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ボヤージュ le voyage

 駅を出て左右をキョロキョロと見渡して、ぼくは北口方面にあったローソンに向かった。

 駅というところはいつでも人が沢山いる場所であるが、この日もやっぱりそうで、ミスタードーナツでコーヒーを三杯おかわりしてから店の外に出たぼくは、目まぐるしく流れる色とりどりの洪水に出会って、遊園地のコーヒーカップの、回転の中心軸に立っているような錯覚を覚えた。



 新聞の朝刊の一面は、衆議院議員の収賄容疑がトップ、他にはフランスの大統領の来日とスポーツ選手の結婚披露宴のことが載っていた。

 大統領来日の話題以外には特に興味もなかったので、総合面の大統領関連記事(大統領はフランスと日本の協力関係の強化を提案)をざっと読んで、その後は国際面に読み入った。アフリカには国民総生産の三分の一の資産を持つ大統領がいるそうだ。さらに、ペルーの日系大統領は、エイペックへの参加をフィリピン大統領に要請した。



 おにぎりの棚をじっと睨んだ後(どこをどう見ても牛肉カルビは見当たらなかった)諦めてタマゴとハムのサンドウィッチとカフェオレを買って店を出た。



 午前八時五十分。ミスタードーナツは朝食代わりにドーナツを食べる人々で混んでいて、ぼくはようやく見つけたテーブルに荷物を置いた後、注文をするために杖をついたおじいさんの後ろに並んだ。 おじいさんの前には女子高校生と思しき制服姿の女の子が二人いて、髪を二つに分けて結んでいる子はショコラファッションとホットミルク、ポニーテールの子はカスタードとホットチョコレートをトレーに載せて自分たちの席まで運んで行った。おじいさんは自分の番が来て初めて何を食べるか考え始めたらしく注文に手間取っていたが、別に急ぐ用事もないぼくは、店の自動ドアの向こうの喧騒を眺めて、ここが決してザイールでもコンゴでもないことを実感していた。



 電車の窓から見る景色はとても不思議だ。

 近くの物はものすごいスピードで過ぎ去っていくのに、遠くの風景はとてもゆっくりだ。これは、線路が真っ直ぐに走っているとするとちょっとおかしい気がするが、これはたぶん、遠くを眺めやった場合、あまりに遠すぎるため、あるいは電車が速すぎるために、目は結局電車と並行には進まず、常に平行線に垂直に下ろした地点よりも少し後方に、視点が置き去りにされてしまうということなのだと思う。



 ときどきタバコを口に持っていくと闇の中に一点、そこにぼくの存在を示す光が灯った。昇る煙はとても白くて、ゆったりとしたその流れに、ぼくは色んなものの存在を確信することができた。

 闇の中ではもはや自分の手の重さすらも感じることはなくて、ぎゅっと左手を握ってみても、まだ不確かな感じがして、それで自分の頬を撫でて、皮膚はまだ透き通ってはいないことを確かめた。ぼくは皮膚の下に幾層にも積み重なった細胞のひとつひとつにまで意識を集中し、その子たちが必死で行っている生命活動のことを思い、それは自分の身体に起こっていることと信じるにはあまりにも不思議で、思想も何もないことであるのをとてもうらやましく思ったのだ。彼らはぼくを作っているが、ぼくは彼らの分まで生きられているのだろうか。



 電車の旅が常にそうであるように、通路の両側に細長く広がるスクリーンが緑の生命で覆われるようになると、星から星へと旅をするように、過ぎ去った街は哀しくぼやけ、来るべき街は不安色に染まっていった。

 お腹が減った。



 そこには色とりどりの花が咲き乱れ、そして時間は止まっていた。花の名前はひとつも分からなかったが、珍しいと思えるようなのはまったくなかった。

 空気は子供の頃に見たテレビ番組のアニメーションのように、微かに色づいて、そして甘い匂いがした。

 ぼくは自分が蝶になったように錯覚して、舞うようにくるくると回転しながら、少し甘いその空気を胸に吸い込んだ。



 まず目に飛び込んできたのは昴だった。

 いつもは先にオリオンを見つけないと探せなくて、それはまるで昴を見るための儀式とさえ思えていたのに、むしろオリオンを見つけるのにしばらく時間がかかった。昴は、今日はいつもより多くて七つか八つも見えたが、オリオンの三つ星はまったく見えず、オリオンにはらしさがなかった。



 車内が禁煙でないことを確かめてから、ぼくはシガレットケースを取り出した。蓋を開けると三本しかなくて茫然としたが、後のことはなくなってから考えることにして、マッチでタバコに火を点けた。

 煙がゆっくりと立ち昇るのに見とれていてふと、辺りの空気が固まったかのようにゆらゆらする煙と、目に入った次の瞬間には遥か後方に立ち去ってゆく光景とが、同時に視界の中にあって、自分は一体どっちの世界に属するものなのか、ぼくには判断できなかった。


 そこは冬だった。雪もないのにそれが分かったのは、タバコの煙も、煙草を吸って吐いた煙も、息も、みんな一色たに白かったからだ。

 この現実世界では色んなことが起こり得る。もちろん秋の中で局地的に冬であるような場所もあるだろうし、春が来て、冬が来て、夏になって秋が来るということだってあるかもしれない。ここは周りを秋に囲まれて、自分でも戸惑っているような冬の場所だった。 目を閉じると、雪が舞い降りてくる音が聞こえた。



 電車の旅をしているというのに妙な話なんだけど、なんだか突然ピクニックに行きたくなった。外の雪景色を見て寂しくなったのかもしれない。とっても好きな女の子と二人で、女の子が作ったとてもおいしいお弁当を持って、とても暖かくて緑のたくさんある草原へ。



 無数に物が散乱していた。古いレコードプレーヤーは、ジョージ・ハリスンの暗い曲を一層暗く奏でている。

 ぼくは、この部屋で唯一自分の城であるような、数冊電話帳を重ねたイスに座り、目を閉じて、手にはタバコを持っていた。自分はどうしても、この部屋の転がった物たちと同化することができない。限りなく無に近めているはずのぼくの心には、多くのことが通り過ぎて、ただそれらをその場にとどめることができないだけだった。ぼくはこうして多くのものを何の手出しもできないまま失っているのだろう。しかも、何かを手に入れるためには、自分で自分の手を動かさなければならないというのに。ぼくはこのどうしようもなく失っていく日々の、一体どこにそれだけの貯金をつくることができたのかが分からないのだ。もう失うだけだったら、最後に残るものが、いちばん大切なものだといい。



 電車に乗る前にローソンで買ったサンドウィッチはもう食べてしまっていたので、次の駅に止まったら何か買おう。十分は止まるはずだから。



 ふと立ち止まって後ろを振り返ると、ぼくの足跡は既にはっきりとはしていなくて、それはぼくの人生のこれまでを象徴しているようでもあった。

 ぼくは、この先進んでいく道に、どんな足跡をつけることも可能だということに気がついて、途端に一歩も足を前に出せなくなった。 雪はもう長いこと降り続いていて、肩や腕に積もっていく白い結晶にうずもれて、ぼくはここで像になる。



 こんがりと焼いたトーストにジャムを挟んだパンはあまりにおいしくて、こういう形のない感動にこそ、真実があるのだと思う。残しておきたくなるものは、記憶の中に刻みつければよい。ぼくはそんなに簡単に自分の刻んできたものを取り出すことはできないけど、ぼくのこの頭の中のどこらへんかには、とても素敵なもので溢れた部屋があるのだということを感じて、自分の頭を軽く撫でた。



 日曜の朝は特別だ。

 特に秋から冬の始まりにかけては、澄んだ冷たい空気を胸に吸い込むと、よく知っているはずの自分の足どりさえもがおぼつかなくて、なんとなく全体的に身体が緊張して強張って、ぼくは異国の街に来ているように思う。



 ふと目を覚まして腕時計を見ると、まだ夜中の三時だった。

 窓の外は当然のごとく暗い。電車はほとんどの眠っている客たちを揺り起こさないようにと慈しむかのように、昼間よりも軽く、カタンコトンというリズムで走っていた。

 ぼくは目を凝らした。すぐ目の前に視界を遮るものはないはずなのに、明りのひとつも見えない。こんな場所が果たしてこの国にあったのか。ぼくはその不思議にとりつかれて、なおもじっと目を凝らしていた。

