、君にこんなことを言うのはフェアではないとわかっている上で口にしますがね。──僕はお前たちの傲慢さをよく知っているぞ」


 普段から温度を感じさせない声音で話す男の唇からは、凍てつくような低い声が漏れる。ニックの顔も歪んだ。友人であるソルセリルに、こんなふうに怒りを向けられたことなどなかったのだろう、とオスカーは察する。一方で、自分の伯父がここまで感情をあらわにして怒るところはオスカーも初めてみた。以前にソルセリルにニルチェニアのことであたってしまったこともあったが、彼は彼なりに姪のニルチェニアをずっと気にかけていたのだろう。あの日の八つ当たりをオスカーは内心で恥じた。


「──裁判が終わるまでは絶対に安全だ。俺達は……クルースニクは、手続きを蔑ろにしたりはしない。彼女が魔女とも人とも言えない現状だからこそ、【魔女だという疑い】がかけられているからこそ、彼女の身柄を裁判の日までは保証する」


 絶対に、と悲しげに続けるニックに「そうでしょうとも」とソルセリルは冷たく吐き捨てた。


「魔女だと確定したらその場で殺すのですからね。盛大に。見せしめに。自分たちが正義なのだと示すために。君たちもそうしなくては正当性を保てないのだから」


 ソルセリルはしばらくニックを睨み、それから「わかりました」とそっぽを向いた。


「もしあの子が魔女だと言われたら、そのときは……僕は君たち全員を相手取ってでもニルチェニアを守ります。世界を敵に回したって構うものか」


 贖罪なのだろうとオスカーは察した。幼かったニルチェニアを森に捨てることに、最後の最後で頷かなければならなくなってしまった男の、たった一つの罪滅ぼしなのだと。

 ニックの方はそれを静かに聞いて、それから掴んでいた二人の腕をそっと離した。


「それでいいですか」

「それで構わない。……ルティカルも頼む。裁判の日までは……どうか。ここでめちゃくちゃにしてしまったら、あの子はずっとクルースニクにつけ狙われる。クルースニクの目の前で身の潔白を示してしまったほうが安全なんだ。だから……」


 ニックの訴えにルティカルが青い瞳をするりと動かし、ひたりとニックに眼差しを据える。ソルセリルの視線は冷たく鋭いものだったが、ルティカルの視線は重々しく、威圧感があった。

 

「それができるならそれが一番良い。けれど、どうやってそれを成すと?」


 ルティカルの疑問はもっともだった。身の潔白とやらを示せるのなら、この場にいる誰もが早い段階でそれを示していただろう。それが出来ないからクルスの屋敷でひっそりと過ごさせていたんじゃないのか。そう口にしたルティカルは、当てつけるように「あの子が生きているなんてこちらは一度も知らせてもらえなかったのに」とちいさくつぶやく。


「生きているなら……あの子にしてやれた全部をしてやりたかった。今からだって、あの子に与えてあげられたものを全部。あんなに小さい子を森に捨てるなんて。俺は今でも納得していない。でも」


 それをやったのはあなたではない、とルティカルはニックを見た。威圧感のあった眼差しが緩む。

 だから、今はあなたの言うことを聞く、とルティカルはその場に留まった。


「何か手立てがあるから、あなたはそんな事を言うんだろう」


 何も手立てがなかったら、俺達を引き留めやしませんね、とルティカルは小さく笑った。信頼しています、と青い瞳でニックを見つめて。


「両親と懇意で、叔父上とも友人のあなただから俺は従う。あなたは沢山の修羅場も掻い潜ってきているし、俺よりも知恵が回るはず。妹をどうやったらクルースニクの元から助けられるのかも……クルースニクのあなただからこそ、何か案があるのでしょう」

「……助かるよ」


 お前に今ここで本気で抵抗されたら俺は敵わないからね、とニックは安心したように息をついた。それはそうだろうとオスカーもホッとする。ルティカルといえば頑健な見た目に違わず、おそらくはこの国の中でも一番の怪力の持ち主だ。いくらニックが歴戦のクルースニクだとしても本気を出されたら敵わないかもしれない。そのルティカルが従うとなれば、一応は安心だ。


「ただ、どうにもならない場合は俺も叔父上と同じ手段を取りますよ。妹を守るためなら、俺は何だってします」


 ニックはそれに頷いた。それに頷き返してルティカルは大人しく先程まで座っていた席に戻る。ソルセリルもそれに応じて席につくと、ニックの方をじっと見つめた。


「それでは、君の考えを話していただきましょうか」

 

 

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