33話 静寂と、奇襲
夜明け前。
街はまだ眠っている。
だが、宿の前には五人の影があった。
俺、ガルド、リーナ、ジン、そしてグレン。
全員が、完全武装している。
「行くぞ」
グレンが、静かに言う。
誰も答えない。
ただ、無言で頷く。
五人は、街の北門へと向かう。
石畳を歩く足音だけが、静寂を破る。
カツン、カツン、カツン。
その音が、まるで心臓の鼓動のように規則的だ。
門には、一人の衛兵が立っていた。
昨夜の戦いで共に戦った、若い衛兵だ。
「……行くんですか」
衛兵が、俺たちを見る。
「ああ」
グレンが答える。
「止めても、無駄ですよね」
「ああ」
衛兵が、門を開ける。
「……気をつけて」
「ありがとう」
俺は頷く。
五人は、門をくぐる。
草原に出ると、冷たい風が吹いていた。
朝露が草を濡らし、足元を冷やす。
東の地平線が、わずかに白み始めている。
「振り返るな」
グレンが言う。
「振り返れば、迷いが生まれる」
「分かってる」
ガルドが答える。
五人は、前だけを見て歩く。
草原を抜け、森へと入る。
北の森。
俺たちが何度も訓練した、あの森だ。
だが、今日は違う。
この森を通り抜けた先に――ドゥームフォレスがいる。
木々の間を進む。
鳥の声が、まだ聞こえない。
まるで、森全体が息を潜めているかのように。
「……静かすぎる」
リーナが呟く。
「魔物の気配がない」
ジンが、弓を構えたまま周囲を警戒する。
「当然だ」
グレンが言う。
「ここは、もうドゥームフォレスの影響圏だ。雑魚の魔物は、恐れて近づかない」
「つまり……」
「ここから先は、奴の配下しかいない」
グレンの言葉に、全員の緊張が高まる。
俺は銃を握る手に、力を込める。
数時間、歩き続ける。
太陽が昇り、木々の間から光が差し込む。
だが、その光は弱々しい。
まるで、森が光を拒んでいるかのように。
「……あれだ」
グレンが、前方を指差す。
木々が途切れ、巨大な岩壁が現れた。
高さは、五十メートル以上。
表面は苔に覆われ、濡れている。
「これを、登るのか」
ガルドが、岩壁を見上げる。
「ああ」
グレンが頷く。
「頂上に、窓がある。そこから侵入する」
「ロープは?」
ジンが尋ねる。
「使えない。音が出る。奴に気づかれる」
グレンが答える。
「素手で登る」
「素手で……」
リーナが、岩壁を見上げる。
その顔に、不安の色がある。
「大丈夫だ」
グレンが、リーナの肩に手を置く。
「俺が先に登る。安全なルートを確認する」
「でも……」
「心配するな。俺は、この岩壁を何度も登ってきた」
グレンが、岩壁に手をかける。
「ついてこい」
グレンが、登り始める。
その動きは、まるで蜘蛛のように流麗だ。
迷いがない。
「行くぞ」
ガルドが、次に登り始める。
俺も、岩壁に手をかける。
冷たい。
濡れている。
滑りやすい。
「《物理補助》……手のひらの摩擦係数、増加」
手のひらと岩の間の摩擦が増す。
滑りにくくなる。
「これなら……」
俺は、ゆっくりと登り始める。
一歩、また一歩。
足場を確認しながら。
下を見ない。
見れば、恐怖が襲ってくる。
ただ、上だけを見る。
リーナとジンも、後に続く。
五人が、垂直の岩壁をゆっくりと登っていく。
風が吹く。
体が揺れる。
「くっ……」
俺は、岩にしがみつく。
手が痛い。
指が痺れる。
だが、止まれない。
「タクミ、大丈夫か?」
上から、グレンの声が聞こえる。
「ああ、問題ない」
俺は答える。
嘘だ。
手が限界に近い。
だが、弱音は吐けない。
「もう少しだ」
グレンが言う。
「あと十メートル」
十メートル。
長い。
だが、行くしかない。
俺は、歯を食いしばって登り続ける。
その時――。
ガラガラ……。
上から、小石が落ちてくる。
「危ない!」
グレンが叫ぶ。
俺は、岩壁に体を押し付ける。
小石が、俺の頭上を通過する。
下にいるリーナに向かって落ちていく。
「リーナ!」
「《ウィンドバリア》!」
リーナが咄嗟に魔法を放つ。
風の壁が、小石を弾く。
小石が、別の方向に飛んでいく。
「……助かった」
リーナが、荒い息をつく。
「もう少しだ、頑張れ!」
ガルドが励ます。
五人は、再び登り始める。
そして――ようやく。
「着いた」
グレンが、岩壁の頂上に立つ。
ガルドが続く。