 そのとき、目の前には神秘的な光景が展開した。

 空一面を敷き詰めていた分厚い雲のあいだから月が顔を出したのだ。それはたった一秒か二秒、時間という長ささえ感じないはずなのに、とても長く感じてしまう一瞬の、出来事だ。雲の切れ間から真っ直ぐに降りてきた光は、そこにあるものをぼくの目に映し出した。

 それは海だった。果てしなくどこまでも広がって水平線は雲と混じりあっているような、とてつもなく広い水面に、ぼくは光のきらめきを見ようと必死になって目を凝らしていたのだ。



 むかし、ぼくはフルート吹きになりたかった。小学校の低学年、誕生日かクリスマスに親にねだって買ってもらい、音の出し方が分からないままときどきフーフーいわせたりして、一週間くらいいじくりまわしていた。

 当時のぼくは今よりも割と活発で、その頃のぼくの中でのブームは室内サッカーだった。ソフトボールを少し大きくした感じのゴムボールを追いかけて、一日中家の中を走り回っていた。

 そしてとうとうある日ぼくは食器棚にゴールを決めてしまったのだ。カンカンになったお母さんは、そのときぼくが一番大事にしていたもの、すなわちフルートをぼくから取り上げた。しばらく預かっておくから反省してなさい、とお母さんは言って、フルートをぼくの知らない場所にしまった。

 ぼくはその一週間お母さんとはひと言も口をきかず、何もせずにただぼんやりと、この家のどこかに閉じ込められているフルートのことを考えた。そして三日目の晩、ぼくのフルートは死んだ。

 一週間ほど経つとお母さんは、約束通りにフルートを返してくれた。ぼくはお母さんが出掛けるのを見計らって庭に大きな穴を掘り、穴の底に、頑丈なケースに入ったフルートをそっと横たえて土をかけ、ほかと区別がつかないようにならした。

 それ以来、ぼくはフルートを吹いていない。



 ぼくは電車を降りた。ドーナツが食べたくなったのだ。

 コーンクリームスープとプレーンクルーラー二本を載せたトレーを運んで窓際の席に落ち着いた。どうもぼくは、朝ドーナツ屋に来ることが多いのかな。ぼくの横を何十人もの見知らぬ人々が通り過ぎていったが、店の方は空いていて、朝ごはん代わりに一、二個買って出ていく人が殆どだった。

 ぼくは買ってきた新聞を広げてみたが、驚いたことにそれは昨日の新聞だった。



 その部屋には何もなかった。ひとつの家具もなければ、ひと粒のちりも落ちていない。あるとすれば空気だけで、厳密には部屋という名前さえ、ちゃんと付いているものなのか、はっきりしなかった。人間というのは、初めにあったこの名もない部屋にどんどん物を詰め込んで、あるいは最後にはとても汚くしてしまう。歳をとって死んでいくというのは、そういうことだとぼくは思う。



 雪景色はぼくの心をとてもきれいにしてくれた。でもそれがこの瞬間の、感動がぼくの中を駆け巡っているあいだだけであるということは分かっている。雪はぼくの心に積もったほこりを吹き飛ばしてくれるのではない。ただそれを覆い隠すだけだ。

 電車は自然のつくったマスターピースたちの視線を無視して、あるとも知れない目的地を目指し、ガタンゴトンと走り続ける。



 舗道に沿って名前の分からない木が植えられていた。ぼくは落ち葉をかさかさと踏み鳴らし、耳を澄ませて歩いた。

 むかし、女の子と二人でこういう秋の並木道を歩いていたときのことを思い出す。

 落ち葉を踏んで歩くのが好きなんだ、とぼくは言った。彼女はそれについてしばらく考えているようで、ぼんやりとぼくの後をついてきたが、彼女がその意見に反対であるのは、彼女がなるべく一枚の落ち葉も踏まないようにして歩いていることからも明らかだった。 だって、と彼女は言う。可哀そうじゃない。こんなに美しく色づいて、こんなに美しい姿をしているものをどうしてあなたは踏みしめたりできるわけ? あなたは何か、優しさのようなものが欠けているのよ。

 そうじゃない、とぼくは反論した。いいかい、木の葉っぱは枝から離れて地面に落ちた段階でもう殆ど死んでいるんだ。落ちて三日くらいは、あるいは木の一部であった頃のことなんかを色々と思い出したりしてるのかもしれないけど、でもそれが過ぎたらもう何も考えることはしない。必要がないからね。木であったときには、葉っぱはある程度大事な役目を負っていた。もちろん幹なんかには何をやったってかなわないけど、みんなでストライキをすれば枝の一本くらいは枯らすことができた。でもいまはもうそうじゃない。彼らは性格も感情もないただの死骸だ。ぼくはその彼らの死んだからだに命の灯を一瞬だけともしてやるのさ。冬が彼らを本当の死へと連れ去ってしまう前にね。葉っぱを踏んでも可哀そうなんかじゃない。

 彼女は長いあいだだまって歩いていた。そして立ち止まってぼくの目を見据え、もう一度同じ言葉を繰り返した。

 あなたには何か、優しさのようなものが欠けているのよ。



 遅くまでバーのようなところで一人でワインを飲んでいて、ふらふらとうちへ向かって歩いていると、割と大きめの公園の側を通りかかった。公園としては基本をきちんとおさえている方で、すべり台と砂場とジャングルジム、それにブランコもあった。

 酔っていたせいかふとブランコの方へ歩みを向けると、二つ並んだ右側に腰掛けた。

 タバコをくわえてから、ここが子供たちの聖域であることを思い出して、またしまった。

 しばらくのあいだ、ぼうっとしながら口笛を吹いたりしていたが、そうやって心の中を空っぽにしていくと自然にブランコは動き出した。ぼくにはその動きを止める意志はまったくなかったので、糸の先に吊したおもりと変わらないぼくは、指先で軽く押した振り子の原理で静かな時を刻んだ。そしてぼくはいま時間を紡いでいるのだと思った。時間の妖精たちはいつも人々が寝静まっているときに時を紡ぐ。誰にも決して姿を見せないから、誰も彼らの姿を見たことはない。時計の針がいつも正確なちっちっという音をさせていられるのも彼らのお陰だというのに、人々はまったくそれに気づきもしないで、自分たちの祖先の作り出した恩恵だと思い込んでいる。

 どれだけの時間そこにそうしていただろう。人影はまったくなく、車もこの特別な場所は避けて通るようだった。ここには不思議な結界が張られているのだ。

 ぼくはぴったり三日分の時を紡いでから、公園を後にしてもとの時計に縛られた世界に帰った。



 車内はそれほど混んでいる様子もなくて、ぼくの向かいの席には人が座ったり座らなかったりしたが、二駅ほど前からしばらく空いていた。ぼくはあまり他人と親しくしたりする方ではないので、目の前の誰も座っていないシートを見るたびにほっとして、タバコに火を点けたりしていた。

 電車がゆっくりとホームに入っていくと、絶対に座席を見つけねばらないというように表情をこわばらせた人々の顔が見えた。もしかしたら電車に乗るというのは、穏やかな生活を送る我々がある種の緊張感を極端に高めていく少ない瞬間なのかもしれない。

 電車が止まった。ぼくの窓のすぐ目の前にはほとんど目も開いていないようなおばあさんが立っていて、自分の目の前にドアがないことに茫然とした様子で、哀しそうに、乗り込んでいく人々の列を見やっていたが、やがてやれやれといった感じに足元に置いていた大きな風呂敷包みをよっこらしょと両手で持ち上げ、列の一番後ろについた。ぼくは何となくそのおばあさんが気になってずっと眺めながら、おばあさんはたぶんぼくの前に座るだろうなと思った。

 入り口のところでキョロキョロしたおばあさんは一瞬ぼくと目が合って、もしかしてあんたの向かいは空いているんだろうかねえ、というような表情を浮かべたので、ぼくはできるだけ親しみをこめて目で合図を送った。

 おばあさんは重い風呂敷包みを隣の座席に置いて自分も腰を下ろすと、ようやくひと息ついて、ひとり旅ですかい、とぼくに話しかけてきた。はい、そうなんです、とぼくが答えると、そうですかい、いい身分ですねえ、と言ってひとりで頷いていた。

 電車がそろそろと動き出すとおばあさんは風呂敷包みを解いて中からおせんべいの袋を取り出した。ぼくが物欲しそうな目で見ていたせいではないだろうと思うけど、おばあさんは優しく、おせんべ、お食べになりますかい、と言ってくれた。ぼくは、はい、喜んで、と言う。ぼくは実はおせんべいが大好きなのだ。



