34話 蛮獣王との戦いと、仲間の絆
玉座の間は、俺が想像していたよりも遥かに広かった。天井は見上げるほどに高く、その高さは優に二十メートルを超えているだろうか、石造りの柱が何本も天井を支えており、それぞれの柱には複雑な文様が刻まれている。壁一面には古代文字が、まるで生きているかのように蠢いて見えるほどびっしりと彫り込まれていて、その文字の一つ一つが緑色の松明の光を受けて、不気味に浮かび上がっている。床は黒い大理石で、磨き上げられた表面が鏡のように俺たちの姿を映し出していた。
そして、その空間の中央に――《蛮獣王ドゥームフォレス》が立っていた。
三メートルを超える巨躯は、この広大な空間においてすら圧倒的な存在感を放っていて、全身を覆う黒い毛皮は松明の光を吸い込むかのように深い闇色をしていた。頭部には巨大な狼の頭蓋骨を兜のように被っており、その眼窩の奥から覗く赤い瞳が、まるで地獄の業火のように俺たちを見据えている。胸部と肩には狼の牙を加工した骨の甲冑が装着されていて、その一つ一つの牙が鋭く尖り、触れただけで肉を裂きそうな禍々しさを湛えていた。そして腕には脊椎骨を編み込んだ篭手が装着されており、関節部分が微かに動くたびに、骨同士が擦れ合う不快な音が玉座の間に響いていた。
「三十年だな、《白狼》よ」
ドゥームフォレスの声は、低く、重く、そして何か人間のものとは違う――獣の唸り声が混ざったような、奇妙な響きを持っていた。その声を聞いているだけで、背筋に冷たいものが走るような、本能的な恐怖を感じさせる声だった。
「ああ」
とグレンが答える。その声は、いつもの飄々とした調子ではなく、まるで氷のように冷たく、鋭く研ぎ澄まされた刃のような響きを持っていた。
「三十年、待った。この日を」
「よく待てたものだ」
ドゥームフォレスが、ゆっくりと一歩踏み出す。その一歩だけで床が軋み、まるで地震が起きたかのような振動が足元から伝わってきた。
「だが、待つだけでは何も変わらん。お前一人では、俺に届かない。それは三十年前に証明されている」
「だから、仲間を連れてきた」
グレンが剣を抜く。銀色の刃が、松明の光を反射して鋭く輝いた。
「今度は違う」
「ほう」
ドゥームフォレスの視線が、俺たちに向けられる。その視線は、まるで獲物を値踏みする捕食者のそれで、一人一人を舐めるように見つめてから、最後に俺で止まった。
「《物理補助》を使う者か。噂は聞いている。ゴブリンキングとグレーターオーガを倒したと」
俺は何も答えない。ただ、銃を構え、左手にナイフを握りしめる。手のひらに汗が滲むのを感じながらも、視線はドゥームフォレスから逸らさない。この男――いや、この魔王から目を離せば、その瞬間に何が起こるか分からないという、戦士としての本能が俺に警告を発し続けていた。
「だが、それは所詮、俺の配下の末端に過ぎん」
ドゥームフォレスが、腕を組む。脊椎骨の篭手が、ギシギシと音を立てる。
「お前たちが束になっても、俺には届かん」
「試してみなければ、分からない」
俺は、ようやく口を開いた。自分の声が思ったより震えていないことに、少しだけ安堵する。「お前が本当に最強なのか――それは、戦ってみなければ」
ドゥームフォレスが、笑った。その笑い声は、まるで何百という獣が同時に吠えているかのような、不協和音を奏でる恐ろしい響きを持っていて、玉座の間全体を震わせた。天井から、細かい石の粉が舞い落ちてくる。
「面白い。三十年ぶりに、面白い言葉を聞いた」
ドゥームフォレスが、ゆっくりと構えを取る。両腕を広げ、爪を立てる。
「ならば、見せてもらおう。お前たちの力を」
その瞬間――空気が変わった。
それまで重く、圧迫するような雰囲気だった空間が、一気に殺気で満たされる。まるで、刃物が無数に浮かんでいるかのような、肌を刺すような感覚が全身を包む。
「散開!」
グレンが叫ぶ。
五人が、一斉に四方に散る。俺は右へ、ガルドは左へ、リーナは後方へ、ジンは柱の影へ、そしてグレンは正面に残る。
ドゥームフォレスが、動いた。
その速さは――信じられないほどだった。あの巨体が、まるで風のように、いや、風よりも速く、グレンに向かって突進する。床の大理石が、その一歩一歩で砕け、黒い破片が宙を舞う。
グレンが剣で受け止める。
ガキィィィン!
