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ずいぶんと大荷物の男が上機嫌で歩いている。
どこかで見たような、けれど一度見たら忘れられないような。
見目麗しいその男は白っぽい服に身を包み、なにやら瓶を売っているようだった。行商人かな、と一人の青年が近寄って、男の売っていた瓶を手にとって目を丸くする。
「“火傷薬”! ラウレンテの火傷薬だ!」
青年が驚いた声をあげれば、あっという間に人が集まる。鍛冶屋、パン屋、火を扱う職人たちが集まるこの町では“火傷薬”は珍重されていた。そのなかでもこの“ラウレンテの火傷薬”はよく効くということで有名なのだ。町外れの小さな薬屋で買うことができたものだが、最近は仕入れがなかったらしい。いつも棚の一角を占めているはずの“火傷薬”はここ最近は眠気覚ましの軟膏に取って代わられていた。
「やっと入荷したのか! 最近は見かけなくて困ってたんだよ。他の火傷薬より効くんだよなあ」
「そうそう、このラベル。これがなくちゃね。……瓶が変わったけど、やっぱり中身に変わりはないのよね?」
日光によって品質が変わるのを防ぐための色つき硝子は菫のような紫色。前までは深緑だったり群青だったりと色がまちまちで、内容量の多さによって瓶の色を変えているらしかった。今回は大きさが一種類のみ、張られているラベルは以前と変わらずライラックのような淡い紫色のそれだ。印字してある文字も“ラウレンテの火傷薬”──と、以前のものと変わらない。
「ああ、もちろん。品質は変わっちゃいない。今回は皆さんをお待たせしているから──と、“製作者”と薬屋の店主のたっての希望でこうして俺が行商に来たのさ。入荷されるかわからない品を毎日覗きに行くのも大変だろう? 今日は入荷再開のお知らせってところかな」
「そういうことなのね。つまり……今日はあなたが売りに来てくれたけれど、今後はこれまで通り、薬屋さんに行けばこれが買えるってことなのかしら?」
宿屋の女将の問いかけに「その通り!」と行商の男が微笑む。
「なあ、どうして入荷が遅れていたんだい? 何かあったのかい」
鍛冶屋の男のおっとりとした疑問に「色々あってね」と行商人は苦く笑う。
「よく効く薬を作るとクルースニクに睨まれる──というやつさ」
ばつが悪そうな行商人に「ああ、なるほど」とその場にいた全員が納得した顔つきになる。
「いつか睨まれるんじゃないかとは思っていたが、まさか……」
“よく効く薬を作るとクルースニクに睨まれる”。
昔から言われていることで、つまりは“よく効く薬を作ると魔女だと疑われる”という意味だ。実際に睨まれることはまずないのだが、こればかりはクルースニクたちの“普段の行い”のせいだろう。いつか誰かが言い出したことは誰にも疑われずに広まってしまった。
厳格で融通が利かず、頭も固い──というクルースニクの印象が先行しているのだ。
実際のところ、クルースニクだって薬を使うなら効きの良いものが良いに決まっているし、毒ならまだしも治療薬の製作者にまで目を光らすような暇なクルースニクはいない。
“自業自得”とはいえ、こんな慣用句ですんなり納得されてしまうとなァ──と、行商の男はひっそり肩を落とした。人を守るために動いているのに、そういう意味ではクルースニクも全く救われていない。
「それで、薬の製作者は無事なのか?」
「問題ないよ。こうして薬を作れるくらいには無事さ」
「それは良かった。……変な話だが、あの薬を作っている人は、悪いことができるような人じゃないと思うからねえ」
鍛冶屋の男の言葉に周りの人間が次々にうなずく。へえ、と行商の男は目を丸くした。
「どうしてそんな風に思ったんだ?」
「うーん、うまくは言えないが……。職人としての勘かな。全くの畑違いでも、仕事へ向かう心持ちでその職人の心構えがわかったりするんだよ。あの薬の製作者は、何だかあったかい気がするんだ。使う人間に優しい感じがする」
「……そうかい。案外……“聖なる力”を持った人が作ってるのかもしれないな」
行商の男の言葉に今度は職人たちが首をかしげる。
「聖なる力?」
「あー、……こちらもうまくは言えないが、“聖なる力”を持っていると人の感情をものに込めたり、ものにこもった人の気持ちを取り出したり出来るんだと。お伽噺で聞かなかったかい? クルースニクがつかったり、聖人が使う“チェンジリングの見抜き方”さ」
「ああ、ボタンの話か」
