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長らく留守にしていた間の帳尻合わせもやっと終わり、オスカーはいよいよあの森の小屋で過ごす算段をつけ始めていた。クルースニクとして、満月の夜の前後は森から出て仕事に当たる必要があるけれど、それ以外は自由にしていても問題はないはずだ。なにかうまい知恵を借りられやしないかと、オスカーはまず師であるニックを訪ねることにした──のだが。都合の悪いことに、こういうときに限って邪魔が入るものである。
「──呼び出されるようなことがあったかな?」
オスカーがニックを訪ねる前に、オスカーの家に訪ねてきたのは、オスカーと同じ【クルースニク】。真っ白で堅苦しそうで、いかにも厳格な聖職者ですと言わんばかりのその姿は「一般的な」クルースニクのそれだ。クルースニク協会からの使いだろうと見当をつける。相手もそれに否は返さなかった。今さら隠すようなことでもないから当たり前かもしれないが。
「オスカー・ルナルド・システリア。協会から召集の命が出ています。──先日、森で起こった件について」
「その話? もうとっくの昔にしたと思うんだけど?」
何度同じ話をさせる気? とオスカーは肩をすくめる。森での件ならば、師であるニックに話したあとに協会にも赴いて話している。帳尻合わせに時間がかかったのはそれが大きい。オスカーが一命を取り留めた件については多少暈しはしたものの、協会もそれで納得していたはずだ。
「……魔女が関与したのではないか、という話が出ています。詳しい話は協会にて」
「──仕方ないなあ……」
これも義務だ。仕方ないとオスカーはため息をつく。それに、【魔女】などと言われてしまっては放っておくわけにもいかない。彼女の存在を適切に誤魔化して対処する必要がある。
「魔女なんか関与してないと思うけど。どこからの情報なの?」
「明かすわけには」
使いであろうとなかろうと、【クルースニク】の口が固いのは知っている。が、それでもオスカーは聞いてみた。結局返ってきたのは予想通りの言葉で、オスカーは「そう」と返すにとどめた。これから協会にむかうのだ、そこで地道に探る他あるまい。
「……着替えてくるから待ってて」
協会の本部にいくのならば、普段着では都合が悪い。略式であっても礼装をする方がいいだろうなとオスカーはため息をついた。俗っぽい貴族の服装より、聖職者らしいものの方が突っ込まれる可能性は低くなる。
クルースニクとして認められたとはいえ、自分は【人間】に変わりないのだ。協会のなかには自分をよく思わないやつがいるのも知っていたし、そういうものが些細なことで因縁をつけてくるのもよく知っている。服装なんか格好のネタだ。
聖職者らしく白い礼装に身を包み、上から青い外套を羽織る。いつもつけているピアスは外して、クルースニクとして働くときにつける青い石のはまったものに取り替えた。
着替えも終わり、オスカーは使いに連れられて馬車へと乗り込む。貴族のものが使う馬車より乗り心地は悪いが、見た目は洗練されていた。
馬車に揺られ、クルースニク協会の本部についたときには、オスカーは馬車に嫌気がさしていた。これならば自分で馬を走らせた方が余程快適だ。今度からはそうしようと心に固く誓って、オスカーは案内されるがままに協会の一室へと向かう。
「出来るだけ早めに帰してくれる? 僕も暇じゃないからさ」
「それは貴方の心掛け次第ですよ、オスカー・ルナルド・システリア。聞かれたことには正直に答え、不必要な嘘はつかない。誠実と沈黙は何物にも勝る」
「クルースニクが不必要に嘘をつくとでも?」
「そうでしたね」
くすりと笑った案内役に「もうちょっと面白い冗談が聞きたいものだけれど」とオスカーも薄く笑った。
***
──“今度の件には魔女が関わっているかもしれない”。
そう囁けばすべて思う方向にことが進む──とロベリアが笑っていたのを男は思い出していた。
実際、それとなく魔女の存在を匂わせるような作り話をクルースニクの連中にしたところ、彼らは男たちの想い描いたシナリオ通りに動いてくれた。善意からの愚行を嗤わずにはいられないが、嗤うのはすべてが終わってからだ。少なくとも、森にすんでいる“魔女”とやらを始末してからでないと。
