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 ──まだ胸がざわめいている。


 門番の青年につれられ、ニルチェニアはクルスの屋敷へと連れ戻されていた。アガニョークが途中で何度も吠えたからだろう。屋敷の人間の大半は起きてしまっていて、げっそりした様子の門番の青年とニルチェニアとアガニョークとを見比べ、何があったのかを大体察したようだった。


 すぐにクルスがニルチェニアの元へやってきて、無事かどうかを何度も確認した。噛まれたところはないかとか、怪我はないだとか、トゥルーディアとトゥルーディオも一緒になって心配するものだからニルチェニアは面食らってしまう。まさかこんなに心配されるだなんて。


 ほっとしたら涙が溢れてきてしまって、ニルチェニアはしばらく俯いていた。俯きながら、門番の青年がクルスにことのあらましを話しているのをずっと聞いていた。


 あの吸血鬼はオスカーのふりをして扉を叩いたのだそうだ。他の人間なら顔見知りであっても満月の夜だから、と扉を開けたりはしないが、相手がクルースニクのオスカーとなれば話は別だ。何かあったのかと扉を開けてしまい、そしてこうなったのだと。


 ニルチェニアが俯いている間、トゥルーディアがずっと背中を撫でてくれていた。もう大丈夫ですよ、という優しい言葉に次から次へと涙が溢れてしまう。


 門番の青年は事情を説明しながら、扉を開けてしまったことを何度もクルスに謝ったが、クルスは青年を責めたりしなかった。クルースニクに化けられたなら騙されても仕方がない、と。


「吸血鬼の方は?」

「はっ、はい。本物のオスカー様が退治してくれたと……」


 思います、と青年は閉じられた門を見る。外に出られないから確認しにいくことも出来ない。そうか……とニルチェニアをちらりと横目で見て、クルスは「もう休め」と青年の肩をぽんぽんと叩いた。


「この子をここまで連れてきてくれて助かった。君も恐ろしかっただろうにな。後日オスカーから話を聞かれるかもしれないが、その時は協力してやってくれるか」

「勿論です……!」


 ぺこぺこと何度も頭を下げて門番の青年は申し訳なさそうに去っていく。青年と仲が良いのだろう、普段は調理場で働く男が「今日は俺んとこの部屋にこいよ」と声をかけていた。

 使用人たちにも小さいながら私室が与えられているものの、吸血鬼に襲われた後では一人で寝るのは不安に違いない。周りもそれを察したのだ。


 どうやら数人で集まって夜を過ごすことになったらしく、何人かが連れ立って部屋へと戻っていく。どんちゃん騒ぎはやめてくれよ、とクルスは少しの茶目っ気を忍ばせて使用人たちを見送った。


「……さて」


 騒ぎを聞いて起きてきていた使用人たちの大半が戻っていき、がらんどうのホールに残されたのはニルチェニアとクルス、トゥルーディアとトゥルーディオだ。話をしようと口を開いたものの、ニルチェニアの顔を見て口を閉じてしまったクルスの代わりに、トゥルーディオがにこやかにニルチェニアに話しかける。


「ご無事で何よりでした。……それでは。聞かれる前にお答えしますが、旦那さまもニックさまも、お嬢さまがここにいることをオスカーさまにはお伝えしておりませんよ」


 ニルチェニアは何と口にするべきかわからず、うなずくだけにとどめる。少し疑ってしまったが、ニックと名乗るクルースニクもクルスも、嘘をつくようなタイプではない。今日は本当にたまたまオスカーが近くにいたのだろう。


「……今日はオスカーがこの屋敷の辺りの担当でな。だからこそ、君を外に出したくなかったんだ」


 申し訳なさそうなクルスの言葉をニルチェニアは受け入れた。


 トゥルーディアがカーテンを閉めるようにいったのも、もしかしたらそのせいだったのかもしれない、とニルチェニアは納得した。オスカーの目がよいかどうか知らないが、カーテンを開いたままにしてわたしの姿が外から見えるのを避けたかったのかも、と。


「すまない。本当に怖い思いをさせてしまった。……吸血鬼も、……オスカーのことも」


 謝るクルスにニルチェニアは首をふった。すべてはニルチェニアが言い付けを守らず外に出たから起こったことだ。わたしが言い付けを守らずに外に出たから、と唇を動かしたニルチェニアに、クルスは「違う」と複雑そうな顔で、わずかに震えていたニルチェニアの手を握る。温かい手にニルチェニアは俯いていた顔をあげた。


