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【出てくる人たち】
魔女……とある貴族の令嬢だったが、瞳の色に難癖をつけられて幼い頃に森に追放された。現在はクルスに保護されている。
ニック……凄腕のクルースニクであり商人の顔も持つ気さくなお兄さん。オスカーとクルスの師匠。ソルセリルの友人。
クルス……元クルースニク候補の青年。現在は【灯】という組織の長。師匠はニック。
トゥルーディア……クルスの元で働くメイド。元は【魔女の従僕】だった。トゥルーディオとは双子。
トゥルーディオ……クルスの元で働く使用人。元は【魔女の従僕】だった。トゥルーディアとは双子。
大量の火傷薬の製作は最近の日課になりつつあった。やりがいも量もあるそれを終え、小屋にこもっていた使用人たちが雑談を交わしつつ去っていく。
それを見届けながら、トゥルーディアとトゥルーディオは魔女と並んで作業場の片付けをしていた。使った大鍋は洗って壁についたフックに引っ掛けて乾かす。使った材料は瓶に入れて棚に戻す。今日使わなかった瓶は残りの数を数え、ラベルとともにしまっておく。
片付けをしながらも心なしかそわそわとしている魔女に「何かあってもおれたちがついてますから」とトゥルーディオは笑って励ました。今日はこれから、この小屋で【契約】を結ぶのだ。
魔女の作る薬をニックが購入する、という決め事を正式にとりおこなう。魔女が以前から取引している薬屋の老婆とは正式に契約書などを交わしたことはないらしく、そのこともあって魔女はそわそわとしているらしい。何も怖いことはございませんよとトゥルーディアもくすくすと笑っていた。
「あなた様に不利益のないよう、ニック様も取り計らって下さいますから。万一、不都合な契約になりそうでしたらわたくしたちが全力でお止めしますし。わたくしたち、これでも前にお世話になっていた『魔女』に色々と教えてもらっておりましたので」
「お嬢さまがするべきは、どんな内容の約束事をニックさまとするか、をきちんと把握することです。もちろん、契約書などはその場で渡されますから、あとで見返すこともできますが。何か聞きたいことがあれば、その場でおれや姉さまに聞いてくれれば大丈夫ですからね」
二人の言うことに大真面目にウンウンと頷き、魔女は落ち着かなさそうに席へとつく。小さく笑ったトゥルーディアが湯を沸かし茶の準備をし始めたところで、小屋の扉を叩く音が聞こえた。
「入ってもいいかな。ニックだ」
「どうぞ」
扉を引いてトゥルーディオが招き入れれば、「こんばんは」と星のきらめくような笑みとともにニックが入ってくる。頭を下げたトゥルーディアとトゥルーディオににこりと笑って、「わざわざすまないな」とトゥルーディオの引いた椅子に腰掛けた。トゥルーディアが運んできた茶を口に含んで唇を湿らせて、「元気にしていたかい」と魔女に優しい眼差しを向ける。魔女はほんの少し体をすくませたが、恐怖からくるものではないことを読み取って、ニックは人知れず安堵した。
自分がクルースニクであることは変えられないが、魔女を怖がらせたいわけでもない。体がすくんだのは、おそらく緊張のせいだろう。契約ごとに不慣れなのはどう見ても明らかだ。だからこそ、抜け目ない双子が目を光らせて両脇を固めているわけで。もちろん、ニックに魔女を搾取してやろうなどという気はないし、双子もそれはわかっているだろう。
「久しぶり。具合はどうかな? なにか困ったことはあるかい」
首を振った魔女に「それはなにより」と満足そうに頷いて、それから少し表情をかげらせる。そっとトゥルーディアを見たニックに、優秀なメイドはうなずき返した。お嬢様はまだお話できません、と。
「そうか、……そうか。本当に、申し訳ない」
椅子から立って頭を下げたニックに魔女は慌てて首を振り、何事かを口にしかけ、けれどきゅっと唇を閉じる。クルースニクたちのせいで言葉を失ったことは、変えようのない事実だ。何度ニックが謝ろうとすぐにはその声が戻ってこないのも。
けれどニックが悪いわけじゃない。それを伝えたくともままならず、魔女は助けを求めるようにそばに控えていたトゥルーディアを見上げた。何かを話そうとしたら泣いてしまう気がしたからだ。辛いことには変わりないが、ニックに当たりたいわけでも、ニックを困らせたいわけでもない。