 ドトールコーヒーに入るとぼくはいつものようにロイヤルミルクティーとジャーマンドッグを注文して、入り口からいちばん近い二人掛けのテーブルに座った。紅茶がよくでるのを待つあいだタバコに火を点けて、やれやれと思った。全然知らない街にいるというのに、ここは本当にどことも変わらない場所だ。おまけにポール・マッカートニーの「フール・オン・ザ・ヒル」までが流れているし。しかし、このようにどこの店でも、どこの国にあってもまったく同じ空間を提供できるというのは、実は逆説的に見て資本主義の恩恵なのだとぼくは思う。資本主義がつくり出したものは個人ないし個性であるように見えて、本当につくることができたのは、あの北の共産圏が願ってやまなかった没個性の社会であったのだ。ぼくは自分がその没個性的ミックスジュースに飲み込まれていないとかたくなに信じながらも、結局はただ単にもっとも濃い色でできあがったジュースであるだけなのだろう。つまり、我々は常に、自分が選んだと思い込んでいる、いくらかの選択肢のひとつの姿にすぎないのだ。たとえば、髪を染めるか染めないか(2)。大学に行くか行かないか(2×2=4)。タバコを吸うか吸わないか(2×2×2=8)。ただし、本当にただひとつ、自分の力で真にたったひとつしかないものを選び取ることができるとすれば、それは自分がもっとも愛する人だけであろうと思う。



 そろそろ髭が気になってきたので、中を覗きこんで、割とオシャレめの美容室に入った。ぼくの姿は相当汚らしかったのか、店員の女の子は一瞬ぎょっとした表情を浮かべたが、次の瞬間には素敵な笑顔でいらっしゃいませ、と言ってくれた。

 幸いにも客はぼくの他にひとりしかいなくて、すぐにシャンプーをしてくれた。どうなさいますか、とさっきの女の子に訊かれたので、ぼくはうーんと少し考えてから、少しさっぱりめにしたいんですよと言った。じゃ、耳はすっかり出しちゃっていいですか、と言うので、ぼくはお願いしますと答えた。女の子はくしとはさみを使って器用にぼくの髪の毛を切り始めた。ぼくは目の前の鏡で隣の隣に座っている人物を観察した。その男の人は年齢のぼやけた風采で、おそらく普段はオールバックに撫でつけられていると思われる黒々とした髪をして、そして口もとには立派な口髭を生やしていた。目はぎょろっとして、スティーブ・ブシェイミみたいだ。男はまっすぐ前を睨むように見ていて、もみあげに取りかかっている強いパーマをあてた女の人は心持ち緊張しているように見えた。

 ぼくは男を横目で観察したまま意識は身体を離れ、何かとりとめもないことをぼんやりと考え続けていた。……は……ますか、…もみあげはどうなさいますか? 女の子が鏡越しにぼくを困ったふうに見ている。

 ぼくはごめんなさい、と言って苦笑いをし、もみあげは耳の下と同じくらいに揃えて下さい、と注文した。少し我々のあいだには親密な空気が流れ始めたようだ。でも、とぼくは思う。この、この世に二人しかいないぼくたちがいくら今の瞬間に心を通わせようとも、あと一時間もすれば二人は別れなければならない運命にあるのだし、三時間後には、ぼくは50キロも離れたところをひとり電車に揺られていることだろう。旅というのはやはり本質的に、ひとを感傷的にさせる仕組みなのだ。そういうことを考えて、ぼくは愛情のこもった眼差しで、こっそり女の子を見つめた。



 ぼくはあまりタクシーには乗らない人間なのだが、折悪しく落ちて来た雨は、美容室で染めたばかりの明るい赤色をすっかり落としてしまうことは間違いないだろうと思われた。

 運よく美容室を出てすぐにつかまえることができ、勢いよくシートに転がりこむと、ドアの閉まる音にほっとした。ぼくは駅まで、と簡単に言うとシートにからだを沈ませてフロントミラーでこっそりドライバーを観察した。

 歳は四十ちょっとというところで、もしきちんと手入れのされた口髭がなかったらちょっと冴えない顔になっていたことだろう。有り難くも無口なひとのようで、実際ぼくなんか乗せていてもいなくても、自分は自分の目的地に向かっています、というようなかたくなな目でワイパー越しに前方を凝視している。

 このひとは、とぼくは考えた。おそらくジャズのコレクターと見せかけたクラシック音楽のファンだろう。助手席に置かれたカセットテープのケースにはモーツァルト、ドヴォルザークからチャイコフスキーまでが揃っていて、客を乗せていないときにはゆったりとした心持ちで音楽を聴いているのだ。でも昼間に街中を走っているとたいてい第一楽章も終わらないうちに客につかまってしまうから、実は彼は夜勤の方を好むのだ。あるいは夜中にはクラシックに寛大な客もいるだろうし。

 あの、シューベルト、かけてもいいですか、と彼はおずおずと客に訊く。そこでフロントミラーから客の様子を窺って、ちょっとでも好意的な反応を見せると、すぐさまウィーンフィルの演奏が始まるのだ。彼は空想のなかでセカンドヴァイオリンとヴィオラのあいだの狭い通路を抜け、パーカッションをちらりと横目で見てからホーンのうしろを回って、ホルンの右と左のどちらの進路をとるかを考えている。結局右からチェロに抜けた車はコントラバスの壁を左側の窓に見やりながらやりすごして、指揮者のところで止まると、通行料を払い、一本道を真っ直ぐ行って二股にぶつかり、ロンドンとベルリンのどちらを行くかで少し迷うが、結局はロンドンの安さに向かって左に折れ、十秒後にはケチケチした自分をちょっと後悔する。でも、と彼は自分に言い聞かせる、今日はたぶんベルリンはマーラーだろうから、行かなくてよかったんだ。ロンドンはもしかしたらモーツァルトをやるかもしれないし。

 あの、とぼくはドライバーに向かって言った。モーツァルトだったら、別にかけても構いませんよ。ドライバーは、は? と言って車を止めた。駅に着いたのだ。



 電車の発車まで少し時間があったので、駅のキオスクで折り畳みの傘を買い、ヒマ潰しに街をぶらついてみることにした。

 街はクリスマスの飾り付けで溢れていて、もうそんな季節になったのかとぼくは思った。こういうイベントになると、驚くほどむかしのことなど覚えていたりするものだが、果たして去年のぼくにクリスマスがやってきたのかどうかは、いくら考えてもドロドロした記憶の渦の中で、どのようなイメージにも固まらなかった。

 この季節になると、思い出すのはいつも子供の頃のことだ。小学生の頃。その記憶の中ではサンタクロースは圧倒的に存在していて、サンタが枕元に置いていったものの像は、いまも不思議に鮮明に映るのに、いつからかそれはどのような単語にも置き替わらないものとなった。ぼくは別にサンタクロースが子供のときにだけ、子供にだけ本当に存在すると言っているのではない。ぼくはいまも実にきっぱりとその男のことを認めることができる。十二月二十四日の夜、土足で子供の頭の先に忍び寄る、怪しい影のことを。ただ、それはもうぼくの元を訪れなくなったという、それだけのことなのだ。



 おにぎり二つ(牛肉カルビ・おかか)と緑茶を駅の売店で買って、電車に乗り込んだ。四人掛けの席はことごとく二人連れ、三人連れの人々で埋まっていて、ぼくは二輛ぶんほど歩いてから、ようやくひとりで座っている老人の向かいに席を見つけた。例によって盗み見るように観察を始めたのだが、老人は耳にイヤホンをあてたまま目をつぶっていて、眠っているようにも見えた(ただし、この種のいまにも眠ったまま死んでしまいそうな老人たちの多くは、ただ単に目を閉じているだけのことも多い)。顔は異常なほどに赤く、それが酔っているせいなのか寒さのせいなのかははっきりとしない。ぼくはなんだかつまらなくなって、この旅の初めから携帯している一冊の文庫本を読もうかとも思ったが、電車が動き始めると、まずは緑茶の蓋を取り上げたのだった。



 ぼくには妹がひとりいる。彼女ももう結婚してしまっていて何年も会っていないけど、今でもときどき手紙のやり取りをする。彼女の夫についてはまったく記憶はないが、落ち着いた成長を遂げた彼女のことだから、きっとそれ相応の相手と結婚したのだろう。

