視線
「 おい由紀 おい! .... マジかよ 」
薄ら薄らと誰かの声が聞こえる 。
___ 誰?
私の思考は朝と同じく霧に掛かっていて
霞む声が誰のものなのかわからない 。
今回は晴れていく所か濃さを増していきます 。
確か李君と二人で帰って、千聖が帰ってきて
三人でお茶をして _____ 。
「 由紀 ! 起きろって 」
嗚呼 、駄目 。
ふわりふわりと思い出した記憶を
白い世界が飲み込んでいく感覚に私は身を委ねました 。
不思議と暖かくて不快ではない 、それに
私は落ちていきました 。
‐ ‐ ‐
次 に 私が目覚めたのは 、
自室のベッドの上でした 。
起きて間もなくは 長い夢を見ていたのかと思いましたが 、
携帯のメッセージがそれは夢ではない事を示していました 。
李君の部屋に入って私はすぐ
落ちる様に眠ってしまったらしいのです 。
どれだけ揺すっても声を掛けても反応せず 、
仕方なく千聖と李君が家まで運んでくれたそうです 。
それまで眠気だってちっとも無くて 、
それでなくても丸一日以上眠っていた後なのに
私は一体どうしてしまったんだろう 、と 考えました 。
これが初めて危機感を覚えた瞬間だったと思います 。
幸い 、家に運ばれてから数時間後に
私は目覚め 、お母さんからも叱りを受けたり等
眠りは浅かったし 目覚めも悪くなく体調も
普通でしたが 、
どうしても気にかかるようになりました 。
今朝の二の舞にならんと
カナちゃんにメッセージを送ると 、
「大丈夫?」とだけ来ました 。
カナちゃんの優しさに 自然と頬が緩むものの 、
私は不安な気持ちが抑えられませんでした 。
それとは別に 、
私には心配があったのも原因でした 。
夢現 、眠りに落ちる前の李君の言葉でした 。
「 ____ 本当に 」
その言葉 を なぞる様に口にしたりしました 。
淡い記憶は無理やり黒のマジックで
塗りたくって とても見れたものではなかったので
瞳を閉じてみても思い返されるのは
大好きだった李君の屈託のない笑顔だけ 。
それも今は 、過去の一部として溶けていく 。
その日の夜は少し眠る事が怖かったです 。
それでも睡魔というものは訪れるもので 、
けれどその 白さ は
李君の部屋で 落ちた時の様なものではなくて 、
濁流に呑まれるようだと思いました 。
私は 、その日から1週間目覚めませんでした 。
目覚めは唐突 。
ハムを出刃包丁で断絶する様に
ぷつりと切れた睡眠 は 、
私を絶望へと突き落としました 。
見知らぬ天井でした 。
白いタイルに均等に線が入っていて 、
銀色のカーテンレールが見えました 。
不思議に思って起き上がろうとしても 、
身体が鉛の様に重く 首が上がりませんでした 。
何とか動かした眼球は 、
目の下にクマを作った弟の頭部を映しました 。
「 ... あ 」
名前を呼んだつもりだったのに
声にならなかった 呻き声 は 蓮 に届きました 。
飛び跳ねる様に驚き 、そして喜び 、
涙を流しながら私の上半身を抱いた弟は 、
しばらくそうしたままで居ました 。
私は抱かれながら手足に力を入れてみたけれど、
上手く動かせずに
人形の様に抱かれたままでいました 。
周りを見れば 病院の様でした 。
心無しか細くなった様な自分の腕には
点滴が繋げられていて 、
見るからに病弱そうな桃色の服を着ていて 。
「 母さんと父さんに連絡してくる 。
姉さんは何も心配しなくていい 。
後で事情を話すから 」
蓮 はそう言うと携帯を手に病室を出ました 。
我ながら立派な弟を持ったなあなんて
思いながら 、
私は徐々に不安に染まっていきました 。
___ どうして私は病院に ?
そして 、目の前の入院患者さんの時計で
私は全てを悟りました 。
デジタル時計は 、あの日 。
つまり李君との一件のあと 、目覚め 、
こっぴどく叱られたあの日 から 。
1週間後を記していたのです 。
嗚呼 、眠り続けていたんだ 、私は 。
そう 、思いました 。
身体に骨折や外傷は見当たらなかったですし 、