トゥルーディアは「あなた様のせいではない、とお嬢様はおっしゃっています」と穏やかに口にする。それから、「今日、お嬢さまは契約というものに大変緊張していらっしゃいます」とトゥルーディオがおどけたように続けた。
「いきなり謝罪から始まったらビックリしちゃいますよ。さ、和やかに契約締結といきましょう」
「トゥルーディオ……お前、本当に自由だな」
「今日はお嬢さまに契約の手ほどきをするのも兼ねているんでしょう? 先生役の人がそんなに深刻そうな顔してたら、聞きたいことも聞けなくなっちゃいますって。自由なおれと違って、お嬢さまは思慮深い人なんですから。遠慮しちゃう」
「まあ……。一理あるか……?」
納得しかけたニックを追い込むように、「こういうのはおやつでも食べながらゆるくやるのがいいんですよ」とトゥルーディオはウインクをひとつ。目ざといな、と笑ってニックは手に持っていた鞄から可愛らしい箱を取り出した。
「……と、いうわけで。今日はお菓子付きでゆっくりやろう。甘いものでも食べながらやれば、少しは君と打ち解けられるかなと思って持ってきたんだ」
ぱちぱちと目を瞬く魔女に「ま、優秀な作り手へのちょっとした賄賂さ」とニックは軽やかに冗句を口にして、箱の蓋を開けた。中には星の形をした菓子がいくつも並んでいる。
「りんごと砂糖と卵白でできてるんだ。面白いよな。りんご味のクッキーだと思ってくれればいいよ」
箱の中の可愛らしい菓子と、それからニックとの顔を交互に見て、魔女はそうっと手を伸ばした。細い指で柔らかな色合いの菓子をつまみ、口に含む。ぱっと顔が明るくなったのにニックが「気に入ったかな」と笑った。
「これで少しは緊張がほぐれるといいんだが」
初めてのことって何も分からなくて尻込みするからなあ、とニックは呟きながら、鞄の中から丸めた羊皮紙を二枚とインク瓶、それからガラス製のペンを取り出す。三人が見ている中、ニックは羊皮紙を読みやすいように魔女に向かって広げ、「読めるかい」と青い目を向けた。
「そこの二人から君は筆談ができると聞いているし、読み書きは問題ないと思っているんだが、一応ね」
ここにはこれから君と俺との間で交わす『約束』を書き記してある、とニックは文字の書かれた部分を指でたどり、とんとんと叩く。契約内容ってやつさ、ともう一度視線をあわせてきたニックに魔女はうなずいた。読めます、と唇が動く。
「それは何より。よく勉強をしてきた証だな。そういう知識は君の武器になるぞ」
良いことだ、と口元に優しさを忍ばせて、ニックは魔女に「内容としては三点」と一つ一つ指し示していく。
「まずは『君がいくらで俺に薬を売るのか』。これが一番大きなところだな。君はできるだけ俺に高く売らなくちゃいけないし、俺は君からできるだけ安く買わなきゃいけない。お互いに利益を出さなくちゃいけないからね」
薬を作る手間と、薬を作るのに使った材料分のお金、それから薬を詰めた瓶の費用なんかを加味して金額を決めるんだ、とニックはトゥルーディアに目を向ける。ひとつ頷いてトゥルーディアが紙を数枚ニックへ差しだした。昼間に俺とお嬢さんとで見たやつですよ、とトゥルーディオが魔女に説明をする。
「材料費とか瓶の代金とか、そういうのをまとめた内容です」
トゥルーディオの補足に魔女も頷く。確かに昼間の休憩中に見たものだ。トゥルーディアがまとめていてくれたそれは、一人で薬を作っていたときには考えられないほどの金額になっていて、少々腰が引けてしまったのを覚えている。森に棲んでいたとき、薬草は生えているものをとってきたりしていたが、今では定期的にクルスが薬草を手配してくれていた。安定した量を買い付けるとなるとなかなか値が張る物だと驚いてしまったが、量も量だから仕方がないのだろう。
「で、こういうときに俺たち商人は『多く買うから安くしてくれ』って交渉をする。たくさん買ってもらえれば君のもとにたくさんのお金が転がり込むわけだし、何より売れ残りの心配が減る。使用期限のないものなら……そうだな、指輪とかお皿とかは壊れたり汚れたりしない限り、いつだって売れるだろ。でも薬には使用期限がある。使用期限切れの薬は売れないから、そうなったら捨てるしかない。捨てるとなるとそこにかかった材料費なんかがまるごと無駄になるから、君の損になる。だから売れ残りが出ないように『多く買うから安くしてくれ』と交渉できるってわけだ」