 ぼくらは割に仲のよい兄妹だったと思う。二人とも相手のいないときにはデートをして、よく本当の恋人と間違われた。ぼくが大学に進んで家を離れる年まではときどき本当にひどい喧嘩をしたものだったが、ちょっと遠ざかってみると、不思議なことに、感情の凍結した人間と思えていた自分にも、もやもやとしたピンク色の家族への情愛は、たしかに存在していたのだった。あるいは彼女にはぼくはあまりよい兄であったとはいえないと思う。ぼくは幾度も彼女の心を傷つけただろうし、ときにはそれは本当に大事な何かであったかもしれないのだ。ぼくはもちろんそれらをもう済んでしまったことにするつもりはないが、そのことで彼女に申し訳ない感情を持ったりすることはない。ぼくはそれほどバカではないから、それくらいのことは分かる。

 そう言えば、去年は忙しくて忘れてしまったが、ぼくが大学に入った年から、毎年のクリスマスにはカードを送りあっていた。今年もぼくの家には、彼女から手製のクリスマスカードが送られてくるだろう。



 老人は二駅も過ぎると降りていった。その駅から乗ってくる客はほとんどいなかったので、ぼくはしばらく向かいの誰も座っていないシートを眺めていた。老人より前に座った人々の顔が見えないかと思ったのである。それに飽きると最後にはいつも風景に目が行った。雪はここへきて一層深く静かであった。あの雪には、とぼくは思った。一年分の人々の哀しみが溶け込んでいるのだ。哀しみの層はやがては森のすべてを覆い、街を覆っていくだろう。冬には、我々は太陽の出ているときにしか、心から哀しみを消し去ることはできないのだ。



 春には河に行った。相変わらず何も持たず、何も考えずに。ぼくはあまり都会暮らしを続けると、たまにふっと、ほんとうの音を聴きたくなるのだ。都会には、それはない。少し大きめの岩に立って、ぐらぐらしないことを確かめてから目を閉じる。そして初めて、体の全神経を解放するのだ。自然の力は強い。が、強烈に純粋だ。ぼくはせせらぎの音を聴き、空気の匂いを嗅いだだけで倒れそうになってしまう。だが解放された感覚の暴走が止むと、そこにはとても美しくやさしい世界が訪れる。ぼくは、ほのかに香る柔らかな空気に身をゆだね、だんだんと沈んでいく。



 ぼくは煙突を掃除している。とてもとても長い煙突だ。筒の内部はちょうどぼくの肩幅二つぶんくらいで、居心地は悪くない。ぼくは黙々と手を動かしている。意識はぼくを客体として捉らえ、ぼくに見えるのは、壁面をこすり続けている自分を内包しているであろう闇だけだ。しかしぼくには自分の手を動かしている感覚はない。それはまるで、誰かの手を、誰かのからだと脳味噌を使って動かしているような、一度に操り人形の人形と操る人になったような、変な感じであった。試しにぼくは自分の名前を言ってみようとしたが、ぼくの名前はぼくの手の先がしっぽを捕まえそうになったまさにその瞬間に、するりと身をかわしてどこまでも伸び、煙突の中のすすけた空気に紛れて、どこかへ漂っていってしまった。ぼくは目を凝らしたが、やはりこの世のどんな黒よりも濃い闇が眼球の表面を覆う膜にかぶさるようにまとわりついてくるだけだった。



 長いトンネルの中は、夜ではない。まして昼でもない。それは完全なる闇と完全なる死だ。我々は、そこに何ものの生をも認めない。それは、ただ入り口から出口までのあいだの空間であり、通過点である。ブラックボックスと違うのはつまり、途中があるという点である。我々は闇に包まれると声を静める。それは、無言なる死への恐怖だ。我々は死の来訪を恐れる。奴らに見つかってはならないのだ。我々はときどきふと不安になる。このトンネルにはほんとうに出口があるのか、と。答えは無論すぐには出ない。緊張が体に走る。もしもこの電車がずっとずっとこの闇の中を走り続けるなら、そこには終わりさえないのだ。



 ぼくは百円ライターで十二本目の煙草に火を点けた。店の雰囲気はなかなかよかった。照明はすごく明るくて開放的に過ぎるほどだったが、地上二メートルを浮遊するタバコの煙のお陰で店内はどことなく退廃的な雰囲気になっていた。誰もがワインのグラスを眺めながら煙を昇らせている。空気は深く澱んで流れというものがまったくなく、わざわざ自分のタバコに火を点ける必要はないくらいだ。 ぼくは白ワインにミックスナッツという極度に微妙な組み合わせを試みていたが、それも悪くはなかった。実際のところ、ぼくの感覚は密度の濃い空気に溶け込んでしまったのか、しばらく前から視覚以外は使い物にならなくなっている。音楽がかかっているかどうかも分からない。おそらくとても控え目でさりげない、誰の耳にも引っ掛からない種類の音楽が流れているのだろう。ぼくはカウンターのいちばん隅っこに座って、忙しげに働く口髭を生やしたマスターをぼんやりと視界に捉らえながら、美しい無感覚の現実の中で、煙を肺に吸い込んではまた吐き出して、ちょっとずつ細胞を弱らせている。灰皿は十一本分の吸い殻と灰で溢れんばかりで、それはひどく雑多な毎日の暮らしを象徴していた。世界はどれも表情の違う、十一本のいびつな吸い殻でできているのだ。その世界にはもちろんぼくは存在していない。ぼくはとうに、あらゆるささやかなるものの集まりから弾き出されて、長い孤独の漂流を続けているのだ。



 ぼくは既にナンバーも全部見えなくなっているタバコをずっと持っていた。さっきから吸い殻を捨てるべき場所を探しているのだが、田舎の小さなこの町には奇妙なほど外に灰皿の置いてある所はなかった。屑籠さえもない。フィルターまで燃え尽きたところでいつまでも指に挟んでいるのがバカバカしくなって道端に捨てた。ぐいと腕をつかまれたのはその一瞬ののちだ。おい、きさま、と言ったのは八百屋のおやじだった。そう、そこはどうやら八百屋の真ん前だったらしい。彼は軽蔑よりも怒りを多く含んだ目付きで、うちの店の前に吸い殻なんか捨ててどういうつもりだ、というような意味のことを言った。八百屋さんの前だとはまったく気がつかなかった、申し訳ない、とぼくは言った。きさま、じゃあうちの店の前じゃなかったらいいとでも思ってるのか、町を汚しやがって、きさまのようなのがいるからいけないんだ。ぼくはこの町を汚すすべての原因の代表にされたことでちょっと頭にきた。そうは言いますけど、とぼくは言った。ぼくはさっきからずっと灰皿を探していたんです、ゴミ箱でもいいからと思っていたのに、あなた、この町にはただのひとつのゴミ箱さえもないんですよ。人間は単純な生き物です。どんな個性を表層的にまとってはいても、そこには本能的心理のようなものがあります。我々はベンチがあったら座るし、ゴミ箱があったらゴミはそこに捨てるんです。でもたったひとつだってないんですよ。あなたはどうせ始終この店を離れないから気がつかないかもしれないけど、いくらなんでもこの町はひどすぎます。自治体は何をやっているんでしょう、そりゃあ町も汚くなりますよ。確かにそれで吸い殻捨てたぼくも悪いですけど、でも人間てのはそんなもんです。我々は実際実に多くの物事を無意識にやってしまいます。見たくないものからは目を背けるし、持っていたくないものは捨てるんです。この町の意識はそれだけ低いです、ぼくはもう二度とこの町を訪れることはないでしょう。



 ぼくは物事には基本的に始まりと終りがあると考えているのだが、場合によって最初がぼやけていたり最後がうやむやになっていたりと色々である。ここにチョコレートの箱がひとつあるとして、この場合食べ初めは非常にいい加減である。箱に幾つのチョコレートが入っていても特に気にすることなく食べ続けるだろう。ところが残りがだんだん少なくなって、箱の底が見えるようになると、ひとつチョコレートをつまむたびに、そこにある種の心理が働く。つまり、例えば雑誌なんかを開いていたりして、しかも残り十ページくらいだったりすると、残りは多分五個くらいだから二ページ眺めるくらいで一個食べるとちょうどよいかな、とかそういったことを考える。しかしそのように計算する余裕があるときは割合最後の一個もそれほどの寂しさも感じずに口にいれることができるのだが、電話なんかをしていてついその計算を忘れてぱくぱくやっていると、気がついたときにはもう箱は空っぽで、指は荒涼とした底をさまようだけである。これはぼやけた終り方の例だ。このことで男女の恋について考えてみると、これはどちらも有り得る話だ。うやむやに仲よくしているうちになんか恋人のようになったり、あるいは一か月も連絡をとってなくて、周りからの見た目や手続き上では恋人同士であっても、実際にはもう二人は恋人とは呼べない距離にいたりもする。これは感情に関することだからどのような一般化もできないわけだが、恋愛というものには確定的なことなどないのだとぼくは思う。つまり、すべての偶然から生じる人と人との出会いの中で、しかもお互いが少なくともある種の好意なり愛情なりを持ち合うわけで、そういうのって、もうほとんど奇跡と言ってもいいくらいのことだ。もし、いくつかの生物を取り上げて、アトランダムにオスメスを選んで交配を試みた場合、その成功率はどうしても、この複雑にできそこなったヒトという動物が最低にランクされることは間違いない。ぼくはときどき少し本気で思うのだ。もしもありんこに生まれていたなら、こんな寂しい思いは、もうしないだろうに、と。



