── 第60話─俺が、場だ──
中庭を抜けて、レンは一度も振り返らなかった。
誰かに呼び止められることもない。
案内役の女性も、白外套の男も、何も言わない。
人の中にいても起きる。
距離を取っても起きる。
話題を選んでも、空気を和らげても、関係ない。
――俺が、そこにいるだけで。
居室に戻って、椅子に腰を下ろす。
机の上は、何も変わらない。
紙もない。
指示もない。
「……結局、どこでも同じか」
独り言は、壁に吸われて消えた。
今までレンは、
壊さないように距離を測ってきた。
近づきすぎない。
長く話さない。
踏み込ませない。
でも、それでも空白は生まれた。
なら――
距離の問題じゃない。
場所の問題でもない。
レンは、ゆっくり息を吐いた。
「俺が、“場”なんだ」
言葉にした瞬間、胸の奥が静かになった。
恐怖でも、諦めでもない。
ただ、整理された感覚。
向けられた意思が、行動になる前にほどける。
誰かが悪いわけじゃない。
俺が何かをしているわけでもない。
起きることを、前提にするしかない。
立ち上がる。
扉に手をかけて、少しだけ迷う。
逃げない、と決めたのは昨日だ。
でも今日は――違う。
レンは、廊下に出た。
人の気配がする方向へ、わざと歩く。
避けない。
端を選ばない。
真ん中を行く。
すれ違う学生の足が、ほんの少しだけずれる。
言葉が、途中で終わる。
視線が、理由もなく逸れる。
起きる。
分かっていた通りに。
レンは立ち止まらなかった。
「……それでいい」
誰に向けた言葉でもない。
自分に向けた確認だった。
制御しない。
止めない。
消そうともしない。
ただ、起きることを引き受けたまま、歩く。
影の中で、幼精霊が動いた。
合図はない。
警告もない。
ただ、レンの歩幅に合わせて、そこにいる。
――もう、選択は終わった。
逃げないと決めたんじゃない。
進まないと、ここに居られないと分かっただけだ。
廊下の先で、人の声が重なる。
生活は続いている。
その中に、レンは踏み込んでいった。
ここまで読んでいただき、ありがとうございます。
更新が仕事の都合で少し遅れてしまいました、すみません。
今回はレンの立ち位置が一つ、はっきりする回でした。
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続きも、もう少し進みます。
※毎日19時頃更新




