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【出てくる人たち】
魔女……とある貴族の令嬢だったが、瞳の色に難癖をつけられて幼い頃に森に追放されている。森に住んでいたが、家を燃やされてしまいクルスに保護された。
クルス……元クルースニク候補。現在は【灯】という組織の長。クルースニクとしての師匠はニック。現在は『魔女』を屋敷で保護している。
トゥルーディア……クルスの元で働くメイド。元は【魔女の従僕】だった。トゥルーディオとは双子。
トゥルーディオ……クルスの元で働く使用人。元は【魔女の従僕】だった。トゥルーディアとは双子。
随分忙しくなってしまったなあとトゥルーディオは変わり果てた姿の小屋の中を見回す。
壁際に新たに設置された棚にはとんでもない量の薬の材料が積み上げられていたし、窓の近くにふたつ並んだ大釜のすぐ側には、瓶が目一杯に詰まった箱がいくつも重ねられていた。
小屋の真ん中には大きな卓を置き、そこでは数人が魔女の作った火傷直しの軟膏をせっせと瓶に詰めている。
数日前まではトゥルーディオかトゥルーディアのどちらかひとりと、魔女との二人だけの作業だった。だが、それがほんの数日で様変わりしてしまった。
ニックが町に薬を卸したとたん、なんだか知らないがニックを介してありとあらゆる場所から注文が舞い込んできてしまったのだ。
とてもじゃないがたった二人で捌ききれる量でもなく、急遽屋敷の使用人の数人をこちらへ回して、薬の製造をさせることになってしまったというわけである。製造といっても薬の調合が出来るのは魔女だけだから、魔女には薬の調合にだけ専念してもらい、他のもので瓶詰め作業をやってもらうことにした。
瓶に軟膏を詰める作業だけなら、と休憩時間にお喋りついでに薬を詰めていくものも少なくなかった。世話を焼きたがる者が少なからずいる職場だ、誰かが忙しそうにしていれば「じゃあ行くよ」と気軽に手伝いに訪れる者が多かったのはありがたい誤算だった。
とはいえ、一人に作れる薬の量は決まっている。魔女自身にだって休息は必要だ。頑張りたがる魔女を説き伏せて、トゥルーディオとトゥルーディアは「良い仕事は良い休息から」と、薬の制作時間をきっちりと定めた。
頑張りすぎは体を壊すし、とてもじゃないがそれ以上の『増産』は長い目で見ても良いことにはならなさそうだったからだ。
「お嬢さまが張り切ってるから別にいいんだけどさ……」
大鍋の前には魔女と、それからトゥルーディアが立っている。最初はトゥルーディオも軟膏を作る手伝いをするはずだったが、どうしてもあの独特な匂いが目に染みてしまって無理だったのだ。換気しやすいよう、わざわざ窓側に大鍋を移動させたというのに、それでも目に染みた。大鍋の前に立つたびに涙をボロボロにこぼすトゥルーディオに『無理はしないで』と魔女が止め、トゥルーディアが「お嬢様の仰る通りです」とトゥルーディオの代わりをかって出た。
体質的なものだから仕方ないんじゃありませんかとトゥルーディアは慰めを口にしたが、自分と同じ双子だというのに、彼女には全く影響がないらしかったのがトゥルーディオには悔しい。トゥルーディオも魔女のためにできることなら何だってしたい気持ちだったから。あの匂いさえなければと思うが、悔しさから口には出さなかった。
魔女の方は『薬の増産のお願い』をクルス伝いにニックから聞くやいなや、役に立てると大張り切りで毎日大鍋をかき混ぜている。そういう健気なところが助けたくなるのだ。すっごいよなあ、と小さく呟きながら、トゥルーディオは机の真ん中に置かれた大鍋から小さなヘラで軟膏をすくい上げ、ぽてりと瓶に落とした。甘いライラックカラーのラベルが貼ってある瓶は、魔女の瞳と同じ菫色だ。
『ラウレンテの火傷薬』。なぜ薬に古い聖人の名をつけたのか、とトゥルーディオが聞いたとき、魔女は『火傷から守ってくれる人の名前だったからです』と教えてくれた。そんな人いたのか、と魔女の知識に感心するとともに、ある種の祈りなのだろうとも考えた。
本当は、いかなる職業の人間にも火傷なんてしてほしくないのだろう。あるいは、火傷から少しでも早く回復するように、という願いであったかもしれない。
健気すぎるなあとトゥルーディオは呻いてしまう。とたん、隣で同じように軟膏を詰めていた青年に「具合でも悪いのか?」と心配されてしまった。大丈夫、ちょっと感慨深くてさ、と誤魔化したトゥルーディオに、「まさかこんなに大きな話になるなんてなあ」と青年は嬉しそうに笑う。