「言い付けを守らなかったからといって、吸血鬼に襲われて良いわけじゃない。……どう伝えれば良いか難しいが。君が外に出たことと、吸血鬼に襲われたことは別の話としておれは捉えたい。君が外に出たのは悪かったかもしれない。でも、それで吸血鬼に襲われたからといって──それが当然というわけではない」


 吸血鬼に関しては謝らなくていい、とクルスは言った。君のおかげであの青年は助かったようなものだから、とも付け加えて。


「外に出たことに関しては後でちょっとお説教ですけど、吸血鬼に関してはお嬢さまは悪くないですよ、ってことです」


 丸腰で危ない場所を歩いたからといって、強盗に遭って当然だ、強盗を許すべきだ──とはならないでしょ、とフォローを入れながら、トゥルーディオはにっこりとする。


「そういうことだ。……今日はもう休むとしようか」


 話は明日聞くから、とニルチェニアをトゥルーディアに任せ、クルスは懐から小さな小瓶を取り出す。これは、と不思議そうな顔をしたニルチェニアに「吸血鬼避けだよ」と小瓶のコルクを抜いて見せた。


「白ワインとバッカスの花を煮込んだものだ」


 バッカスの花、とニルチェニアは小瓶をしげしげと見つめた。酒の神の名を冠したその花は、葡萄のような実をつける。しかしながら美味しそうなその実は毒性が強く、食べるには適していない。

 一方、その花びらと蜜は食用可能となっている。ただし、強力な興奮作用があるのだ。

 バッカスの花を食べた馬が大暴れして馬主が大ケガをしてしまった──なんて話もある。花びらは加熱することで鎮静剤の代わりになるが、生の花びらと蜜は通常は食用不可となっていた。

 どうしても寝てはいけないときなどに生の蜜を薄めて服用することはあるが、蜜を原液そのまま舐めたり、花びらを加熱せずにそのまま食べたりするとろくなことにならない。そのくせ、加熱処理をすると反対の効能を持つのが【バッカスの花】のクセの有るところだった。


「一滴口に含んでから眠ってもいいし、ふたを開けたまま眠っても吸血鬼避けになるよ。おれたちにはよい香りでも、彼らには辛い匂いだそうだから」


 クルスの説明にニルチェニアはこくこくと頷いた。吸血鬼は白ワインを嫌うというし、効果が期待できそうだ。それを受け取り、ふたになっているコルクを抜いてみる。甘い香りは夜にぴったりで、よく眠れそうな気がした。


「君が飼っていたという猫を連れてきてもらったから、君に伝えようと思ってね。部屋に向かったらもぬけの殻でな。驚いたよ。そのあとにアガニョークの遠吠えが聞こえて……こうなったわけだ」


 寝る前に気分転換に猫を見るか、と聞いたクルスにニルチェニアは目を丸くしてしまった。ねこ、と声が出ないながらに聞き返せば「ノーチという名前だと聞いたが」とクルスは応えてくれた。動揺のあまりにニルチェニアが小瓶を取り落としそうになったのをトゥルーディアがふせぎ、コルクをしめなおしてニルチェニアにしっかりと握らせる。その様子を見て、クルスは少し気が抜けたように微笑んだ。


「わかった。……君の部屋にもう一匹動物をつれていくのは……少し狭いだろうから。おれの部屋にノーチがいるから、見においで」


 アガニョークをちらりとみたクルスにニルチェニアは何度もうなずき、堪えきれないようにぴょんぴょんと小さくはねる。ノーチ、と声のでない唇で何度も呟いた。何かの間違いでもなく、本当にノーチなのだろうか。


「……その。この際だから伝えておこうか。ノーチを連れてきてくれたのはオスカーなんだ。君に早く見せてやってくれと」


 大丈夫だろうか、とでもいうようにニルチェニアをちらりと見たクルスに、ニルチェニアはこくりと頷く。クルスはニルチェニアがオスカーを恨んでいるのを知っているから気を使ってくれたのだろう。

 けれど、オスカーが連れてきた──という話を聞く限り、人違いならぬ猫違いはなさそうだ。今のニルチェニアからすれば、“オスカーが連れてきた”というのはありがたい話だった。きっと、間違いなくノーチだろう。

