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 星の綺麗な夜だ、とニルチェニアは嘆息した。

 月が新しく生まれ変わるときはいつもそうだ。月の姿がない代わり、星が美しく煌めく。ニルチェニアはこんな夜が大好きだった。きらきらとした星を見つめながら、自分で勝手に星座を作ってみる。それから、その勝手に作った星座に物語を作ってみたり。そんなことをして遊ぶのだ。魔女にとって夜は怖いものではなかった。透明で、ひんやりした空気はニルチェニアに夢を見せてくれる。


 闇を怖がるものにとっては永遠に感じられる夜は、ニルチェニアにとっては瞬きのような時間だ。

 ひとりぼっちの孤独な魔女は星明かりに夢を見ている。


 美しい星の瞬く夜は、ひとりぼっちのニルチェニアの心をいつだって慰めてくれた。まるで星が話しかけてくれているかのように、優しく美しくきらめいてくれるから。


 窓の向こうの夜空はいつもより格段に綺麗で、ニルチェニアはふふ、と小さく笑みをこぼす。その右手の薬指には先日もらったばかりの指輪。優しい色合いのアメシストはいつ見てもうつくしい。見つめるだけで心のどこかがあたたかくなって、幸せになれるのだ。


 今度はいつ会えるのかしら。


 ここのところ、ニルチェニアはそんなことばかりを考えている。

 ニルチェニアの王子さまになりたいといってくれたオスカー。夢を諦める必要はない、とニルチェニアが欲しかった言葉をかけてくれたオスカー。柔らかい癖っ毛も、いつも笑っているような細い瞳も、何だかとても素敵に思えた。


 一人で暮らしていたときに抱えていた、あのもやもやとして重い気持ちは、彼に出会ったことで軽くなった。なりたかったものになれたオスカーは、自分の夢を叶えたオスカーは、ニルチェニアの目には本当に眩しいものに見えたのだ。ベッドに潜り込みながら、ニルチェニアは幸せな気持ちで瞼を閉じる。いつかあの人のように自分も夢を叶えたいな、と。


 胸元にすり寄ってきたノーチを撫でて、「早く会えると良いな」と呟いてしまう。

 今度会えたら何を話そうか──などと独り言を呟きながら、ニルチェニアはノーチとじゃれる。柔らかいお腹を撫でて、肉球をつついたりして。喉の辺りを撫でればゴロゴロと喉をならすのが可愛らしい。夜がゆっくりと忍び寄り、ニルチェニアがうとうととし始めた頃だ。


 外を見ていたアガニョークが鋭く吠え始めた。

 

「アガニ?」


 どうしたの、と問うても狼は吠えるのみ。様子を見ようと外に出ようとしたニルチェニアをその場に引き留めたのはノーチだった。ニルチェニアの服の裾をしっかりと咥え、うう、と普段なら出さないような低い鳴き声をあげてノーチもまた外を見ている。外に何が、とニルチェニアが窓の向こうを覗こうとしたとき、オレンジ色の光がゆらりと立ち上った。


「……え?」


 その光が何なのか、ニルチェニアは一瞬わからなかった。ゆらり、ゆらりとたなびくそれは、風に揺れる洗濯物のような優しい動きをしているが──。


「な、何で……どうして燃えてるの?」


 窓越しにでも熱が伝わる。家の外側が、壁が焼けているのだろう。木の焼けたときの、あの鼻につく嫌な臭いがした。吸ってしまった煙に噎せて、外に出ようとノーチを抱えて扉を開ければ、ニルチェニアを待ち受けていたのは炎による熱風だ。勢いの強さに思わず尻餅をついてしまう。ニルチェニアが開けてしまった扉を、アガニョークが体当たりで閉め直した。どうしよう、とニルチェニアの顔から血の気が引いた。外にも出られない。

 炎はどうやら家の周りを取り囲んでいるらしい。これが人為的なものであるのは瞭然だった。湿度の高いこの辺りにはまともな火種がないからだ。ここまで燃え盛っているのならば、それは人為的なもので間違いない。


