22
ルティカル・スィリブロー・メイラーはあの森へと訪れていた。二人の部下と共に。
ルティカルがここへ足を運ぶのは随分と久しぶりだ。
湿った土の匂い、ひんやりした空気。木々の葉が擦れて密やかな音を立てる。人はおろか獣たちの気配も感じられない。不気味な鳥の鳴き声が時折風にのって聞こえる。そんな静かな森に、場違いにも不満たらたらな声が響く。
「隊長ォ、どうしてわざわざこんな森ん中に……。燃えたって言ったって小屋っしょ? こんな森の中に小屋建てて住んでるやつ、絶対ろくなやつじゃないスよ~」
「しーっ! ミズチさんてばだめですよ。森のなかは静かにしないと。狼やら熊やらに気付かれたら食べられ放題ですよ?」
「ウェッ」
不満たらたらな金髪の青年を、優しく、しかし脅しかけるように茶髪の女性がたしなめる。二人ともルティカルの部下だ。
流石に野性動物に食われるのは──とミズチと呼ばれた金髪の青年は口を閉じた。いい心がけです、と茶髪の女性は満足そうに頷く。
「それにしても、本当にどうしてこの森へ?」
何かあったことはクルスさんから聞いていますけど、と茶髪の女性が首をかしげる。
──数日前、ルティカルはクルスよりこの森の調査を頼まれていた。不審火によって森の中にある小屋がひどく燃えていた、と。その調査とともに、以前にオスカーが森の中で襲われた件についても調べてほしいと。
前者はともかく後者は「クルースニクであるオスカー」が襲われた事件なのだ。ならばクルースニクたちが調べるのではないか、と尋ねたルティカルに「あまり乗り気ではなかったらしい」とクルスはため息をついて返した。
その返事でルティカルは調査をすることに決めた。おそらく、オスカーは【クルースニク】たちから完全な信頼を勝ち得てはいないのだ。「人間の分際で」と下に見られることもまだまだあるわけか、と察した。だからオスカーのためにクルースニクは動こうとしないのだろう、と。
──悔しいだろうな。
認められない辛さはルティカルにもよくわかる。ルティカルもまた、メイラー家の当主としてはまだまだ──などと言われる身ゆえに。
オスカーが努力して“クルースニク”となったことをルティカルはよく知っている。
ルティカルよりもずっと線の細い男だが、それでも今は怪物と互角以上に渡り合う男だ。血反吐を吐くほど苦労して、というのが比喩にならないほど、彼は様々な困難と苦境を乗り越えてきた。
オスカーはクルースニクとは思えないほどよく笑うし、表情も豊かで親しみやすい。けれどその顔の下にはルティカルの想像が及ばないほどに重いものをもっている。表面上の穏やかさで誤魔化されてしまうが、オスカーは確かに“クルースニク”に相応しい覚悟を持ち合わせている。
ルティカルの従兄弟であるクルスも、オスカーと同じようにクルースニクを目指していた時期があったが──彼は途中でクルースニクになることをやめてしまった。
その決断をする前に「人と怪物の見分けがつかなくなってしまう」とクルスが呟いたのをルティカルはよく覚えている。
生まれながらにして怪物と戦う使命をもった“種族”としての【クルースニク】は、おそらく葛藤などというものとは無縁なのだろう。
生まれや属性が【怪物】であったなら、対象の性質に関わらず断罪できてしまう。抹消できてしまう。それが【クルースニク】のあるべき姿だからだ。
けれど、クルスはそうなるには優しすぎたのだ。クルースニク候補として経験を積むうち、彼には何が正義なのかわからなくなってしまった。
──全く無害な“心優しい魔女”や“温厚な吸血鬼”を葬りさることが果たして【正義】なのか?
