── 第65話─外した一点──
中庭のざわめきは、すぐに元へ戻った。
噴水の縁で尻もちをついた学生が、水を払って立ち上がる。
水を浴びた友人が文句を言い、それが笑いに変わる。
――怪我人はいない。
それが、レンには現実感を伴わなかった。
頭の中では、別の未来がまだ消えていなかったからだ。
光が直撃する。
悲鳴が上がる。
人が押し合い、転び、教師が駆け寄る。
結界が張られ、騒ぎになり、処分と噂が残る。
でも、その未来は起きなかった。
「……終わった、んですよね」
自分で言って、確かめるような声になった。
案内役の女性は、噴水の水面を見たまま頷く。
「終わりました。あなたが“外した”からです」
レンは口を閉じた。
確かに、何かをした。
でも、力を使った手応えは薄い。
ただ――間に合った、という感覚だけが残っている。
木陰では、魔力を暴走させた学生が座り込んでいた。
案内役の女性に支えられ、息を整えている。
「……すみません」
震えてはいるが、言葉は途切れない。
謝罪が、ちゃんと成立している。
その様子を見て、レンは気づいた。
もし、あの光を“止めて”いたら。
この謝罪も、この流れも、丸ごと消えていたかもしれない。
「レン」
振り向くと、セイルが少し近くに立っていた。
半歩分だけ距離が縮まっている。
「今の、見てたか」
「見てた」
短い返事だった。
「止めなかったな」
「外した」
「だから、助けになった」
評価でも感想でもない。
事実の確認だった。
レンは噴水を見る。
波紋はもう、ほとんど残っていない。
「……俺、助けたんですか」
自分でも曖昧な問いだった。
セイルは、すぐには答えない。
その代わり、案内役の女性が前に出た。
「確認しましょう」
彼女は噴水の縁を指さす。
水が跳ねた場所。
驚いた学生。
濡れただけの服。
「事故は起きました」
「でも、事件にはなっていません」
レンの胸が、少しだけ締まる。
「あなたは、事故そのものを消していない」
「“怪我が出る一点”だけを外しました」
一点。
レンの頭に、さっき見えた未来が浮かぶ。
当たる。
血が出る。
騒ぎになる。
その最初の“引き金”だけが、外れた。
「……俺、続きが見えました」
レンが言うと、案内役の女性は頷いた。
「それが見えるなら、あなたは選べます」
「どこを外すかを」
選べる。
その言葉に、レンは怖さを覚えた。
「間違えたら……?」
「間違えます」
案内役の女性は、はっきり言った。
「だから次は、言葉にします」
レンの喉が鳴る。
「何を、ですか」
「あなたが、どの“中心”を外したのか」
「止めないために」
「消さないために」
噂になりかけている視線が、噴水の周りに集まり始める。
事件じゃない。
でも、“話題”にはなる。
案内役の女性が、さりげなくレンの前に立つ。
噂の芽と、レンの間に入る位置。
「今は、私がいます」
小さな声だった。
でも、確かだった。
レンは深く息を吸う。
今日は、守れた。
偶然じゃない。
選んだ結果だ。
(止めない)
(外す)
(中心だけ)
その三つを、胸の奥で反復する。
この力は、奪うためのものじゃない。
壊さない未来を残すために、使える。
レンはそう、はっきり理解し始めていた。
読んでいただき、ありがとうございます。
レンの力が、少しだけ“使い道”を見つけた回でした。
更新が仕事の都合で遅れてしまい、すみません。
それでも追ってもらえているのが本当に励みです。
ブックマークや反応、ありがとうございます。
次も続けて書いていきます。
※毎日19時頃更新




