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「まあ!」


 ご無事だったのですね、とほっとした顔で出迎えたロベリアに、オスカーは「心配かけちゃってごめんね」と申し訳なさそうに謝る。全くですわ、とほんの少し涙目になりながらも、ロベリアは安心したように笑った。


 テーブルの真ん中に置かれたポットの中に細い指を差し入れ、ロベリアは赤くて小さな石をつまみ上げる。ポットのとなりに置かれた液体の入ったグラスに石を落とせば、赤い光が弾けてキャンドルのように火が灯った。赤い石が蕩けて、透明な液体をさくらんぼ色に染め上げていく。そこに精油の入った瓶をひとふりし、ロベリアは雫を三滴落とし入れる。心を落ち着かせるラベンダーの香りがふわりと漂った。


「皆さんほんとうに心配してらしたのよ。ルティカル様も、ソルセリル様も。クルス様もひどく心配していらして、私も胃がどうにかなりそうだったの」


 お気に入りのラベンダーも何の意味もなかったのよ、とロベリアは困ったように笑う。オスカーもそれに苦笑いで返すしかなかった。


「色んな人から聞いた。……ほんと、心配かけちゃったね」

「全くですわ。少しくらいお話に付き合っていただかないと納得できないくらい」

「あはは。それで許してくれるなんて優しいね」


 友人ですもの、とロベリアはいつも通りにきれいに笑う。

 いつものようにハーブや美しい花が咲き乱れる庭園へと案内され、ロベリアのために置かれたテーブルについて。風に揺れているのはバッカスの花だろうか。花びらを白ワインで煮込めば吸血鬼避けになるんだよね、とオスカーはバッカスの花を見つめる。薄いクリーム色の花は鑑賞用にもぴったりだ。


 お茶とお菓子とロベリアお気に入りのラベンダーの香りを楽しみながら歓談に興じたオスカーは、普段通りにのんびりとおしゃべりを続けた。

 クルースニクのこと、屋敷の外のこと、外で聞いてきたおもしろい話や驚くような話。ロベリアはいつもオスカーにそれをねだった。


 昔に何かあったのか、ロベリアはあまり外に出ないタイプだった。というか、引きこもりがち(・・)だった。それが、現在の夫と結婚してから──ロベリアはまったく外に出なくなった。というより『出られなくなった』。夫がロベリアの外出を嫌がるのだそうだ。

 ロベリアもその理由を深く話しはしなかったし、オスカーも聞こうとしなかった。聞くべきではないと思ったからだ。その代わり、友人が屋敷を訪れるのは怒られないと聞いたものだから──暇を見つけてこうして顔を見に来るのがオスカーの習慣になっている。話し相手がいないのはつまらないだろうから。


 ロベリアの住む屋敷は、いつだって花が美しく咲き誇っている。夫が花を好んでいるのだ──とオスカーはロベリアから聞いたことがあった。「わたしが花の名前(ロベリア)でなかったら、きっと結婚してくれなかったと思いますわ」と冗談のように口にするのも忘れずに。けれど、時折オスカーは思うのだ。彼女もまた美しく手入れされたこの庭園の中の花の一輪にすぎないのではないか、と。


 屋敷の花はどこまでも美しく管理されている。きれいな庭だね、育てたハーブはポプリにでもするのかい──と口にしたオスカーにロベリアは微笑むだけだった。


「一月もどこにいっていらしたの? わたくし、とっても不安でしかたがなくて」

「例の森だよ。もう、死ぬかと思った」

「あら……何かおありだったのかしら?」


 青い瞳がきらりと光る。

 まあ色々とね、と言葉を濁したオスカーに、「動物の餌になるのだけはやめてくださいね」とロベリアはゆったりと笑う。噛まれたらとっても痛いのだから、と付け加えて。


「それで、お探しの方には出会えましたの?」

「ばっちりだよ」

「それはなにより」


 ふふ、と口許に美しく弧を描いて、ロベリアはオスカーのこの一月について話をねだる。ところどころ話を省きながらも、オスカーは一月を振り返るように語った。森で襲われた話。そこで女の子に助けられた話。その子が探していたベビーリングの持ち主だったこと。ロベリアはそのすべての話に興味深くうなずいて、目をきらきらさせながら聞いていた。外の世界に憧れるように。





「あら。もうこんな時間。ごめんなさい、お引き留めしてしまって」

「ううん。君にもたくさん心配をかけたしね。また近いうちあの森へ行こうと思っているから、その時にまたお土産話を持ってこよう」

「まあ。襲われたと仰ってらしたのに、また行きますの?」

「どうしてもやりたいことがあって。──おっと、ロベリア? どうしたの、そのブローチ。取れかけているよ」

「あら。本当」

「ちょっとみせて……」


 ロベリアのドレス、スカーフの首もとのブローチが取れかけているのに気づいて、オスカーはそっとそのブローチを外す。留め針のバネが緩くなってしまっているのか、針がどうにも留まらない。