 辺りは赤くて深い霧で覆われていて、一メートル先でさえも赤くぼやけて何も見えなかった。ぼくはここがどこだか分からなくて自分の足元を見た。ぼくは本当なら黒い色をしているはずのエンジニアブーツを穿いている。こんなもの一体どこで手に入れたのだろうか。立ち止まっていても仕方がないので周りを三百六十度見回してから(もっともそれは、半径一メートルの自分の結界を確認できたに過ぎなかったのだが)、最初向いていた方を北と仮定すると、西の方角へ向かって歩き始めた。空気は気のせいかペンキのような匂いがして、黒くすすけたぼくの肺を鋭く刺した。ぼくは時間を計るために時計を探したが、どうやら持っていないようだ。いくら歩いても何もない。ここは明らかに街ではなく、また森でも野原でもない。地面には小石ひとつ落ちていなくて、しまいには平衡感覚を失った。ぼくはもう方向の感覚さえも分からなくなって、歩き続けることに何か意味があるのかどうかは随分疑わしいものだった。しばらくして気がついたのは、どうやらここには、この、喉に引っ掛かる赤い空気と赤い地面のほかには、本当に何もないということだった。ぼくはひとつの仮説を立てた。ここは赤い空気を詰めた球体の内側で、ぼくはただその内壁面を、あてもなく歩き続けているのではないだろうか。そこでぼくは歩くのと考えるのをやめて、座り込んだ。



 ここに一枚の写真がある。それは若い女性の腰から上を写したもので、少し古い感じのするモノクロの写真だ。女は少し左にうつむいているが、目は正面を見据えている。暗い、とても冷たい印象を受ける写真だ。ぼくはこの写真を見るたびにぞっとする。それは心臓をぎゅっと掴まれたような、本当に体の奥底からわき上ってくる種類の恐怖だ。女は笑っているのだ。それも目が合った人間の目を決してそらさせることのない、無表情の笑みだ。

 背景は薄暗く、それはどこにも存在しない場所のように見える。そしてそれはまた音を感じさせない写真でもある。つまり生命感の死だ。この写真が撮られるその一瞬前に、そこに存在するすべての生命とそれに伴う音や色の輝きは、すべて死んでいたのだ。

 ぼくは寒い夜に、このすべての生命の死んだ部屋のことを考える。それはこの世の片隅のどこかに確実に存在する場所だ。そしていまのこの瞬間も、その女は同じ微笑みをたたえているのだ。ぼくは幻想と狂気が交錯する精神世界の中で叫び声をあげた   恐怖と絶望に震えて。



 電車は静かに走っていた。窓の外は吹雪いている。高速で動いている電車からは、雪はほとんど電車と並走するように、真横に吹いていた。ぼくはこの結界の中から厳しい外界を眺めつつ、ぼくの左手の先から昇る煙のことを考えている。取り出してくわえ、火を点ける。そして灰色の暖かい空気を肺に送り込み、吐き出す。煙は昇り続ける。ぼくが今のこの瞬間も繰り返しているこの行為にいったいどういう意味があるというのだ。我々は異なる彼らを自分の体内に迎え入れ、そしてまた送り出す。それは何をも生み出さず、何かと出会うというのでもない。それは部屋いっぱいに並べたドミノがかたかたと倒れていくのを眺めるよりもはるかに空しく、また限られた生の時間を少しずつ無にしていくような行為である。ぼくはこの厳しい外の情景の中では決して生きられないこのはかない生命を自分のようだと思った。



 熱があるような気がした。きのう駅のホームで電車を二時間も待っていたのがたたったのだろう。冬に風邪をひくなんて、随分久し振りのことだ。ぼくは二つ先の駅で降りて病院へ行くことにした。 駅のホームに降り立ったときにはぼくの容態は明らかに悪くなっていた。ぼくはふらふらとした足どりで改札を出て、タクシー乗り場を見つけると、運転手に内科のある病院へ、と言ったなり倒れるようにシートに沈み込んだ。



 ぼくは目を閉じていた。そこはとても静かな場所で、少し冷たいくらいの心地よい風が顔を撫で、遠くの方では微かに波の音がしている気がした。ぼくは目が開けられない。でもぼくは辺りが水色の光で満たされているのを感じとることができた。ぼくは、自分が立っているのか横になっているのかがまるっきりわからなかったのだが、ぼくの身体を包んでいたのは、この世のすべての安らかな心がする祈りのような、優しさのようなものだった。ぼくは波の音に耳を澄ませたまま、また静かな眠りについた。



 ぼくは目を覚ました。ぼくはどうやら病室に運ばれたらしい。部屋の中のものはとにかく何でも白く見えた。ぼくがひととおり部屋を見渡したときに看護婦が入ってきた。眼鏡を掛けて、ちょっと神経質そうな感じの人だった。彼女は起き上がっているぼくに気がついて、もう少し横になっていた方がいいわよ、と言った。それは春の野原を蝶が舞うような、本当に優しい微笑みだった。ぼくは言われた通りに布団を被った。あなたの持ち物をあらためさせてもらったのだけれど、と看護婦さんはばつが悪そうに言った。眼鏡を掛けているからはっきりとは分からないが、彼女はとてもきれいな眼をしているように思われた。肌がとても白かった。あなたはあなたの身分を証明するようなものは何ひとつ持っていないのね。名前も、どこから来たのかも分からない。帰るところはあるんでしょう、と彼女は訊いた。ぼくは頷いた。でも今はまだ帰るときじゃないんです。なぜだかぼくの声は、白い病室の壁にぶつかって、変に物哀しい響きを帯びていた。ぼくは今旅をしています。ほとんどあてのない旅です。ぼくはほとんど何も考えずに、ほとんど何も持たずに飛び出してきました。でもそれは何かから逃げているとかそういったことじゃないんです。ぼくはあるものを探しています。それはたぶん真実のようなものです。もちろん、そんなものがあてもなく歩き回ったりしたくらいで見つかるかどうかは分かりません。でも少なくともぼくには分かるんです、今は、まだ帰るべきではないということが。看護婦さんは黙ってぼくの話を聞いていた。眼鏡が巧みに彼女の表情を隠していた。でも現実問題として、と彼女は少し困ったふうに言った。今のままでは保険が下りないのよ。家族のひとか誰かに連絡して保険証を持ってきてもらわないと。もう三日も入院しているわけだしその費用はバカにならないわよ。三日? ぼくはもう三日も寝ていたのか? 彼女はぼくに浮かんだ表情を読み取って、そうよ、あなたはもう三日も眠っていたの、と言った。熱は昨日にはすっかり下がっていたんだけれど、いつ見にきてもあなたはすーすー寝息をたてて眠っていたのよ。まだ動くのは無理でしょう。体力が消耗しているわ。そう言われて初めて、ぼくはものすごくお腹が空いていることに気がついた。



 ぼくは看護婦さんがお膳に載せて運んでくれた卵がゆとたくあんを夢中で胃におさめてしまうと、シガレットケースからタバコを一本抜いてライターで火を点けた。ふた口吸って異変に気がついた。味がしない。煙は相変わらず健康に悪そうな白い色でゆらゆらと昇っているのだが、ぼくはそれを不快にも思わなかった。ひとしきり空しい呼吸を繰り返した末、ようやくこれは無意味だなと結論づけた。舌はすっかり麻痺していて、今ならたとえどんなに贅沢なディッシュを並べられてもご馳走にはなるまい。ぼくは昔から食べ物にはさしたる執着もない方だから、別にそれで困ることもないのだが、五感はひとつでも鈍ると結局全体としての観察力は弱まってしまうから、感性で生きるぼくにはそれは大事だった。ぼくは試しに目をつむって耳を澄ませてみた。ぼくは聴力にはちょっと自信があって、どんな些細な音にも敏感に反応して聞き取ることができるのだ。しかし今やぼくの耳にはいかなる音も入ってはこない。ぼくは自分の呼吸も鼓動さえも聞くことができない。ぼくは何だかすべてが白紙になったように感じた。ぼくは記憶のノートの白いページの上に、いかなる体験をも刻むことはできない…。



