表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
32/58

32

【ここまでのあらすじ】


*オスカーという聖職者の青年は、街でとある女性とぶつかる。その際に落ちたベビーリングを女性へ返そうとするが、女性はすでにどこかへ去ってしまった後だった。


*ベビーリングの持ち主がいると聞き、森へ向かったオスカー。そんな彼を何者かが襲う。大怪我をしたオスカーが運び込まれたのは【魔女】の家だった。


*【魔女】の献身的な看病が功を奏し、回復するオスカー。しばらく穏やかな時間を過ごすうち、魔女とオスカーの間には恋が芽生えていた。


*魔女と暮らしたいと思いながら、それでも周りには心配をかけているからと、一度は森を出るオスカー。必ず帰って来ると魔女に伝え、街に戻ったが……。


*街から森へ帰って来るオスカー。そんな彼が目にしたのは、焼けてしまった【魔女】の小屋だった。彼女の安否はわからない。


★★★

 魔女はクルースニクという怪物退治専門の聖職者に襲われ、住んでいた小屋に火を放たれてしまった。危機一髪のところで逃げ出した彼女を救ったのは、青い瞳に銀色の髪を持つ青年、クルスだった。


「もうそろそろ歩いてみましょうか」


 足におった火傷の様子を確認していたトゥルーディアがそんなことを口にする。ニルチェニアはそれにこくりと頷いた。足の痛みはもうないし、火傷も細かな擦り傷、切り傷もほぼ治ってしまった。もとに戻らないのは声だけだ。


「随分歩かれておりませんでしたから……」


 もしかしたら杖をついて歩くことになるかも、とトゥルーディアは話す。ニルチェニアはそれに頷いた。ここ半月ほどずっと寝台の上だけで生活していたのだ。そう簡単に足の筋肉が落ちるとは思いたくないが、ぎこちない歩き方になるのは想像に難くない。

 よろよろしながら立ち上がり、寝巻きから新しく用意された服に着替える。ドレスのような服を用意されたのにニルチェニアは面食らったが、トゥルーディアはさっさと着付けてしまった。あまりの手早さに抵抗する隙もなかった。


「まあ。良くお似合いで」


 ニルチェニアの目の紫色に合わせたのだろうか、薄紫色のきれいな服だ。靴と杖も用意してもらって、ニルチェニアは呆然としてしまう。待遇がおかしいのでは──とトゥルーディアを見つめた。


「良いんですのよ。こういった服をお召しになっていた方が、色々とこちらも助かりますから」


 トゥルーディアは有無を言わさない笑みでニルチェニアにそう言った。普段から優しく親切で、何かを頼めば大体はそれに応えてくれるトゥルーディアだが、こういう顔をするときはニルチェニアには拒否権を与えない。体調が良くなってきた頃に「ここを出ていきたい」と頼んだときに同じ顔をされたのだ。「旦那様がお許しになってもわたくしは許しませんよ」と静かに口にして。


 もったいないのではないか、とニルチェニアは思った。自分のようなものにきれいな服、靴、はては杖まで与えて。与えられた分だけのものを返せる自信はない。それを素直にトゥルーディアに伝え、何を返したら良いのかと聞いてみる。トゥルーディアは平然と「それは旦那様にお聞きになって下さいな」とニルチェニアに返した。


「年下の従妹に見返りを求めるような方ではありませんけれど」


 さらりとしたトゥルーディアの言葉に、ニルチェニアは困ってしまう。そう、困ったことにニルチェニアを助けたのは“クルス”──クルス・シチート・メイラー──つまり、ニルチェニアの従兄にあたる存在だったのだ。


 ニルチェニアの記憶のなかには父、母、兄しかいなかったから、自分に従兄がいるというのが驚きだ。その上、クルスはニルチェニアが出来るだけ快適に過ごせるように気を配ってくれている。まるで“家族”のように。目の色が青くなくても家においておく【メイラー家の人間】がいることにニルチェニアは少なからず動揺してしまった。何か企まれているのでは、と思ってしまったほどだ。