金属と骨がぶつかり合う音が、玉座の間に響き渡る。その衝撃で、グレンの足元の床にひびが入り、蜘蛛の巣状に広がっていく。
「ぐっ……!」
グレンが、歯を食いしばる。その腕が、わずかに震えている。
「衰えたな、《白狼》よ」
ドゥームフォレスが、グレンを見下ろす。
「三十年前なら、もう少し粘れたはずだ」
「黙れ!」
グレンが、剣を払う。ドゥームフォレスが一歩下がる。
その隙に、ジンが矢を放つ。
シュッ!
矢は正確に、ドゥームフォレスの右目――狼の頭蓋骨の兜の眼窩を狙う。だが、ドゥームフォレスは首を僅かに傾けるだけで、矢を避けた。矢は虚しく壁に突き刺さり、石を削る音を立てる。
「《フレアボルト》!」
リーナが、炎の矢を放つ。
炎がドゥームフォレスの胸部に命中する。だが――。
ドゥームフォレスは、炎を手で払う。まるで、煩わしい虫を追い払うかのように。炎が散り、床を焦がす。
「魔法か。だが、この程度では――」
「《インフェルノ・ウェーブ》!」
リーナが、続けて大きな魔法を放つ。
炎の波が、ドゥームフォレスを包み込む。玉座の間の温度が一気に上がり、空気が揺らめく。だが、炎が消えた時――ドゥームフォレスは、そこに立っていた。毛皮は僅かに焦げているが、ダメージは軽微だ。
「脊椎骨の篭手が、再生している……」
俺は、ドゥームフォレスの腕を見る。焦げた毛皮が、見る見るうちに元に戻っていく。
「その通りだ」
ドゥームフォレスが、自分の腕を見る。
「この篭手がある限り、お前たちの攻撃は無意味だ」
「なら、その篭手を壊す」
俺は、銃を構える。
ドゥームフォレスが、俺を見る。
「お前が、やるのか?」
「ああ」
俺は、引き金に指をかける。
「《物理補助》で、な」
「面白い」
ドゥームフォレスが、俺に向かって歩き始める。
「ならば、来い。その力、見せてもらおう」
俺は、発砲する。パン、パン、パン!
三発の弾丸が、ドゥームフォレスの足元に着弾する。
「《物理補助》……地面の摩擦係数、最小化」
ドゥームフォレスの足元が滑り始める。だが――ドゥームフォレスは、爪を床に突き立てることで、体勢を維持する。大理石の床に、深い爪痕が刻まれる。
「この程度か」
ドゥームフォレスが、再び俺に向かってくる。
「まだだ」
俺は、後退しながら発砲を続ける。
「《物理補助》……地面の反発係数、増加」
ドゥームフォレスの足元が、跳ね返る。巨体がバランスを崩す。
「今だ、ガルド!」
「おう!」
ガルドが、横から斬りかかる。
剣が、ドゥームフォレスの脇腹に食い込む。血が飛び散る。だが――傷は浅い。そして、すぐに塞がり始める。
「やはり、再生が速すぎる……」
ガルドが歯噛みする。
「タクミ、篭手に触れ!」
グレンが叫ぶ。
「それしかない!」
「分かってる!」
俺は、ドゥームフォレスに向かって走る。
ドゥームフォレスが、俺に気づき、腕を振るう。巨大な爪が、俺の胸を狙う。
俺は、地面を蹴る。
「《物理補助》……地面の反発係数、増加」
体が浮き、爪の軌道を避ける。空中で体勢を立て直し、ドゥームフォレスの腕に着地する。
「《動力保存》……」
俺は、ナイフを握る。まだ溜めない。まず、接触する。
ドゥームフォレスが、腕を振って俺を振り落とそうとする。俺は、脊椎骨の篭手に爪を立てて踏ん張る。そして――ナイフの刃を、篭手に押し当てる。
「《物理補助》……」
俺は、集中する。篭手の表面を感じる。骨の構造を、物理的な性質を、把握しようとする。
だが――。
「ぐあっ!」
ドゥームフォレスの反対の腕が、俺の体を掴む。巨大な手が、俺の体を包み込む。骨が軋む音がする。
「虫けらが」
ドゥームフォレスが、俺を持ち上げる。
「この程度で、俺に触れると思ったか」
視界が揺れる。呼吸ができない。肋骨が、折れる寸前だ。
「タクミ!」
リーナが叫ぶ。
「《ゲイルバインド》!」
