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うんうんと唸る酔い潰れたクルースニク二人を介抱しながら、ニックは二人から聞かせて貰った話を反芻する。
ニックが引っ掛かっていたのはひとつだけ。どうしてあの森にクルースニクが向かったのか──という点だけだ。
あの森には古くから“魔女が棲んでいる”という噂があった。鬱蒼と生い茂る木々のせいで日も当たらず、夏でもひんやりした空気の漂う不気味な雰囲気のある森。“魔女が棲んでいる”という話が広まるのも無理はない。
しかし、怪物退治の専門家と言えるクルースニクたちの見解からすれば、そこはただの森だった。
魔女や吸血鬼の類いが棲んでいるような場所ではない。“ただ不気味なだけの場所”。そう結論付けていた。
普通の人間たちが口にする“化け物がいる”という話は、大概「ハズレ」である。この森もその例だろうとクルースニクたちは結論を出していた。何故なら、“人への危害が確認されていなかった”から。
【闇に親しむもの】──怪物たちは人を害する存在だ。
それなのに、“魔女”が棲んでいるにも関わらず、この“不気味な森”に近い村、集落、町のいずれにも人に対する被害が出ていない。
確かに、“魔女”と言えば他の【闇に親しむもの】に比べて見つけにくいという特徴がある。人へ対する被害の出し方が“疫病”、“干魃”、“飢饉”などであり、“分かりやすい超常現象ではない”のだ。狼男や食屍鬼のように人を襲い無惨に食いちぎったり、吸血鬼のように血をすっかり抜いて人を殺すなどしたならそれは“分かりやすい”が、魔女はそうではない。自然と発生する人間に対しての災害と見分けがつかないことが多いのだ。
けれど、いくら“分かりにくい”といえど“何の被害も出ていない”、というのは考えにくい。
──「古くから“魔女が棲んでいる”と言われているわりには、周りの村や町に疫病も干魃も飢饉も無い。だから魔女は棲んでいない」。
そう結論付けられるのも無理のないことだった。
ニックはこの地を三百年ほど前から見てきているけれど、魔女の関与が疑われそうな事柄は一切起こっていない。だからニックもこの森に魔女はいないものだと思っていた。
元々、この地は魔女よりも吸血鬼や人狼が多く棲みついている地でもある。
吸血鬼や人狼に比べれば身体能力的にはかなり劣る魔女が、彼らと獲物を奪い合うような真似をするとも思えない。
だから、なおのことあの森に魔女は棲んでいない──というのがクルースニクたちの共通認識だった。
この“棲み着いている吸血鬼たちが多いがゆえに、魔女は棲んでいない”という認識は一般的には不思議なものに見えるだろうが、“この森に魔女は棲んでいない”という事実に対して、クルースニクたちにとっては説得力のある説明でもあった。怪物たちが怪物同士で仲良くやっているかと言われればそうではないからだ。
それなのに“魔女を始末するため”にクルースニクが二人も森に行ったのが、ニックにとっては奇妙なことにうつった。
“魔女はいない”と結論付けられた場所にわざわざ赴くほどだ。何らかの理由、ひいては根拠があったのだろうと。だからこの二人に話を聞きに来たのだ。
「情報の提供があった、か……」
二人から聞き出したところによれば、森へ向かうこととなった数日前に“信頼のおける情報元 ”より情報の提供があったのだそうだ。情報の提供元については秘匿されているらしく、ほぼ使い走りのような扱いを受けた二人はそれが誰なのかわからないらしい。
──信頼のおける情報元か。
そういう存在があることをニックも知っている。ニック自身、そういった情報を受けて【闇に親しむもの】を始末しにいくことがある。ニックが国外へ出向きがちなのはそのためだ。
