16
店の中は相変わらず薄暗い。薬草などの類いは光に当てると変質が早まってしまうものなどもあるから、店の中が暗いのは仕方がないとはいえ。
「危な……」
うっかり棚にぶつかりそうになって、オスカーは踏みとどまった。前来たときにはこんな棚はなかったのにと思いながら、店主がいるはずの店の奥まで進んでいく。カウンターのところまでやって来れば、「いらっしゃい」と低くしわがれた声がかけられた。店主の老婆だ。
「おお、クルースニク様。何をご所望で」
「こんにちは。いつもの見ていい?」
「ええ。わかりました」
腰も曲がり、手のひらは指先までシワだらけだ。乾燥に負けたのだろうか。あかぎれのようなものも見える。そんな手を忙しく動かしながら、老婆はカウンターの下から革張りの箱を取り出してきた。あんまりに重そうだったから途中からはオスカーがそれを支え、カウンターへ置くことにした。申し訳ありませんと謝られたが、手助けせずに放っておく方が申し訳ないことのようにオスカーには思えたのだ。
「銀の聖貨。聖水に魔除けの薬草。どれも最近仕入れたものです」
「そう……」
一つずつ検分し、オスカーは一つ頷いた。どれも状態が良いし、買えるものは買っておけるときに買っておくべきだろう。老婆のあかぎれの多い手をちらりと見る。
「全部貰える? 余計なお世話かもしれないけど、手袋を買った方がいいかもね」
お釣りは要らないから、と多目に代金を出して「その手は痛いでしょう」と苦笑いした。売り物に手をつけてはいけないのかもしれないが、薬屋の店主の手がぼろぼろというのはどうなんだろうか。薬でも塗るべきだとオスカーは思う。老婆もばつが悪そうに笑った。
「申し訳ありませんね。気を使わせてしまって……」
「いいや」
そんなことはない、とオスカーが言いかけたところで店内に人が入ってきたことに気付く。おや、と老婆の声が明るくなった。老婆はオスカーの背中越しに入ってきた者へと声をかける。
「お久し振りだね。最近来なかったものだから、少し心配していたんだよ」
「すみません……。少し忙しかったもの……で……?」
オスカーが振り返れば、そこにはあの少女がいた。オスカーとぶつかったときのように深くフードをかぶり、顔が見えないようにしている少女。ニルチェニアだ。
きょとんとした顔でオスカーを見上げ、手にかけた大きなかごからは薬草がのぞいている。オスカーさん、と小さな唇が可愛らしい声で紡いだ。
「おや。クルースニク様とお知り合いだったの」
「ええと、はい……」
「この前この子に森で助けてもらったんだ。どうしたの、何か買い物?」
前半は老婆へ、後半はニルチェニアへ。
けれど後半の問いに答えたのは老婆だった。
「ここの薬の棚一つぶんは、この子に卸してもらっているのですよ。火傷の薬や血止め薬……気付け薬なんかも質が良くて」
「ああ、そういうこと」
商品を卸しにきたのかとオスカーは納得した。彼女の薬の質の良さは身をもって知っている。孫でもみるかのようににこにことしている老婆に、ニルチェニアも心なしか気を許しているように見えた。
「今月のお薬を持ってきました。ええと、火傷の薬と気付け薬。血止めの薬はまだ出来上がるのに時間がかかるから。それは今度……あと、それから……」
ちょっと躊躇うような素振りを見せながら、はにかみつつニルチェニアは小さな小瓶とふわふわとしたものをかごから出してきた。
「その、さっきクルースニク様も言ってらしたけれど。手が痛そうだから、良かったら……」
手袋と傷薬なの、とニルチェニアはそっとそれらをカウンターに置く。前回来たときに手が痛そうだったから、とまた小さく付け足した。お節介だったらごめんなさい、とも。
「まあ……。ありがとうね。大事に使わせてもらうよ」