 お家のひとに連絡してコピーを速達かファックスで送ってもらったらどうかしら、とお膳を下げにきた看護婦さんは提案した。もしあなたがコンタクトを取りたくないって言うのならわたしが連絡先を聞いて電話してもいいし。駄目です、と僕は申し訳なさを伴いつつもきっぱりと言った。ぼくはぼくの属する世界とのいかなる接触も、今はできないのです。先にも言った通り、今はそれが許されるときではないのです。あなたはこのことでぼくが少し頑固過ぎると思っているかもしれませんが、ぼくにとっては重大なことです。そしてこれは、まさにぼくが責任を取らなければならない問題なのです。途中で投げ出したりすることはできません。

 ぼくの言い方はあまりに抽象的であったと思う。あるいは彼女が看護婦という職業でなかったら、とっくにぼくを頭のおかしくなった人間とみなしていたと思う。彼女は困ったわね、と言ったなり軽くため息をついたあと、院長先生になんとか話してみるわ、と言ってくれた。彼女はとても親切なひとだ。



 次の日にはだいぶ調子は良くなっていた。ぼくは朝食を運んできた看護婦さんに、ちょっと外へ出ても構わないかと訊ねた。別に逃げたりなんかしませんよ、ドーナツが食べたいだけです。あとタバコも吸いたいし。病室の白い壁を見ているとなんだか煙を昇らせるのが申し訳なくて。ぼくがいろいろ正直に話していることで彼女の信頼を獲得できたらしく、彼女は別に構わない、と言ってくれた。 昨日は結局お腹を満たしたあとはまた泥のような眠りについてしまったので病室の外へ出るのはそれが初めてだった。ぼくは古いお城の中を歩いているような緊張感を胸にとどめつつ、極度に衛生的に見える白い回廊を進んだ。実際病院は思っていたよりもかなり大きいようで、ぼくはようやく辿り着いたエレベーターの前で、ここが四階であることを知った。病院の正面玄関へ出て最初に分かったことは、病院が駅のほとんど真っ正面の、五十メートルも歩かないところにあったということだった。きっとあの親切な(そうだったのだろうと推測するわけだけれど)タクシードライバーはぼくからお金をとることはしなかったに違いない。ドーナツ屋は駅の構内にあった。駅も、あのときは気がつかなかったのだけれど、かなり大きかった。ぼくはキオスクで新聞を二種類とタバコを一箱買うと、ドーナツ屋へ入っていちばん奥まった席に座った。平日の午前中なので店は混んでいなくて、ぼくはある意味本当に落ち着くことができた。



 新聞の日付を見ると、たしかに日数はぼくの記憶よりは四、五日分進んでいた。ぼくは、この誰もが日付と曜日とに目に見えない束縛を強いられている現代にあって、ただ一人、何にも属していない存在だった。そしてそういう意味で、たしかにぼくは現実から逃避しているのである。しかし、あくせくした現実世界のほうでは大した事件は起こっていないようで、二つ買った新聞は同じように、ぼやけた内容の記事しか載せていなかった。ぼくが唯一興味を持ったのは地方紙にカラーで載っていた小学生絵画コンクールで、クリスマスを題材にした稚拙で独創的な絵がたくさん並んでいた。大抵の絵は赤い衣装を着たサンタクロースがトナカイの橇に乗っているものや、もみの木を扱ったものであったが、ひとつだけ目を引くものがあった。それは紫色の空におびただしい数の翼を生やした天使が舞い、地上には幾つかの簡単な煙突のある家とプレゼントを抱えた子供たちが雪の上に立っている絵で、構図も平面的でそれほど目立つ作品ではなく、実際銅賞という、紙面に載った作品のなかではもっともしたにランクされるものではあったが、問題はその絵に描かれた人物たちの表情にあった。その絵に描かれたものたちは子供たちも天使たちも、ひとりとして笑顔を浮かべているものはなかった。すべてが平板で、冷たいほどに無表情だった。



 結局さらに三日ほどその病院に滞在したが、院長先生が歳の割に話せる人で、保険証のコピーをあとで必ず送るという約束で普通の料金にしてくれた。ぼくは一度ドーナツ屋に行ったきり外にはもう出ず、病室の白い壁を見ながら考えを巡らせるか、あるいは広い病院のなかを、遊園地の巨大迷路のように錯覚しつつ、ふらふらと歩き回ったりしていた。その病院にはぼくの他にもものすごくたくさんの入院患者がいたはずだが、ぼくは誰一人として同じ顔に出会うことはなく、院長先生と親切な看護婦さんだけが、この白壁のありの巣の中でうごめくおびただしい数の生き物たちのなかでの微少なる身内であった。もとよりぼくはひとり旅をしているのだから、そういう意味でぼくは常に天涯孤独の身分ではあるが、ひとたび思いもよらぬ定住生活に入ってたった二人しか身内が作れないというのは、やはりあまり外交的にないぼくの性分なのだろう。ぼくは然るべき額のお金を払ったあと、見送りについてきてくれた例の看護婦さんにぼくの感謝の大きさを示すべく、彼女の前髪の生え際にそっと口づけた。彼女はちっと困ったふうな表情で微笑んだが、ぼくは患者として出過ぎた行為だったとは思っていない。我々は一週間ものあいだ(少なくともぼくは)二人で生きてきたわけだし、もしぼくが彼女にキスをしないのなら、それはむしろ失礼というものであろう。そんなふうにして、ぼくは名残惜しくもその病院をあとにした。



 その街はかなり大きそうだったので探索はしないことにして、まっすぐ駅へ向かった。街というのは大きくなればなるほど個性というものが失われていく場所だ。予想通りホームは呆れるくらいたくさんあったがぼくは特に迷う必要もなかった。ぼくには、行き先というものがない。その場の気分で五番ホームを選んだ。ホームに入ってきたのは、三輌編成の五十年は使っているように見える車輛だった。乗客は意外に多くて、ぼくは髪の毛を紫にしている女のひとをパートナーに選んだ。



 ぼくは色について考えていた。病院の白い壁ばかり見ていたせいで、ぼくは日常に氾濫する色の洪水に目が眩んでいた。



 空はとても青くて、どんなに目を凝らしても焦点は一点には定まらなかった。ぼくは立ち止まって手を目の両側に添え、空しか見えないようにした。雲はひとつもなく、飛ぶ鳥や飛行機たちまでもが、この完璧に透明な青色に染みを付けるのが勿体なくて、飛ぶのを見あわせているかのようだった。ぼくの目は今や五感を超越して日常の外にあった。耳には澄んだ青色の音しか聴こえず、青く透明な空気の香りがした。ぼくの身体は内側からこの空に溶け込んでいって、いつしかすべてが透明になった。

 飛行機が一機、視界に入ってくるのと同時に黒い鳥が二羽横切って、ぼくは日常に戻った。信号が青になったのを確認して二歩歩いたその瞬間には、車はもうぼくから三十センチくらいのところにあった。ぼくはドライバーの顔も確認できないうちに、車と一体の塊となっていた。



 ぼくは目を覚ました。時計を見ると夜中の三時過ぎだ。電車は静かに走っている。窓の外は車内の明りに照らされて、雪の壁がすぐ一メートルくらいのところに続いていた。車に轢かれたと思ったのはどうやら夢だったらしい。ぼくはトイレに行くために立ち上がった。座席はほぼ半分くらいが埋まっていて、ほとんどの人が思い思いの恰好で苦しそうな表情を浮かべて眠っていた。起きている人はみんな本を読んでいた。三島由紀夫、夏目漱石、ドストエフスキイ、カフカ、ディケンズ。トイレを出ると女の子が一人、順番を待っていた。ひどくほっそりした色の白い子で、チェックのシャツを着てブルージーンズを穿いていた。さっきぼくが側を通ったときには、額にしわを寄せて夢と格闘していた子だ。目が合ったのでぼくは感じのいいふうに軽く会釈をしたが、女の子は冷たい目で一瞬ぼくを見ただけで、するりとぼくの横をすり抜けるとばたん、と音をたててドアを閉めた。



 目が覚めるとベッドの中にいた。ぼくは一瞬またあの病院に舞い戻ったのかと思ったが、見るとぼくの右足にはギプスがされ、しっかりと包帯で巻いてあった。意識を右足に集中するとそれがひどく痛むことが分かった。そうだ、と思い出した。ぼくは車と接触したのだ。とするとここはどこの病院なのだろう。ぼくはこの街の名前さえ思い出せなかった。覚えているのはただ、あの限りなく拡がる、どこまでも青い空だけだった。