「早く済ませるぞ」
「当たり前だ」
夕刻までそう時間もないだろう。だんだんと日が傾き、夜が忍び寄ってくる。冷たい風は更に冷気を孕み、宵闇の匂いが漂い始める。目的がなかったらこんな時間に出歩くことはなかったろうとメイラー家で育った男は思った。夜は家にいるものだ。とくに寒い日なんかは。間違っても森にいくべきじゃない。
今回は【クルースニク】が二人も同行してくれているからそう恐ろしくもないのが救いだろうか。
鬱蒼と生い茂る木々、じっとりとした苔と土の臭い。ひらけていた街道などとは違って、一層ひんやりとした空気。何度見てもこの森は不気味だと男は一人ごちた。これから自分はここへ入っていくのだ。命令でもなければこんなところにはそう何度も来たくはない。この森の近くに小屋までたてて住んでいる【森番】は、随分変わり者なのだな──などと、そんなことを考えた。薄汚く教養もない平民のことだ、それくらいでしか働くことが出来ないのかもしれないが。
例の森のすぐ前まできて、男たちはひそかに手筈を確認する。森に入ったら魔女を見つけ、その場で始末する。始末するのは【クルースニク】だ。彼らは相手が怪物であれば容赦などしない。そこにいるのがかつて貴族であった娘だったとしても、【魔女】であるのならば躊躇うことなく手にかけるだろう。
魔女捜索に向かうクルースニクに「手伝いたい」と同行を申し入れれば「ありがたい」と笑顔が返ってきたくらいだ。誰一人として自分達のことなど疑わなかった。善ゆえの無能さに彼らが気付くことはきっとこないのだろう、と男は歪な笑みを浮かべる。システリアのクルースニク──オスカーと言ったか──が邪魔できぬよう、わざわざクルースニク協会に聴取のやり直しをも求めたのだ。失敗は許されない。
──“魔女がもし二人いたなら、二人とも始末しておいで”。
底冷えのする青い瞳で囁かれたのも思い出す。メイラー家の娘を娶った、妻とは歳の離れた男。妻を愛するわけでもなく、かといって邪険にするでもなく、ただ【夫婦】としてあのロベリアとつがった男。ロベリアには聞こえないようにそう囁いた男の目的は二人にはわからないが──穏やかそうな笑顔の後ろに冷たく暗いものがあるのを本能で感じ取った。ロベリアと違って、あの男は失敗を赦さないだろうと。
クルースニク二人とメイラー家の男二人が森へ立ち入ろうとしたときだ。あの【森番】が小屋から出てきて四人を引き留めた。
「夕暮れも近い。こんな時に森に入るなんざ、正気とは思えないぜ」
止めときな、と止めた【森番】に、クルースニクの一人が「仕事でね」と軽くいなす。森番の男は翠玉のような瞳を鋭く細め、「こっちも仕事でなァ」と一人一人の顔を見ていく。
「青い瞳に銀髪の男が四人。服装から察するに、堅苦しそうなそっちの二人は聖職者かァ。……森に入るには豪奢すぎるそっちのお二人さんはお貴族さま。妙な取り合わせだ。男四人で森に入って何するつもりだ?」
「【魔女】を探しに来たのだよ、森番殿。……ああそうだ、長年ここの番を務めているのだろう?」
魔女についてなにか知らないか、と口にしたクルースニクに、森番の男は「なァんにも」と薄く笑った。
「ここには【魔女】なんて大層なもんは住み着いちゃいねェよ。……いるのは狼、熊、毒蛇……聖水も銀の弾丸も効かねェ。お得意の“変化”も意味ねェぞ。狼、豚、馬……火の玉にも変化するんだったか? アンタ達は怪物の専門家だろうがな、俺はこの森の専門家さ。悪い事は言わねェよ。さっさと帰った方がいい。火の玉に変化するってんなら尚更な。小火騒ぎはごめんだぜ」
煙草を吸いながらの軽薄な受け答えに、クルースニクも何か思うところがあったのだろうか。或いはもともとそうするつもりだったのか。森番の忠告は意に介さず、無言で森へと立ち入ろうとする。森番の男はそれを咎め、「やめろ」と低く唸った。
「──森番殿。魔女がいないというのならば、我々が森に入るのを止めることもあるまい?」
「……この前な、この森に来た人間のクルースニクを通しちまったばっかりに……奴さんは大怪我したって話じゃねェか。アンタ達も同じ目に遭ってみろ。監督不行き届きを責められるのは嫌なんだよ」