「そうそう。薬に優しい感じを抱くって言うなら、優しい気持ちを込めて作ってくれているのかもしれないぜ」
「そういう人が作ってくれているのならありがたいな。見守って貰えているようじゃないか。伝えられるなら直接礼を言いたいくらいだね」
穏やかに笑う鍛冶屋の男に行商の男は「顔を合わせることがあったら伝えとくよ」とにっこり笑う。
火傷治しの薬は飛ぶように売れた。
行商の男は“製作者”からかなりの量を預かってきたために、少しの売れ残りは出るだろうと思っていたのだが──その予想はいい方向に裏切られた。昼前の、ひとが多く町を歩いている時間に出向いたせいもあろうが、昼飯時には預かってきた薬が全て売れてしまったのに行商人の男は驚きを隠せない。
「やっぱり質の良さって“わかる”んだよな」
薬が売りきれ空っぽになった鞄を見つめ、男はうんうんと頷く。商人として色々な町、国、人をみてきたが、やはり質のいいものは使うものの心をとらえて離さない。
普段は貴族相手に商売をすることが多い男にとって、貴族ではない者たちを相手に商売をするのはずいぶん久しぶりのことではあった。それでも身分が上だろうが下だろうが“良い”ものは誰にとっても“良い”のだろう。誠実につくられたものには誠実な客がつく。基本的なことだが一番大事なことだ。
「……じゃ、次いくか」
今ごろはあの従者と魔女の少女が大鍋をかき混ぜている頃だろうが、今回の売れ行きを見るに薬はもっと必要になるだろう。場合によっては俺も手伝った方がいいのかもな、と考えながら、行商人に扮したニックは町をあとにする。
***
「──で、僕のところに来たんですか」
「ちょうど必要だったろ、こういうの」
「確かにありがたいことですね。ちょうど“人工種石”の火種で火傷をする人も多いことですし」
それにしても急ではありませんか、とソルセリルはニックを見る。今日は友人ではなく“商人”としてシステリア邸にやってきたこのクルースニクは、「商売話」を“医者”としてのソルセリルに持ちかけてきたのだった。
「今まで君がこんな風にものを売りにきたことはなかったでしょう。それも火傷薬なんて。どんな風の吹き回しですか」
「普段ならもうちょっと段階を踏んでから来るだろうって?」
「ええ」
「良い薬が手に入ったんだ、有効に使ってくれそうな良い医者に見せるのは早い方がいいと思ってね。善は急げ、さ」
ソルセリルは公爵でありながら医者としても一流だ。診る患者は貴族やクルースニク、あるいは聖職者などの少し特殊な立場が多い。貴族のなかには“平民に触れられたくない”というような者もいて、ソルセリルはそこに目を付けて医者として活動していた。
腕のよさはともかくとして、それ相応の対価も要求するからと“親しみの持てない”医者だと思われがちだが、身体の不調そのものには真摯に向き合ってくれることをニックは知っている。
“それ相応の対価”も必要な分以外は子供の保護や教育の支援へと回すのだから、世間で言われるほど冷たい医者じゃないこともニックは知っている。
「クルースニクとしての活動資金も無限に湧き出るわけじゃないからな。稼げそうなネタがあったらそれで稼いでおかないと」
資金繰りが悪化してクルースニクを続けられません、なんて冗談みたいだろう、とニックは茶化したように笑って見せる。一方でソルセリルは表情を変えず、淡々と口にした。
「活動資金……寄付金なら潤沢なのではないですか。君たち、分類としては聖職者でしょう。僕ら公爵家は当然として、どのような規模であれ、貴族としては身分の低い男爵家からも寄付はあるはずでは」
満月の夜の平穏を守るクルースニクを支援するため、貴族と呼ばれる立場にある家からは寄付金を出すのが義務となっている。自分達の領民を怪物から守るためでもあるのだ。名ばかり貴族の多い男爵家からも寄付金が集められる。困るほど活動資金が少ないとは思えない、というソルセリルの指摘に「それはそうなんだけどさ」とニックは困ったように微笑した。
「今のうちは大丈夫だろうが、ゆくゆくはクルースニクも“自立”した方が良いんじゃないかと思ってるんだよ。一つのところに寄りかからないようにする。資金の出所が一つだけだと、どうしてもそっちに寄ってしまうだろ」
「寄ってしまう……つまり、資金を多く出す貴族寄りの組織になりかねない、と?」
「そう。貴族と癒着して貴族しか守らない……なんて組織になるのは避けたい。頭の固い連中ばかりだから、すぐにそうなるとは思わないけどな。頭が固いからこそ懐柔しやすいときもあるだろ。それに、頼る場所を分散させるのは悪くない考えだと思わないか。いつ何があるかわからないし。何かあったときのために一枚多く持ち札を増やしておこうという魂胆さ」