 ぼくの座っている席はちょうどトイレのある、車輛の後ろ側の方へ向いているので、ぼくはさっきの女の子がなんとなく気になって通路の終点にちらちらと目を遣っていた。ライターが見つからなくてポケットを探っていると彼女が戻ってくるのが見えた。

 ぼくは唖然とした。ぼくは事態がうまく飲み込めなかった。彼女はもはやさっきの彼女ではなかった。服装は別に変わっていない。髪形も同じ。化粧はたぶんしていないのも同じ。

 それは表情の違いだった。人間の表情を決定づけるのは目だ。目が疲れていればたとえ口が無理をして笑っても、かえって相手に疲労感を印象づけるだけだし、それは哀しい目をしていても同じことだ。彼女の目は明らかにさっきとは違っていた。彼女はもはやクールな目つきの女の子ではなくなっていた。彼女の目は笑っていた。小さな唇からは笑みが洩れていた。あの女だ。あれは、あの絵の女の目だ。冷や汗が、ぼくの額からあごへ伝った。



 やはり今日最初に目に入ったのもオリオンの四つの星だった。そして三ツ星と小三ツ星を見きわめたあとに、プレアデスを探した。ちょうどオリオンの右側はうっすらと雲がかかっていたから見えないかとも思ったが、慎重に視線を移していくと、予想よりはるかに右の上の方に、かすかに光る星たちの群れを見つけた。今日は外枠の五つしか見えない。ぼくの吐く息は白いスクリーンとなってオリオンをかすませてしまう。ぼくは息が続くまでオリオンを眺めていた。



 タバコを人差し指と中指のあいだで回転させながら灰を落としていたら先が尖って赤く燃える三角錐ができた。人類は火を獲得して知恵を手に入れたという。いや、知恵が火をもたらしたのか。

 火は生き物であるというようなことを聞く。ぼくはそこまでは思わないけども、火がぼくに見せる表情はとても好きだ。彼らはぼくに何の答えも与えてはくれないけれど、ポケットのライターの中で、いつも下らない夢でも見ているのだろう、ひとたび目を覚ました彼らは、ぼくのタバコに乗り移り、ぼくにいくつもの示唆を与えてくれる。

 これはぼくの独白である。



 目を覚ますとぼくはタバコを吸っていた。ベッドの中だ。見るとタバコは半分くらいの長さになっている。一体ぼくに何が起こっているんだ? ぼくは今の一瞬前までたしかに電車のなかにいた。そして、あの音のない部屋の女の顔を見たのだ。ぼくにはどっちが現実なのか分からない。あるいはどちらも現実ではないのかもしれない。変な話だけど、これが夢のなかであると仮定して、あの電車に乗っているぼくも夢だとして、本当のぼくは長い長い眠りにでもついているのだろうか。大体そうでなきゃ目を覚ました瞬間にタバコの煙を吐き出しているなんておかしい。それにぼくは右足にギプスをはめてしばらくこの部屋に横たわっているが、いまだに何も起こっていない。なんだか誰もいない古い大きな城の最上階の、いちばん隅の部屋にいるみたいな胸騒ぎがする。ぼくはタバコを消すためにサイドテーブルの上の灰皿に目を遣ったが、そこにはすでに一箱分くらいの吸い殻が溜まっていた。おかしい。ぼくはこの部屋で、自分ではまだ一本のタバコにも火はつけていないのだ。しかし、この灰皿が最初からこんなに吸い殻で溢れていたとは考えにくい。ぼくのこの部屋の最初の印象は、どこまでも完全に白い、という感じで、そもそも灰皿があったかどうかも疑わしい。ぼくは今にもあの電車の、あの絵の女が左手にあるドアから入ってくるような気がした。ぼくは今たしかに恐怖に震えている。もうぼくにはこれから何が起こるか分からないのだ。



 ぼくは雑踏のなかでひとりたたずんでいた。ぼくはこの街にぼくを知る者を持たない。それは大草原に放たれた一羽の飛べない鳥のように自由だ。ぼくにはまた予定というものもない。ぼくはこの忙しげに行き交う何千もの見知らぬ人々の奔流のなかに立てられた一本の杭だ。人々はぼくの存在など気にもとめず、緩やかにその流れを変えていく。人間というのは本当に不思議だ。身にまとった幾枚かの布切れで、仮に自分たちが個性と思い込んでいるものを武器に、実に堂々とこの世の中を生きている。ぼくは思う。この人たちの着ている服をすべて取り去ってしまったなら、果たしてぼくはうまく人々を見分けることができるのだろうか。

 ぼくはこの闇に覆われた現実にともる一点の明りを求めて、旅を続けるのだ。



 人込みの中を歩いているとふと、何かに組み込まれているような気分になる。ぼくはどこまでも続くベルトコンベアの上を進む作りかけの製品だ。ぼくはブティックのショーウィンドウを眺めるために立ち止まる。そしてまた歩き出すと、品番だけが変わって、同じ商品の列に組み込まれて、次の工程へと、コンベアの上を揺られていく。



 飛行機が少し高度を下げた。下には雲が見える。ぼくは久々の空の旅で少しナーヴァスになっていて、昨日もうまく眠れなくて頭が少し重い。空港に早く着きすぎたら前の便に乗れた。ぼくはハプニングには弱い方であるが、ジャズのピアノはぼくをゆったりとした気分にしてくれた。本を読みつつ二本のタバコを吸う。ぼくには相変わらず予定というものがない。飛行機に乗ろうと思ったのは少し気分を変えるためで、昨日予約を取っておいたのだ。

 飛行機の中では数名の客室乗務員を除いては人の動きがない。ぼくの周りに客はいない。ぼくはこの流浪のなかで、人間の観察だけを慰みとしているので、退屈して本を取り出した。飛行機なんて乗るんじゃなかったな、と少し後悔した。



 北国の冬は暖かい、と言うと異に思う人も多いかもしれない。確かに胸に吸い込む空気は冷たいし、肌には痛みを伴って風が突き刺さる。けれども実際に、例えば観光の目的で北国の街にある期間滞在するなら、北国の本当の厳しさを感じることはほとんどないだろう。建物や乗り物の中はいささか過剰なほどに暖房が利いているし、街の中では風もそう強くはない。北国の冬の厳しさは、そこに暮らす者たちだけのものである。

 ぼくは飛行場を後にしてすぐ一軒の小さな民宿に宿を取った。スキー場もないこの町には、冬に客が訪れるのは数年振りのことだと女主人が教えてくれた。ぼくは今、八方を高い山で囲まれた人口も少ない町にいる。この町には飛行場と飛行機があるが、それを利用してこの町に来る者も、出ていく者もいないという意味で、ここはあらゆるこの世の現実から隔絶された場所である。

 こんな町に飛行場が作られた理由は、文字通りここが陸の孤島だからである。山にトンネルを開けるよりは、幾らでもある土地を均して滑走路を造るほうが早かったのだ。ぼくはこの町に住む人々の祖先が一体どうやってここまで辿り着き、しかもここに定住したのかを考えてみたが、人間というのは本来逞しくできているのだという結論しか得られなかった。



 灰皿のことを考えていたらいつの間にかぼくは眠ってしまっていた。この底知れない眠気は一体どこからやってくるのだろう。再び目を覚ますと、やはり同じ病室らしい部屋のベッドの中にいたのでようやくぼくは、あの電車での一幕こそが夢の領域のものであるという判断を下すことができた。

 サイドテーブルに目を遣ると灰皿の中の吸い殻はきれいになくなっていたが、あるいは看護婦か誰かが片付けたのかもしれなかったから、今さら大して気にもとめなかった。ぼくはほっとしてゆったりとした気分になることができたが、何か違和感のようなものを感じて意識を自分の身体に集中させた。妙に身体が軽いような気がする。再びぼくの顔から血の気がひいた。ぼくの右足には、もうあの重たいギプスはなかった。

