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「何だったんだ、この森番は……」
「殺さなくて良いのですか? クルースニク様」
クルースニク二人相手に大立ち回りを演じて見せた森番の男だったが、人には限界というものがある。ついにはクルースニクの猛攻を捌ききれなくなり、あえなく無力化させられた。骨こそ折れていないが、打撲傷は見えている場所だけでも七ヶ所。【一般人】相手にクルースニクがここまでするのは、異例中の異例であろう。
一方、クルースニクたちも無傷で男を無効化出来たわけではない。一人に対して二人がかりだった分、森番よりは傷も浅いが、一般人を相手取ったとは思えないほどの怪我を負っていた。手間をかけさせられたな、と顔についた泥をクルースニクが拭う。
魔術をいくつか放ち、それも打ち消され、自分達が武器を持っているにも関わらず、森番にはスコップ一本で受け流される──。まるで“クルースニク相手の戦闘”を想定していたかのような動き。二人がかりだったからこの結果で終わったが、一人だったらどうなっていたことか。この森番についての謎は深まるばかりだった。
森番の男が抵抗した際にクルースニクの方も手荒な方法を取らざるをえなかったために、男の鷲色の髪の間からは赤い血が見えていた。殴られた顔を腫らしながら、森番はいまいましげに四人を睨み付ける。クルースニクの男はそれを受け流した。関係ないとでも言うように。
「人である以上、我々には命を奪う権利はない」
「……縛って小屋に。魔女の捜索が終わったら、帰りにその男の拘束は解いてやれ。人でありながら何故魔女の術を身に付けているのか。詳しく聞く必要がありそうだが……怪我をさせた手前、今回だけは多目に見てやる」
ケッ、と森番の男は血反吐を吐いた。お前ら覚えてろよ、と悪役のような台詞まで口にして。腕を縛られ、足も縛られ、身動きを取れないようにされても森番の男は折れていない。
汚ならしい人間が、と爪先で男を蹴りあげようとしたメイラー家の男をクルースニクが制す。それ以上やる必要はないと。その代わり、最後にもうひとつ術を使って男を気絶させた。ようやっと大人しくなった男に四人ともが安堵する。
「──これで良いだろう。【魔女】を早く見つけにいこう。狼男達にくらべればましとはいえ、夜になれば多少厄介だからな」
あちらも夜に押し掛けてくるとは思うまい、とクルースニクの男は呟いた。魔女の得意な時間に奇襲をかけてくるものなどいるわけがないと思っているだろうよ、と。
魔女に限らず、大抵の【闇に親しむもの】──つまりは怪物──の活動時間は夜である。狼男は満月の夜にしか暴れまわることが出来ないが、魔女や吸血鬼なんかはそうじゃない。満月の夜よりは随分とおとなしいが、それでも活動は可能なのだ。魔女の場合、昼間にも出歩くことがある──という話もある。出歩いていられる時間が長い分、狼男よりもずっと弱いのが常だが。
縛り上げた森番を小屋に放り込む。小屋を外から見たときの襤褸さと汚ならしさとはまるで違って、小屋のなかは綺麗なものだった。椅子が二脚と子供用のそれもひとつ。部屋のすみにある本棚には絵本が何冊か。奇妙な家だと呟いて、男たちは小屋をあとにした。
***
「旦那様」
先ほどニック様より言付けが、とメイドのトゥルーディアが駆け寄ってくる。言付け? と聞き返したクルスに「こちらを」と手渡されたのは小さな筒だ。伝書用の筒の中身がなんだかはわからないが、封をするために用いる紙と蝋の色の組み合わせは、確かにかつての師のものに間違いはない。しかも、これは【緊急】を示す色の組み合わせだ。青に金の粉が混じった封紙に赤い蝋。オスカーが帰ってきて間もないと言うのに、また何か厄介ごとでもあったのだろうか?