その疑問を抱えたまま続けていけるほどクルースニクは甘くない。結局、クルスはクルースニクをやめた。そしてその代わりに不条理な恐怖にさらされることになった【怪物】たちを助ける方へ回った。
そのものたちの【属性】より【本質】で判断したい、というのがクルスの結論だったのだろう。
それゆえに口さがない話をされることもあるが、クルスもその偏見と戦い続けている。
オスカーもクルスと同様の疑問を抱えながら、今日も戦っている。【正義】が何なのかを追い求め、疑問を捨て去ってしまえばクルースニクとしてどれ程楽なのかを知っていながら、それでもより良い答えを導き出せるように戦っている。
ルティカルには、それがどれ程難しいことなのかよくわかっている。精神的にも肉体的にも削られることだってあるだろう。それでも笑っていられるオスカー、手を差し伸べ続けるクルスは強いと思うのだ。そんなオスカーやクルスだからこそ、ルティカルも助けたいと思う。
「──問題があったのは小屋だけじゃなくてな。その前にこの森でクルースニクが一人襲われているんだ」
「クルースニク……ああ、ええと──オスカーさん?」
「ああ。聞いたところでは射られたようでね。それに、小屋が燃えたのと同時期に、ここの森番まで不埒な輩に怪我を負わされたとも聞いている。調査しないわけにはいかんだろう?」
本当はもうひとつ理由があったのだが、ルティカルはそれを口にせずにいた。燃えたという小屋がもしかしたら──、という期待があったのだ。
「でも、それにしたって隊長が直々に調査スか? 俺たちまで引き連れて? 物々しすぎないスかね」
「──昔、この森には何度か足を運んだことがあったからな。その話を知っていたからクルスが頼みに来たのだと思う。慣れない人間よりは慣れた人間を派遣した方がいいし、私と君たちならば腕も立つ、と考えていたようだ」
「ええっ……隊長とウォルターさんはともかく……俺はサンドバッグにしかなれないスよ……?」
「ははは。謙遜はいきすぎると嫌みだぞ」
「謙遜するようなタイプに見えます!?」
うげえ、と嫌な顔をしたミズチに「危険な目に遭ったら私が君達を護るから」とルティカルは苦笑いする。耳や口許にたくさんのピアスをつけて派手な破落戸のような装いだが、ミズチは案外荒事が苦手なのだ。打たれ弱いともいう。
「まァ、隊長がこの森に来たことがあるってんなら安心っちゃあ安心スけど……」
もちろん、数年前にルティカルが森に出入りしたときも彼女の姿は見つけられなかった。それでもオスカーからベビーリングの話を聞いたとき、また希望を見いだしてしまったのだ。もしかしたらその小屋はあの子が住んでいたものなんじゃないか、と。
そうであるならば是非とも調査したかった。
この森を守っているはずの【森番】が手酷く襲われたのも気にかかる。何かあるような気がしてならないのだ。
森の奥深くへと向かえば、少し拓けた場所に出る。花畑の中に焼けた小屋の残骸を見つけ、三人は立ち止まった。
ひどい有り様だ。ここに人がすんでいたのかどうかは知れないが、火事が起こったときに人がいたのだとしたら、きっと無事ではすまないだろう。外壁だったのであろう部分は焼け崩れ、元の形をとどめていない。
「……これは」
随分変な燃え方をしていますね、という部下の指摘にルティカルも頷いた。まるで小屋だけを燃やしたかったかのような燃えあとだ。小屋をぐるりと囲むように焼け焦げたあとが残り、それが不自然なように見える。
「魔道具でも使ったんスかね?」
「……この森には魔女がすんでいるって話もよく聞きますしね。もしかしたらここにすんでいた魔女が魔道具を使って……失敗したのか、あるいは意図的に火事を引き起こしたか」
「……リピチア君」
茶髪の女性、リピチアが「はい」とルティカルに返す。「この瓶を調べることはできないか」とルティカルは焼け跡からガラスの瓶をひとつ拾い上げた。
「それだけで良いんですか? ほかにも瓶は転がっていますけど」