「直してもらうか何かしてもらった方がいいよ。これでは気づかないうちに無くしてしまう」

「お気に入りなのに。それは困るわ」

「少し古いものみたいだから、ちゃんと直してもらっておいで」


 ライラックを模したブローチは、オスカーもよく見たことのあるものだ。なるほど、これはお気に入りのブローチだったのかとひとりで納得する。ロベリアの好みとは少し違うデザインだと思うが、何か思い入れがあるのだろう。ライラックの花の一つ一つに薄紫色の宝石が留められているのは綺麗だが、無駄のないシンプルなデザインを好むロベリアにしては、このブローチは少々装飾的な気がするのだ。


「ああ……そうだ。これから宝飾店にいくつもりだし、修理を頼みにいこうか?」

「まあ。良いのですか?」

「迷惑料ってことで。……どう?」

「ふふふ」


 それなら、とブローチを差し出したロベリアからそれを受け取って、オスカーはハンカチにくるむ。懐に入れて「それじゃあね」と別れを口にした。


「ブローチが直ったころに、また返しに来るよ」




***




「珍しいな。クルースニクの君から銀細工以外のものを頼まれるなんて」


 もしかしたら初めてかも? とにっこり笑った店主に「初めてだねえ」とオスカーも笑い返す。初めてか、と店主はのんびりと返した。


「ここ一月見なかった気がするけど……その様子だと元気なようだね。死んだのかと思ってたよ。心配させちゃってさ、無事でよかった」


 翡翠のような緑色の瞳をやんわりと細め、「どこ行ってたのさ」と店主は口を尖らせる。オスカーがクルースニクだと知っても、貴族の青年だと知っても、彼は変わらずにオスカーの友人として接してくれていた。


「ごめんね。ちょっと森にいたんだ」

「森って、あの森かい?」

「うん。少し用事があって。──で、指輪の方はいつ出来上がる見通しかな?」

「早ければ三日後には。オーダーメイドだったらこうはいかなかったけど、原型のあるものだったから。……それにしたって君、かっこつけだなあ」


 オスカーが持ち込んだシロツメクサのリングを指先でいじりながら、彫金師である店主は笑った。こんな手を使うとはねえ、などとくすくすとして。


「指輪のサイズがわからないからって。野山にでも遊びに出たのかい」

「眠ってる間に糸を巻き付けられるような相手じゃなかったからね」


 何しろニルチェニアの近くにはアガニョークがいるのだ。寝込みを狙おうものなら、オスカーのほうが襲われるに違いない。そのためにわざわざ「ピクニック」などと建前をつくって、シロツメクサで遊んでみせたりしたのだ。指のサイズをはかるために。


「君に指輪を贈るような仲の人がいるなんてね。水臭いよ、もっと早く教えてくれれば良かったのに」


 指輪の石は何にする、と聞かれてオスカーは「アメシスト」と答える。ふうん、と馴染みの彫金師はにやにやとした。


「グレイパールなんてものもあるよ。ちょうど君の瞳の色にそっくりなやつが」


 お互いの目の色と同じ宝石を贈りあった恋人は、末永く幸せでいられる──という言い伝えがこの地には残っているのを、当然この彫金師の青年は知っている。


「……あのね、今はそういうのはいいから! 良いんだよ、アメシストで!」

「じゃあ、指輪を新調するであろう今後に期待しようかな。アメシストはどんな色がいい?」


 クスクスと笑いながらも、ちょっと待ってて、と一旦店の奥に消えた彫金師はすぐに平たい箱を二つ持って戻ってきた。そのうちひとつの箱をあけ、オスカーに中を見せる。箱のなかは細かく板で仕切られていて、仕切りのひとつひとつに紫色の小さな石が入っていた。鉱物標本のそれに似ている。中に収まる石はどれも同じように見えたが、微妙に色合いが違う。色が濃いものや薄いもの、青みの強いものとそうでないもの。どれが良いものなのかオスカーには分からない。気に入った色にしてしまおう、と箱の中身を見つめる。


「あー……菫に似た色がいいな」

「じゃあこれなんてどう? お値段はちょっと張るけど、ここ最近じゃ一番最高のアメシストだよ……! このクオリティはそうそうないよ、ここ二十年で一つか二つ、あったかどうかというところだね。昔このレベルのが入ったときは、すぐどこかのお貴族さまが選んでいったから。娘へのプレゼントなんだ──ってね。それくらい良いものだよ!」