 ノーチは焼け崩れて落ちてきた屋根に潰され、死んでしまったと思っていたのに。


 貰った小瓶をぎゅっと握り、ニルチェニアは高鳴る鼓動を落ち着かせるように何度か深呼吸した。ノーチ。かわいいノーチ。柔らかくて、大きくて、ちょっと重いけれど──美しい黒い毛並みのニルチェニアの飼い猫。また会えるだなんて思ってもいなかった。吸血鬼をみた恐ろしさなんてもうどこかへ吹き飛んでいた。


 少し早歩きでクルスの部屋に向かう途中、角灯(カンテラ)を持った女性が廊下をさ迷っているのをニルチェニアたちは見つける。女性もニルチェニアたちに気づいたようで、「クルスさま!」と女性が声をあげたのにニルチェニアは驚いてしまった。“旦那様”と呼ばないあたり、どうやら使用人ではなさそうだ。


「どうしてここに狼が!?」


 アガニョークを隠すようにニルチェニアとトゥルーディオ、トゥルーディアがさりげなくその前に立ったものの、アガニョークはやはり隠しきれない。普通の狼よりもずっと大きいアガニョークに女性が目を丸くする。この大きさなら普通の犬だったとしても怖がるのが当たり前よね、とニルチェニアはアガニョークをそっと下がらせたが、女性の方は震えていた。

 見かねたトゥルーディアが「先ほど吸血鬼が外に出ましたのよ」とフォローをいれる。この狼はそれを知らせてくれたのだ、と。


「そうなの。……だから下が大騒ぎだったのね。狼の鳴き声が聞こえたでしょう、だから不安になって廊下に出てみたけれど、誰もいなくて……」

「苦手でいらっしゃいましたものね。さ、お部屋に参りましょう。わたくしもついていきますので」

「ありがとう、トゥルーディア……」


 銀色の髪に瑠璃溝隠(るりみぞかくし)の青い瞳の女性は、ニルチェニアたちの方を見て優雅に礼をする。ニルチェニアとトゥルーディオが深く頭を下げるなか、クルスは「悪いな」とばつの悪い顔を女性に向けた。


「君に見せるつもりはなかったんだ。てっきり寝ているものだと」

「ええ。わかっておりますわ。お休みなさい。ええと……そちらの女の子の狼さんなのかしら?」

「そうだ」

「……そう。それなら安心ね。そんなに可愛らしい子の狼が恐ろしいわけないもの」


 クルスさまの方が怖い狼にならないか心配ね、と笑った女性に「やめてくれ」とクルスはため息をつき、「よい夢を」と就寝の挨拶をする。女性の方も「よい夜を」と悪戯っぽく笑った。

 それに「あのなあ」と苦笑いしながら、クルスはトゥルーディアと女性の後ろ姿を見送る。それからニルチェニアの方を見て、居心地悪そうに「明日にしておこうか?」と声をかけた。


「今更だが……夜中におれの部屋に来いというのも、その……不躾なんじゃないかと」

「猫を餌につったような状況ですもんね」


 明け透けなトゥルーディオに「もう少し別の言い方はないのか」とクルスは肩を落とす。先ほどの女性のそれも、トゥルーディオのそれも冗談だと分かっていたからニルチェニアは“何かあればアガニョークもいるから大丈夫です”とにっこりする。噛みついてくれますから、と狼が襲いかかるときのようなポーズを控えめにとって見せれば、トゥルーディオがくすくすと笑った。


「おっ。お嬢さまも冗談が通じるタイプですね~?」

「……全く」


 それなら良いか、とクルスはニルチェニアの歩調に合わせてゆっくりと歩く。さっきの人が“クルスの親戚”の女性なのだろう。彼に対してからかいの言葉を口に出来るくらいだから、比較的近い親戚のはずだ。従姉妹やその辺りだろうか? 狼が苦手と聞いていたのに、怖がらせてしまったようで申し訳ないな、とニルチェニアは思う。


「ああ……そうだ。その、君が知っているノーチとは少し見た目が違うんだが……」


 クルスの部屋の前まできて、クルスはそんなことをためらうように口にした。毛が焼けてしまいでもしたのかしら、とニルチェニアは心配になる。

 ニルチェニアの心配そうな顔をみたのか、「健康そのものなんだ」とクルスは取り繕った。


「しかしだな……まあ、見ればわかるか……」


 トゥルーディオがクルスの部屋の扉を開ける。開けたとたんに黒い何かが飛び出てきたのにニルチェニアは飛び退いてしまった。

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