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 白い狼の頭を撫でてやりながら、クルスは最近保護した【魔女】の娘について思いを巡らせていた。

 身元不明の魔女を保護したことについては、森に向かった経緯もあり、真っ先にニックに伝えていたものの──報告したその場で【その存在を他の者には絶対に話すな】と固く口止めをされたのだ。

 クルスやニックが懇意にしているオスカー、ルティカルにも内緒にしろというのだから、そこには何かがあるのだろうということくらい想像がつく。クルスは恩師の言いつけを守り、魔女の回復をまった。しかし。


 保護した【魔女】は声を失っていて、情報など聞き出せるような状況ではなかった。軽度の火傷に擦り傷など肉体的な損傷(・・・・・・)は極々軽いものだ──と彼女の世話係を買って出たトゥルーディアから報告を受けていたが、その彼女から精神的な損傷(・・・・・・)の方が問題だ、という報告も受けている。


 一方、魔女より少し早く保護した男性の方は、まだ寝台からも起き上がれない状況だ。こちらはトゥルーディオより「無理して【呪い(まじない)】でも使ったんだと思います」という話を聞いている。人間が無理して魔女が扱うような魔術を使うとそうなるらしい。

 どちらにせよ、彼女らを保護したときから状況はあまり変わっていない。


「──君は元気になったようだが」


 クルスに撫でられて心地良さそうにしていた白い狼が、犬のように可愛らしい鳴き声をあげる。甘えているのだろうか、とクルスは狼の顎の下を擽ってやった。見た目の雄々しさに反して人懐こいのが可愛らしい。


 あの森から救い出してきた二人と一匹。一番回復が早かったのがこの狼だ。脚に軽い火傷をしていたくらいで他は健康そのものだったから、保護して二、三日のうちには元気に歩き回るようになっていた。今のところ食事もよくとっているし、懸念するべき事項もない。

 魔女が飼っていたからなのか、狂暴なイメージのある狼にしてはとても従順で人に慣れていた。トゥルーディオやトゥルーディアはこの白い狼に必要以上に近寄ろうとはしなかったが、狼の方もそれを弁えているらしい。二人が嫌がらない程度の距離で彼は二人に接していた。つくづく賢い狼だと思う。


「旦那様」

「──トゥルーディアか」


 ぺこりと頭を下げ、メイドのトゥルーディアが姿を見せる。庭園でクルスがこの狼と遊んでいるときは彼女はあまり声をかけてこないのだが、どうやら今日はそうではないようだ。


「【魔女】のお嬢様に、もうそろそろそちらの狼を会わせてあげたいのです」

「彼女が望んだのか?」

「ええ」


 にこり、と温度のない笑みを浮かべてトゥルーディアは狼を手招いた。狼は少し迷うそぶりを見せたが、トゥルーディアへ向かってかけていく。「よく見ると可愛らしい子ですね」と本心なのかお世辞なのかわからない言葉を口に、トゥルーディアは狼を優しく撫でた。本当に狼が苦手なのだろうか?


「────」


 トゥルーディアが何かしがを口にすれば、それに応えるように狼が小さく鳴き声を返す。【獣の言葉】か、とクルスはそれを見守っていた。

 ニック(恩師)の話では【獣の言葉】を操れるものは悪い魔女の可能性が高い──とのことだったが、それは魔女の(しもべ)であるものにも通じるのだろうか。

 トゥルーディオがクルスの目の前で初めて【獣の言葉】を操ったとき、彼は「正しい話かどうかは別として」と付け加えてから【魔女】と【使い】が操る言葉だとクルスに説明した。

 本当に悪い魔女の扱う言葉であったなら、トゥルーディオやトゥルーディアはクルスの目の前でこの言葉を扱うだろうか。


「……旦那様?」

「──すまない」

「考え事ですか?」


 どうやら考え事をしている間、トゥルーディアに話しかけられていたらしい。訝しむような顔でトゥルーディアはクルスを見上げ、それから「アガニョークというそうですよ」と楽しそうに笑った。


アガニョーク()?」

「この子の名前です。今教えてもらいましたのよ。……わたくしたちにぴったりの名前ですわね」


 この美しく大きな狼は、クルスたちが立ち上げた組織と同じ名前を持っていたらしい。偶然にしては出来すぎているな、などと笑いながらクルスは狼の名を読んだ。


「アガニョーク」


 狼が自慢げに鳴く。いい名前だろう、とでもいうかのようだ。

 良い名前だな、とクルスは話しかけ、狼の灯色の瞳を見つめる。この美しい狼はあの儚げな魔女の【灯】だったのだろうか。たった一人で森の中に生きる彼女の道標だったのだろうか。


「……君の主に会わせよう。おいで」


 歩き出したクルスのとなりにアガニョークが並ぶ。一人と一匹の後ろにトゥルーディアが控え、二人と一匹は【魔女】の部屋へと向かった。


 見慣れぬ屋敷だろうに、狼は威風堂々としている。すれ違う使用人も今では慣れたのか、白く大きな狼に必要以上に視線を注ぐことはなかった。


 アガニョークがこちらへきたときは凄かったのだ。立派な狼である上、まず見かけない白い体毛。その珍しさは人目を引いた。怪我や火傷をおっていたこともあり撫でくり回されるようなことはなかったが、アガニョークが健康そのものであったならきっとすぐに取り囲まれていたことだろう。この狼は見た目に反して温厚であったし、犬のように従順であったから。


 【魔女】が療養しているのはクルスの屋敷の一番北の最上階の部屋だ。人も滅多に通りかからない部屋だから、誰かを休ませるにはちょうどよかった。部屋の前でクルスとアガニョークが立ち止まり、トゥルーディアが扉をノックする。