リピチアはくるりとあたりを見渡す。魔女が住んでいたのでは、というリピチアの推論には根拠がある。その内のひとつとして「硝子瓶がやたらに転がっている」というのがあった。薬や魔術の材料を保存しておくための瓶ではないか、というわけだ。
どれも火事の高熱で形が崩れたり溶けたりしていたために元の形状はわからないくらいだが、大きさから見るに薬種や液体を保存しておくための瓶だろう。内容物が変質しないようにと遮光性のある色つき硝子でできているのがその証拠だ。しかしルティカルが拾い上げたのはごく普通の硝子瓶だ。色つきではないし、他の瓶に比べてまだ原型を保っている。
「……ああ、なるほど。そういうことですね」
リピチアはほんの数秒その硝子瓶を見つめてから「確かにこれは怪しいです」と頷いた。はァ、なるほど、とミズチも声を漏らす。
「同じように加熱されててこれだけまとも……ってのはおかしいスもんね。家の外に硝子ビンを放り投げておくような趣味があるってんなら話は別なんでしょうが。同等に加熱されたのにこっちだけ原型をとどめてる……っつーのはまず有り得ない。……外から持ち込まれたモンってとこスかね?」
リピチアと同じように頷いたミズチにルティカルは「ああ」と続ける。
「放火の可能性もあるんじゃないかと思ってな。何か引火性のあるものを瓶にいれて持ち運んだのかもしれない」
「ですね。帰ったら調べてみます」
他にも何かありそうですねえ、とリピチアは焼け跡に近づいて現場を検分していく。
結局、三人が見つけたのは似たような瓶を三つ、それから溶けた鉄鍋やおそらく本棚か何かだった炭の塊だ。
どこを見ても火の勢いが強かったことを感じさせる現場に、ルティカルはひっそりとため息をついた。
──この家の主は誰だったのだろう。
何か一つでもあの子に繋がるものがあれば、と思ったのに。すべて真っ黒に焼けていてそんなものは見つけられもしなかった。
見つからなくてよかったのかもしれないな、とルティカルは溶けた鉄鍋を見つめる。ここに住んでいたのが妹だとはっきりしてしまったら、自分が平静でいられる自信がなかったからだ。
どのみちこんなに焼けていて、中の人間が無事であるはずがない。屋根だったのであろうものは崩れ落ちて地面に突き刺さっていた。それをどけて調べたりもしてみたが、あの屋根の残骸は少々重かった。下敷きにされたりしたらひとたまりもないはずだ。
ある程度見回ってから、「戻るか」とルティカルは部下二人に声をかける。「帰りがてらオスカーの襲われた場所へ行く」と伝えれば「了解」とだけ帰ってきた。
***
「……熊だったら俺は逃げますからね」
ミズチはそう口にして早くも逃走準備に入っている。「熊だったらもっと大きい音を立ててますよ」とリピチアは笑いながら、それでもがさがさと揺れる茂みから目をそらさなかった。
焼けた小屋をあとにして、帰りがてら三人はオスカーの襲われた場所へと来ていた。何か手がかりになりそうなものは──と探していたところ、茂みががさがさと揺れ始めたのだ。獣が出るという話を聞いていたミズチがいち早くそれに反応し、ルティカルの背に隠れ、リピチアは何が出るのかとわくわくしながらその茂みを見守っている──というわけである。
「大丈夫ですよお。熊が出たって隊長がどうにかしてくれますもん。ねっ?」
「投げ飛ばすことしか出来ないが……」
「アンタ本当は人間じゃねえな!?」
さっきも焼けた屋根をひとりでどけてたし……! とミズチはルティカルの後ろに庇われながらも叫ぶ。ルティカルの拳は岩をも砕く──という話をミズチは知らないわけではないし、どちらかといえば信じている方だ。彼の筋肉は伊達ではないとよく知っている。
本当に熊だったらこの人に全部任せよう、とミズチは決意して、わざわざ茂みに近寄っていったリピチアを恐る恐る見つめる。熊を投げ飛ばせてしまうルティカルも大概だが、こういう状況なのにも関わらず全く無警戒で何かがいる茂みに近づいていくリピチアもリピチアだ。生き物に詳しいからこそ「熊ではない」という確証を持っているのだろうが、熊ではないからといって危険性のない生き物だという確証もない。正気かよと呟いてしまう。