ただ、とニックは少し悪い顔をして魔女に笑いかける。
「あんまり安く売ると、それはそれで君の利益が減る。せっかく作った物を安く買いたたかれたら損だろ。苦労に見合った対価をもらわなくちゃな。そのために君は『この商品を高く売る理由』をこっちに伝えて、値下げされないようにしなきゃいけない。金額の交渉っていうのは、お互いの『この範囲なら売っても良い、買ってもいい』っていう落とし所を見つけることなんだ」
今回は俺が決めてしまったけれど、とニックは申し訳なさそうな顔をした。俺の取引先がものすごい数を注文してきたからさ、と渋い顔をして、「早いとこ決めておかなくちゃいけなかったんだ」とトゥルーディオに目を向ける。トゥルーディオはにっこりと笑って「先におれと姉さまで確認しましたけど、適正価格でしたね」と契約書に書き記された金額の部分を指し示した。
「魔女の作った薬ってなると、商品の種類にもよるけど、大体は原価の四倍から七倍がいいところって感じかな。今回はひとつめの契約では二倍、ふたつめの契約では八倍に設定してる。だから契約書も二枚」
本当はもう少し利益を出してやりたいところなんだが、とニックは難しい顔で腕を組んだ。
「それをやると、限られた人間にしか薬が買えなくなるだろ。ひとつめの契約でいうなら、俺は『原価を二倍にした価格』にさらに金額をかけて売らなくちゃいけないわけだ。そうなると、普通の人が買うときには、買えないわけでは無いにしろ、それなりの値段になる。金持ち相手の商売ならそれでもいいんだが、君は儲けたいわけじゃないと聞いているし……」
頷いた魔女に「高く買ってくれそうな客に売る分には高値をつけておいたけどさ」とニックはしれっと口にした。
一般人向けの、『サイズが小さな火傷薬』には良心的な値段をつけた一方で、『ニックのお得意様』へ販売する分には原価の八倍の金額をニックが打診したのだ。
相場ではおおよそ原価の四倍が最低の卸値であることが多い。それを踏まえたうえで、片方の契約では原価の二倍で卸値を設定する代わりに、こちらの八倍で売る方で不足分を相殺してくれ、ということらしい。トゥルーディアは二枚の契約書を見比べたときに「まあ」と口にしたが、無理もなかった。少量を卸す方は原価の二倍、大量に卸す方は八倍だったのだから。
全体の量を鑑みれば、相殺どころの話ではない。かなり【魔女】側に利の出る契約だ。
少々甘すぎるのではないか、最初の契約がこんなにも良心的でいいのかと使用人の双子は思わなくもなかったが、『ニックのお得意先』にすぐに思い至って笑顔になった。
満月の夜に怪物たちと戦うような者たちなら、薬がいくら高かろうと文句も言えまい。効能が良いのならそれを使うしかないからだ。多めに金額を支払ってすぐに体の不調が治るなら、その方が断然良いと考えるのがクルースニクだ。
「高く買ってくれそうな客」はソルセリル様でしょうねとトゥルーディアは納得してしまった。公爵家の彼なら金額が高かろうとそれに見合うだけの効能があるなら意に介さないだろうし、クルースニクの治療にもよくあたる。火傷をしょっちゅうする貴族がいるとは思えないが、大量の火傷薬を高値で買い取る貴族がいるのだとしたら彼しかいない。
くわえて、彼は篤志家だ。非常に冷徹だと言われる一方で、貴族としての役目を蔑ろにしたことはない。『持てる者の義務』として、弱いものへの援助は惜しまない。酷い目にあった若い娘が作った薬であれば、彼は買うことを躊躇わないだろう。効能がしっかりしているならなおさらだ。
貴族なのに医者をしている変わり者には間違いないが、それですら裕福な貴族からある程度の額をもらって治療し、得た報酬は慈善活動にあてているというのだから福祉への姿勢は筋金入りと言えよう。国一番の冷血漢と言われているものの、国一番の篤志家でもあるのだ。
ニックとソルセリルは性格こそ正反対と言えそうなものなのに、それでも古い付き合いがあるのだという。トゥルーディアもトゥルーディオもそれを不思議に思っていたが、「裕福な者からは多く取り、そうでない者へ還元する」姿勢は確かに彼ら共通のものだ。表面的には噛み合わなくとも、根本的には噛み合っているのだ。
「薬の値段については問題ないかな。なければ次に行くぞ」
ニックの問いに魔女はしっかり頷く。よし、とうなずいてニックは次の項目を指した。