「トゥルーディオはあの子とこれを作ってたんだって? こんなに売れるなら嬉しくてうめき声も出るってか。認められたんだもんなあ」
俺の家は鍛冶をやってるんだけど、と青年は話す。確かに彼の父親は鍛冶屋だったな、とトゥルーディオはうなずいた。彼は鍛冶屋の次男で、家業は兄が継ぐという。彼の家では主に金属器を取り扱っていて、この屋敷でも使用人が使う食器は彼の家から買い上げていたはずだ。今使っている大鍋も彼の家の商品である。
「鍛冶屋って火傷とお友達みたいなもんだろ? この薬がすごく効くって親父も兄貴も大喜びだったよ。ありがとうな」
「おれの功績じゃありませんよ。全部あのお嬢さまのお手柄です」
「だとしても、やっぱりありがたいよ。お前があの薬の売り込みをしたって聞いてるぞ。たまにくる、あの商人の人に」
「ああ、それは確かに」
自分の功績と言えなくもないな、とトゥルーディオは頷いた。少し経緯は異なるが、ニックに『ラウレンテの火傷薬』を託したのには違いない。久しぶりの納品だからと随分な量を託した魔女を見て、もしかしたら少し余るかも、などと考えていた頃が懐かしかった。今ならば見通しが甘いと自分を殴るところだ。結果的にニックは卸した量の何倍もの注文を引っ提げて帰ってきたのだから。
「親父だけじゃなくて、色んな人がありがたがってたよ。火傷ってのは時に洒落にならんしな。あのお嬢さん、旦那様の知り合いなんだろ? しっかりしてるよなあ。俺より年下の子が作ってるだなんて思えない」
「お嬢さまは苦労なさってきたようなので……。しっかりしているのはそのせいかもしれませんね」
「話せないんだっけか、本当になあ……。苦労してきてるよ。いや、本当にさ、手伝いくらいならいつだってやるから、声かけてくれよ。あんなに華奢な子が頑張ってるのを見たら、俺だって頑張んなくちゃな!」
人の良い青年にトゥルーディオはにっこりと笑って礼を述べる。ふと、顔を上げれば大鍋をかき混ぜているトゥルーディアと目があった。お互いにしかわからないように目配せしあって、それからまたお互いの作業へと戻る。
魔女の薬づくりを他人に手伝わせるのは、ある程度のリスクを覚悟しなくてはならなかった。魔女が魔女だと周囲に知れることのリスクだ。
だが、それを天秤に乗せてでもするべきだ、と、クルスを説得したのが他でもないニックだった。クルスは魔女の身の安全を考えて随分渋っていたが、最終的には折れた。
ニックの頭の中には何かしらの計画があるようで、その計画には『一般の人間に魔女の人となりを知っていてもらう』必要があるらしい。
『魔女』といってもすぐに思いつくようなおどろおどろしいものではなく、ただ普通の人間である、なんなら『善人』である、ということを知ってもらうのが必要なのだ、とニックはクルスに語った。
トゥルーディオもトゥルーディアもそれには賛成だった。魔女だと知らされて接するより、普通の人間として、『人となり』を知ってから魔女だと知られたほうが遥かにマシなのだ。愛着を持ってしまえば人はそう簡単に非情にはなれない。
──親しくしていたものが、それも『善い人間』だと思っていた人間が『魔女』だったら?
『善い人間』と思っていた者から被害を受けたなら「裏切られた」と憎悪を燃やすこともあろうが、そうでなかった場合、とくに、『善い人間だ』と思っていたものが「実は魔女なのだ」と知らされた場合、人はそれを真実だとは思わない。
そもそもが無害の場合は「この人は悪い人間じゃない」と感覚を修正していくものだ。自分の判断が間違っていたなどと、人は認めたがらないものだから。
情のあるものはその一点だけで切り捨てることはしない。できないのだ。
彼女が周りに自分のことを語る日が来るかどうかはわからないが、少なくともこの屋敷の人間は『魔女』という上辺だけの情報で彼女を値踏みはしないだろう。出来やしないだろう。今まで自分の目で見てきた彼女の本質をもとに、彼女の善良さを推し量るはずだ。そしてニックはそれを期待しているし、そうなることを確信しているのだろう。
薬の増産に関してもこれからのことに必要だというので、それならばやるしかあるまいとクルスも頷いた。
最初はどうなることかと不安だったが、屋敷の使用人たちも肝心の魔女も根が善良なのだ。トゥルーディオが心配していたようなことは何ひとつ起こっていない。であれば、トゥルーディオや、トゥルーディアのやることはひとつだけ。魔女の善良さをさり気なく、そして確実に伝えていくことだけだった。




