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「へー。そうだったんか。」
大きく見開いた目でカズマはお兄さんを見た。
いや、京介さん?いやいや今はチャックと名乗っているんだから、そう呼ぶのが一番相応しいか。
チャックが私達の世界では、人気があったアイドルだった事、そのマネージメントをしていた1人が私の母だった事を一通り説明を終えた所だった。
よく分からない様々な道具に囲まれてる工房の一角に私達は通され、そこで漸くカズマは納得した様だ。
「いやさ、フツーにチャックって男前だとは思っていたけどさ。やっぱり華やかな仕事してたんだな。」
「華やかかなぁ。最後は嫌で仕方がなかったけどね。」
苦笑いをしながら視線を私に移した。
「しかし、正直ビックリしたよ。」
そう言いながら目を細めてチャックは私を見た。
「あの真琴ちゃんが素敵な女性になっているんだもんなぁ。いくつになった?」
「今年で20歳になりました。」
「そうか。もう大人になったんだねぇ。」
まるで数年ぶりに会った親戚の様な眼差しでニコニコと笑っている。
歳を重ねたとさ言え、流石は一世を風靡したアイドルである爽やかな笑顔だ。
「チャックさ、本当に真琴のちんまい頃を知ってんのかよ。」
「うん。そんな訳で俺があっちで一番世話になったのが真琴ちゃんのお母さんなんだよ。デビューしてから真琴ちゃんが生まれてるんだ。」
「世の中狭いなぁ。」
カズマがそうボヤいたけど、本当にそうだ。
しかも異世界跨いでの狭さだ。もう一周回って凄いとしか言いようが無い。
本当に此処は異世界なのか??
「真琴ちゃんのオムツも替えたし、風呂上がりの着替えも手伝った事があるから、彼女のフルヌードも俺は見てるよ。」
「あの…私の赤ちゃん時代の話はそろそろ切り上げて…。」
「まぁ、真琴の話は特に興味ねぇしな。」
そんな言い方されると逆にムカつくな。
とりあえずカズマの右脇腹をつねってやった。
「でさ、真琴は聞かねぇの?」
「………え?」
「チャックのドロップ話。」
まさかの知った顔がドロップした人だったのですっかり忘れていた。
「ああ。フェルタが言ってたヤツね。」
そう話をしながらチャックは両手を組んで続けた。
「参考になるかなぁ?」
「いえ。あの、どうしてお兄さん…チャックは…ドロップをしたの?」
「うん。」
一言頷いて少しだけ沈黙すると、真っ直ぐに私をお兄さんは見た。
「あの頃は忙しくてね。流石に18・19歳の若造には不満だらけだったんだ。」
お母さんの話だと確かデビューが18歳とか言ってたな。
高校卒業して直ぐ事務所入りをしたとか。
「素質があると言われて芸能界に入って、色々な人達に知って貰って可愛がって貰って。正直最初は新鮮で堪らなかった。」
私はただ黙ってお兄さんの話に聞き入った。
「運が良くてね、出演したドラマが当たってから本当に忙しくなった。」
主演の俳優さんのバーターでちょい役だったらしが、物凄い反響を呼んで更なるブレイクを起こした。その話も少しは知っている。
「最初は楽しくて仕方がなかった。でも次第に苦痛に変わっていった。」
「苦痛。」
「うん。毎日が分刻みのスケジュールで、自分の時間は寝る時間しか無い。友達と会ったり趣味に没頭する時間も無い。彼女なんて論外さ。自室ではただただ寝るだけ。」
知ってるよ。
マネージャーだった母もそうだったから。
「知名度が上がれば上がるほど、制限も増えてきたのが辛かった。最後の方は外出すら沢山の制限があった。」
「凄い…窮屈だったんだ…。」
チャックを拘束していたのは有名税とか言うヤツだろう。
「色々制限されて、色々取り上げられて。もうこんな不自由な世界に居たく無い。そう気付いたら…見知らぬこの世界に居たんだ。」
それが例のヘリコプター事故だったんだろう。
「言葉は通じない、知らない人種と世界。最初は凄い苦労はしたけど、自分を知らない世界がこんなにも自由で解放的なものか。その思いの方が強かった。」
チャックの晴れやかな顔に私は言葉を詰まらせてしまった。
私と言えばつまらない日常に嫌気をさしたくらいだ。チャックみたいに雁字搦めの仕事も無ければ、束縛されるプライベートも無かった。
それなのに、この世界に辿り着いた。
どうしてなんだろう…?