“クルースニク”も【闇に親しむもの】も、フロリア以外にも存在している。国境にとらわれることのないクルースニクたちは場合によっては同胞の求めに応じて国外へ向かい、共同戦線を引くこともあった。
クルースニクたちが“信頼のおける情報元”というからにはただの人間ということはないだろう。同じクルースニクか、もしくはそれに準ずる立場にあるものからの情報のはずだ。
「よーし、二人ともゲロってくれて助かった。あとはほら、相互扶助で頑張れ」
“クルースニク協会”の名で馬車を呼び、酔い潰れた二人を押し込む。そのまま“クルースニク協会”の使っている拠点へ運んでくれと言付けて、ニックは酒場を後にした。揺れる馬車は酔い潰れた身には辛いだろうが、彼らがやってしまったことを思えばごく軽い“お仕置き”だろう。
「──そういえば……」
クルスから妙なものを預かっていたな、とニックは外套のポケットを探る。魔女の飼い猫が咥えていたという石のかけら──どうやら鏃らしい──だ。例の“儀式”で感情の再生を行えば、もしかしたら魔女が襲われた時の様子がわかるかもしれない、という話だった。
ルティカルが見つけた猫がオスカーに渡り、その猫がクルスへ渡って魔女のもとへ戻った……というのだからなかなか珍しいことだろう。猫などは一度いなくなってしまったら見つけようと思ってもなかなか見つけられないだろうに、火事に巻き込まれた猫が無事に飼い主のもとへ戻るとは。何か運命めいたものまで感じてしまう。
これも神様の導きというやつなのかな、と珍しく聖職者のようなことを考えて、ニックは“感情の再生”を始める。
あらわれたのは、魔女のものとも、オスカーのものとも違う“感情”。酷薄な悪意と歪んだ倫理。
──これは。
見えてきたものは予想していたものとは随分違った。なるほどな、と一言呟いてニックはニヤリと笑う。
──これはもしかすると、もしかするかもな。
大きな組織の方針を動かしたいとき、何を味方につければ良いのかニックは知っている。
出資者と一般市民だ。
この鏃から手に入れられた“感情”は、使い方によっては全てがこちら側の思い通りに出来るような情報だ。使わない手はないと鏃を手のひらの上で転がしてニックはもう一度笑う。
証拠集めと根回しが面倒なことになりそうではあったが、大事な弟子のためならそんなことは苦にもならない。
──まずはこれをあいつに見せてからだ。
それから西にでも東にでも走り回ってやろうじゃないか、と鏃をそっと撫でた。
***
目に染みる。瞬きしても意味がないとわかっているものの、トゥルーディオはまばたきを繰り返さずにはいられなかった。
目に染みる。本当に目に染みる。どうしてこんな空気のなか、この子はまともに目を開けていられるのだろう──と、鍋の前でもくもくと作業を続ける“魔女”に目を向けた。もしかして目の細胞がこの空気に慣れきってしまっているのかもしれない。ぼこん、と鍋底から膨れ上がった泡がまたひとつ弾ける。いっそう強くなった薬臭さにトゥルーディオの目に涙が滲んだ。
「あの、大丈夫ですか?」
魔女に声をかければ魔女はこくりと頷く。大丈夫らしい。ミントとレモンと異国の香辛料を足して何倍にも濃縮したような香りは、どう考えても“大丈夫”な代物ではない。ぼこぼこと煮えたぎる鍋の中身は乳白色だが、色の穏やかさに反するように香りのきつさは相当なものだった。
「……あんまり辛くなったら外に出ててもいいですか?」
涙目で泣き言を言ったトゥルーディオに、魔女は“無理しないでください”としっかり頷いた。貴女が薬を作るのをやめればおれが見守る必要もないんですけど、とは言えなかった。
トゥルーディオは今、あの魔女が鍋をかき回しているのを瞬きしながら見つめている。二人がいるのはクルスの屋敷の敷地内にある、今はもう使われていない倉庫だ。埃っぽくがらくただらけだったのを魔女が片付け、“薬作り”の作業場にしている。
