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【出てくる人たち】

ロベリア……ノージニッツィの妻。オスカーの友人。

オスカー……怪物退治専門の聖職者、『クルースニク』。ロベリアの友人。

ノージニッツィ……『クルースニク』に憧れる侯爵。ロベリアの夫。外ヅラが良い。


「こんにちは、ロベリア」

「こんにちは」


 ロベリアの住む屋敷の庭は、今日も美しい。徹底的に管理された庭は、オスカーには少し息苦しいが、ロベリアはもう慣れっこのようだ。

 ガーデンチェアに腰掛けたままのロベリアは、立ち上がらずに顔だけを向けてオスカーに挨拶をする。首の詰まった青いドレスはいつもとは違う雰囲気だ。何が違うのだろうとオスカーは考えて、気付く。いつもよりも念入りに肌の見える範囲が抑えられているのだ。ドレスの丈は長く、袖口はすぼまっているし、見ているだけでどこか息苦しい。


「座ったままでごめんなさい。先日、階段から足を踏み外してしまって」

「……大丈夫なの?」


 ロベリアの左頬にはガーゼがはりつけてあり、上半身を動かすのも億劫そうだ。ただの打ち身で特に問題はないのです、と笑う貴婦人の顔がどうも痛々しく、オスカーは「そう」と返すに留める。本当にそうなの、とは問えなかった。階段から落ちて受け身を取りそこねたとて、そんなところまで怪我をするものか? そう聞きたくとも本人が触れてほしくなさそうな話題に無理に触れるわけにもいくまい。


「見た目はこうして派手でしょう? ……家でしか過ごさないとはいえ、すこし憂鬱だわ」

「僕とおしゃべりしていないで、安静にしていたほうがいいんじゃない?」

「そんなに退屈なこと、すすめないでくださいな。鬱々として治りが悪くなってしまうかも」

「……そう言われるともう何も言えないなあ」


 いつものガーデンテーブルにはオスカーとロベリアの二人分の茶と茶菓子が乗っている。それにはふたりとも手をつけず、ただ黙って花の咲く庭を見つめた。

 バッカスの花がその白い花びらを風に揺らし、甘い香りをまとって吹き抜けていく。ロベリアはオスカーと顔を合わせることもせず、「何かおっしゃりたいのでしょ?」といつものように無邪気な声で問う。いっそ不気味なほどいつも通りだった。オスカーが何を言いに来たのか、彼女は知っているのだろう。だからこそ平然としていたのかもしれない。


「そうでなくては、こんな時にわたくしに会いにはいらっしゃらないでしょうから」

「僕が何をしに来たか、君にはわかっているんだね」


 念を押すように問うオスカーに、ロベリアは微笑んだ。


「ご想像のとおりです。あなたが指輪の持ち主を探しに行くと聞いたときから、ええ、ずっと。……人を使ってあなたを殺しかけたのも、わたくし」


 オスカーはロベリアの顔を見つめる。視線は返ってこなかった。目を合わせる気もないのだと諦めて、口を開く。


「本当に君なの、ロベリア」

「本当にわたくしよ」


 その可能性にたどり着いて、納得がいったからここへ来たんでしょう、とロベリアは笑った。悪びれる様子はない。

 オスカーは困惑した。自分に外の話をねだるロベリアの無邪気さは嘘をついているようには見えなかったし、友人としてオスカーを扱うロベリアには悪意を感じたこともない。

 それなのに何故。


「……僕のことは嫌いだった?」

「いいえ。お友達として、だいすきよ。そうでなければこんなふうにお茶なんてしないわ」


 そこに偽りはないのだろう。とんでもないとばかりにロベリアは首をふる。その無垢さに、純真さに、オスカーはますます困惑した。

 

「じゃあ、どうして?」

「答えません。あなた様も嘘をついていらしたでしょ? 森では魔女に遭っていない、なんて。だからわたくしも話さない。クルースニクが嘘なんてついてよろしいの?」


 答えないわ、とロベリアは笑う。無邪気に可愛らしく、オスカーの方を向いて。


 甘く香るバッカスの花の中、柔らかく暖かい日差しの中、笑うロベリアは白昼夢のようだった。楽しげにクスクスと笑って。

 悪びれていないというよりは、とオスカーは考えを改めた。後悔をしていない顔なのだと。いや、むしろ。

 何かをやり遂げたあとのような顔だ、とオスカーは直感する。でも、何を?