 いきいきと、けれど有り余る情熱を押さえ込むように。ぎりぎりお客様向け(・・・・・)の口調で話す青年は、彫金師でありながらも誰もが認める宝石収集家だ。


「……宝石のことになると相変わらず語るね?」

「そういう家系なの。曾祖母さまからずっと、うちの家系は宝石大好きだからね。その血が流れてるってこと」


 うきうきした様子で石をすすめてきた彫金師は「ところで何回目の贈り物なの?」と翡翠の瞳をオスカーに向けた。


「指輪を贈るくらいだし? 結構贈り物してると思うけど……装飾品に関しては個人の好みがよく出るからね、気を付けなよ。センスの合わないジュエリー、アクセサリーは結構地雷って話──ん? どうしたの」


 固まってしまったオスカーを前に、彫金師は「まさか」と呟いた。


「……一回目の贈り物で指輪って」


 気弱な声でそっと目をそらしたオスカーに彫金師は苦笑いし、慰めるように声をかける。


「……………………ま、まあ良いんじゃない? あんまり気合い入ったものはどうかと思うけど……。ちょっと予算下げとこっか」


 彫金師の青年は「こっちのアメシストはやめましょうねー」と先程までの箱をしまい、もうひとつの箱を開ける。手際がよかった。慣れているな、とオスカーは思う。おそらく、自分と同じような失敗をしかけた人間が以前にも何人かいたのだろう。


「こっちはちょっとお手頃価格の石になるんだけど、ものはちゃんとしてるよ。さっきのものに比べて少し色が薄かったり、小さかったりするけど。ううん……あー、まって、石の大きさに合わせて指輪を作るなら、ちょっと華奢なものになるかな……でもそっちのがあんまり気合い入ってなくていいと思うんだよ。重くない(・・・・)。君が選んだデザインもわりとシンプルだし、うん、悪くない。悪くないよ。あっ、ねえこれフリーサイズの指輪にしてもいい? 切れ目はいれるけど腕が開いた感じにはしないからさ。どう? やっぱり一発目のプレゼントからサイズぴったりの指輪は怖いと思うんだよ!」


 立て板に水、一瀉千里、戸板に豆、竹に油を塗る──一度に九語喋るような調子で話す店主に、オスカーは少々気圧された。プロとは自分の専門分野の話をふられると生き生きとする生き物だ。生き生きとはしなくとも、ついつい長く話してしまう生き物だ。特に職人ともなればそれが顕著になる。親しい仲の者と話すなら尚更。そうわかっていても実際にその熱量をぶつけられると腰がひける。


 オスカーも【クルースニク】というプロ(・・)の立場から、この青年にどれほど熱をもって【闇に親しむもの】の話をしたかわからない。この青年は普通そうに見えても、時おり満月の夜に外に出るような人間だったからだ。無謀すぎる。一般人は外にでない方がいいよ、魔除けの仕方を教えるよ──と何度も口にした。多少面倒くさがられても。ちょっと引かれても。


 そして、プロの意見は従うに限る。オスカーはゆっくりとうなずいた。


「ま、任せるよ……」


 いつになくしおれてしまったオスカーの様子に、青年はまたも苦笑いした。慣れてないのも仕方ないよと言い添えて。


「はは。君はクルースニクになりたくて頑張ってきたしね? こういうのは疎くて当たり前。結構君みたいな男性もいるし。相手が大事なあまりに、必要以上に気持ちのこもったプレゼントを選んじゃうっていう……。だからまあ、そんな落ち込まないで。おれはいろんなお客様を見てるし、ちゃんとアドバイスするから」

「ありがとう。頼むよ」


 やっぱり僕みたいなのがいたんだなァ──と、力ない笑みを見せたオスカーに「おかしいなと思ったら遠慮なく指摘するから」と店主は自分の胸を力強く叩く。店を背負うにはまだ若いと言われる歳であっても、客足が遠退かないのはこういう部分があるからだろう。プロゆえに、【好き】ゆえにいつだって宝飾品には真っ直ぐなのがこの青年だった。だからこそオスカーも話してみよう、従おうと思えるわけで。


「……こっちの石はどうかな? ちょっと色が薄いかもしれないとは思うんだけど……」


 オスカーがそっと指差したアメシストをみて、店主の青年はそっと笑った。


「いいね。夜明けの空の色だ」


 じゃあこれにしようね──と青年は頷いて、商品の引き換えにも使う見積書を書き出す。ちょっと待ってと声をかけて、オスカーは懐からライラックのブローチを取り出した。




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