「先程鳥が運んで参りました」
「わかった」
クルスに用があるなら、ニックはこの屋敷に赴くのが常だ。依然あったように突然来るときもあるが、大抵は事前に連絡を寄越す。こんな風に鳥を使って連絡を寄越すのは、何かあった時のみ。その上【緊急】ともくれば、どうしたって嫌な予感がする。クルスはその場で筒を開けた。出てきたのは一枚の紙だ。殴り書きのような文字はまだインクも乾ききってはいない。
「──トゥルーディア、トゥルーディオを呼んできてくれるか。それから馬車の手配。これから森に行く。君もついておいで」
「森と言うと──あの森ですか? この前オスカー様が襲われたという?」
「ああ」
「いったい何用で──? ……いえ、そういうことですわね。かしこまりました。最短で用意させますので、暫しお待ちくださいませ」
クルスの顔色を読み取り、メイドのトゥルーディアはにっこりと笑った。【灯】としての活動なのですね、とひとつ頷いて、従者のトゥルーディオを呼びにクルスの前を辞した。
「嫌な方に動かなければいいが」
トゥルーディアが去った方を見ながら、クルスは誰もいない廊下でぽつりと呟いた。師から託されたメモ同然の紙には、不穏なことが綴られている。
──“今すぐあの森へ行き、女性の保護を頼む。クルースニクが二人、不確かな情報で動いている”
そういえばあの森に魔女がいると聞いたな、とクルスはニックとの会話を思い出していた。それに付随して、従姉妹のロベリアがあの森に迷い込んだときのことも。クルースニクが動いているというなら【闇に親しむもの】関連の事案なのだろう。しかし、ニックがクルスにこうして言付けるというならば、それは害のない存在が害されようとしている、ということなのだろう。“不確かな情報で動いている”と記載されているあたりに師の想いが表れている。
ニックは【クルースニク】であるがゆえに表立っては動けない。だからこそ、クルスはこの組織を立ち上げた。一人でも多く闇から救うために。闇から抜け出す者たちの灯となるために。
「まあ……! 酷いことを……」
小屋の中に転がされていた男を見て、トゥルーディアは顔をしかめる。彼女の双子の片割れであるトゥルーディオも同じように顔をしかめた。男女の性差こそあれそっくりな二人が、同じタイミングで同じように顔をしかめるのは、何だか質の悪い夢のようでもある。外装に反して暖かみのある内装の小屋の中に転がされた、ぼろぼろの男を見つけての反応なのだからなおさらだ。
「ボコボコにしてから縛るなんて賊のすることじゃないですか。本当にクルースニクがここに来てるんですか?」
「命まではとっていないあたりがむしろ彼ららしいとおれは思うが」
タチ悪いな、とトゥルーディオがぼろぼろの男を抱えて乗ってきた馬車へと移す。処置ならば私が、と申し出たトゥルーディアに男を任せ、トゥルーディオとクルスは森へ。
クルスたちが森についたのは日が暮れてすぐのことだった。いつものように森番の男が出てくると思っていたのに、彼が出てこないことを不審に思って、小屋を覗いたらあんなことになっていたのだ。小屋の前に争ったような形跡があった──とトゥルーディオが折れた剣の先を拾ってきたのが幸いだったと言うべきか。そうでなければ不審には思っても、小屋を覗くことまではしなかったかもしれない。
「足跡は四つありましたね」
「ああ。恐らく二つはクルースニクのものだ。あとの二つは……クルースニクのものではないように思う」
「貴族っぽいですもんね。森に踏みいるには不向きな靴の跡だった」
俺はクルースニクの足跡はわからないですけど──とトゥルーディオは言う。見慣れれば簡単だよ、とクルスは返した。今度教えて下さいよとトゥルーディオはねだり、それから。
「こんな森に女性が本当に住んでるんですかね?」
鬱蒼とした森を見渡して首をかしげる。こんなとこ男だって住もうと思わないでしょ、と。
「住んでいなければ、あの人はあんな手紙を送っては来ないよ」
「それもそうですねえ」
先生の言うことだから確実なのは確かだ、とクルスは音を出さないように森を進む。トゥルーディオはクルスよりも上手に歩きながら、クルスの行く先にある枝やら丈の長い草やらを振り払っていた。流石に慣れているな、と感心してしまう。クルースニクの修行を積んだ自分よりも“経験”のあるトゥルーディオの方が森のなかではよく動けそうだ。