「あなた様がいらしたということは、おおよそもう“掴めて”いるのでしょう? そうでなければ……あなたは“友人”のわたくしにこんな話はなさらないわ。優しい方ですもの。ええ、とても優しい方」

「ロベリア、君は」

「“魔女”はこの世から消さなくては。そういうものなのでしょう? 一人残らず消さなくては。でなければわたくしは……とても耐えられない。どうしてあの子だけ? わたくしのお姉様は? 納得がいかないの、許せないの。心と体がばらばらになって、そのうち裂けてしまいそう。そんな気持ちでいるのはもう、嫌なの」

「ロベリア」


 興奮したようにまくし立てる淑女に、ロベリア、とオスカーはもう一度名を呼んだ。椅子から立ち上がり、ロベリアの腕を取る。袖をめくり上げれば細い腕は手首まで包帯でぐるりと巻かれていて、ロベリアは恐れるようにオスカーの目を見つめていた。

 包帯を冷えた瞳で眺めて、オスカーはゆっくりと口を開いた。


「ロベリア。君は本当に階段から落ちたの? ……君の、……その……ノージニッツィが、これをしたんじゃ……? 余計なお世話かもしれないけど、もし、ひどいことをされているなら……」

「あのひとは関係ないわ」

「本当に……?」


 頬に貼られたガーゼに触れれば、ロベリアの微笑みは凍りつく。詰め襟の下からもほんの少し包帯が見えていた。そうよ、と応えた声は震えている。そう、とオスカーはため息とともに返し、ロベリア、ともう一度つぶやいた。大丈夫なの、と繰り返したオスカーにロベリアは目をそらす。


「オスカー様。わたくしにはもう構わないでください。もう、わたくしのことは気に留めないで。会いに来ないで。あなたがわたくしを、友人と思っているのなら」

「ロベリア……。わかった。僕にできるのはそれだけ?」

「……ええ。それだけ。それだけなのです。だからそうして。そうしてくださいまし」


 他人行儀な言葉のあとに、もうどうにもなりはしないのよ、とロベリアは呻いた。呪いのような言葉にオスカーはちらりと目を向けて、魔女のように呪詛を紡いだ友人にひとつ言葉を投げた。


「僕は君のこと、友人として大好きだよ」



***



 魔女が動物を連れ歩くクセがあるというのを、ノージニッツィは子供のときに母から教えてもらった。黒猫、狼に狐。足が四本の獣を従えて、彼女らは災厄を撒き散らす。

 ヒトもまた動物と助け合って生きているとノージニッツィは知っていたが、母から教えてもらったこの“見分け方”をノージニッツィは心の奥底にいつでも取り出せるようにしまっておいた。


 腰の曲がった老婆が猫を連れているのを見て、少年期のノージニッツィはその猫をこっそりさらって川に沈めたこともある。

 老婆が本物の魔女ならば、誰がやったかはすぐに分かるだろう。魔法を使えばそれがノージニッツィの仕業だとすぐ知れるはずだ。

 そうして使い魔の報復に来たならそれは魔女であるし、報復に来られてもノージニッツィは怖くない。なぜなら、ノージニッツィの母はクルースニクだからだ。


 愛するノージニッツィに魔女が報復に来たというのなら、きっと母はこてんぱんにしてくれる。この世から悪い魔女がいなくなるなら猫一匹の命なんて安いもの。


 結局老婆は報復には来ずに、いなくなった愛猫を探し続けていた。魔女ではなかったのだとノージニッツィは納得して、安堵した。

 そうしてノージニッツィは隠れた魔女を見つけるべく日々市井に目を光らせるのだった。少年から青年になっても、それは変わらずに。


 ノージニッツィが本物の魔女に出会ったのはあの、魔女が棲むという森のすぐ近くの街でのことだった。


 青年となった頃のノージニッツィは、自分がまだクルースニクになれないことへ焦りを抱いていた。クルースニクは自分の意志で炎や狼などに姿を変えることができる。ノージニッツィの母もそうだった。なのに自分はまだそれが出来ない。ノージニッツィが青年となる前にクルースニクの母は怪物との戦いで命を落としてしまい、ノージニッツィは余計に焦っていた。母が生きていてくれたら自分に何が足りないのか教えてくれたかもしれないのに。


