── 第55話─口に出ない報告──
カイが去ったあとも、中庭の音は変わらなかった。
噴水の水音。笑い声。石畳を叩く靴底。
全部、ちゃんと“生活”の音なのに――俺俺だけが、そう感じている気がした。
「……ごめん」
誰に向けた言葉か分からないまま、息だけが出た。
謝っても、戻らない。
謝る理由すら、言葉にならない。
影の中で幼精霊が揺れる。
強くはない。止めもしない。
ただ、落ち着かない揺れだった。
「戻るぞ」
セイルの声は短い。
命令じゃない。提案でもない。
“今はそれが妥当”という言い方だった。
居室区画へ向かう廊下は、昼の匂いがした。
さっきまでの外の風が、服の中に残っている。
そのまま扉の前まで来て――手を伸ばしかけた時。
「レン」
呼ばれた。
案内役の女性が、廊下の影から出てくる。
表情はいつも通り、落ち着いている。
でも歩みが少しだけ早い。
「少し、来てください。……すぐ終わります」
“すぐ”をわざわざ言う時は、だいたいすぐ終わらない。
そう思ったのに、口には出せなかった。
幼精霊が小さく揺れた。
止めない。行け、とも言わない。
ただ、硬い揺れ。
通されたのは談話室じゃない。
昨日と同じような部屋だけど、椅子が一つ多い。
扉が閉まると、空気が整った。
白外套の男が立っていた。
その隣に、初老の教師。
二人とも、こちらを“見張る”立ち方はしていない。
なのに、逃げ道が薄くなる。
「座っていい」
白外套の男が言う。
命令じゃないのに、拒否する理由が浮かばない。
俺は椅子に座り、セイルはいつもの距離で壁際に立つ。
初老の教師が、静かに口を開いた。
「今日、中庭で……学生の言葉が、続かなくなった」
胸の奥が、きゅっと縮む。
白外套の男は続ける。
「名前は伏せる。君の立場も、変えない。
ただ、現場で起きたことだけは、こちらで受け取る」
その場で終わらせる気配ではなかった。
「俺が、何かしたって言いたいんですか」
声が思ったより硬くなった。
白外套の男は否定もしないし、決めつけもしない。
「君が“した”とは言わない。
だが君の近くで、“起きる”」
その言い方が、いちばん逃げ場がなかった。
幼精霊が、影の中で小さく揺れる。
否定でも肯定でもない。
“今は耐えろ”みたいな揺れ。
初老の教師が、少しだけ柔らかい声で言った。
「君に責任を押しつけるつもりはありません。
ただ、君の体感を聞きたい」
「……体感?」
「君が“止まった”瞬間に、何を感じたか。
怖さでも、違和感でも、何でもいい」
俺は噴水の音を思い出す。
カイの、途中で折れた言葉。
笑ってごまかした顔。
“分かってる”と言った声。
「……止まりました」
それだけが、出た。
初老の教師は、すぐには頷かなかった。
一拍置いてから、静かに聞き返す。
「君の中で?」
「それとも、場の流れが?」
「……両方、だと思います」
白外套の男が、小さく息を吐いた。
それは苛立ちじゃない。
“やっぱりか”に近い。
「君が望まなくても、君の周囲で起きる。
だから学園として、まず“事故”を避ける」
事故。
その言葉で、やっと理解した。
彼らは俺を裁きたいんじゃない。
誰かが怪我をする前に、やれることをやるだけだ。
「どうするんですか」
白外套の男は、答えを用意していた。
「しばらく、君が人と長く話す時は――
同席を付ける。監視ではない。緩衝だ」
案内役の女性が、静かに頷く。
“私がやります”と言わなくても、そう見える。
俺は、喉が乾くのを感じた。
「それって、俺が……危ないってことですか」
初老の教師が首を振る。
「危ないのは君じゃない。
君の周りに起きる“言葉の折れ”が、誰かを不安にする」
不安。
それは、カイの顔だった。
白外套の男が、少しだけ言葉を落とす。
「君がここで“居場所”を作るほど、影響は広がる」
セイルが、壁際で小さく笑った。
「言っただろ。厄介だって」
俺は視線を落とした。
居場所を作るな、とは言われていない。
でも――作れば作るほど、戻れなくなる。
「……カイには?」
俺がそう言うと、案内役の女性が即答した。
「こちらからは、何も言いません。
本人が困って、相談に来たら、受け止めます」
学園のやり方だ。
決めつけない。広げない。
けれど、放置もしない。
扉の向こうで、遠く鐘が鳴った。
区切りの音。
なのに、今の俺には“始まり”の音に聞こえる。
「レン」
白外套の男が、最後に言う。
「君は、ここで“置かれない”。
だが――君のままでいるには、やり方が要る」
やり方。
戦う力じゃない。
生き方の、やり方だ。
部屋を出た瞬間、廊下の空気が戻ってきた。
でも、さっきまでの廊下とは違う。
俺の足元に、一本、見えない線が引かれた感じがする。
影の中で幼精霊が揺れた。
前でも横でもない。
“もう一度、選べ”の揺れだった。
ここまで読んでいただき、ありがとうございます。
今回は、学園が“動き始めた”回でした。
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