日がな一日部屋にこもるというのはなかなか退屈なことのようで、最近の魔女は暇をもて余していたように見える。何かしたいことはあるか、というクルスの問いかけに“薬を作りたい”と彼女が応え、そうしてこうなったわけだ。何でも、彼女は森にすんでいた頃からこうして薬をつくって町に売りに出ていたらしい。
一人で行動させるのは何かあったときに不安、ということもあり、トゥルーディオとトゥルーディアが交代で彼女のそばにつくことになった……ところまでは良かったのだが。
「これ、何の薬なんですか?」
煮えたぎる乳白色の液体はだんだんととろみがついてきている。トゥルーディオを育ててくれた魔女の老婆はこんな薬を作ることはなかったから、単純な興味だった。飲み薬にしては粘度が高いし、錠剤にするならもう少し煮詰めて粒状に加工しなくてはならないだろう。魔女は木べらで液体をすくっては鍋に足らし、とろみの様子を見ているようだった。“火傷治しの軟膏ですよ”と唇が動く。
「へえ……火傷治し」
魔女からすれば問いに答えただけなのだろうが、その魔女本人が先日家に放火された被害者なのだ。なにか含みがあるのだろうか、とトゥルーディオは一瞬勘ぐってしまった。まあ嫌みを言うような子ではないか、と考え直す。
──“わたしがすんでいた森の近くの町は”。
魔女の唇が続けて動いたのにトゥルーディオは静かに頷いた。鼻がなれたのか、それとも加熱によって匂いの成分が薄れたのか。先程までの目に染みるような薬臭さは少しずつだが薄れている。ぼこ、ぼこ、と液体が沸騰する音も、泡が弾ける間隔も緩やかなものになってきていた。
──“パン屋さん、鍛治屋さん、火をつかう人たちが多くて”。
だから火傷の薬があったら便利だと思って、と魔女は小さく笑った。
「……貴女が手ずから売っていたんですか?」
だとしたらかなり無謀なことをしていたな、と考えながらのトゥルーディオの問いに魔女はゆるく首をふった。
──“いいえ。町の薬屋さんにおいてもらっていました”。
「よく売れてたんでしょうね」
魔女の作る薬はおしなべて質が良い。
昔からの調合書だけで作り上げる薬師の薬は、良くも悪くも普遍的なのだ。そこそこ手に入りやすいが、効果のほども“そこそこ”だ。決して悪いわけではないが、速効性があるかどうかと言われたら微妙なところだろう。
一方で、魔女それぞれの“独自のアレンジ”や理論によって作り上げられる薬の数々は、特殊ゆえに尖った性能を持っている。材料が手に入りにくかったり、味がひどく不味かったり製造過程に難があったり──この火傷治しの場合はこの薬臭さだろう──はあるが、効果はてきめんなのだ。
──“ええ”。
魔女はにっこり笑う。これには自信があるの、と火を止め、鍋をかまどから下ろした。薬臭さはもうなくなっていて、乳白色だった液体は真っ白な軟膏に変わっている。
「懐かしいな。おれの師匠は毒ばっかり作ってましたけど。……除草剤とかね。殺鼠剤とかも作ってたかな」
──“リラは目薬と草の栄養剤ばっかり作ってました”。
懐かしそうに笑って魔女は軟膏を瓶に詰めていく。おれもやります、とトゥルーディオも匙で軟膏をすくって瓶に詰めていった。ありがとうございます、と頭を下げる魔女に「こういう作業、好きなんですよ」とトゥルーディオはにっこりする。平たい円形の瓶いっぱいにすくった軟膏を詰めて、匙で伸ばすのが楽しくて好きなのだ。こんがり焼いたパンの表面にバターを塗るような楽しさがある。
「……お腹すいてきたなあ」
パンとバターを思い出してそう呟いてしまったトゥルーディオに、“これは食べちゃだめなものです!”と少し慌てたように魔女が首をふる。その仕草が年相応に可愛らしくて、トゥルーディオは思わず吹き出してしまった。