「はい」
受け取ってもらえたのにほっとしたのか、へにゃっと笑ったニルチェニアはよかった、と口にした。オスカーの方も何だか微笑ましい気持ちになってしまう。
そのままほのぼのとした会話が繰り広げられるのをオスカーはのんびりと見つめ、きれいに包まれていく薬草やら聖水やらを受け取って店を出る。ニルチェニアもオスカーに続いて店を出ようとし、そんな二人を見送りながら老婆はオスカーの背中に声をかけた。声音にどこか緊張したような響きがあるのをオスカーは感じとる。
「その子は、とっても良い子なんですよ。クルースニク様。だから……」
「わかってるよ。森の奥で薬を作ってる、普通の優しい子だってことは」
大丈夫、とオスカーの笑顔をみて老婆は安心したのか、ほっと息をついている。一方で二人のやり取りの意味に気付いていなかったニルチェニアは目をぱちぱちとさせていた。
老婆は案じたのだ。薬を売りにきたニルチェニアが、魔女としてオスカーに連れていかれることがないように。きっと老婆はニルチェニアが魔女だということを知っているのだろう。森の奥で薬を作っていると知って、魔女だと疑わぬものもいるまい。だからオスカーは「この子は魔女ではない」という意味で言葉を返した。
良い子だなんてことはオスカーもよく知っている。
隣で歩く少女に「何か食べない?」とオスカーは微笑みかけた。ニルチェニアは迷った顔をしてから、ゆっくり頷く。視線をうろうろとさ迷わせてから、ニルチェニアは意を決したように「お久し振りです」とオスカーを見上げる。久しぶりに見る菫色の瞳はやはり美しかった。
「あの……まさかあのお店にいらっしゃるとは思わなくて」
「僕もびっくりしたよ。君があそこに薬を卸してたなんて」
馴染みの食堂を見つけ、オスカーはそこへニルチェニアを連れていく。店の扉を開けてニルチェニアを先に通し、注文を聞いてくる店員には「スープとパン、二人分」とだけ答えた。
「勝手に決めちゃってごめんね。この時間、あれくらいしかメニューがなくて」
「あ、いえ……」
何だか居心地の悪そうなニルチェニアに、オスカーは首をかしげる。店内をそろそろと見渡して、ニルチェニアは小さく「こういうところに来たことがなくて」と呟いた。
森の中で暮らしてたんだものね……とオスカーはそれに頷いた。変なところにつれてきてしまっただろうかと心配したが、ニルチェニアは物珍しさに萎縮しているだけのようだ。
「ああ、そうだ」
オスカーは何でもないことのように振る舞いながら、懐から小さな箱をとりだして、そのままニルチェニアの方に差し出した。「どうぞ」と一声かけて、きょとんとしたニルチェニアに「お礼」と続ける。
「……手当てとか色々。ありがとうね。これはただのお礼だから──お家に帰ってから開けて」
「あ、ありがとうございます……!」
どうしたらいいのだろうというように小箱をじっと見つめるニルチェニアに、「無くさないようにしまって」とオスカーは笑った。この場で開けさせようものなら、きっと彼女は受け取らない気がしたからだ。変に大きなものを用意しなくてよかったな、とオスカーは思う。小箱なら大したものは入っていないと考えてくれるのではないかと思ったのだ。
あの彫金師の青年に頼んだ指輪は、オスカーの期待通りに仕上がっていた。「友人の頼みだからね!」と親指をたてて、「頑張んなよ」とにやにや笑いながら手渡されたのだ。
少し薄い菫色のアメシスト。華奢な指輪に収まった小さな宝石は、きっと彼女の指に映える気がした。白くて細い指、柔らかい曲線を描く桜色の爪。今度会うときにはあの指にあのリングが収まっているだろうか、なんてことをオスカーは考えてしまう。