俺も、最後の力を振り絞って登り切る。
頂上に立つと、膝が笑う。
手のひらは、擦り剥けて血が滲んでいる。
「全員、無事か」
グレンが確認する。
「ああ」
全員が頷く。
疲労は激しいが、怪我はない。
「少し休め」
グレンが言う。
「五分だけだ」
俺たちは、地面に座り込む。
水筒を取り出し、一息つく。
冷たい水が、乾いた喉を潤す。
「……ここからが本番だな」
ガルドが、周囲を見渡す。
岩壁の頂上には、古い石造りの建物がある。
城、というより要塞に近い。
黒ずんだ石壁。
苔むした屋根。
窓は、いくつも並んでいるが、どれも暗い。
「あの窓から入る」
グレンが、一つの窓を指差す。
他の窓より少し大きい。
「中は?」
ジンが尋ねる。
「廊下だ。そこから玉座の間まで、直線で百メートル」
「警備は?」
「いない。ここは裏口だ。誰も使わない」
「本当に?」
「俺を信じろ」
グレンが、窓に近づく。
窓枠に手をかけ、中を覗く。
「……よし、誰もいない」
グレンが、窓を開ける。
ギィィィ……。
古い蝶番が、軋む音を立てる。
五人が、一斉に動きを止める。
だが――何も起こらない。
「入るぞ」
グレンが、窓から中に入る。
ガルド、俺、リーナ、ジンが続く。
中は、薄暗かった。
松明の光が、遠くにわずかに見えるだけ。
石造りの廊下。
天井は高く、足音が反響する。
「静かに歩け」
グレンが、小声で言う。
五人は、足音を殺して進む。
廊下は、長く続いている。
壁には、古い絵画が飾られている。
だが、その絵は――どれも、不気味だ。
獣が人を襲う絵。
血に染まった戦場の絵。
そして――狼の群れが、月に吠える絵。
「……趣味が悪いな」
ガルドが、小声で呟く。
「ドゥームフォレスの趣味だ」
グレンが答える。
「奴は、狼を神聖視している」
廊下を進む。
途中、曲がり角がある。
グレンが、手で合図を送る。
「止まれ」
全員が、壁に張り付く。
曲がり角の先から、足音が聞こえる。
パタパタ、パタパタ。
四足歩行の音だ。
「魔狼か……」
ジンが、弓を構える。
だが、グレンが首を振る。
「待て」
足音が、近づいてくる。
そして――曲がり角を曲がる。
一匹の小さな魔狼が現れた。
子供、だろうか。
体長は一メートルほど。
まだ幼い。
魔狼は、俺たちに気づいていない。
ただ、廊下を歩いている。
「……見逃すのか?」
ガルドが囁く。
「ああ」
グレンが答える。
「子供だ。殺す必要はない」
魔狼は、そのまま廊下を通り過ぎていく。
その背中が、小さく見える。
「……行くぞ」
グレンが、再び歩き始める。
廊下の終わりに、大きな扉がある。
黒い鉄製の扉。
表面には、狼の紋章が刻まれている。
「この先が……」
グレンが、扉に手をかける。
「玉座の間だ」
グレンが、扉をゆっくりと押し開ける。
ギィィィ……。
重い音が、響く。
扉の向こうから、緑色の光が漏れ出す。
松明の光だ。
そして――。
「よく来たな、《白狼》よ」
低い声が、響いた。
五人が、一斉に身構える。
扉の向こう――巨大な空間。
天井は高く、壁には古代文字が刻まれている。
中央に、獣の骨で作られた玉座。
そして――その玉座に座る、巨大な影。
黒い毛皮。
狼の頭蓋骨の兜。
牙と脊椎骨の甲冑。
《蛮獣王ドゥームフォレス》だ。
「……待っていたのか」
グレンが、静かに言う。
「当然だ」
ドゥームフォレスが、立ち上がる。
その巨体が、緑の松明の光に照らされる。
「お前の裏切りは、予想していた。三十年も俺の側にいて、復讐を諦めるはずがない」
ドゥームフォレスが、玉座から降りる。
一歩、一歩。
その足音が、玉座の間に響く。
「だから、待っていた。お前が、どんな切り札を持ってくるのか」
ドゥームフォレスの視線が、俺に向く。
「……お前か」
その声には、興味が滲んでいる。
「《物理補助》を使う者。噂は聞いている」
「……」
俺は、何も答えない。
ただ、銃を構える。
「面白い」
ドゥームフォレスが、笑う。
その笑い声は、まるで地響きのように重く、玉座の間を震わせた。
「さあ、始めよう」
ドゥームフォレスが、大きく腕を広げる。
「三十年越しの、遊戯の続きを」
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