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ハズレスキル《物理補助》、気づけば世界最強でした  作者: 松竹 ウメ


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37話 強制転送と、摩擦なき世界

目が覚めると、俺は見知らぬ場所にいた。


いや、「目が覚めた」という表現は正確ではない。気づいたら、ここにいた。眠っていた記憶もなければ、移動した実感もない。ベッドで目を閉じた次の瞬間、世界が変わっていた。まるで、現実と夢の境界が曖昧になったかのように、俺は突然この場所に存在していた。


ここは――石造りの部屋だった。四方を灰色の壁に囲まれた、完全な正方形の空間。一辺は十メートルほどだろうか、天井は高く、見上げると遥か上方に淡い青白い光が浮かんでいる。だが、その光には光源が見当たらない。松明も、魔法陣も、窓もない。ただ、空間そのものが発光しているかのように、全体が均一に照らされている。床は滑らかな石で磨き上げられていて、表面には複雑な幾何学模様が無数に刻まれている。その模様は規則的でありながらも有機的で、まるで生き物の血管のように部屋全体に広がっている。どこか見覚えがある。そうだ、古代文明の遺跡で見た、あの文様に似ている。


「ここは……どこだ」


俺は立ち上がり、自分の体を確認する。服は無事だ。傷もない。だが――武器がない。銃も、ナイフも、リュックも、全て消えている。そして何より――クロがいない。ゼリーもいない。肩に乗っているはずのゼリーの重みも、足元にいるはずのクロの気配もない。


「クロ! ゼリー!」


俺は叫ぶ。だが、返事はない。声は石の壁に反響し、やがて消えていく。


不安が、胸の奥からじわりと這い上がってくる。ここは、明らかに異常な空間だ。宿の部屋から、一瞬でこんな場所に転移させられるなんて、普通ではない。魔法か、それとも――。


その時――視界の端に、またあのウィンドウが現れた。


だが、今回は昨夜のようなノイズや警告の連打はない。文字は安定していて、はっきりと読める。青白い光を放つ透明なパネルが、俺の視界の中に浮かび上がる。


【転職クエスト開始】

【試験内容:迷宮を制覇せよ】

【制限時間:72時間】

【失敗条件:死亡、時間切れ】

【報酬:新職業《力学支配者》への転職権】

【警告:クエスト中、外部との接触は不可能です】


「……転職クエスト」


俺は呟く。


「これが、昨夜のシステム異常の正体か」


72時間。三日間。その間、外部との接触は不可能。つまり――ガルドたちは、俺が突然消えたことに気づくだろう。心配するだろう。探すだろう。だが、俺には彼らに何も伝える手段がない。


「くそっ……」


俺は拳を握りしめる。だが、今は文句を言っている場合ではない。このクエストをクリアしなければ、帰ることもできないのだろう。


視線を下げると、部屋の中央――ちょうど幾何学模様が最も複雑に絡み合っている場所に、一つの穴があった。完全な円形の穴で、直径は二メートルほど。その中は真っ暗で、底が見えない。まるで、奈落の底へと続いているかのように。


