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【出てくる人たち】
ニルチェニア……【魔女】。とある貴族の令嬢だったが、瞳の色に難癖をつけられて幼い頃に森に追放されている。
オスカー……怪物退治専門の聖職者、『クルースニク』。師匠はニック。
ニック……凄腕のクルースニクであり商人の顔も持つ気さくなお兄さん。オスカーの師匠。ソルセリルの友人。
ソルセリル……システリア公爵家の当主。冷血漢である一方、篤志家という面も併せ持つ。医者でもある。ニックの友人であり、オスカーの伯父。
「やっと帰ってきたのか!」
死んだかと思ったんだからな! とオスカーの背中をばしばしと叩いたのはニックだ。背中こそ痛いものの、暖かく迎えてくれたのに対して──良い歳して連絡ひとつ寄越せないんですか、と冷たい目で見てくるのは伯父のソルセリルで。僕たちがどれほど心配したと思っているんですか? とため息をつきながら、「無事で何よりでした」とソルセリルが表情を緩めたのに、オスカーは心底ほっとした。小言の一つや二つは覚悟していたからだ。
「ええと、無事……に帰りました。心配をかけてしまって本当に申し訳ありません」
無事かあ、とオスカーは考えてしまう。今となっては健康体だが、一月前は生死の境をさまよっていたようなものだ。果たしてそれを無事といって良いのかどうか。オスカーの顔が僅かにひきつったのを二人とも見逃さなかったらしい。何かあっただろ、と確信をもって聞いてきたニックに、オスカーは今までのすべてを洗いざらい話すことにした。
森で襲われたこと、そのあと森に住む女性に助けられたこと。その人がベビーリングの持ち主であったこと、すみれ色の瞳を持つ魔女であったこと──。
ことのあらましを話し終わったオスカーに、ソルセリルは深くため息をつくと「君に話さなくてはいけないことがあります」と口にした。いつもよりずっと表情の固い伯父にオスカーもつい身構えてしまう。何かあったのかとニックの方に視線をやる。が、ニックもまた──いつものような陽気な表情ではなかった。伯父よりはマシだが、やはり似たような重苦しい雰囲気を纏っているのだ。
「その子は……君を助けた【魔女】は、十年ほど前にあの森に捨てられたメイラー家の子だと思います。分かりやすくいってしまえば……その、つまりその子は……ニルチェニアは、──ルティカルの妹です」
「はっ……?」
何それ、とオスカーが目を丸くしたのに「俺も初めて聞いたときは驚いた」とニックが続く。何故メイラー家の子が森に捨てられたのだ、と聞けば、瞳の色が問題だったのだとソルセリルは説明した。何それ、とオスカーはもう一度繰り返してしまう。今の時代にそんな馬鹿げた風習が残っていたのにも驚いたし、それをこの伯父が受け入れたのにも驚いた。
「あの子が……ニルチェニアが捨てられる前にも、一人捨てられているのを僕は知っています。あの家はそういう家なんです。知っているのはメイラー家のごく少数と【森に捨てられた子】の関係者くらいでしょうが」
「でも……でも、たかだか目の色が違ってたってだけで?」
「ええ」
「伯父さんもルティカルもそれを良しとしたの? 十年ほど前に、ってことはあの子まだまだ子供だったでしょ? それなのに捨てたんだ。ひとりで生きていけないような小さな子を?」
それはおかしいだろうと声を荒げるオスカーを、ニックが制止する。落ち着け、と声をかけられてオスカーは渋々ながら黙る。
「反対しなかったわけがねえだろ。お前の伯父と従兄弟はそういうことをする奴か?」
ニックの固い声音とソルセリルのやるせない表情に、オスカーは口を閉じる。完全に八つ当たりだった。伯父もルティカルもそんなことを良しとする人間でないのは分かっていたのに。
「……すみませんでした」
「いいえ。結果として頷いたようなものですから」
結果として頷いたようなもの──ということは、とオスカーは考える。伯父には何らかの葛藤があり、その結果頷かざるをえなかったのだろう。だとするなら、それはきっとルティカルとその母の身を案じたからに違いない。ひとつの命とふたつの命。伯父ならばどちらをとるか、オスカーでもわかる。
「……あの子は、何か言っていましたか」
ぽつりと呟くような伯父の声にオスカーもやるせなくなった。彼女が抱えていた苦しさと辛さを、ここで口にするのは良いことなのだろうか。聞かせるべきはこの伯父ではなく、彼女を森に追いたてた人間ではないのか。
けれど、口にするべきだとも思った。彼女が抱えている重い呪いを、鎖のような言葉を──誰かに知ってもらうべきだと。
「……おとぎ話では、お姫様しか幸せになれないって言ってた。自分は幸せになれない魔女だって」
ソルセリルの顔が今まで見たこともないほどに悲しく歪んだ。身内には甘すぎると揶揄されるほどの伯父だからこそ、姪の口からそんな言葉が出るのは辛いことだろう。かつて自分が諦めてしまったものだからこそ、その言葉の意味も突き刺さるはずだ。
オスカーには狡いことだとわかっていた。こんな言い方をすれば、伯父が悩むことも、次にオスカーが続ける言葉に頷くしかなくなることも。
「ねえ、伯父さん。その子を……ニルチェニアをここに連れてきても良いよね? 彼女がここに来ることを許してくれるよね?」
ソルセリルは頷く。そうなることはオスカーにはわかりきっていた。そうなるように言葉を選んだのだから。
***
「──オスカー。ちょっと面貸せ」
伯父の私室から出ようとしたオスカーを、ニックが引き留める。「甥を借りてくぞ」と口にしてニックはオスカーをずるずると引っ張っていった。オスカーが連れてこられた先は、人のいない庭園の東屋だ。