 ぼくはベッドの横にきれいにそろえてあったスリッパを穿いて立上がり、部屋の中を見回し、今まで気がつかなかったもうひとつのおかしな事実に気がついた。この部屋には窓というものがなかった。 今ではここが単純に病室であると考えられるような材料は何もなかった。確かにぼくは寝間着のようなものを着ていたが身体の方は見たところ特におかしい部分もないようだし、この部屋の空気には病院のそれというよりもペンキの塗料のような匂いがした。ぼくはこの部屋が病室ではないという結論を下した。今まで灰皿のことに気をとられてこの部屋をよく観察しないでいたが、実際この部屋は人間が無意識に感じるレヴェルでの奇妙さを持っていた。ベッドは一メートル五十センチくらいの間隔で二つ並んでいて、ぼくはその左側の方に寝ていた。それぞれのベッドの左手には高さ八十センチくらいのサイドテーブルがあって、ぼくのベッドの側の方のには空の灰皿とスタンド、それに幾つかのぼくの持ち物が無造作に並べられていた。もうひとつの方には何も乗っていない。この部屋の調度品は二つのベッドと二つのサイドテーブル、それにぼくがベッドから見て右側の壁の真ん中にかかっている抽象的な絵(実はその存在に気がついたのは、立ち上がって部屋を眺め回してからのことである)で全部であったが、それらのものは、掛け布団、シーツ、枕からベッドの鉄パイプの枠、サイドテーブルのキャスターに至るまで、すべてが完全なる白であった。絵はとても不思議なのだけれど、それは言葉で表現すると、白い絵の具を使っている、としか言いようのないもので、微妙な色合いの白色で何かがそこに塗り込まれ、これまた壁の色とも微妙に異なる白いスチールの額におさめられていた。よく見るとドアのノブまでが白い。ぼくは最初自分の色覚がおかしくなったのかと考えたが、サイドテーブルの上のぼくのガラクタたちがこの部屋に不釣合な、雑然とした色彩を放っているのを見て、そうではないことを知った。大体壁にかかっている絵が絵であると分かったのはなぜだろう。初め目にしたときにはそれはただの雪原のようなものであった。しかし今ではそこに何が描かれているのかを見通せそうなほどに、ぼくは微妙な色の感覚に敏感になっている。

 ぼくはそこではたと気がついた。この部屋には音というものがないのだ。それは単に物音をたてるものがないという意味ではなく、この部屋に詰まった空気の分子のどのひとかけらにも音の粒子は引っ掛かっていない。ぼくは試しに何か声を発してみようとしたが、ぼくがいくら喉を震わせても、呻き声さえあげることはできなかった。ここは音の死んだ場所なのだ。そして、音の死んだ部屋には、あの笑う女がいるはずだ。

 ぼくは女が現れるのは必ずぼくの死角になるところ、すなわち背後であろうと考えて、できるだけ死角を作らないようにくるくると回転した。ぼくの神経は部屋のあらゆる方角に向かって緊張し、ぼくの目は何物をも逃すまいという殺気に似たものを帯びていた。ぼくは回転する速度が次第に速くなって、ついには目にもとまらない速さで独楽のように回転しながら意識を失っていく中に、あの女の笑い顔を見たような気がした。







 ぼくは海岸線の崖の上に立って、海を見ていた。空は遠ざかるに従って暗さを増して、ぼくの視界のいちばん先で、暗い冬の海と一つになっていた。

 辺りに人影はなく、付近には家さえも立っていないこの場所では、ときどき崖の下から飛び立って魚を捕ったり空をゆるやかに飛行したりするかもめたちだけが、ぼくの辿り着いたこの、世界の果てで唯一のたしかな存在であるように思えた。

 この場所はぼくが来るのをずっと待っていてくれたのであろうか、とぼくは考えた。だとすると、ぼくは辿り着くべくしてここに辿り着いたことになる。あてもなくさまよっていたはずのぼくの心は、ずっとこの場所を目指していたのだろうか。ぼくを迎えるものは、無邪気に波間を漂うかもめたちだけだ。

 ぼくはセーターにコートを着ただけの恰好で、不思議と寒さを感じなかった。ぼくには今や視覚と聴覚が感覚のすべてであった。ぼくの目は実際には見えないはるか先の波のうねりさえも見ることができたし、ぼくの耳はずっと遠くの海の底で砂の上を這うカレイの水を揺らす音をさえ聞き分けることができた。ぼくは今、生まれて初めて自分の心を解放しているのだ。ぼくの心はここを求めてやってきた。ぼくはただその心を運んできた人形に過ぎない。ぼくは、ぼくの心は真実を見つけることができたのだろうか。

 一羽のかもめが空中でふらっと傾いてゆるやかにぼくの側に着地した。ぼくはかもめの顔を見た。かもめはぼくの方を向いていたが、その目は、ぼくの身体を通り抜けて、もっと遠く後方に大きく広がる何かを捉えているように見えた。そしてそれがおそらく、真実というやつなのだろう。かもめは二、三歩ぼくの方に近づいて小首をかしげたあと、何ごともなかったかのように飛び立って、ゆっくりと海の方へ降りていった。それは、何かの確認のようでもあった。ぼくはこの世界の果ての住人に、ぼくの心が辿り着いた真実を認められたのだ。

 そのとき、波の音とも違う、地響きのような轟音が辺りの空間を満たし、崖の下から一斉にかもめが飛び立った。

 それは信じられないような光景だった。

 ぼくの目に入る海岸線の端から端まで、何億、何兆という白いかもめたちが翼をバタつかせて、ぼくの目の高さまで飛び上がり、そこでひと呼吸置いたあと、彼らは真っ直ぐに水平線を、空と混じり合った曖昧な黒い帯を目指して飛んでいった。

 ぼくはその白い帯が海に影も落さないままゆっくりと進んでいくのをただ黙って見ていた。そこにあるのは感動でも恐怖でもなかった。ぼくは、ぼくの心があのすべてのかもめたちにちょっとずつ乗り移って、この世の果ての本当の果てに向かうのを見送っているのだ。

 永遠にも思える時間の静止ののちに、ついに白い帯は黒い帯と一緒になった。その瞬間に空は輝く金色の光に覆われ、そして真っ暗になった。ぼくは、しかし、かもめたちが辿り着いた果てに灯る一点の明りを確かにこの目に捉えていた。ぼくの心は、真実と同化したのだ。ぼくは風が冷たい音をたて始めても、そのまま石のように動かなかった。



 ぼくは立ち尽くしていた。部屋には何も変化がないように思えた。相変わらず何もかもが白い。ぼくはぼくの張り詰めた神経がこの部屋の空気の隅々にまで行き渡っているのを感じながら、もう一度ぐるりと部屋を見回した。ぼくは、部屋の真ん中に立っていた。ぼくは気がついた。時間が死んでいる。あの女は音の次には時間を殺したのだ。ぼくはもう心臓さえもが鼓動を停止していた。

 幾らかの時間が過ぎた。ぼくは、この部屋の空気を少し息苦しく感じた。空気の密度が濃くなったような気がする。気がつくと、周囲の壁から粒子が空気に溶け出し始めていた。部屋の輪郭は次第にぼやけて、空気は白っぽくうるんできた。ひと息胸に吸い込むごとに、肺胞のひだに白いペンキがまとわりつくような感じがした。床には白いもやが沈殿したように層を作って、ぼくの足はもうすねのあたりまでがすっぽりと煙のような白い層に取り込まれていた。

 ぼくはまったく身動きせず、呼吸もしているのか分からない。壁にかかっていた白い絵はもうどこにあるのか分からなかった。ぼくには何もかもが分からない。どうしてここにいるのか。どうしてあの女はいつまでも姿を見せないのか。ぼくは生きているのか、それとももう死んでいるのか。

 白い層がぼくの胸くらいまで上がってきて、部屋自体がすでに曖昧なただの空間となってきたときに、ぼくの目の前に黒い、くっきりとしたドアが現れた。ノブがゆっくりと回され、ぼくは、女と対面した。女は手にナイフを持っていた。女は何も言わずにぼくを見つめ、そしてナイフをぼくに差し出した。ぼくはもやの中から腕を上げてそれを受け取り、ゆっくりと自分の手首にナイフを沈めた。



 暗い空が一瞬白くかすんだように見えた。

 しばらくすると雪が降り始めた。そしてぼくは、帰るときが来たことを悟った。ぼくにはその雪があの数え切れないほどたくさんのかもめたちの魂であるということが分かっていた。かもめたちはぼくの心とともに最果ての地に辿り着き、そして雪になったのだ。

 ぼくにはもう何もかもすべてがはっきりしていた。ぼくはもう何も恐れる必要はない。あてもない旅を続ける必要もない。帰るときが来たのだ。ぼくはぼくの心の奥底にある暗い部屋の中でほのかに光を発する真実を、もう見失うことはないだろう。

 ぼくは、白い雪が散らつく中を、南へ向けて歩き出した。


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