「そういうことですか」
頼る場所を一つにしておくとそこが潰されたときに大変だろうとニックは言う。その考えにはソルセリルも理解を示した。内政的には平穏無事と言えるこの国でも、いつ何があるかはわからない。例えばいつかの未来、【貴族】と呼べるような者たちがいなくなったとき。貴族だけに出資を求めていたなら、クルースニクも道連れに滅びかねない、とニックは考えているのだろう。
「平民も寄付しろ、という話ではないわけですしね。薬を買うだけで君たちの活動の助けになるというのなら、賛同するものも多いでしょう。体の不調も治せて、恐ろしい夜を遠ざけられる」
持ってこられた火傷薬の軟膏の瓶を手にとって、「リピチアがよく使っているものですね」とラベルを絹手袋に包まれた指先でなぞる。
──“ラウレンテの火傷薬”。
弟子のリピチアが手にしていたのはたしか深緑色の小瓶だったはずだ、とソルセリルは薬瓶のラベルをみる。淡い紫色のラベルは薬瓶に貼るには柔らかくて甘い色合いで、それが記憶に強く結び付いていた。端的にいうと、“珍しかった”のだ。
効能によって薬瓶のラベルの色が分けられるようになってから数年たったが、それは薬師が作る薬に限っての話だ。巷でいうところの“魔女”や“魔術師”、“錬金術師”──つまり、“非正規の薬師”が作成する薬はラベルの色を分けてはいなかった。そういった者たちが作る薬のラベルは各々自由にしているらしい。全く同じ効能であってもありあわせの瓶とラベルで作るから、一つずつラベルと瓶の色が違う、ということもあるようだ。
ソルセリルは以前にとある錬金術師の薬を仕入れたことがある。血液中の成分を調べるための薬と、採取した血液の劣化を遅らせる薬だ。粉末を溶いて使うもので、弟子のリピチアを通しての納品となった。リピチアの知り合いが優秀な錬金術師らしい。
その時は「適当な瓶に入れて適当にラベルを貼ったスから、同じロットでも見た目が全然違うけど、中身は全部一緒スよ」と作成者の錬金術師から伝言を受け取っていた。新しいものを開けるたびに瓶の見た目が全く異なるため、少々使いづらさはあったものの、確かに薬としては図抜けた性能を持っていた。特に“血液の劣化を遅らせる薬”は今ではなくてはならないものだ。吸血鬼に襲われた人間の検査に出向くときには必ず鞄に入れている。
これだけ役立つ薬なら特許を取ればよいのではないか、とリピチアを通して錬金術師に提案したこともあったが、「身分をはっきりさせねェと特許取らせてくれないからお断りス」とあっさり断られた。どうやら身元は隠しておきたいらしい。
「一人で作るのにも限界はあるし、薬がもっとほしいってことなら、製法は確立させてあるスよ。製造したいならご勝手にどうぞ」とリピチアに薬のレシピを託した錬金術師とはそれきりで、なるほど変わり者が多い職業だ、とソルセリルは妙な納得をしたのを思い出す。これほど役に立つ薬の調合書を何の躊躇いもなく無償で他人に開示するとは。変わり者としか言えなかった。ざっくりいってしまえば、クセが強いのだ。製作者も、制作物も。
「これは……。薬師が作ったものではないのですね」
「ああ。薬師が作ったものじゃないと使えないか?」
性能は“普通”、けれど比較的安定して作れ、流通ルートも確立した薬師の作った“正規品”と、性能は抜群だが生産の安定性には欠けたり、その他の副作用が強かったり、流通ルートも確立してはいない“非正規品”。どちらも薬としては認められているが、どれを使うかは医者による。入手のしやすさ、安定性をとって薬師の薬を好んで使うものもいれば、デメリットはあれ性能をとって魔女や錬金術師の薬を使うものもいる。
「そういうわけでは。ただ……。──そうですね、皮肉なものだなと」
「皮肉?」
「忌み嫌うくせに、その恩恵にはあやかろうとするのは」
“魔女”の存在を指しているのだろうな、とニックは察した。クルースニクを治療することもある立場上、ソルセリルがそういったことについて言及することはなかったが、自分の姪のことを思えばそうもいかないのだろう。
「普段は忌み嫌い、見下し、人扱いなどしないくせに、相手の有能さを見出だしたときだけ“人間”扱いをするのだなと──。……すみません。忘れてください。君にも、この薬の作成者にも失礼でした」
「……俺に関しては構わないよ。その通りだと思うしさ」