 何で、と呟いてしまう。


 どうして燃えているの。誰がやったの。何で──。


 家の中はだんだんと熱くなってきていた。木製の壁は徐々に焦げ、ニルチェニアたちは自然と家の真ん中に追いたてられてしまう。舐めるように床を這う炎、ぱちぱちとはぜる音、煙の臭い、身を焦がすような炎の熱。その何れもが受け入れがたく、ニルチェニアから冷静さを奪っていく。お気に入りだったカーテンも焼けていた。敷物も、飾っていたリースも、大好きな絵本を納めていた本棚も。


 ──壁に飾っていた、オスカーが描いてくれたノーチとアガニョークの絵も。


「な……やだ、どうして」


 涙があふれでてくるのは煙のせいではない。

 ふと頭に浮かんでしまったのは、オスカーだった。

 この家を知っているのは彼くらいだし、彼はクルースニクだ。


「嘘っ……嘘よ、そんなの、だって」


 足から力が抜けて、ニルチェニアはその場にしゃがみこんでしまう。

 【彼】が仕組んだことなのではと考えた瞬間、それが正しいように思えてしまった。辻褄が合ってしまうのを感じた。

 彼はクルースニクで、ニルチェニアは魔女だ。

 通常、魔女の処刑は『火炙り』だと決められている。悪しき魂を炎の力で浄化するのですって、とリラが少し呆れたように話していたのを、ニルチェニアは思い出してしまった。そんなの、と頭をふって否定する。


「──だって、欲しかった言葉をくれた……!」


 ──君の王子さまになりたい。


 優しく笑ったオスカーの顔を、ニルチェニアはずっと覚えていたいと思った。


 でも(・・)


 それらの全てがニルチェニアを油断させるための言葉だったとしたら?

 手負いの自分では確実に始末できるかどうか分からなかったからこそ、体調が万全になった今、こうしてニルチェニアたちを始末しようとしているのだとすれば?

 ことあるごとに「この家にいたい」と彼が口にしていたのは、自分を観察し、始末する時間が欲しかったのだとしたら?


 始末の算段がたったからこそ、彼はこの家を出ていき──支度を整え、この家ごとニルチェニアを燃やそうとしているのではないだろうか。ノーチやアガニョークに警戒されないよう、彼らとも打ち解けて。そうして勝ち得た信頼で、ニルチェニアたちを火刑に処すつもりだったのではないだろうか。

 頭のどこかが凍るように冷えて、けれど心のどこかはそれを否定しようとした。


 ──でも。

 ──でも、彼は。

 ──オスカーは。


 燃える家のなかで考えれば考えるほど、ニルチェニアの想像は嫌な方へ向かっていく。メキメキと嫌な音をたてて、燃えた屋根が崩れていく。ふと上を見上げれば、熱で歪み、軋んだ屋根の隙間から綺麗な星が見えた。歪んだ夜空を見上げ、このまま焼き殺されるのだろうとニルチェニアは諦める。このまま深く息でも吸って、眠るように死のうか。でも、せめてこの二匹だけは助けたい。


 どうかこの子達だけでも、とニルチェニアは炎の熱をこらえながら、部屋のすみにおいてあった水入りの大きなバケツを引きずってくる。これは洗濯用にとっておいた水だけれど、もう使うこともないのだから。


「ノーチ、アガニョーク、おいで」


 二匹を集め、ニルチェニアはバケツの中の水を二匹に被せた。ぐしょ濡れになった二匹は一瞬だけ混乱したそぶりを見せたものの、ニルチェニアの「きいて」という言葉に驚くほど従順に従った。


「焼けた木はきっと熱いけれど、どうか我慢してね。貴方たちならあの屋根の隙間から出られるはずだから」


 崩れた屋根の木材が、ちょうどよく重なってあの歪んだ夜空へ伸びている。そこを指差し、ニルチェニアは「私は跳べないから」と二匹に言い聞かせた。どうか長生きしてね、と。

 アガニョークが唸る。その唸りの意味を理解して、「ありがとう」とニルチェニアは泣きながら笑った。


「わたしのことをわかってくれていたのは、貴方たちだけだったのかもしれないわね」


 屋根もいよいよ崩れ始め、炎は辺りを包み込んでいく。自分の髪や服が焦げたような匂いを発しているのを感じながら、ニルチェニアは「いって」と口にした。


 みしり、とニルチェニアの頭上で一際大きな音がする。はっとして頭上を見上げた。梁が焼け焦げ、屋根が落ちてきたのだ。燃えている屋根の欠片が自分の上に降り注ぐのを、ニルチェニアはぼんやりと見つめてしまう。


