21話 準備と、北の森へ
朝日が街を照らし始める頃、俺たちは動き出した。
石畳の道を歩くと、朝露に濡れた石が朝日を反射して、まるで宝石のように輝いている。街の朝は早い。パン屋からは焼きたてのパンの香ばしい匂いが漂い、八百屋では商人が威勢の良い声で客を呼び込んでいる。
「まずは武器屋だ」
ガルドが先導する。
昨日と同じ『鉄槌亭』の扉を開けると、カランカランと鐘の音が鳴る。
「おう、また来たのか」
ドルフが奥から現れる。その腕には、今朝鍛えたばかりなのだろう、まだ熱を帯びた金属の匂いが漂っている。
「今日は何が欲しい?」
「矢と、投擲用のナイフ。それと、回復薬があれば」
ジンが答える。
「回復薬はうちじゃ扱ってない。道具屋に行け」
ドルフが棚から矢の束と、小さなナイフを数本取り出す。
刃渡り十センチほどの、バランスの取れたナイフ。
「これは投擲用だ。軽くて飛ばしやすい」
俺も一つ手に取ってみる。
確かに軽い。だが、刃は鋭い。
「これを三本もらう」
「銀貨六枚だ」
俺は銀貨を渡す。
ナイフを腰のポーチに仕舞う。
「タクミ、お前も回復薬を買っておけ」
ガルドが言う。
「オーガ相手なら、怪我は避けられない」
俺たちは道具屋へと向かう。
『旅人の友』という看板の店に入ると、棚には様々な道具が並んでいる。
ロープ、松明、水筒、そして――小瓶に入った赤い液体。
「回復薬だ」
店主が説明する。
「飲めば、傷が少しずつ塞がる。ただし、骨折や内臓損傷には効かない」
「値段は?」
「一本、銀貨五枚だ」
高い。
だが、命には代えられない。
「二本もらう」
俺は銀貨十枚を渡す。
店主が回復薬を革袋に入れて渡してくれる。
「大事に使ってくれ」
俺は頷き、回復薬をポーチにしまう。
準備は整った。
「じゃあ、一度宿に戻って荷物をまとめよう」
ガルドが言う。
宿に戻り、それぞれが荷物を整える。
俺の荷物は、武器、防具、回復薬、水、乾パン。
最小限だが、これで十分だろう。
「出発するぞ」
ガルドの声に、俺たちは宿を出る。
ゼリーは、俺の肩に乗っている。
以前より重くなったが、それでも気にならない程度だ。
街の北門を抜けると、目の前には広大な平原が広がっている。
遠くには、深い緑の森が見える。
あれが、北の森だ。
「あそこまで、徒歩で半日ってところか」
ジンが言う。
「休憩を挟みながら行こう」
俺たちは平原を歩き始める。
空は青く澄み渡り、雲一つない。風が吹くたびに、草が波のように揺れる。まるで緑の海を歩いているようだ。
道中、リーナが口を開く。
「タクミ、オーガと戦ったことは?」
「いや、初めてだ」
「オーガは、ゴブリンキングより強い。力も速さも、段違いよ」
リーナの表情が真剣だ。
「特に気をつけるべきは、オーガの再生能力」
「再生?」
「ええ。オーガは、多少の傷ならすぐに治してしまう。だから、一撃で致命傷を与えるか、何度も攻撃して再生が追いつかなくするしかない」
ガルドが補足する。
「俺たちが前衛で引きつける。タクミは、隙を見て急所を狙え」
「分かった」
俺は頷く。
オーガ。
ゴブリンキングより強い敵。
だが――《物理補助》があれば、勝機はある。
そう信じるしかない。
昼過ぎ、俺たちは平原の中ほどで休憩を取った。
木陰に座り、乾パンと水で簡単な昼食を済ませる。
乾パンは硬く、噛むたびに顎が疲れる。だが、腹は満たされる。
「タクミ、お前の《物理補助》だが」
ガルドが話しかけてくる。
「あれ、どこまでできるんだ?」
「まだ、自分でも分からない」
俺は正直に答える。
「今のところ、摩擦、振動、反発係数……物質の物理的な性質を少しだけ変えられる」
「少しだけ、か。でも、それが戦闘でめちゃくちゃ効いてる」