少数派であるってことはそういうことなんだよな、とニックは頷く。
“錬金術師”や“魔術師”が作ったとして流通する薬も、そんなものは表向きの方便で、そのうちの何割かは“魔女”が作ったものだ。皆それを知っているし、見なかったことに、「知らなかったこと」にしている。魔女が作った薬で救われているなどとは認めたくないのだ。
頼るくせに認めない、その歪んだ状態をソルセリルは指摘しているのだった。
クルースニクもそうだ。満月の夜には頼られても、人間扱いはしてもらえない。クルースニクとして生まれてしまっても、戦うのが嫌なクルースニクもいる。けれど“クルースニクであるのなら”、と戦うことを強要される。人間は戦わなくてもいいというのに。戦わずに一生を穏やかに過ごせる権利が、誰から与えられずともそこにあるのに。クルースニクにはそれがないのだ。ただ、クルースニクとして生まれてしまっただけで。
「……人と違うってことはさ。“普通”の人に混じれないってことはさ。……そういうことなんだよ」
人間は“同じ”であることで“仲間”を増やし、そうすることで困難に向かう生き物だから、とニックは笑う。職業としてではなく、種族としての【クルースニク】であるニックだからこそ語れる話だ。
「俺は“少数派”だから、これが正しい感覚かは分からないが。……“自分と違う”生き物って、多分恐いんだろうな。今まで自分が見てきたものを覆されるようで。自分にないものを見せつけられるのが、きっと不安を呼び起こすんだろ。だから排除して、疎外して、見慣れたものだけを自分の周りに置いておくんだよ、大半の人間は。自分の精神の安寧のために、安心のために。自分が生きてきた世界が壊れないように」
“未知”を怖がらずにいられる人間はそう多くないよ、とニックは小瓶をつつく。
「だから──“未知”に分類された方は、“少数派”は、自分の有能さを見せることで仲間に入れて貰うしかない。集団にとってどれだけ役に立つかを見せなくてはいけない。有能なら捨てられないし、排除されない。それが俺たちの正攻法」
「しかし、それでは……あまりにも」
「虚しいよ。結局、本当の意味での対等にはならない。【同じ仲間】として扱ってもらえないんだ。目障りな変わり者か、有能な道具か。そのどちらかしか許されない。……でもさ。でも……。分かってるよ、俺たちも。お前みたいに“未知”に恐怖を持たずに受け入れてくれる人間がいるってことは。だから信じたくなるんだろうし、そういう人間には惜しみ無く“有能”でありたい。誠実でありたいよ」
柔らかい表情を浮かべ、ニックは穏やかに目を細める。
ニックというクルースニクの本質はここにあるのだろう、とソルセリルは思う。軽薄そうな振る舞いなどは上辺だけだ。この柔らかな表情で、慈しむ眼差しで、どこまでも誠実であろうとする。報われなくてもきっとこの男は気にしないのだろう。飄々としておちゃらけた上辺に隠されるこの本質に、どれほどの人間が気付けるのだろう。
「それで、その“有能”さから……少しでも興味をもって貰って、“少数派”がどんなものなのか。自分たちとどこに共通点があるのか。どこが同じで、どこが違っているのか。共に暮らすにはどうしたらいいか。俺は知りたいし、知って貰いたいと思うよ。理解してもらいたいと思うよ。理解できれば怖くないだろ。どこかしらは自分とおんなじものだって、分かるからさ」
未知を既知にするのは楽しいもんだと思うんだけどさ、とニックは朗らかに笑う。
「何にせよ、余裕がないと出来ないことなんだよ」
余裕がある人間じゃないと“受け入れる”ことは出来ないだろ、とニックは静かに口許に弧を描いた。
「世の中から争いも、病も、心や身体を患わせるような何もかもが無くなればいいな。そうすれば隣人が何であったって、どうあったって、どうでも良いだろ。余裕があるってのは、そういうことなんじゃないかな」
「そんな世界へのアプローチの第一歩がこれ、ですか。……貴方は本当に、見る夢が大きい」
「ひと瓶の薬で世界が変わるなら儲けもんだ。……ということで、この薬はいかがかな?」
ふふ、とソルセリルは優しく笑って小瓶を一つ手に取った。
友人の語る夢はいつだって大きいが、それを可能にしてしまえそうだと思ってしまう。ソルセリルにとって夢は見るものだ。けれどニックにとって夢は叶えるものなのだろう。それならば。
「ひと瓶の薬でそんな夢が見られるなら、安いものですね」
この友人と同じように夢を見て、同じように夢を叶えるのも、悪くないとソルセリルは思っている。