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「……賢い子だよなあ。本当、ランテリウスにそっくりだ」
いつもの溌剌とした雰囲気はどこへやら、ニックは項垂れている。クルスの私室にこんなに浮かない顔で存在しているかつての師に、クルスも似たような表情で向かい合っている。トゥルーディアが出してくれた茶はカップの中で冷めるがままだ。
「何でこんなことになるかねえ……」
うっかりぼやいたニックだったが、クルスもまた同じ気持ちだった。まさかあの【魔女】が、ルティカルの妹とは思わなかったのだ。確かに誰かに似ていると思いはしたが、筋骨隆々としたルティカルに比べてあの魔女は華奢すぎる。印象があまりにもかけ離れていたものだから、ニックに話されるまで気付けなかった。
「俺がオスカーの関係者ってことも見抜いてたよ。あいつ、俺のことをあの子に話してたのかな。それとも、クルースニクだからあの子は俺に口止めしたのかな。どっちかはわかんねえけど……」
「オスカーがあの子を殺そうとしたとは思えませんが……」
「俺もそんなことは思っちゃいないさ」
あいつはそんなことしないよ、とニックは言い切った。「魔女でも何でもなかったしな」と続けて。
結局、彼女には“魔女の印”である【首の印】はなかった。たとえあったとしてもあの無害な性格だ。オスカーは彼女を火刑に処すことなどしなかっただろう。本物の魔女相手でもオスカーはそんな手段を取ったことがない。何より、命を救ってくれた恩人だ。そんな恥知らずなことをする性格でないことはニックもよく知っている。
「誤解してるんだと思う。例えば……オスカーとあの子が仲良くなっていたとして。仲良くなって──そうだな、この前こっちに帰ってきたときにクルースニク協会に足止めされていたから……。その時に例の二人が彼女の小屋に火でも放ったのだとしたら、あの子から見たらオスカーは【裏切り者】だろうな。自分と仲良くなって油断させて、そこを突いてきたって考えてもおかしくない」
「だとするなら、どうしてクルースニク協会は【魔女】の存在を知ったんでしょうか」
先生はもちろん話していませんよね、とクルスは首をかしげる。オスカーも話していなかったぞ、とニックは頷いた。
例の【森での襲撃】についてオスカーが何度も召喚され、経緯の説明を求められていたのは知っている。その記録をニックも読んだからだ。オスカーは巧妙に【魔女】の存在を隠していた。鹿と間違えられて射られたのだという説明は、クルースニク側も大筋で納得していたように思える。
“薬草の知識もあり、森には薬草も多く生えていたから無事に生き延びることができた──”。
大抵のクルースニクなら疑いの目で見られることだろうが、そこはニックの弟子だから、ということで納得されたようだ。生き抜く術をきっちり叩き込んだ甲斐があった、と記録を読みながらニックは思ったものだ。一番弟子のオスカーの“しぶとさ”はすべてのクルースニクが認めている。しぶとくなければただの人間がクルースニクに混じって怪物退治を続けられるわけもない。
「そのあたりは俺が探ることにする。協会のことは俺の方が調べやすいからな」
「お願いします。この事は、オスカーには……?」
「あの子はああ言っていたが、オスカーには伝えた方がいい。クルースニク協会がどこからあの子の住んでいた場所を探り当てたかわからない以上、お前の屋敷も万全というわけではないからな。何かあったら動けるやつは多い方がいいだろ」
ただし、とニックは強く念を押す。
「絶対にあの子とオスカーを会わせるな。オスカーはあの子に会いたがるだろうが、それは絶対に阻止しろ。それから、オスカーにも“ルティカルとソルセリルにはこの事は話すな”と伝えておいてくれ。……あの子がそう望んでいると伝えれば、あいつも引き下がるはずだ」
「……分かりました」
「オスカーには酷なことだけどよ。……生きてるって知ってるだけでも、ちょっとは気分がマシになるだろ。本当はあの子との約束を優先させたいところだけど……。最近のあいつ、見てらんねえからさ……」
「そうですね。──おれもそう思います」
最近のオスカーの塞ぎようといったらなかった。普段はどんな時でも機嫌の良さそうな顔をしているというのに、ここ数日はずっと疲れきった顔でクマまで拵えていた始末だ。眠れていないのだろうと思っていたが、日に日に酷くなるそれにやきもきしていたのはクルスだけではなかったらしい。