風のロープが、ドゥームフォレスの腕に巻きつく。
「《インフェルノ・バインド》!」
炎が、風に重なる。
ドゥームフォレスの腕が、拘束される。その隙に、俺を掴む力が緩む。
俺は、必死に体を捻り、ドゥームフォレスの手から抜け出す。地面に落下し、転がる。
「はあ……はあ……」
荒い呼吸。全身が痛い。肋骨は、おそらく数本折れている。
「タクミ、大丈夫か!」
ガルドが駆け寄る。
「ああ……なんとか」
俺は立ち上がる。だが、足がふらつく。
ドゥームフォレスが、腕を振って拘束を破る。風と炎が散り、床に落ちる。
「なるほど、連携は悪くない」
ドゥームフォレスが、俺たちを見回す。
「だが、それでも足りん」
「くそっ……」
ガルドが、剣を構え直す。
「まだだ」
グレンが、前に出る。
「俺が、時間を稼ぐ」
「グレン、無茶するな!」
「無茶をするしかない」
グレンが、ドゥームフォレスに向かって走る。
「《白狼》よ、お前一人では無理だと言ったはずだ」
ドゥームフォレスが、グレンを迎え撃つ。
二人の刃がぶつかり合う。火花が散る。グレンの剣が、ドゥームフォレスの爪と何度も交錯し、その度に甲高い金属音が響く。
だが――グレンが押されている。一歩、また一歩と後退していく。
「グレン!」
俺が叫ぶ。
「来るな!」
グレンが叫び返す。
「お前は、篭手を壊すことに集中しろ!」
「でも――」
「信じろ!」
グレンが、渾身の力で剣を振るう。だが、ドゥームフォレスはそれを片手で受け止める。
「三十年前と、同じだ」
ドゥームフォレスが、グレンの剣を掴む。そして――。
バキン!
剣が、折れた。
刃が、床に落ちる。
「……!」
グレンが、折れた剣を見る。
「終わりだ」
ドゥームフォレスが、グレンの胸に拳を叩き込む。
ドスッ!
グレンの体が、吹き飛ぶ。壁に激突し、地面に崩れ落ちる。
「グレン!」
俺たちが、一斉に叫ぶ。
グレンは、動かない。
「……くそっ」
俺は、拳を握りしめる。
このままでは、全員やられる。
何か、方法が――。
その時、俺の視界に、玉座の背後の台座が映った。
そこに置かれた、蒼色のキューブ。
《慣性のキューブ》だ。
「……あれを」
俺は呟く。
もし、あのキューブの力を使えたら――。
物体の運動を、永続的に保存する。
それは――《動力保存》と、似ている。
「リーナ、ジン、ガルド」
俺は、三人を見る。
「あと少しだけ、時間を稼いでくれ」
「何をする気だ?」
ガルドが尋ねる。
「賭けだ」
俺は、玉座に向かって走る。
「でも、やってみる価値はある」
「分かった!」
ガルドが、ドゥームフォレスに向かって突撃する。
「もっと我を楽しませろ!」
ガルドが真っ向からドゥームフォレスに立ち向かう。
その隙に、俺は玉座の背後に回り込む。台座の上に、《慣性のキューブ》が置かれている。
俺は、それに手を伸ばす。
指先が、キューブに触れる。
その瞬間――。
ビリッ!
電撃のような感覚が、全身を駆け巡る。視界が、一瞬白く染まる。
そして――。
俺の脳裏に、無数の映像が流れ込んでくる。
《慣性のキューブ》の使い方。
物体の運動を保存する方法。
解放する方法。
そして――《物理補助》との、親和性。
「……これだ」
俺は、キューブを掴む。
ドゥームフォレスが、振り返る。
「やめろ!」
「《物理補助》……」
俺は、キューブに意識を集中する。
「慣性、保存」
キューブが、淡く光り始める。
「待て、虫けら如きが触れるな!」
ドゥームフォレスが、俺に向かって突進する。
「遅い」
俺は、キューブを握りしめる。
キューブの力が、俺の体に流れ込んでくる。《物理補助》と融合していく。
新しい力が、目覚める。
「《慣性制御》……」
俺は呟く。
これが、俺の新しい力だ。
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