相変わらず美しい庭は、手入れもばっちりだ。システリア邸の庭は【白薔薇の庭園】と呼ばれるほどだし、人に対しては大した興味を見せない伯父も、庭園の薔薇には優しく目を向けるのである。
あの子の家の前の野ばらも綺麗だったけれど、とぼんやり思いながら、オスカーはニックの言葉を待った。少し迷った顔をして時間をおいてから、ニックがようやく口を開く。
「クルースニクとしてお前に聞いておきたい。その【魔女】はどんな様子だった?」
「どんな、って……」
だから伯父の前ではなく、こんなところに連れてきたのかとオスカーは思った。身内に甘く優しいあのソルセリルの前で、こんな話は出来るわけがない。かつて自分が助けるのを断念してしまった少女が、魔女としてどうだ──などと。
場合によってはクルースニクたるニックは躊躇いもせずにニルチェニアを手にかけるだろう。そういう使命をもった種族なのだから、それは誰にも止められないことだ。それゆえにニックはソルセリルの友人として、そんな話を彼に聞かせたくはなかったのだろう。オスカーもそんな話を伯父の前でしたいとは思わない。
「クルースニクのお勉強のおさらいでもするか? 習っただろ。【魔女】には二つのタイプがある。ひとつは『先天的』な者。産まれたときから魔女ってやつだ。もうひとつは『後天的』。産まれてから環境によって魔女になったってやつ。──人への恨み辛みなんかでな」
「……先生が考えているように、後天的なものだと思いますよ。先代の魔女から引き継いだとか言っていましたからね。あの子には先天的な魔女が持つような異様な雰囲気はなかった」
「……そうか。じゃあもうひとつ。動物を飼っていたか?」
飼っていましたよ、とオスカーは素直に答えた。狼のアガニョークは見た目こそ怖いが、中身は犬のようなものだ。なれれば可愛いし、勝手気ままに人の膝をベッドにし始める黒猫のノーチよりはずっと弁えている。聞けばボロボロのオスカーをあの家にまで連れてきてくれたのはアガニョークだそうだし、彼もまたオスカーにとっては感謝してもしきれない存在だった。
「真っ白な狼と真っ黒な猫です」
黒猫のノーチといえば、愛想がないのに反して体重だけはやたらある猫だった。椅子の上に丸くなってしまえばクッションと見分けがつかないほど。脂肪で丸々とした体に短い足がちょこんとついているような、見た目だけなら愛らしい容貌だ。もともとはもっとすらっとしていたのですけど……などとニルチェニアは首をかしげていたが、どうみても運動不足だろう。与える餌に対して運動量が少ないのだ。ニルチェニアが無自覚にノーチに甘いのを、あの黒猫は見抜いているのだ。小狡い猫だと思ってしまうが、じゃれつかれたらやはり可愛いし、ニルチェニアが寒がっているときにはさりげなく近寄っていく。その辺り、ちゃんと賢い猫だともオスカーは思っていた。
オスカーの答えはニックにとってあまり良いものではなかったのだろうか。少しだけ迷ったような顔を見せた。
「……四つ足か。うーん。その子は狼と猫相手に会話をしていたか? きちんとお互いに話が通じていたか、という意味でだ」
「それは……微妙なところですね。ニルチェニアの言葉を二匹は理解していましたが、あの子が二匹の言葉を理解していたかというと……。他の人間と同じように、鳴き声の様子で彼らが何を求めているか、何をしようとしているかを判別していただけなように思いますが」
それが何かあるんですかとオスカーは訝しむ。こんな時に何の関係もない質問をぶつけてくるような師ではない。
「これはあまり広めていない話だから、お前も広めるな──と先に言っておく。あくまで【信用度の高い憶測】に過ぎないからな。確信が持てるまでは広めたくない話なんだ。……クルスの世話になる【魔女】を増やしたくはない」
「ああ……そういうことなら」
間違った情報を流してしまったとき、犠牲になるのは罪もない者たちだ。大多数の人間にとって得体の知れない【怪物】たちは恐怖の対象でしかないし、その【怪物】を手軽に見分ける方法があるとするなら嬉々として飛び付くだろう。そうして見分けた果てには真贋問わずに排斥、排除するのだ。あまりにそういったことが多かったために、犠牲者たちを救う組織をオスカーの友人であるクルスが作ったくらいだ。
──【過度な恐怖はただの人間をも怪物と化す】。
それは疑心暗鬼の末に人を怪物に仕立てあげる、という意味でもあれば、恐怖を払う、という大義名分を得た人間が怪物のように残虐な行いをする──という意味でもある。
「“人に近い魔女”は……雑にいうと【無害な魔女】、【良い魔女】は、二つ足、つまり鳥としか話さない。逆に四つ足の獣と話す魔女は【有害な魔女】、【悪い魔女】って可能性が高くなる。話が通じるのは仲間だけ。獣の言葉が通じるのなら、そいつもまた獣ってことだ。鳥と人間は足の数が同じだろ。だから獣とは区別するんだ。……その子は?」
「あの子は……鳥と話していました」
「──そうか。それなら良い。もっとも、悪い魔女ならお前を助けやしねえだろうしな」
俺もお礼言わなきゃ、とニックはうんうんと頷いている。弟子を助けてもらったとあっちゃ、何もしないわけにもいかないもんなー、とオスカーを見てにやにやとした。
「それで、オスカー」
「はい?」
「──『恋でも探しにいこうかな』?」
どうだったんだよ、と途端に悪戯っぽい顔をしたニックにオスカーは膨れ面で応える。心配してたロベリア嬢にも謝っておけよ、とニックに背中を叩かれて、「そうします」と答えた。