「誤解を解けるなら解いちまいたいぜ」
あの様子ではあの子はオスカーに関する話など一切聞き入れないだろうな、とニックはため息をつく。彼女からしてみればニックもクルスも“オスカー側”の存在なのだ。
ニックがクルースニクだと気付いているのに拒否されなかっただけマシというもので、それをやすやすとどぶに捨てるような──例えば、彼女を説得し、誤解を解こうと試みてみるだとか──真似はしたくない。参ったな、とニックは頭をかく。
「これを持ってきたは良いが……取っ掛かりにはならなさそうだな」
「……ボタン?」
ニックが手のひらで転がしたのは小さなボタンだ。貝のボタンだろうか。薄く緑がかった偏光が白地にそっと浮かんでいる。
どこかで見たような、とクルスは考えて「あの子の服についていたボタンですか」とニックに聞く。そうそう、とニックは軽く返した。
「服が焼け焦げててどうにもならなかったから、トゥルーディアが廃棄許可を貰ったんだと。捨てようとしていたから、ボタンだけもらってきた」
「ボタンだけ……」
それが何の役に立つのかとクルスは首をかしげてしまう。こういうことだよ、とニックは指先でボタンを砕いた。
「──“欠けたる石よ。懸けたる意思よ。石に宿りし意思なれば、欠片となりて思を描け”」
優しく暖かな声が静かに祝詞を読み上げる。高位のクルースニクはある種の“儀式”を行うことで様々な現象を引き起こすことができるのだ──と習ったことはあったが、実際に見るのはこれが初めてだ。
「元々は“チェンジリング”を見破るための“儀式”なんだ。効果としては“対象者の感情を再生する”ってやつだな」
昔は赤ん坊の寝巻きに必ずボタンがついていたものさ、とニックは砕けたボタンを手のひらで転がす。今はついてない寝巻きも多いけどな、と付け加えて。
「妖精に赤ん坊をすり替えられたと感じたら、ボタンを割って祝詞を詠んで、それが妖精の子供なのか自分の子供なのか見分けていたんだ」
「感情の再生……ですか?」
「赤ん坊にすり替わるような妖精であれば良からぬ感情が再生されるし、人間の赤ん坊なら……そうだな、腹へったとか眠いとか、まあそういう感じだ」
“チェンジリング”とは、妖精が人間の子供と妖精の子供とを交換してしまうことをさす。現在では妖精も数が少なくなったのか、“チェンジリング”そのものがなくなってしまったから使われることも減ってしまった“儀式”なのだそうだ。
「あの子の感情を少しばかり見させて貰おうと思ってな。……何があったのか、どうしてこうなったのか。少しは手がかりになるかと思ったんだが……あの様子だとなあ……」
砕けたボタンがニックの手のひらで輝き始める。白く光る靄のようなものがボタンから剥離し、欠片の数だけ宙を浮き始めた。ニックは指揮でもするように指をふり、自分とクルスに靄を当てる。
「……っ、これは……!」
「見えるだろ。判るだろ? それがあの子の……あの魔女の抱いた“感情”だ」
頭のなかで別の人間が話すかのような、奇妙な体験だった。クルスもニックもひとつの人格として自分の体の内側にいるというのに、それとは別にもう一人が自分の内側に存在しているような──そういう奇妙さだった。
初めにやって来たのは困惑だ。オスカーに対する“この人は何なのだろう”という感情。それは次第に形を変えて、なにか甘く優しいものに変わっていく。“嬉しい”という気持ちが胸の内に広がるのをクルスもニックも感じていた。けれど、泣きたくなるほどにあたたかな気持ちはすぐに霧散してしまう。
クルスが頭のなかで見た光景は、燃える小屋だった。白い狼──アガニョークだろう──と、黒い猫がいるのが判る。
彼女を見つけたときに猫なんていなかったよな、とクルスが考えた瞬間、“自分”を庇って、黒猫が崩れてきた屋根に潰される光景が広がった。途端に刺すような苦しみがクルスとニックの胸を掻き乱していく。大事な家族を喪ったのだ、とはっきりわかった。
強烈な記憶だ。揺らめく炎の向こう側に“魔女”はオスカーへの、クルースニクへの怨みを鮮烈なまでに産み出してしまった。胸に渦巻く憎悪にクルスは思わず口を手で覆った。自分の心と“魔女”の心のギャップに堪えきれなかった。眩暈がする。視界が揺れていく。