ジンが笑う。
「普通の魔法使いにはできない芸当だ」
「それに、重ね掛けもできるようになった」
リーナが思い出す。
「あれ、どうやったの?」
「集中して、同時に二つの効果を発動させた。ただ、負担が大きい」
俺は頭を押さえる。
あの時の頭痛は、今でも覚えている。
「無理はするな。お前が倒れたら、意味がない」
ガルドが肩を叩く。
「ああ、分かってる」
休憩を終え、俺たちは再び歩き始める。
太陽が西に傾き始める頃、ようやく北の森に到着した。
森の入口は、まるで巨大な口のように見える。
木々が高く伸び、枝が複雑に絡み合って、陽光を遮っている。森の中は薄暗く、湿った空気が肌に纏わりつく。足元には落ち葉が積もり、一歩踏み出すたびにサクサクと音を立てる。
「……雰囲気が違うな」
俺が呟く。
「この森は、魔物の巣窟だ。気を抜くな」
ガルドが剣の柄に手をかける。
俺たちは森の中へと進む。
木々の間を縫うように、獣道が続いている。
遠くで、鳥の鳴き声。
だが、それ以外の音はない。
静かすぎる。
まるで、森全体が息を潜めているかのような、不気味な静寂。
「今夜は、ここで野営するぞ」
ガルドが開けた場所を見つける。
木々に囲まれた、小さな空き地。
「火を焚くと魔物に見つかる。今夜は冷たい飯だ」
ガルドが乾パンを配る。
俺たちは焚き火なしで、夕食を済ませる。
夜の森は、昼間以上に不気味だ。
月明かりがわずかに差し込むが、それでも視界は限られている。
木々の影が、まるで巨大な魔物のように見える。
風が吹くたびに、枝がきしむ音。
遠くで、何かが動く気配。
「交代で見張りをする」
ガルドが指示を出す。
「最初は俺、次にジン、その次にリーナ、最後にタクミだ」
「了解」
俺は寝袋に入る。
だが――眠れない。
森の音、魔物の気配、そして明日のオーガとの戦い。
様々な思いが頭を巡る。
ゼリーが、俺の隣でぷるぷると震えている。
まるで、俺を安心させようとしているかのように。
「ありがとう、ゼリー」
俺はゼリーに手を置く。
冷たく、柔らかい感触。
少しずつ、意識が遠のいていく。
そして――眠りに落ちる。
夢は見なかった。
次に目を覚ましたのは、リーナに肩を揺すられた時だった。
「タクミ、交代よ」
「……ああ」
俺は寝袋から出る。
夜の冷たい空気が、顔を撫でる。
リーナが寝袋に入り、俺は見張りを始める。
森は、相変わらず静かだ。
だが――その静けさの中に、何か潜んでいる気がする。
俺は銃を手に、周囲を警戒する。
一時間ほど経った頃。
ガサガサと、草むらが揺れる音。
「……誰だ」
俺が銃を向ける。
草むらから――小さな兎が飛び出してくる。
「……兎か」
俺は安堵する。
だが、その直後。
兎が、何かに襲われた。
巨大な影が、兎を捕らえる。
そして――その影が、こちらを向く。
月明かりに照らされた、その姿。
灰色の毛皮、筋骨隆々とした体、鋭い牙。
そして――三メートルを超える巨体。
オーガだ。
「……見つかった」
俺は静かに、仲間を起こす。
「ガルド、起きろ。オーガだ」
ガルドが目を覚まし、すぐに剣を手に取る。
リーナとジンも起きる。
オーガが、俺たちをじっと見つめている。
その目は、獲物を見る捕食者のそれだ。
「……来るぞ」
ガルドが呟く。
オーガが、雄叫びを上げる。
その咆哮は、森全体を震わせるほど大きく、耳を劈くような轟音だった。
そして――オーガが、俺たちに向かって突進してくる。
地面が揺れる。
木々が揺れる。
まるで、地震のような衝撃。
戦いが、始まる。
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