 ニックと名乗るクルースニクがニルチェニアの元を訪れたあの日、ニルチェニアは初めて“クルス”とまともに会話をした。会話といってもニルチェニアは話せないし、クルスの質問に頷いたり首を振ったりするなどの簡単なものではあったけれど。


 助けてもらったのにお礼も言えず、その上怯えて酷いことを言ってしまったと謝罪したニルチェニアに、クルスは「良くあることだよ」と何一つ気にしていなかった。「たまに顔を見せた途端に呪いをかけられたりするからな」とクルスは淡々としていたが、ニルチェニアとしては申し訳ない気持ちでいっぱいだ。


「仕方ないさ。銀髪に青い目では」


 クルースニクと思われるのも無理はない──とクルスは笑った。けれど、ニルチェニアがクルスに向けてしまった「怖い」という感情は──クルスの見た目から抱いてしまった気持ちは──ニルチェニアがその見た目で「魔女だ」と言われてきたのと同じくらい理不尽なものだ。自分はあんな風になるものか、と思いながら森で暮らしてきたというのに。


 そういうこともあって、クルスと話すのは申し訳なさと罪悪感の方が勝ってしまって未だに少し苦手なのだ。彼は度々ニルチェニアを訪ねてきてくれているけれど、まだ慣れない。何を話したらいいのか、どう話したらいいのか。何も分からないのだ。わたしなんかと話したって何の得にもならないだろうに、とニルチェニアは思う。


「あまり難しく考えなくてよろしいのですよ。わたくしたちにとって、今一番大事なのはお嬢様が無事に、健やかになることなのですから」


 旦那様が求める見返りがあるとすれば、とトゥルーディアは微笑んだ。


「早くお嬢様が元気になること。それくらいではないかしら?」





***




「……知ってたさ。あの子がこの家の娘だって事くれェはよ」


 【森番】の男は深くため息をつき、「どうすんだ」とクルスを見る。エメラルド色の瞳はクルスを信用しているとは思えないが、拒否しているようにも見えない。


「“メイラー家”の人間が今さらあの子をどうするつもりだ? 俺やあの子を丁重に扱ってくれていることには感謝してもしきれねェ。けどよ、一度捨てられた子に今度は何をするつもりだ?」


 どうしてあの子を森に返さないのか、と森番の男ジェラルドはクルスに問う。そんなのは貴方が知ることじゃないでしょう、とクルスの代わりにトゥルーディオがそっけなく答えた。


「貴方はあの魔女の少女の何なんですか? 従者でもなんでもない。それなら、旦那さまの行動に口を挟む権利も、意義を申し立てる権利もないですよ」

「トゥルーディオ」

「……非難したくて口にしている訳じゃありません。お互いに……知っている情報を共有するのが大事だと思いませんか?」


 クルスに諌められ、トゥルーディオは藤色の瞳でジェラルドを見つめる。ジェラルドはトゥルーディオの目を見てから、「……そうだよな」と頭をかりかりとかいた。息を一つ吐いて、「娘みたいなもんだよ」と小さい声でぽろりとこぼした。


「あの子は、俺とリラの娘みたいなもんだったんだ。一緒に暮らしてた。あの小屋で」


 娘か、とクルスは聞き返す。そうだよ、とジェラルドは返した。


「リラは……リラも“魔女”として森に追いやられた者だ。あいつが本当に魔女なのかどうだったのか、俺には分からねェけど。あいつが森に追いやられて……何だったかなァ、狼か熊か忘れたが──まあ、獣に襲われてるのを俺が助けた。それが始まりだ」