「入りますよ」


 部屋の中からはベルをならす音が聞こえた。トゥルーディアが扉を開け、アガニョークを先にとおす。クルスはトゥルーディアをちらりと見て、自分より先に部屋へ入れた。トゥルーディアの方が魔女に信頼されていると思ったからだ。威圧感を与えないのが一番だとクルスは察していた。


 長らく人が使っていなかった部屋だが、トゥルーディアがきちんと整えてくれていたのだろう。急に人が使うことになったというのに埃っぽさもなく清潔な部屋の中には、少し小さなベッドとサイドテーブルだけがおいてある。これだけは間に合わせだが、仕方ない話だった。

 殺風景だな、とクルスは部屋を見回した。もう少し柔らかい雰囲気にした方が【魔女】の気も休まるだろうか。

 クルスはそんなことを考えながら部屋に入る。


 寝台に横になっている【魔女】は、森で保護したときよりも健康そうに見えた。痩せているのは相変わらずだが、あのときにあった擦り傷などは大方治ったようだ。部屋の中にうっすらと香る薬草の匂いは、きっと火傷治しの軟膏の匂いだろう。


 部屋に狼がやって来たとき、ベッドに横になっていた魔女は嬉しそうに目を輝かせた。すみれ色の瞳が窓から差し込む陽光にきらめいて美しい。それと同時に、何となく誰かの面影があるような気がした。誰かはすぐに出てこないが、誰かに似ている気がしたのだ。けれどクルスのそんな考えもすぐに霧散した。アガニョークが本当に嬉しそうに鳴いたのだ。


 ほっそりとした腕が伸び、駆け寄ったアガニョークを優しく撫でる。アガニョークも喜びを爆発させたかのように魔女の手のひらに何度も鼻を押し付けて鳴いていた。

 寝台に足をかけ、身を乗り上げたアガニョークは飼い主の無事を確かめるように何度も何度もその顔を舐める。くすぐったそうに身をよじった【魔女】はほころぶように笑って、白い狼の毛並みに顔を埋めて頬擦りを繰り返す。


 狼の白い毛と【魔女】の白銀の髪がお互いに触れあってさらさらと微かな音をたてている。一人と一匹の再会は心暖まる形で終えることができた。


「まあ。嬉しそうで。良かったですわ。ねえ、旦那様?」

「ああ。……君、体調はどうだ?」


 トゥルーディアとクルスとがそこにいたのに【魔女】は初めて気が付いたような顔をした。あるいは、トゥルーディアがいたのには気付いたが、クルスがいたのには気づかなかったのかもしれない。


 トゥルーディアとクルスとを目にして、魔女はさっと表情を変える。それを見てとったトゥルーディアが落ち着かせるように「この方はクルースニクではありません」と優しく声をかけた。


 トゥルーディアが優しく声をかける一方、失敗したな、とクルスは内心で頭を抱えた。


 多くの【クルースニク】は青い瞳に銀の髪を持つ。そしてそれは偶然にもクルスがその一員である【メイラー家】にも言えることだ。メイラー家に属するものは皆青い瞳に銀の髪を持っている。持つように定められている。それが『失敗』だった。


 トゥルーディアとトゥルーディオの見立てでは“クルースニクに家を燃やされている”だろう──という【魔女】だ。

 そのすみれ色の瞳に、クルースニクと同じ色を持つクルスはどう映るだろうか? 良い印象をもってもらえる可能性は限りなく低い。信頼を築いていくためにもいずれは顔を会わせなくてはいけないが、魔女の反応を見る限り時期尚早だったと言える。


「貴女とアガニョークを保護した【旦那様】です。大丈夫。怖くありません」


 案の定、トゥルーディアが優しく声をかけたというのに【魔女】は怯えたような目でクルスを見上げる。

 小さな唇が「私をどうするつもりなの」と小さく動くのをクルスは見逃さなかった。完全にクルスを疑っている。トゥルーディアが「この人はクルースニクではない」と言ったところで簡単には信用できないだろう。酷い目に遭わされたのだから無理もなかった。


「彼女の声は、まだ……」

「はい。精神的なものか、……熱や煙で喉をいぶされて潰してしまったかのどちらかかと」

「そうか」


 声を潜めて短くトゥルーディアに問えば、トゥルーディアもまた声を潜めてそう返す。

 それは厄介なことだ、とクルスは一歩後ずさった。

 危害を加える気はないという意思表示のつもりだったが、クルスが動いた瞬間に魔女はびくりと身をすくませる。怖がられているのは明白だ。


 「でていって」と泣きそうな顔で魔女は唇を動かした。

 「こわい」。「あいたくない」。「みないで」。「ひどいことをしないで」──。


 声こそ出ていないが、彼女が何を言ったのかは唇の動きを読めばわかる。これは無理だな、と早々に見切りをつけて、クルスは「あとは頼む」とトゥルーディアに目配せした。


「怖がらせたいわけではないからな。……君と話して彼女が落ち着くなら、そちらの方がいいだろう」

「……そうですわね。それでは旦那様、またあとで」


 クルスが部屋を出れば、トゥルーディアが申し訳なさそうな顔でドアノブに触れる。「君のせいじゃないよ」とクルスは笑った。


「出来るだけ早く彼女の警戒を解いてほしい。……話を聞きたいというのもあるが、急に見知らぬところにつれてこられては休まるものも休まらないだろうからな。彼女が何か望んだら言ってくれ。ある程度までは用意させよう」

「かしこまりました」


 小声で話したクルスにお任せくださいとトゥルーディアも小声で返す。部屋のなかにいる魔女は、トゥルーディアとクルスの方を心配そうに見つめていた。その瞳になんとも言えない気持ちを抱えながら、クルスはそっと目をそらす。トゥルーディアの手によってゆっくりと扉が閉じられ、クルスは部屋をあとにした。


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