 クルースニクにしては珍しく、母は侯爵家の男に見初められて結婚というものをした。侯爵家の男とクルースニクの女の間に生まれたのがノージニッツィであり、ノージニッツィはゆくゆくは侯爵家を継ぐ、という話になっていた。


 母がいた頃は「この子がクルースニクの血に目覚めたのならば」、とクルースニクとなる道を示してくれてはいたものの、その母が亡くなってからは、ノージニッツィが普通の貴族の青年となるのは避けては通れない道となってしまったようだった。


 ノージニッツィは貴族として生きるより、クルースニクとして生きたかった。怪物を殺し、正義として生きるのだ。それはきっと貴族として生きるよりずっとすっきりとして、自分に合っているはずだと信じて疑っていなかった。


 それでもノージニッツィはクルースニクの血には目覚めなかった。父は気にするなと言うし、生前の母も気にしていなかった。危険なことにわざわざ首を突っ込む必要はないと話して、ノージニッツィの頭を撫でるくらいの母だった。だから、このまま普通の貴族の青年になったとしても、誰もノージニッツィを責めはしなかったろう。それが余計に惨めだった。


 魔女が棲むという森が近くにあるくせに、魔女らしいものは一切見当たらない街の中で、ノージニッツィは“彼女”を見つけた。フード付きのマントに薬草の入ったかご。身なりは小綺麗なのに艶のない髪。美しい女であったが髪は白に近い銀。薬屋の店主と楽しげに話す姿は普通の女であったけれど、彼女が纏う紺のマントについていたのは猫のものでも、小動物のものでもない生き物の毛だ。ノージニッツィの直感が“こいつは魔女だ”と囁いた。


 女のあとをこっそりつければ、森に少し入ったところで女は何かを呼んだ。茂みの中で息を殺して見守っていれば、そこに現れたのは雪のように真っ白な鹿だ。鹿はよく慣れたように女へ体を擦り寄せ、女もまた鹿を優しく撫でている。


 ああ、まさしく。


 こいつは魔女だ、とノージニッツィは興奮で跳ね回る心臓を宥めるのに随分苦労した。この鼓動があの魔女にも聞かれているのではないかと危惧したが、魔女はノージニッツィには気付かず、鹿の背中に荷物をくくりつけて森の奥深くへと戻っていった。


 その日の夜、ノージニッツィは自分で育てていたバッカスの花をありったけ摘んだ。

 花を育てるのは嫌いでも好きでもなかったが、吸血鬼よけに使えるからと庭にはバッカスの花を植えていたのだ。


 花からは蜜を採取し、花びらは瑞々しいままであるように保存して。

 本物の魔女を一人でも手にかければ、きっと自分はクルースニクの血に目覚めるだろうとノージニッツィは興奮でワクワクとした。やっと自分もクルースニクになれるのだ。心の赴くまま、あの憎たらしい怪物共に刃を突き立てられる。刃を突き立てることを許される立場になる。


 ノージニッツィはそれからしばらく、あの“魔女”の姿を街で探した。ポケットには、鹿の好む葉とバッカスの蜜と花びらとを混ぜ、練り上げた甘い毒のペレットを忍ばせて。


 小動物程度ならさらって川に沈めることもできようが、鹿にはそれは難しい。ならば毒を盛るのが良いだろうとノージニッツィは考えたのだ。魔女ごと葬りされるような毒を。


 時間ができるたびに街をふらついて、そうしてノージニッツィはある日あの“魔女”を見つけた。ぶつかったふりをして彼女の薬草かごに甘い毒のペレットを忍ばせて、彼女が森に帰るのをこっそりと尾行する。

 少し前に見かけたときのように彼女は森に入ってから鹿を呼び、鹿は甘い匂いを嗅ぎつけて彼女の薬草かごに頭を突っ込む。それを見届けてからノージニッツィはその場をゆっくり、そうっと立ち去った。