「怖くないですよぉ~。大人しく出てきたら保護しますからねぇ」
んふふ、と怪しげな笑い声を漏らしながらそうにこにこしているリピチアに「気を付けろよ」とルティカルが声をかけるが、「気を付けろよ」ではなく「近づくなよ」が正解ではないのかとミズチは心底思う。リピチアの気味の悪い笑い声に萎縮しているのか、がさがさとうるさかった茂みが少し大人しくなり始めた。
しん、と静まった茂みをリピチアは覗き込み、葉っぱの間から何か見たのだろうか──「おお」と感心したような声をあげて茂みに手を突っ込んだ。手を突っ込まれたからか茂みは再びがさがさと煩く音をたて始めたが、リピチアは全く動じていない。しばらく見守っていれば、リピチアは「重ッ……」と苦笑いしながら真っ黒で毛むくじゃらな何かを茂みから引きずり出してきた。リピチアの腕の中でもぞもぞと居心地悪そうに動いている真っ黒な毛の塊は、小動物というには随分大きい。
「小熊?」
「違いますよ~。……やだ、この子怪我して……あ。火傷もだ」
ひとまず危険はなさそうだ、とルティカルの影からひょこりと顔を出したミズチに、「猫ちゃんです」とリピチアは重そうに抱き上げた【猫】をミズチに見せる。リピチアの言うとおり、所々に細かな傷と火傷をしたようなあとが残っていた。しかし大きな猫だ。近くで見ても本当に小熊のようだった。
「火傷……もしかしてあの小屋にいたのか?」
「その可能性はかなり高いと思います。首輪こそしていませんが、この慣れよう……人に飼われていたと思いますよ」
普通の猫は抱き抱えられたときに滅茶苦茶に反撃してきますもん、とリピチアは猫をルティカルに差し出した。「ものすごく重いのでお願いします」と。平然と抱き上げているようにミズチには見えていたが、案外そうでもなかったようだ。でかいもんな、とミズチは真っ黒な猫を見つめる。二足で立ち上がらせたらミズチの胸くらいには届くんじゃないだろうか。小型の猫の三倍くらいはありそうだ。
「んんっ……確かに……しかし立派な猫だな」
「デブ猫ってやつっしょ? 肥満体型スよこれ」
「う、うーん……確かにそれはちょっと否定できないかもですね……」
元々大きくなる種の猫っぽくはありますが……とリピチアはもにょもにょと呟く。どうみても肥満だろとミズチは内心で突っ込んだ。人には妙に厳しいくせに生き物には妙に甘いのがリピチア・チヴェッタ・ウォルターという人間だと知っているからだ。
ルティカルが抱えると途端にぬいぐるみのような大きさに見えるのも不思議だなあ、と思いながら、ミズチは猫の口許を見る。なにかが鈍く光っているのだ。
「こいつ、何か咥えてますよ」
「だから捕まえても鳴かなかったんですかね? 猫ちゃあん、ほら、あーん」
リピチアが声をかけても猫は咥えたものを離そうとはしない。ミズチも咥えているものを離させようと口許に手を持っていったが、手のひらを引っ掛かれておしまいだった。可愛くねえな! と思わず呟けば「ミズチさんが乱暴なんですよ」とリピチアがじろりとねめつけてくる。
「……困ったな。奪い取ったりはしないから、君の口にあるものを見せてはくれないか?」
ルティカルが困ったように猫に伺いをたてる。そんなことしたって猫に言葉なんか通じねえよ、とミズチは可愛くない猫をついじろりと見てしまったが、猫は案外あっさりとルティカルの求めに応じた。口許からころりと石のようなものが落ちる。可愛くねえな! と今度こそミズチははっきり口に出してしまった。即座にリピチアが肘でついてくる。
「あれ、これ……」
「鏃だな」
猫の口から転がったものを拾い上げたリピチアに、ルティカルは「どうして猫が鏃を?」と首をかしげたが、リピチアも「さあ」と答えるほかなかった。
ともかく猫もつれて町へ戻ろう──ということになり、三人は森を後にする。
瓶が数個に溶けた鉄鍋、そして鏃つきの猫が一匹。
奇妙な収穫だった。