トゥルーディオとトゥルーディアは、クルスの従者を務める前は【魔女の従者】として一人の老婆に仕えていたのだという。朗らかそうに見えて強情な双子の従者はそれ以上の情報をクルスには与えなかったが、善人であったのに【魔女】だからというだけで火刑台へ送られたかつての主人のことを、深く尊敬していたのだろう。だからこそ、クルスが【闇に親しむもの】を理不尽な害意から守る組織、【灯】を立ち上げてすぐに──クルスの元へ来たのだ。私たちもその組織に加わりたい、と。
「ねえ、旦那様。クルースニクとかち合ったらどうする気ですか?」
「その時はおれが交渉するよ。結局クルースニクにはなれなかったが、彼らのやり口は心得ているから」
こちらが人間である以上、彼らは滅多なことじゃ手出しはしないはずだから、とクルスは続ける。
「ふうん……。さっきの森番の男はボッコボコでしたけど」
「……手出しされたら君の好きなようにして良い」
ため息をついたクルスとは裏腹に、トゥルーディオは心底嬉しそうな笑みを見せた。クルスにはその理由がわかっている。トゥルーディオもトゥルーディアも、【クルースニク】が嫌いなのだ。クルスの意思に賛同しているオスカーやニックはそうではない様子だが、大半のクルースニクを毛嫌いしている。かつての主人を火刑台へ送ったのはクルースニクだそうだから、無理もなかった。
あたりをゆっくり見回して、ちょうど森ですもんね、とトゥルーディオは小さく呟いた。
「……積極的に仕掛けにいくのは無しだ。いくら君が不意打ちに長けていたとしても」
聞こえてましたか、とトゥルーディオは悪びれなかった。馬車に残す方を間違えたな、とクルスは顔をしかめる。
***
何処まで行っても深い森だ。革靴には泥の水気が染み込み、重く冷たくなっている。背の高い草花はともすれば目をつついたり頬を切り裂きそうで、こんなところに来たくなかった、と男は何度目になるかもわからない愚痴を心の中ではいた。
クルースニクの連中は男とは裏腹に疲れた様子も見せない。さすが怪物退治が生業なだけあるよなあ、と呆れにも似た感心を抱いた。
「……手伝いにいらしたと聞いていましたが」
「疲れたのなら帰っていただいて結構ですよ」
クルースニクの男二人は無表情で疲れた顔の男たちを見やる。ごもっともな話だった。これだから人間は──という言葉こそ吐かなかったが、冷たい瞳が如実にも語っているのはそれである。
何だよ、と男は吐き捨てた。俺だってこんなところに来たくて来た訳じゃないのに、と。
魔女さえ早く見つけてしまえば、男の仕事は終わるのだ。適当に始末して、終始を報告すればそれで済む話だ。
──【悪い魔女は正義のクルースニクに退治されました】。
どんなおとぎ話だってそう結んでおけば取り合えず片付く。早く帰って暖かいベッドに潜り込みたいと思いながら、日も暮れた森をさ迷う。
森をさ迷い続け、隣の者の顔も判別がつかないほどに暗くなってきた頃。クルースニクの一人が声をあげた。「灯りだ」と。
クルースニクが指差した方向に目を向ければ、そこには確かに明かりがある。ゆっくりと慎重に近づいていけば、森が少しだけ拓けた場所に出た。そして、そこには小さな家が建っていたのである。灯りはその家の窓から漏れているものだった。人が住んでいるのだ。
「魔女の家だな」
「だろうな」
クルースニクに気付かれないよう、男たちは腰につけていた革の鞄から瓶と赤い石を取り出す。これはどちらもあの男に──ロベリアの夫に渡されたものだった。瓶の中身は“特殊だがありふれた”液体で、液体にこの赤い石を浸せば炎が起こると聞いている。
──“森に捨てるのも悪くはないが”
──“魔女と言えばこちらの方が似合いだろう?”
悪魔も逃げ出すような笑みを浮かべながら、あの男はそう言った。魔女は燃やすに限る、と。
「我々が様子を見て参ります。もし魔女が我々に気づき、家から出てきたときには──お助け下さい」
偵察役をわざと買って出て、家の周りに瓶の中身を撒いて。頃合いを見計らって石をそこに落とせば、魔女の火炙りが完成する、というわけだ。