「自分」と「魔女」の境目があやふやになるのがわかる。クルスがオスカーへ抱く“友人”としての感情が、魔女の怒りに塗りつぶされそうになる。オスカー、と低い声が自分の口から溢れたのをクルスはどこか他人事のように聞いてしまっていた。
──赦さない。
──赦せない。
真っ黒で熱く、張り裂けそうな感情だ。押し込めようとすればするほど「クルス」としての感情が呑み込まれそうになる。
「おっ……と、終いだ」
ニックが手を打ち鳴らし、クルスは自分の中から“魔女”の感情が抜けたのを感じた。脂汗が吹き出ている。自分の息が荒くなっていたことにクルスは初めて気付いた。視界は落ち着きを取り戻したが、吐き気が込み上げる。
「……悪い、ここまで酷いもんだとは」
「いえ。……大丈夫、です」
まだ胸がざわついている。こんな気持ちをあの少女が抱いていたなどクルスは知らなかった。ニックの方も額に汗をかいている。「酷いな」とニックが呟く。
「これは……」
予想以上に酷い、とニックは頭を振る。
これでは誤解を解くどころの話ではないとクルスも理解した。“本物の魔女”になっていないのが不思議なくらいだ。後天的な魔女の多くは精神的なダメージによって魔女となるという。これだけの強烈な怨みを抱いて、それでもあの少女が“魔女”となっていない理由は何なのか。
未だに胸を掻き乱されるような感覚を得ながら、クルスは粉々になったボタンを見つめるニックに視線を向ける。彼はまぶたを閉じ、ゆっくりと呼吸しているようだった。“儀式”を続けているのだろうか。ボタンからはまだ白く光る靄のようなものが出ている。ニックはそれを少しずつ取り込んでいるようだ。眉間に皺を寄せて、何かを探すような顔つきになっている。
流石は高位のクルースニクといったところだろう。クルスのように取り乱すこともなく、しばらくしてニックは“儀式”を終えた。
「……最後まで見てみたが、あの子は本当に──」
ニックの言葉の最後の方は聞き取れない。ほとんど独り言のような小さな呟きだったからだ。何かを考え込むような顔つきになったニックは、クルスに「“森番”はまだ何も話さないのか」とふとたずねた。
「あの森番ですか?」
「うん。……“先代の魔女”をあの子は慕っていたようだし……その“魔女”と“森番”は無関係じゃないんだろ。あの子の感情を辿った感じでは、“魔女”と“森番”は仲が良かったみたいだぞ」
「そうですか。トゥルーディオが言うには……」
そこで言い淀んでしまったクルスに「どうした?」とニックが首をかしげる。
「その……先代の魔女であるリラを手にかけたのはあの森番だ、という話で」
「えっ?」
目を丸くしたニックに“普通はこういう反応になるよな”とクルスはひっそり思う。トゥルーディオがドライすぎるだけなのか、それとも“魔女の従者”たちは皆ああなのか。
「あの森番が先代の魔女を手にかけた、か……。あの子の感情じゃあそんなことにはなってなかったけど」
上手く隠したのか? とニックも困惑している。
「森番が助けようとしてもリラは助けられなかった──。そういうものとして受け止めていたみたいだぞ、あの子は。何か……何かが“リラ”を襲ったみたいではあったが」
「襲ったのが森番で、森番があの少女を上手く騙したということでは?」
「そういうんじゃなかったな……。襲ったのが人じゃないことしか分からなかった」
深くまで正確に探るには向いてないんだよなこの“儀式”──とニックはため息をつく。あくまでも“感情を再現”する儀式であって、過去の事実を忠実に再現するものではないらしい。“感情を抱いた対象者”──つまりこの場合はあの魔女の少女──が受け止めたものを再生するために、どうしても主観的になるのだそうだ。つまり、実際の出来事とは多少齟齬が出てくる。“チェンジリング”の判別をするだけの儀式であるならば無理もないことか、とクルスも唸った。赤ん坊の感情から成る記憶の精密さなど誰も求めやしないからだ。
「知ろうとすればするほどややこしくなっていく感じはあるけど、やるしかないからな……とにかく俺はクルースニク協会で色々調べてみるよ」
「わかりました。おれはあの森番と魔女の少女から少しでも多く話が聞けるようにしてみます」
「頼んだ」
お互いにやることを確認し、少しのため息と共に気合いを入れ直す。一度首を突っ込んだのだ。最後までやらねばなるまいな、とクルスは考えながら協会へ向かうというニックを見送った。




