31話 帰還と、襲撃への備え
街に戻ると、まず治療院へと向かった。
白い壁の建物。
扉を開けると、消毒薬の匂いが鼻をつく。
受付の女性が、俺たちを見て目を丸くする。
「あなたたち……また!?」
彼女の声に、呆れと心配が混ざっている。
「すまない。また世話になる」
ガルドが頭を下げる。
女性が溜息をつきながら、奥の部屋へと案内する。
「もう、冒険者の皆さんは……」
ぶつぶつと呟きながらも、その手つきは優しい。
俺は診察台に横になる。
体中が痛む。
肋骨は折れていないようだが、ひびが入っている可能性がある。
「《ヒール・ウォーター》」
女性が手をかざすと、青白い水が溢れ出す。
その水が、俺の傷に触れる。
冷たく、だが心地よい感覚。
傷が、ゆっくりと塞がっていく。
痛みが、引いていく。
まるで、春の雪解けのように。
「……ありがとう」
俺は小さく呟く。
女性が、優しく微笑む。
「無茶はしないでくださいね」
「……努力する」
「努力じゃなくて、約束してください」
「……約束する」
女性が、満足そうに頷く。
隣のベッドでは、グレンが治療を受けている。
砕けた鎧を外し、上半身が露わになっている。
そこには――無数の傷跡があった。
新しいもの。
古いもの。
浅いもの。
深いもの。
まるで、戦いの歴史が刻まれた地図のように。
「三十年分、か」
ガルドが、小さく呟く。
グレンは何も言わない。
ただ、静かに治療を受けている。
◆◆◆
治療を終え、俺たちは宿へと戻った。
『旅人の休息亭』。
いつもの宿だ。
食堂で、六人が集まる。
テーブルには、地図が広げられている。
ルヴァルトの街から、北の森。
そして――その奥。
「ここが、ドゥームフォレスの縄張りだ」
グレンが、地図の一点を指差す。
森の最深部。
地図には、ほとんど何も書かれていない場所。
「奴の玉座は、この森の中心にある」
グレンが、別の紙を取り出す。
それは、グレンが三十年かけて書き写した見取り図だった。
玉座の間。
巨大な空間。
壁には古代文字。
中央に玉座。
その背後に、台座。
そして――《慣性のキューブ》。
「玉座へ至るには、三つのルートがある」
グレンが説明する。
「正面の大通路。だが、ここは《牙の四騎士》が守っている」
「四騎士……お前を除いて、あと三人か」
ガルドが確認する。
「ああ。《紅狼のゼルガ》、《黒狼のヴォルフ》、《灰狼のアッシュ》。三人とも、俺と同等かそれ以上の実力者だ」
「同等以上……」
リーナが眉をひそめる。
「グレン様と同じくらい、ということは……」
「Sランク級だ」
グレンが断言する。
「一人でも厄介だ。三人同時に相手にすれば、勝ち目はない」
「なら、正面は避けるしかないな」
ジンが言う。
「他のルートは?」
「地下水路がある。だが、そこには《群れ》が巣食っている」
「群れ?」
「魔狼の大群だ。数百匹はいる」
「数百……」
ガルドが呻く。
「それも無理だな」
「三つ目は?」
俺が尋ねる。
「崖の裏手。岩壁を登り、窓から侵入する」
グレンが、見取り図の端を指す。
「ここは警備が薄い。だが――岩壁は垂直に近く、登攀技術が必要だ」
「登れるか?」
ガルドが俺を見る。
「……やってみるしかない」
俺は答える。
「それに、崖の裏手なら少人数で動ける」
「ああ」
グレンが頷く。
「大人数で動けば、必ず見つかる。少数精鋭で、一気に玉座まで突入する」
「玉座に着いたら?」
リーナが尋ねる。
「ドゥームフォレスと、直接対決だ」
グレンが、真剣な目で言う。
「奴の弱点は、脊椎骨の篭手。だが、それを壊すには――」
「《物理補助》で、直接触れる必要がある」
俺が続ける。
「ああ。だから、お前が奴に接近しなければならない」
「分かった」
俺は頷く。
「その間、お前たちが時間を稼いでくれ」
「任せろ」
ガルドが拳を握る。
「俺たちが盾になる」
「リーナ、お前の魔法で奴の動きを封じてくれ」
「了解」
リーナが頷く。
「ジン、お前は狙撃だ。奴の注意を引け」
「了解した」
ジンが静かに答える。
「グレン、お前は――」
俺がグレンを見る。
「俺は、お前のバックアップだ」
グレンが言う。
「お前が篭手に触れるまで、全力で守る」
「……ありがとう」
俺は頷く。
作戦は、決まった。
だが――。
「一つ、問題がある」
ガルドが口を開く。
「今の俺たちの実力で、ドゥームフォレスに勝てるか?」
沈黙が落ちる。
確かに、それが最大の問題だ。
グレンですら、三十年前に完敗した相手。
俺たちが今、挑んで勝てる保証はない。
「……準備期間が必要だ」
俺は言う。
「どれくらい?」
「一ヶ月」
俺は答える。
「一ヶ月あれば、《動力保存》をもっと洗練できる。他の技も開発できる」
「一ヶ月か……」
グレンが考え込む。
「長いな。その間に、ドゥームフォレスが動く可能性がある」
「動くって、どういうことだ?」
「俺が裏切ったことを、奴はまだ知らない。だが、いずれバレる」
グレンが言う。
「バレれば、奴は先手を打ってくる。配下を送り込むか、自ら動くか」
「なら、二週間だ」
俺は言う。
「二週間で、できる限りの準備をする」
「二週間……」
ガルドが呻く。
「短いが、仕方ない」
「ああ」
グレンが頷く。
「二週間後、出発する」
◆◆◆
その夜。
俺は一人、部屋で考えていた。