運ばれてきた食事に手をつけながら、オスカーとニルチェニアはとりとめもないことをお互いに話し合った。時折笑って、たまに目があったりして。少し照れ臭そうにはにかむニルチェニアの顔は、オスカーにとってずっと見ていたいものになった。
食事も終わり、オスカーは「また今度ね」とニルチェニアに微笑む。ニルチェニアも頷いて、「ノーチも待ってますから」と照れ隠しのような言葉を口にした。
「今度さ、家に来ない?」
「オスカーさんの家に?」
「そう。本とか……薬草とか、多分君の興味をひくようなものもたくさんあると思うし……」
我ながら狡い誘いかただ、と思いながらもオスカーは「迎えにいくからさ」と付け加える。
「ノーチもアガニョークも連れてきて、みんなで星でも見ながら夜更かししようよ。それに君は……」
「わたしは?」
不思議そうな顔になったニルチェニアに「何でもない」とオスカーは言葉を切った。『メイラー家の令嬢なんだから、森で暮らさなくても』──と言うのは、オスカー自身のエゴにすぎないからだ。もっと一緒にいて、色んなことを話したいのはやまやまだけれど、彼女の今の生活を壊してまでそうしたいわけじゃないのだから。
「近いうちにまたそっちに遊びにいくからね。……だから、風邪を引いたり怪我をしたりしないでおくれね」
「オスカーさんも。……今度来るときは、怪我も火傷もなしで来てくださいね」
待ってます、とニルチェニアは嬉しそうに笑った。オスカーにとってはそれだけで十分で、それだけで心のどこかが満たされるような気持ちだった。
帰ってから開けてみた小箱の中身に、ニルチェニアはびっくりしてしまった。箱の小ささに一体なんだろうとは思っていたが、まさか指輪とは──。
ニルチェニアの瞳の色より少し薄いアメシスト。華奢ながら美しい彫り模様の施された金。オスカーが「お家で開けて」と言った意味がわかった。確かにあの場で開けていれば、ニルチェニアは受け取らずに彼にこれを返してしまっていたかもしれない。命を救ったとはいえ、こんなに上等なものをもらって良いものかどうか。
美しい煌めきの指輪としばしにらめっこして、ニルチェニアは震えた手で小箱から指輪を抜き取った。そっと自らの指にそれを通して──つい、笑ってしまう。
「……きれい!」
指輪はとても綺麗だった。石も控えめな大きさだから嫌みではないし、光が当たれば彫り模様がきらきらとする。まるで手だけがお姫様になったようで、ニルチェニアはしばし指輪に見入ってしまった。
前にオスカーがシロツメクサの指輪を作ってくれたことがあったけれど、とニルチェニアは指輪を撫でる。まさか本物をくれるだなんて。
そうだ、とニルチェニアはにっこりして、指輪の石に触れながらまじないをひとつ。
「『秘めたる意思の』……」
魔女に伝わる『意思の呪い』。石の見てきた『想い』を術者に伝える魔法。本当ならば石を細かく砕いて行う魔法だけれど、今回は別に良いだろう。オスカーの気持ちにちょっと触れたくなってしまっただけだから。
指輪にぽっと光が点り、ニルチェニアはそれに触れる。小さく消えていく光から、オスカーの気持ちがじんわりと伝わってきた。
──受け取ってもらえるかな。
受け取ってもらえるかどうか心配だ、というオスカーの気持ちに触れてしまって、ニルチェニアはくすくすと笑った。あんなに平気そうな顔をしていたのに。優しくてあたたかい気持ちに触れながら、ニルチェニアは「うれしい」と呟いた。
「……薬指は『約束』よね」
昔、リラにそう教えてもらったことがある。指輪はつける指によって意味合いが変わってくるのだと。魔女のまじないにおいて、薬指に指輪をつけるのは『約束』のしるしなのだと。今度はいつ会えるかしら、と思いながらニルチェニアは薬指につけた指輪に微笑んだ。