穴の縁には、文字が刻まれている。古代文字だ。だが――不思議なことに、俺にはその意味が理解できる。まるで、脳に直接意味が流れ込んでくるかのように。


【第一層:摩擦崩壊エリア】

【物理法則:摩擦係数ゼロ】

【警告:この先、全ての表面は摩擦を持たない】


「摩擦係数……ゼロ?」


俺は、穴の縁に近づく。膝をついて覗き込むと、下から冷たい風が吹き上げてくる。その風には、どこか金属的な匂いが混ざっている。人工的な、機械的な匂い。


「行くしかない、か」


俺は深呼吸をする。そして――穴に飛び込んだ。



◆◆◆



落下する感覚が、数秒間続いた。だが、その落下は思ったより短く、すぐに足が何かに触れる。着地だ。俺は膝を曲げて衝撃を吸収しようとする――が。


「うわっ!」


足が、床から滑った。


いや、「滑った」という表現すら生温い。俺の体は、まるで重力を失ったかのように、一切の抵抗を受けずに横方向へと滑り始めた。着地の衝撃で生まれた横方向への運動が、全く減衰せずにそのまま保存されている。腕を振っても、足を踏ん張っても、全く意味がない。摩擦がないということは、力を伝える手段がないということだ。床を蹴ろうとしても、足が空を切るだけで何の反作用も得られない。まるで、宇宙空間で無重力状態にいるかのような、無力感がある。


周囲を見渡す余裕もないまま、俺の体は制御不能な速度で滑り続ける。視界が流れる。石造りの廊下が、両側に続いている。そして――その壁には。


「棘……!」


壁の両側に、無数の鋭い棘が生えている。金属製の、刃物のように研ぎ澄まされた棘。あれに触れれば、串刺しだ。

前方にも、棘の壁が迫ってくる。このままでは激突する。


「《物理補助》……!」俺は咄嗟にスキルを発動させる。「床の摩擦係数、増加!」


意識を集中し、床の性質を変えようとする。いつもなら、これで摩擦が生まれるはずだ。だが――。

何も起こらない。

床は相変わらず完全に滑らかで、俺の体は止まる気配すらない。


「効かない……!?」


そうだ、この空間自体が「摩擦係数ゼロ」という法則で支配されているのだ。俺の《物理補助》は、物質の性質を変えることはできても、この空間の法則そのものを上書きすることはできない。それはまるで、法律で決まっていることを個人の意志で変えられないのと同じだ。

棘の壁が、目前に迫る。


「くそっ……なら!」


俺は、発想を転換する。床の摩擦係数を変えられないなら――俺自身の摩擦係数を変えればいい。


「《物理補助》……靴底の摩擦係数、最大化!」


今度は、床ではなく俺自身の装備に対して効果を発動させる。すると――。


ギギギ……。


靴底が、床に噛み合う感覚がある。わずかだが、確かに摩擦が生まれた。完全にゼロだった摩擦が、ほんの少しだけ、だが確実に増加した。

俺は全身の筋肉を使って体を捻り、軌道を変える。棘の壁への激突を、ギリギリで回避する。棘の一本が、俺の頬をかすめる。冷たい感触と共に、薄く血が滲む。


「……危なかった」


だが、まだ終わりではない。俺の体は、依然として滑り続けている。速度は落ちたが、止まってはいない。

周囲を観察する余裕が、ようやく生まれた。この廊下は、長い。少なくとも百メートルは続いているだろう。両側の壁には、規則的な間隔で棘が生えている。そして床には――わずかな傾斜がある。


俺は、その傾斜に気づく。床は完全に平らではなく、微妙に右に、あるいは左に傾いている。その傾斜に沿って、俺の体が自然に誘導されている。


「これは……意図的な設計だ」


この迷宮は、ただのダンジョンではない。物理法則を試す、試験場なのだ。そして、この第一層は――摩擦がない世界で、どうやって動きを制御するかを試している。


ならば――法則を理解し、利用するしかない。


俺は《物理補助》で靴底の摩擦を微調整しながら、体重移動で方向を制御し始める。右足に体重をかければ右に曲がり、左足に体重をかければ左に曲がる。まるで、スケートボードやスノーボードに乗っているかのような感覚だ。いや、それよりも遥かに繊細な制御が必要だ。ほんの少しバランスを崩せば、即座に壁の棘に串刺しになる。


棘の壁が、次々と現れる。俺はそれらをギリギリで回避しながら、廊下を滑り続ける。汗が額を伝い、視界の端に入る。心臓が、激しく鼓動する。一つのミスも許されない。集中力が、極限まで研ぎ澄まされていく。