「それはその者の力が足りていなかっただけのことです。その“大怪我”の原因がこの森にすむ【魔女】の仕業ではないか……という話があったのですよ」
「ここに魔女なんかいねェって言ってるだろ」
あの時の話か、とメイラー家の男二人は顔を見合わせた。あの時システリアのクルースニクを射掛けたのは他ならぬ自分達だ。魔女の仕業でもその他の怪物の仕業でもないことはよく知っている。だから男二人は示し合わせ、にやりと笑い──彼をもっとも窮地に立たせる言葉を選んだ。
「……森番、お前は……【魔女】の仲間なんじゃないのか。──或いは【魔女】に操られているか」
「ああ、こいつの言うとおりだ。森番、貴様は魔女をかばうためにそんなことを言っているんじゃなかろうな!」
クルースニク達の顔色が変わる。森番の男を見て、「手荒な真似はしたくないが──」と武器に手をかけ。それを見た森番は。
「……ッ、賊と変わらねェな」
森番の男が出てきた小屋。その壁に立て掛けられていたスコップを掴み、森番が構えた。クルースニクに向き合い、「大人しく帰れ」と放つ。
「邪魔をしてくれるな、森番殿。私たちは人に武器を向けることを推奨されていない」
「じゃあ丸腰になっちまえば良いだろうが。大人しく俺にボコられてろよ」
「そうはいかないんだよ」
クルースニクの一人が印を結び、森番の男へ魔法を飛ばす。青い光が森番へ向かうように迸った。
しかし、森番はそれを見越していたようだ。
【森番】という職業には──「一般人」には──似つかわしくない反応速度でそれを見切ると、森番の男も印を結びその【魔法】を打ち消す。紫色の光が青い光を呑み込み、赤く淡く瞬いて消える。
「はッ、【縛り】の術か。懐かしいなァ」
「森番……貴様、何者だ?」
人間がクルースニクの術を打ち消すなど、とクルースニクが苦々しく呟き、「やはり魔女の仲間か」と吐き捨てる。森番の男は軽薄な笑みを浮かべるだけのように見えたが、クルースニクの吐き捨てたそれを聞いて、瞳に冷たいものを宿した。
レイピアをもって襲いかかったもう一人のクルースニクの攻撃を、森番はスコップで弾き返した。打ち所が悪かったのか、果たしてそれを狙っていたのか。レイピアは切っ先が折れ、弾き返された衝撃でクルースニクの手からもこぼれ落ちていく。腹の底から憎むような声音で、森番の男が口を開く。
「魔女の仲間になった覚えはねェよ」
「──ならば何故、【魔女の術】を扱える!」
「何でだろうなァ?」
森番が一瞬だけ寂しそうな笑みを見せたことに、他の者は気付かなかった。ただ、目の前の男がただの森番ではないこと、それから何らかの形で【魔女】と関わっていたことだけを察する。
ぴりりとした空気はすなわち【殺気】だ。クルースニク、メイラー家の男たち、それから“森番”。たった一人でも他の四人から余裕を奪えるほど、森番の“殺気”は濃くて鋭いものだった。しかし、メイラーの男たちの足がすくみそうになっていても、クルースニクの二人は勇猛だった。伊達に怪物と戦っているわけじゃないのだろう。人でありながらも人とは思えないような森番にも怯みはせず、ただ真っ直ぐにその翠の瞳を見つめ返している。
森番の男は面倒くさそうに、それでもどこか懇願するような声音で言葉を紡ぐ。静かな森の入り口でそれはよく聞こえた。
「──頼むからよォ、帰っちゃくれねェか。俺たちからこれ以上奪わないでくれねェか」
「……何のことだか知らんが。お前のようなものを見て、帰るわけもあるまい!」
「しばらく大人しくしていてもらおうか、森番殿」
二人がかりのクルースニクの攻撃に、森番の男が「糞ったれ」と吐き捨てた。聖職者らしくねェ卑怯さだなァ、と憎まれ口を叩きながら、森番の男はスコップを振り回す。土がえぐれ、血が飛び、金属同士が打ちぶつかる音が延々と響く。
吸血鬼の心臓に杭を突き立てるときのような、迷いもなく断罪的なクルースニクの撃ち込みに、森番は哀れむように嗤った。
「──この森に魔女がいるのだとすれば。この森に魔女がいたのだとすれば」
まさしく呪詛だった。独白のようなかたちを取っていたが、森番の紡いだ言葉はこの場にいるすべてのものに向けての呪いだった。
「そんな【怪物】を産み出したのは、誰だったんだろうな?」