「俺の話はそんな位しかないよ。簡単に言えば、元の世界が嫌で願ったら此処にいた。それだけ。」
「私は変わり映えしない日常が嫌になって気付いたらこの世界に居ました。チャックとは比べ物にならないくらい軽い願いで。」
「人の思いに重い、軽いは無いよ。」
サラッとチャックは私の言葉を遮る。私はゆっくりと視線をチャックに戻した。
「重い…軽い…。」
「詳しくは分からないけど、真琴ちゃんが真剣に思いを願ったからじゃ無いかなぁ?」
「確かに、逃げたいって…。」
「逃げる事も生きてく上で大事な選択肢だよ。」
良くお母さんには「逃げるな」と言われていたのに、そのお母さんと一緒に働いていた人物に「逃げろ」なんて言われてる。
なんだか可笑しくなって、小さく笑ってしまった。
「んだ?真琴、気が触れたか?」
「違うよ。」
何とかカズマに返事をした時、入り口から声が聞こえてきた。
「チャック、いるの?」
声の主は女性の様だ。その声に反応する様にチャックも「工房だよ。」と声を張り上げた。
工房の出入り口からショートカットの女性が顔を出して私達を見るなり
「やだ。チャックってばお客様にお茶も出してないの?」
「あ。そうだった。知った顔が居たからビックリして忘れてたわ。」
「もう!私が淹れるわ。待ってて。」
目鼻立ちがハッキリとしていた女性は発言もハッキリしている印象だった。
「悪いね。」
ばつが悪そうにチャックは頭をかいて笑っている。
「もしかして、奥様?」
はたまた彼女かな。そんな雰囲気を感じ取れたから隠す事無く聞いてみた。
するとチャックは小さく頷いて更に笑った。照れてるのだろう。
そうか。チャックは、お兄さんはこの世界で幸せを掴んだんだな。
しばらくすると奥様が綺麗なカップとソーサーにコーヒーを淹れて来てくれた。
「いらっしゃいませ。ごめんね。チャックってば毎回お客様と話し込みすぎて、お茶を出し忘れるの。」
「あ…いえ。お構いなく…。」
「まあまあ。ゆっくりなさって。」
チャキチャキとした奥様は私達にニッと笑ってチャックと少し会話を交わすと一礼してその場を離れた。
何と言うか、サッパリしている人だったなぁ…。
「本当、悪いね。嫁がお茶の用意をしてくれたのに忘れてたわ。」
「あ、平気っすよ。しかし、チャックって結婚してたんだ。」
ポンポンとコーヒーに角砂糖を入れながらカズマは聞いているが、砂糖、入れすぎじゃね?5個入ったよ?
「俺がドロップしてからずっと世話になった人のお嬢さんでね。そのままの流れで一緒になったんだ。」
「異世界同士でも婚姻関係は結べるんですね。」
「うん。メディカルチェックして異常が無ければ、この世界の住民として登録してくれる。元の世界とは考えられないくらいにアッサリね。」
もし逆で私達の世界に異世界の人がやって来たら。
戸籍なんて簡単に作れないし、あっと言う間に拘束されて即病院送りになるだろう。
世間にそれらの事はニュースになるのかしら?
「まぁ、アッサリなのは俺達みたいに稀にドロップする人が居るからじゃないかな。」
何も入れないコーヒーをチャックは静かに飲んでる。
まぁ。そんな細かな話は私が1人が考えても仕方がないか。
「あの、メディカルチェックって何をしました?私はこれからで…解剖とか無いですよね?」
「解剖!」と大声でカズマがケタケタと笑い出した。
その笑い声が余りにもカンに触るトーンだったので、全力でカズマの右足の甲を踏みつけてやった。