 ──魔女にはふさわしい最期だわ。


 ニルチェニアが諦めて目を閉じたとき、黒いものがニルチェニア目掛けて跳んでくる。強い衝撃を受けて床に転がったニルチェニアの耳に、「みゃあ」という猫の鳴き声が聞こえた。はっとして目を開ければ、自分がいたところには焼け落ちた屋根の破片が突き刺さっている。


「……ノーチ?」


 返事はなかった。


 ノーチ、とニルチェニアがもう一度呼び掛ける前に、アガニョークがニルチェニアの服を無理矢理引っ張った。自らの背中に器用に飼い主を乗せ、大きな白い狼は一声吠える。崩れ落ちた『屋根だったもの』の上を器用に渡り歩きながら、アガニョークはニルチェニアもろとも外へ飛び出た。


 月に前足をかけんばかりに、白い狼が夜空へと跳ね上がった。


 煙の臭いと炎の熱が体にまとわりつく。それでもアガニョークの背に掴まりながら、ニルチェニアが焼け崩れる家の上からみたものは。


 ──銀髪の男達が四人。

 そのうちの二人は白い服を着ていた。幸いにも飛び出たニルチェニアたちには気づかずに、燃える家を眺めている。その瞳はどこかうっとりとしているようにも見えた。


 ──“クルースニクはね、いつも白い服を着ているの。銀色の髪に青い瞳をもって、人々を怪物から救うのよ”


 昔々、リラに教えて貰ったことだ。


 ──“もし、貴女が白い服に銀色の髪、そうして青い瞳の聖職者に遭ってしまったら”

 ──“それはきっとクルースニクよ。だから逃げなさい”

 ──“私たちが【魔女】と忌み嫌われる限り、私たちは彼らの敵だから”


オスカー(クルースニク)……!」


 自分でも驚くほどに、ニルチェニアの喉からは怨みのこもった声が漏れていた。焼けるように熱い空気を吸い込んでしまっても、そう漏らさずにはいられなかったのだ。


 どうしてクルースニクがここにいるのか。

 なぜ家を燃やされたのか。

 もう考える必要はなかった。裏切られたのだと理解した。


 燃え盛る炎、焼ける臭い、ひりつく喉に目に染みる煙。

 そのどれもが辛かったけれど。


 引き裂かれるような胸の痛みにくらべれば、裏切られた辛さにくらべれば。

 そんなものは大した問題じゃない。


「信じていたのに……!」


 声と共に迸るのは怨嗟だ。抱いてしまった愛と同等の、黒くてどろどろとした醜い感情。燃え盛る炎より熱く、ニルチェニアの胸を焦がす忿懣。


 やはりクルースニクなど信じてはいけなかったのだ。彼らは敵であり、決して味方にはなってくれない。

 きっと彼は、ニルチェニアの夢など嗤っていたに違いない。どうせ焼け死ぬのに、と。


 話してはいけなかったのだ。出会ってはいけなかったのだ。

 愛してはいけなかったのだ。


 身体に受けている熱とは裏腹に、ニルチェニアの心は冷たく凍っていく。クルースニクの姿さえなければ、人狼のように月に向かって吠えていたかもしれない。唇をかみながら堪えても、殺しきれなかった怨みが低い呻きとなって夜の闇にとけていく。


 ──絶対に赦さないわ。


 最後に脳裏に思い浮かべたオスカーは、王子さまの顔などしていなかった。醜悪な悪魔のような笑みで、にたりと嗤っている。

 狼の背に乗った魔女は、手につけていた指輪を抜き取った。一瞥することもなく、それを燃える家に向かって投げ入れる。きらりと煌めいたアメシストは、炎に呑み込まれて見えなくなってしまう。


 魔女の顔には後悔などなかった。深い憎しみ、鋭い悲しみ。裏切られたことへの絶望。

 焼け落ちていく家を取り囲む炎は、魔女の顔を明るく照らした。美しい菫色の瞳は、炎の光で血のような赤に染まっている。最後に涙を拭い、魔女は狼と共に森へと消えていった。




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