 陳腐な恋物語だったよ、とジェラルドは自虐的に笑う。絵本の中の話みたいな、“ありふれた出会い”だったと。

 獣からリラを助け、そのうちに仲良くなって。二人でひっそり暮らすのにそう時間はかからなかったのだそうだ。


「十年くらい前か? あの子が森に捨てられた。リラは……自分と重ねちまったんだろうな。あの子を助けた。数年は三人で一緒に暮らしてたんだが……森に近い小屋で三人で暮らしてたら色々バレる(・・・)だろ? あの二人だけ森で暮らすようになった。俺は……森にあの子達の生活を脅かすようなやつが入らないようにずっと見張ってた」

「サーリャ様やルティカルを森にいれていたのは……?」


 貴方ならあの子に会わせることも可能だったのでは、ときいたクルスに「それは無理な相談ってやつだ」とジェラルドは肩をすくめる。


「貴族の……それもメイラー家の人間が二人も森に足繁く通ってみろ。あの子がまだ生きてるんじゃねェかって怪しまれるに決まってんだろ。そうしたらあの子はもちろん、リラも俺も殺される。……あの二人には申し訳なかったけどよ、来る度に“錯乱の魔法”をかけてたんだ。森の安全なところをぐるぐるさ迷わせて、適当な時間になったら帰らせる。……その繰り返しさ。そんで、“ここにはもういないから来るな”って諦めさせた」


 クルスは難しい顔をしてしまった。きっとルティカルは妹が死んでしまったと思って悲しんだことだろう。サーリャが夫を追うように亡くなってしまったのにもそれが全くの無関係とも言い切れない。精神的なダメージがサーリャの寿命を縮めた可能性は大きい。しかし、ジェラルドがそうしていたからこそ今がある。あの娘は生きていて、ルティカルは無事に当主にもなっている。


「……貴方が、“リラ”を手にかけた理由は? あの子が森に一人で暮らし始めたのは、先代の魔女が……貴方の手によって土へ還ったからだと聞いていますが」

「ンだよ。貴族のお坊っちゃんはそこまで知ってんのか。……あれは……あれは、俺のせいだ。俺がリラを護りきれなかった」


 急に暴れだしたんだ、とジェラルドは深く息をつく。ぎゅっと拳を握りしめて、悔いるように語る。その瞳が後悔でいっぱいなのにトゥルーディオもクルスも気付いた。

 

「リラが大事にしていた鹿がいるんだ。リラのよき友人。白い鹿で、名前はブリュム。リラが町へ薬を売りにいって……帰ってきたときだ。いきなり暴れだした」


 いつもは大人しい鹿だったんだ、とジェラルドは語る。何かに焚き付けられるように暴れだしたのだと。ジェラルドはそれを止められなかった。よき友人でありよき主であったはずのリラを、ブリュムは執拗に攻撃したのだという。人間など柔らかい肉のかたまりだ。鹿と言えどその固い蹄で何度も踏まれればひとたまりもない。大地にリラの血が染み込むのを、ブリュムが狂ったように蹄を振り下ろすのを、ジェラルドは悪夢でも見るような気持ちで見ていたのだ。


 ──蹄が振り下ろされ、骨にあたる音の合間にリラのか細い声がジェラルドの耳を打つ。最期の願いとなるのを知っていたから、ジェラルドは猟銃に弾を込めた。


「リラは……“私たちを助けて、もう楽にさせて”ってさ。わかるか? ……死ぬしかなかった。俺が手にかけるしかなかった」


 ──銃声は二つ。最初のそれは鹿の頭を撃ち抜き、二つ目のそれはぐちゃぐちゃになったリラの腹、その上の方に位置した血濡れの左胸を貫いた。


「楽にして……楽にしてやるしかなかったんだ。二人とも。あのままいけばブリュムは自分の手でリラを殺していたし、そのうち町に出て人を襲っただろうよ。リラは……リラはもう、助からなかった。無駄に苦しませるよりは一瞬で終わらせてやりたかった……!」