そもそも最後の記憶は 眠りについたことだったから 。
動く事を忘れてしまった手足や
声を出す事を忘れてしまった喉が
もどかしく感じました 。
「 あ あ" ... う あぁ ぁ ... 、」
声にならない叫びを何度も何度も叫びました 。
溢れる涙を拭こうとしても
思うように動かない腕が憎らしく思えました 。
父と母に連絡を終えて戻ってきた蓮は
私の泣き様を見て驚き 、
私の頭を撫でながら 大丈夫だよ と 声を掛けてくれました 。
「 由紀 ... !」
「 お ... かあ さん 」
私はお昼過ぎに目を覚ましたのですが 、
その一時間後には父と母が病院に駆けつけました 。
時間的に考えて仕事はそっちのけで
こちらに来てくれたのだと微笑ましかったです 。
その頃にはカタコトだけれど
口もきける様に回復して 、
蓮のお陰で落ち着きも取り戻していました 。
私からすると 、
寝て起きて見た母や父の顔はさほど
驚くものでもなかったのは当たり前ですが 、
両方私の顔を見るなり泣き出し 、
蓮と同じよう私を抱き締めました 。
先程 あれほど泣いたのに 、
それでも涙は出るものなのだなあなんて考えながら
私も一緒に泣きました 。
「 .... おかあ さん 。私 、病気 なの ?」
頃合を見計らって 、私は問いました 。
母は少し硬直した様に私の顔を見てから 、
ニコッと笑うと 、
「心配しなくていいわ」と言いました 。
そして 、父がベッドの横に付き 、
私の手を握りました 。
蓮は 顔を背ける様に カーテンの外側に立っていました 。
「 落ち着いて 、聞いてね 。」
父の手を握り返しながら 、
私は うん と答えました 。
母は、ゆっくりと口を開きました 。
「 白雪姫 知ってる ?」
私は意味がわからず、
ポカーンと口を開けたまま少し沈黙しました 。
まさかこんな状況で冗談を言うはずないと
思っていたので 、
カチンと来た私は少し怒り気味で
「お母さん」と呼びました 。
「 白雪姫は毒林檎を食べて永遠の眠りに着くの 」
ハッとしました 。
眠りという単語にでした 。
「 えいえん 、の 、ねむり 」
無意識に復唱したそれが全てを表していました 。
「 眠れる森の美女症候群 。
別名 クライン・レビン症候群 ...貴方の病名 」
一瞬気の遠くなるような感覚に襲われました 。
お伽噺の様なその病名は
あまりに現実味が無く 、
そして現実であれば
永遠の眠りとは何を指すのか 。
「 わたし 、死ぬ の ?」
それは傘に降りかかる雨が地に滴るような 。
コップに注いだ水が
時を経て溢れ出すような 、当たり前の 疑問でした 。
意識せず漏れたその言葉を
間髪入れず 「馬鹿な事言うな!」と蓮が否定しました 。
「 死ぬわけ 、ない 。死なせない ... !」
必死 な 蓮 の顔をみて
思わず潤んだ目を 顔が不細工になるまで歪めながら
私は ごめん と 言いました 。
決して涙が零れない様に 、ごめんと言いました 。
父も母も私の頭を撫で 、
口々に「大丈夫だ」「由紀は死なないよ」と呟きました 。
後日 、というか その後 、
私の主治医である 川崎先生との お話がありました 。
〝 眠れる森の美女症候群 〟
通称 「 クライン・レビン 症候群 」
世界でも珍しい奇病でした 。
単純明快に説明すると 、眠り続けてしまうのです 。
一定の周期であったり 、
いきなり 何週間 、何ヶ月と眠り続ける事もあるそうです 。
若者に多く掛かる病魔で 、
治療法は未だ解明されておらず 、
時経てば時期病魔は去るというものでした 。
寝ている間は栄養が取れないので
点滴が必要になりますし 、
長い間身体を動かさないとなれば
筋肉や骨だけでなく臓器や器官にも影響が出ます 。
ただ 、死に至る病気ではない 。
けれどもそれは私にとって
救いにはなりませんでした 。
きっと病魔が去り、健康になった後ならば 、
「死ぬ病気でなくて良かった」と言えるかもしれません 。
けれど当時の私には 、