ベッドに座り、窓の外を見る。
月が、街を照らしている。
静かな夜だ。
だが、俺の心は静かではない。
二週間。
その間に、何を準備すればいいのか。
《動力保存》は、一応使えるようになった。
だが、まだ不安定だ。
本番で失敗すれば、それで終わりだ。
「他に、何かできることは……」
その時、扉がノックされた。
「入ってくれ」
扉が開き、リーナが入ってくる。
「話、いい?」
「ああ」
リーナが、俺の隣に座る。
しばらく、二人とも何も言わない。
月明かりだけが、部屋を照らしている。
「……怖い?」
リーナが、静かに尋ねる。
「ああ」
俺は正直に答える。
「怖い。ドゥームフォレスは、グレンを一蹴した相手だ。俺たちが勝てる保証はない」
「そうね」
リーナが頷く。
「でも、行くんでしょ?」
「ああ」
「なんで?」
リーナが、俺を見る。
その目には、非難の色はない。
ただ、純粋な疑問がある。
「……分からない」
俺は答える。
「正義感とか、そういうんじゃない。ただ――」
俺は言葉を探す。
「放っておけない、んだ」
「放っておけない?」
「グレンの苦しみを。三十年の時間を。そして――グレンの妻子の行方を」
俺は月を見上げる。
「俺は、この世界に転生してきた。理由は分からない。目的も分からない」
「でも」
俺は続ける。
「この世界で、俺は生きている。ガルドと出会い、お前と出会い、ジンと出会った。そして、グレンとも」
「だから、この世界で起きていることを、無視できない」
リーナが、小さく笑う。
「あなたって、本当にお人好しね」
「……かもしれない」
「でも」
リーナが、俺の手を握る。
「それが、あなたの良いところ」
その手は、温かかった。
まるで、冬の暖炉の火のように。
「ありがとう」
俺は、リーナの手を握り返す。
「私も、怖い」
リーナが言う。
「ドゥームフォレスと戦うなんて、正気じゃない。でも――」
リーナが、俺を見る。
「あなたが行くなら、私も行く」
「……無理しなくていい」
「無理じゃない」
リーナが、強く言う。
「私が選んだの。あなたと一緒に戦うって」
「……ありがとう」
二人は、しばらく手を繋いだまま、月を見ていた。
◆◆◆
北の森の池。
いつもの場所だ。
俺は、《動力保存》の精度を上げる練習を続ける。
溜める速さ。
溜められる回数。
解放のタイミング。
全てを、反射的にできるようにする。
「《動力保存》……二十回分、溜める」
俺は何度も繰り返す。
ガン、ガン、ガン。
木を叩く音が、森に響く。
「二十一回……二十二回……」
限界が、少しずつ伸びていく。
一方、ガルドとジンは、連携の訓練をしている。
ガルドが盾となり、ジンが狙撃する。
リーナは、新しい魔法の練習をしている。
「《インフェルノ・バインド》!」
炎が蛇のように伸び、木々を縛る。
拘束魔法だ。
だが、炎が熱すぎて木が燃え始める。
「くっ……火力を抑えないと」
リーナが呟く。
炎を自在に操り、縛るだけで燃やさない。
高度な制御が必要だ。
「《ゲイルバインド》!」
今度は風の魔法。
圧縮された風が、ロープのように木に巻きつく。
だが、すぐにほどけてしまう。
「風だけだと、拘束力が足りない……」
リーナが考え込む。
「なら、組み合わせれば?」
グレンが声をかける。
「風で相手を押さえつけ、炎で威嚇する。二つの魔法を同時に使え」
「同時……」
リーナが目を細める。
「やってみます」
グレンは、俺たちを見守りながら、時折アドバイスを送る。
「タクミ、もっと腰を落とせ。体幹が安定していない」
「ガルド、盾の角度が甘い。そこでは攻撃を受け流せない」
「ジン、呼吸を整えろ。狙撃は、心臓の鼓動の合間に撃つものだ」
グレンの指導は、厳しかった。
だが、的確だった。
Sランクの経験が、俺たちを引き上げていく。
◆◆◆
特訓五日目。
俺は、《動力保存》を二十五回まで溜められるようになった。
リーナの《インフェルノ・バインド》と《ゲイルバインド》は、同時発動ができるようになり始めた。
ガルドとジンの連携は、呼吸が合い始めた。
「いい感じだ」
グレンが言う。
「このままいけば、二週間で形になる」
だが――。
特訓七日目の夜。
事態が、動いた。
◆◆◆
夜。
俺たちが宿で休んでいると、扉が激しくノックされた。
「開けて!」
ミラの声だ。
ガルドが扉を開ける。
ミラが、息を切らして立っていた。
「大変なの! 街の北門で、魔物の群れが!」
「何!?」
俺たちは、一斉に立ち上がる。
武器を掴み、外へと飛び出す。
街の北門。
そこには――無数の魔狼が、城壁の外に集まっていた。
赤く光る目。
鋭い牙。
その数――百匹以上。
「……ドゥームフォレスの配下か」
グレンが、低く呟く。
「俺の裏切りが、バレたか」
「どうする?」
ガルドが尋ねる。
「戦うしかない」
グレンが剣を抜く。
「街を守る。それが、俺たちの責任だ」
「……そうだな」
俺も、銃を構える。
魔狼の群れが、遠吠えを上げる。
その声は、まるで死神の笑い声のように――不気味に、街に響き渡った。
「来るぞ……」
ジンが、弓を構える。
そして――群れが、一斉に襲いかかってきた。
戦いが、始まる。
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