そして――廊下の終わりが見えた。

そこには、次の穴がある。だが、その手前に――最後の障害がある。

回転する刃だ。

巨大な円盤状の刃が、廊下を横切るように高速で回転している。その刃は、床から天井まで届いていて、回避する隙間はない。回転速度は速く、規則的だ。一秒間に一回転、といったところか。


「タイミングを合わせるしかない……」


俺は、刃の回転を観察する。速度、角度、隙間。全てを計算する。そして――今だ。

俺は靴底の摩擦を一瞬だけ最小化し、加速する。体が、刃に向かって滑っていく。

刃が、俺の頭上を通過する。


その直後、俺は刃の下を滑り抜ける。

背中に、刃の風圧を感じる。一瞬でも遅れていたら、真っ二つだった。


「……抜けた」


俺は、次の穴に向かって滑り込む。

そして――再び、落下する。



◆◆◆



次の部屋に着地すると、今度は足がしっかりと床に固定される感覚があった。摩擦は、正常だ。普通に立てる。普通に歩ける。


「ここは……」


部屋を見渡す。先ほどの廊下とは違い、ここは広い空間だ。正方形の部屋で、一辺は五十メートルほどだろうか。天井は高く、やはり青白い光が全体を照らしている。


そして、部屋の中央に――文字が浮かび上がる。


【第一層、クリア】

【第二層:慣性暴走ゾーン】

【物理法則:慣性固定化】

【警告:一度動き出したら、止まれない】


「慣性……固定化?」


俺は、その意味を理解しようとする。慣性とは、物体が運動状態を保とうとする性質だ。動いているものは動き続け、止まっているものは止まり続ける。ニュートンの第一法則だ。

だが、「固定化」とは何を意味するのか。

俺は試しに、一歩前に踏み出してみる。


その瞬間――。

体が、止まらなくなった。

一歩踏み出したはずなのに、体はそのまま前に進み続ける。足を地面につけても、踏ん張っても、全く止まれない。まるで、慣性が永遠に保存されているかのように、俺の体は等速直線運動を続ける。


「これが……慣性固定化か!」


俺は、必死に体を止めようとする。だが、摩擦があっても止まれない。慣性が固定化されているということは、外部から力を加えない限り、永遠に動き続けるということだ。


前方に――巨大な振り子が見える。

天井から吊り下げられた、鋭い刃のついた振り子。それが、ゆっくりと左右に揺れている。その刃は三メートルはあり、俺の進路を横切るように動いている。


「まずい……このままでは……!」


俺の体は、振り子に向かって真っ直ぐ進んでいく。

振り子の刃が、右から左へと振られる。


俺は《慣性操作》を使う。自分の体の運動速度を、わずかに減速させる。ほんの少しだけ、タイミングをずらす。

刃が、俺の目の前を通過する。

風圧が、顔を撫でる。


「……ギリギリだ」


だが、まだ止まれない。俺の体は、そのまま前に進み続ける。


そして次の障害が見える。

落とし穴だ。

床に、大きな穴が開いている。その穴の向こうに、次のエリアへと続く扉がある。だが、この慣性固定化の状態では、穴を飛び越えることができない。ジャンプしても、放物線を描いて落ちるだけだ。


「どうすれば……」


俺は考える。慣性が固定化されている。つまり、一度動き始めたら止まれない。ならば――。


「反対方向の運動を加えれば、相殺できる」


俺は、床を強く蹴る。だが、前向きではなく――後ろ向きに。

後ろ向きにジャンプする。すると、後ろ向きの慣性が発生する。そして、それが前向きの慣性と衝突し――。


俺の体が、空中で止まる。

いや、完全には止まらない。だが、速度は大幅に減少する。

俺は、その状態で落とし穴の手前に着地する。


「……なるほど」


この層を攻略するには、慣性を理解し、相反する運動で相殺する技術が必要なのだ。

俺は慎重に、次の一歩を踏み出す。

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