── 第64話─外すという助け方──
中庭に出た瞬間、レンは分かった。
講義室と違う。音が多い。匂いも風も、人の気配も、全部が重なっている。
それでも――ここでやるしかない。
噴水の水音。
笑い声。
石畳を踏む靴。
木陰では、光の蝶みたいな魔力が小さく跳ねている。
案内役の女性は、レンの少し斜め後ろ。
会話に入れる距離。止めに入れる距離。
そして――セイルは、いつもの場所にいた。
日向と影の境目。
壁際に寄りかからず、立ち尽くしもせず、ただ視界に入る位置。
「いる」だけで十分な距離。
「今日は、短い実地です」
案内役の女性が言った。
「危なくなる“前”だけ、あなたに任せます」
レンは頷いた。
分かっているようで、まだ分かっていない。
でも、昨日までの“止める”よりは、輪郭がある。
(当たってもいい)
(壊れる未来はいらない)
そう、講義室で教わった。
「じゃあ、まずは軽く」
案内役の女性が指先に小さな光を作る。
速度は遅い。目で追える。
「当てます。レンは――“外す”」
光が飛ぶ。
レンは逃げなかった。
胸の奥で“許可”を出す。
(当たってもいい)
光は頬の横を通り、壁で散った。
中庭の音も流れも、何も変わらない。
案内役の女性が、小さく息を吐いた。
「いい。今のは“外す”」
――その瞬間だった。
木陰の方で、魔力の蝶を飛ばしていた学生が、声を上げた。
「おい、待て、止まれ……!」
蝶じゃない。
光が、急に数を増やした。
弾けていたはずの小さな術が、まとまって“ひとつの塊”になる。
空気が、きしむ。
「暴走だ!」
誰かが叫んだ。
光の塊は、噴水の方へ――違う。
噴水の“上”へ向かっている。
噴水の縁には、子どもみたいに座って水を覗いていた学生がいる。
次の瞬間、レンの頭の中に“続き”が見えた。
光が落ちる。
誰かが叫ぶ。
人が押し合う。
転ぶ。
騒ぎになる。
処分が出る。
――そしてまた、「レンの近くで何か起きた」になる。
(消すな)
(あれは、違う)
レンは反射で“消しかけた”。
でも、講義室の息苦しさを思い出して踏みとどまる。
案内役の女性が一歩出た。
「レン! “外す”! 一点だけ!」
一点だけ。
壊れる一点だけ。
レンは、暴走した光を見た。
――あれを消すんじゃない。
消したら場が止まる。周りも巻き込む。
“当たる未来”の中心だけを、外す。
(光は落ちてもいい)
(でも、あの子に当たる未来はいらない)
レンの中で、何かが切り替わった。
光の塊が、落ち方を変えた。
止まったわけじゃない。
消えたわけでもない。
落ちる“理由”はそのままに、落ちる“場所”だけがズレた。
噴水の縁から、紙一枚分だけ外れる。
水面に当たって、ばしゃりと大きく跳ねた。
水が飛ぶ。
学生が驚いて尻もちをつく。
けれど――血は出ない。
悲鳴にならない声が上がって、すぐ笑いに変わる。
「うわ、冷てえ!」
「何やってんだよ!」
その“生活の戻り方”に、レンは息を止めた。
事故は起きた。
でも、壊れる未来だけが起きていない。
案内役の女性が、すぐに暴走した術者の元へ駆けた。
手首を掴み、短く言う。
「息を止めない。指を開いて。――解除」
学生は泣きそうな顔で頷き、魔力がほどける。
周囲のざわめきは残る。
でも、それは“事件”のざわめきじゃない。
ただの「びっくりした」のざわめきだ。
レンの隣で、セイルが小さく言った。
「……今のは、悪くない」
褒めるでもなく、慰めるでもなく。
事実だけだった。
案内役の女性が戻ってくる。
いつも通りの顔に戻っている。
でも目だけが、少し鋭い。
「今の、見ましたね」
レンは頷いた。
生活は、何事もなかったみたいに続いていた。
レンは口を開く。
でも言葉が出ない。
“すごいことをした”実感がない。
ただ、頭の中で見えた“続き”が、一つだけ削れた。
それだけだ。
案内役の女性が、静かに言った。
「レン。あなたは、魔力を消したんじゃありません」
「事故の“中心”だけを、外しました」
レンは噴水の水面を見る。
さっきの飛沫が、もう落ち着いている。
「……俺、今みたいなのを」
やっと声が出た。
「選んで、できるんですか」
案内役の女性は、すぐに頷かない。
「できる“回数”を増やしましょう」
「失敗したら、私が間に入ります」
「でも――あなたが先に“外す”を選べた。今、それが一番大きい」
レンは息を吐いた。
怖い。
でも、今までの怖さと違う。
壊す怖さじゃない。
“壊さない選び方がある”ことの怖さだ。
セイルが、もう一度だけ言った。
「戻れなくなるぞ」
「……何に?」
レンが聞くと、セイルは答えなかった。
噴水のそばで、さっき尻もちをついた学生が笑っている。
水をかけられた友達が、文句を言っている。
その声は、ちゃんと続いている。
レンは理解した。
自分が消してしまうのは、言葉じゃない。
“続き”だ。
だから――削る場所を選べれば、守り方になる。
レンは、噴水の水面から視線を上げた。
「……もう一回、やっていいですか」
案内役の女性が、小さく笑った。
「はい。今度は、あなたから合図を出してください」
中庭の音は、いつも通りのままだった。
でもレンの中だけ、昨日までと違う線が一本引かれていた。
“止める”じゃない。
“外す”。
それは初めて、レンの力が“人の役に立つ形”になった瞬間だった。
ここまで読んでくださってありがとうございます。
少しずつですが、レンの「できること」が形になってきました。
仕事の都合で更新が遅れてしまい、すみません。
それでも読みに来てくれた方、本当に感謝です。
ブックマーク・評価、とても励みになります。
続きも、焦らずちゃんと積み上げていきます。
また次話で。
※毎日19時頃更新




