── 第62話─成立しなかった「次」──
中庭の端は、昼でも少し静かだった。
人の流れが避けるように割れて、風だけが抜ける。
レンは、石畳の継ぎ目を見ていた。
欠けた部分に、小さな草が生えている。
――こんなとこ、昨日は無かった気がする。
そんなことを考えていた。
「……レン」
呼ばれて、顔を上げる。
カイだった。
さっきまでの苛立ちは、まだ残っている。
でも、ぶつける先を失った顔をしている。
「今のさ」
言いかけて、止まる。
言葉が足りない、というより――
どこから話せばいいのか分からない、という間だった。
レンは首を傾げた。
「今の?」
本気で分からない顔だった。
カイは一瞬、目を細めた。
試すように、周りを見る。
上級生の姿はもうない。
野次も、ざわめきも、戻っている。
なのに。
「……いや」
カイは短く言った。
「いい」
いい、で済ませるには、
自分の中がまだうるさすぎる顔だった。
レンは何も言わない。
説明もしない。
そもそも、説明できるほどの感覚がない。
ただ、
さっきまであった“続くはずだった流れ”が、
どこかで消えたことだけは分かる。
殴る。
騒ぐ。
処分が出る。
その一連が、
最初から存在しなかったみたいに消えている。
「……なあ」
カイが、少しだけ声を落とす。
「俺さ、殴る気だったんだ」
レンは驚かなかった。
そういう場面だった、とは思っていた。
「でも」
カイは拳を見下ろす。
「殴れなかった、って感じじゃないんだ」
握って、開く。
問題なく動く。
「“殴る理由”が、急にどうでもよくなった」
レンは答えない。
否定もしない。
その沈黙が、
カイには逆に重かった。
「……お前さ」
言いかけて、やめる。
視線を逸らす。
「いや、やっぱいい」
レンは、その背中を見る。
特別なことはしていない。
声もかけていない。
近づいてすらいない。
――それでも、終わった。
レンは、ようやく自覚した。
自分は
止めているわけじゃない。
助けているつもりもない。
起きるはずだった“次”を、成立させていないだけ。
それがどれほど大きなことか、
まだ実感はない。
ただ、
人の流れが元に戻っていく中で、
一人だけ取り残される感覚があった。
足元を見る。
幼精霊は、静かにそこにいる。
揺れもしない。
警告もない。
まるで――
「今のは想定内だ」と言われているみたいに。
レンは、ゆっくり息を吐いた。
怖くはない。
焦りもない。
その代わり、
「これを繰り返した先」が、
ぼんやり見えてしまった。
――このままじゃ、
誰も、俺の近くで“決断”できなくなる。
それは守ることでも、救うことでもない。
ただ、
人の選択肢を、静かに削っていく。
レンは顔を上げた。
「……カイ」
背中越しに、声をかける。
カイは振り返らない。
「さっきの」
レンは言葉を探す。
でも、結局こう言った。
「助かった、って思ったなら」
一拍。
「それで、いい」
カイは少しだけ立ち止まり、
何も言わずに手を振った。
中庭の音が戻る。
笑い声も、足音も、いつも通り。
生活は続いている。
ただ一つだけ違うのは――
レンが、
“何もしないまま、大きなことをしてしまう側”だと気づいたことだった。
ここまで読んでくださって、ありがとうございます。
今回は「何が起きたか」よりも、「起きなかったこと」に焦点を置いた回でした。
レン自身が、ようやく自分の立ち位置に気づき始めたところです。
少しでも引っかかるものが残っていたら嬉しいです。
ブックマーク・評価、頂けたら励みになります。
引き続き、お付き合いいただけたら幸いです。
※毎日19時頃更新