 興奮した鹿の近くにいようものなら、蹴り潰されて殺されるのがオチだからだ。


 ノージニッツィが十分に距離を取った頃、ノージニッツィの耳には絹を引き裂くような女の叫びが突き刺さる。ざまあみろと一人で笑い、ノージニッツィは達成感でいっぱいになりながら帰路につき、その途中泣き叫んで逃げていく小さな少女とすれ違った。


 ──おねえちゃんが、おねえちゃんが。


 獣に噛まれたようなあとが腰辺りに残っていたが、軽いものだったのだろうか。泣きじゃくりながら道を走るその少女の姿を覚え、ノージニッツィは口にする。少女が誰を姉と呼んだのか、ノージニッツィにはわかっていた。


「お前の瞳が紫に染まることがあったなら」


 ──その時は私がお前を殺してやるからね。


 怯えた青い瞳で見上げてくる少女を嗤い、その数年後にノージニッツィはロベリアという娘と結婚した。両親がなくなったあと、後ろ盾も婚約者もいない女となった、かつてのあの少女と。


 森で狼に噛まれ、“魔女に呪いをかけられて”半狂乱になっていたという娘は、美しく、虚ろに成長を遂げていたのだ。心から慕っていた姉は死に、それがロベリアに多大なる影響を与えたことは明白だった。どこか影のある娘は、美しくとも引き取り手がいない。天涯孤独となった彼女を皆が哀れんだ。けれど、哀れんでも手は差し伸べない。

 彼女に本当の姉がいたことなど、誰も知らない。真実を知るものは皆、口を噤み、自分の血筋に【魔女】がいたことなど悟らせない。


 思えばノージニッツィが手を下したあの魔女も、血の繋がった父母にはずいぶんと甘やかされていたようだ。紫色の目を持ちながら、成人近くまで生き延びたのだから。そこまで隠し通した親の意地は、愛というべきか愚かというべきか。

 ノージニッツィはそれを愚かだと断じた。害があろうがなかろうが、魔女であるならば殺すべきだ。生きていたってなんの意味もないものを、どうして生かしておく必要がある?


 魔女と同じ血筋であるならば、ロベリアもまた魔女となることもあるだろう。ノージニッツィがクルースニクの息子として産まれているのに、クルースニクとしてまだ目覚めていないのと同じように。

 ロベリアがもし魔女となったら、ノージニッツィは躊躇いなく殺すつもりだ。身内であっても忖度せず成すべきことをなす。それこそが高潔というものではないか? その高潔さを神が認めたならば、己もクルースニクと成ることができるはずだ。

 

 だからノージニッツィはロベリアを自分の管理下に置き、常に正しくあるように彼女にも強いた。自分の言う事を聞き、貞淑で従順な妻であることを強要した。ロベリアは時折反抗的な態度を見せることもあったが、そのときは折檻することで考えを改めさせた。泣き腫らし、悔しげな眼差しで睨みつけてきたとしても所詮は女。ノージニッツィには逆らいきれず、魔女の妹たるロベリアはノージニッツィに頭を垂れることになるのだ。

 

 数日前、ロベリアはノージニッツィに対して反抗的な態度を見せた。あの魔女はまだ生きているかも、などと口にした。殺せと命じたにも関わらず。ノージニッツィの神経を逆撫でるようなロベリアの薄笑いが不愉快で、ノージニッツィはロベリアに身の程を思い知らせてやった。平時とは異なり幾度叩いてもロベリアは涙を流すこともなく、ノージニッツィを睨みつけることもなかった。ただ超然とした態度で薄くほほえみ、その柔らかい唇に悪意と嘲りを滲ませていた。


 不気味だった。だからこそ加減を忘れた。気づいたときにはロベリアの顔は腫れ、首や腕には痣ができていた。普段から折檻するときには外から見えない場所にしてきたというのに。しまったと狼狽えたノージニッツィにどこか勝ち誇るような笑みを浮かべ、ロベリアは「気晴らしになりましたか」と吐き捨て、痛む体を引きずって自室へと戻っていったのだ。しばらくは肌を徹底的に隠すドレスを着せろ、とロベリアのメイドに命じ、翌日「お前は階段から落ちたんだ」とロベリアに言いつければ、彼女は「ええ」といつも通りの淑女の笑みを浮かべる。腫れて引きつったその顔にノージニッツィは舌打ちをして、訳の分からない女だと苛立った。殴られすぎて頭でもおかしくなったのか、と。


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