 ジェラルドの握りしめた拳が震えている。トゥルーディオは憐れむようにジェラルドを見つめていた。思うところがあるのだろう。


「あの子が母親みてェに慕ってたリラを手にかけておいて、どんな顔で過ごしたら良いのかもわかんねェ。でも、“もう思い出したくもありません”つってさっさとあの土地を出ていくような無責任なこともしたくなかった。だからあそこで、あの子が生きていくのを見守っていた」

「貴方があの子と暮らしていなかったのは……そういうことだったんですね」


 トゥルーディオがしんみり呟いた。

 これ以上俺たちから奪わないでくれ、とジェラルドは呻いた。もう何も奪われたくないのだと。


「あんたたちはあの子をどうするつもりなんだ? まさかここでのんびり暮らさせてやる……なんて話にゃしねェだろ?」


 メイラー家の人間にしちゃあんたは親切だが、とジェラルドはクルスに目を向ける。クルスは「あの子次第だな」とやつれた森番に返した。


「あの子が無事に暮らせるように状況を整えたいと思っているんだ。……状況の整理がついたらあの子に選んでもらう。メイラー家に戻るか、森に戻るか。……他の生き方を選ぶか」

「カタなんてつけられるのか?」

「つける」


 クルスがはっきりした返事をしたのにトゥルーディオは少し驚いた。ぬか喜びをさせたりしないようにと普段は確証の持てない事柄に関しては明言するのを避けていたクルスが、今回ばかりはそうじゃなかった。珍しい、と心の中だけで呟く。


「正直腹が立っているんだ。あの子を取り巻いていた環境の悪さに。或いはそれを良しとしてきてしまったメイラー家(この家)に。どっちに腹をたてているのか自分でもよく分からないが」


 クルスはニックと共にみた“魔女の感情”に思いを馳せていた。

 燃え上がる憎悪の根底に沈んでいたのは凍りつきそうなほどの“寂しさ”だ。捨てられて、その先で大好きな人を失って、一人で暮らし始めてオスカーに出会い──あの“裏切り”だ。オスカー自身が魔女を裏切ったわけではない。けれど、魔女にとってはオスカーの裏切りだったのだ。少なくとも、そう思い込んでしまった。


 ──誰もわたしの側にはいてくれない。

 ──わたしが魔女だから。


「もう少しましな世界があることを教えたいんだ。善良に生きているのに虐げられるなど、おれなら耐えられない。そんなのは間違っている。そんな子がいるのを見過ごしたくない」


 少しばかりあの少女の感情に引きずられているのをクルスは自覚している。それでもあんまりだと思ってしまったのだ。

 あれだけの酷い目に遭いながら、それでも“本物の魔女”とはならず。今度は声まで失って。それでも一人で足掻けとは言えない。誰かが助けてやらなければ。


「皮肉だな。こうして人に害を与える“魔女”は生まれるんだろう。虐げられて、すべてを奪われて。それでも他人を恨むな、魔女になるな──などという厚顔無恥なことは……。おれには言えない」


 怪物を恐れるあまりに自らの手で怪物を産み出してしまう。


 本当はそこにいない“怪物”を作り上げて、そこへ憎悪を募らせてしまう。虐げてしまう。


 魔女を恐れるあまりに自らの手で魔女を産み出してしまう。


 そうして憎悪の対象となったものは、いつしか人を恨み、【魔女】という怪物に生まれ変わり──【怪物】として人々に復讐し始める。


 どれほど善良な人間であったとしても、虐げ続けられればいつかは限界が来る。耐えきれずに他人に恨みを向ける日が来る。それを非難できる人間はいないはずだ。全ての憎しみや恨みを受け止め続けられる人間がいたとするなら、きっとそれは壊れている(・・・・・)


「……あの森に“魔女”がいたとするなら」


 森番の男がはっとした顔をする。


「“魔女”を産み出したのはおれ達だ。なら、そのけじめはおれ達がつけるべきだ」


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