それは救いというより 、残酷でさえありました 。
時経てば必ず治るという保証は無く 、
後遺症も残るかもしれず 、
毎日いつ眠ってしまうか判らない生活で 、
目を覚ませば何年も経っているかもしれない恐怖 。
取り残される 、恐怖でした 。
「 やあああああああああ !!」
私は一時帰宅となり
自宅へ帰り 、すぐに錯乱状態となりました 。
最初は アーサと久々の再開やお喋り 、
久しぶり ( 体感は無いのだけれど )の我が家で
ゆったりとしていました 。
けれど 、少しの睡魔が私を襲うと 、
私は正気では居られませんでした 。
「 嫌だあっ 、寝たくない ... 寝たくない 」
部屋中のものを壊し 、
枕を鋏で切り裂き 、
それでも眠気が襲うならば 髪を一本ずつ抜いたり
針で指先を刺しました 。
蓮 や お母さんが止めに入ってきて 、
一旦は落ち着くのですが 、
また可笑しくなって暴れ出すのです 。
その日は眠れませんでした 。
蓮は一日中私に付く様になって 、
夜も私とテレビを見たり 、
私の頭を撫でたり 、ホットココアを入れてくれたりしました 。
だけど点滴続きだった私の身体は
連続の無睡眠に耐えきれなくなったのか 、
私は動けなくなりました 。
蓮は私を私の部屋のベッドへ運ぶと
私の頭を撫でながら 、
「大丈夫だから、眠ろう」と言いました 。
不思議なほど私の身体は動かず 、
意識は薄れていきました 。
蓮 は ずっと 「大丈夫」「大丈夫」と言っていました 。
チュンチュン ... 。
鳥の声が微かに聞こえました 。
薄らと目を覚ますと
窓から射す木漏れ日が眩しくて目を閉じました 。
ハッキリしてくる意識と共に
握られた掌の感覚を感じ 、
私は飛び起きると 「 今何日!?」と叫びました 。
その声に驚き起きた蓮は
暫く眠そうに目を擦ったり伸びをしたりして 、
ひとつ大きなため息をつくと 、大笑いしました 。
「 声でかすぎ。大丈夫 、昨日の夜から今の朝までしか寝てないよ 。あはは 、可笑しい 」
ケラケラと笑う蓮を見ていると 、
なんだか可笑しくなってきて 、私も笑いました 。
「 て 、言ってももう昼だね 。学校休みだなこれは 」
やっと笑いが収まったのか
ふと見上げた掛け時計は 午前11時過ぎを指していました 。
学校という言葉に私は少し考え込みました 。
蓮はそんな私をみて 、
少し切なそうに微笑むと 、
「 ご飯食べよう 。下 、降りよう?」と手を差し出しました 。
握った手は暖かくて 、そして優しかったです 。
「 おはよう由紀 」
下に降りると 、リビングに居たのは 千聖でした 。
驚いた私は先ず髪型と服装を気にし 、
蓮 の 陰に隠れながら 、「なんで居るの」と問いかけました 。
千聖はそんな私の様子をみて
クスリと笑うと 、
ゆっくり私のそばへ寄りました 。
大きな手が私の頭部を撫でると 、
「大事な彼女が大変なことになったって聞いて
来ない彼氏、いる?」
なんて 、
冗談めいた言い方をしながらも
心配していた事が滲む声色で千聖は続けました 。
「 不安な時一緒にいてあげられなくてごめんね 。
病院には2回くらい行ったんだけど 、
目覚まさなくてさ 。... 大丈夫 ?」
私は蓮の陰から出て 、
千聖と向き合い 、まっすぐ彼の目を見ました 。
千聖は不思議そうに首をかしげながら
私を見つめ返してくれました 。
私は目元が熱くなるのを感じて 、
隠す様に千聖の胸元へ顔を埋めました 。
千聖は人前ではあまりスキンシップはしない人だったけれど、
この時は優しく抱きしめてくれました 。
千聖はこの時気付いていたのでしょうか?
私を愛おしそうに 、
千聖を貫く様に見つめる蓮の瞳に 。
千聖は私が泣き止むまで
ずっとそうしてくれました 。
身体を離すと 、「よしよし」と子供を扱う様に
私の頭を撫でて 、
「 李も学校終わったら来るって言ってたよ 」
と言いました 。
私は 苦笑いしながら あ、そうなんだと 返すと
馬鹿のように 、
千聖のことを好きだなあなんて 、
思っていたんです 。