── 第49話─次へ進める場所──
朝の廊下は、昨日より静かだった。
人がいないわけじゃない。
足音も、遠い話し声もする。
ただ、俺の周りだけ、空気が薄い。
「……慣れた、のかな」
呟くと、セイルが小さく息を吐いた。
「慣れじゃない。お前が、ここを“普通”だと思い始めてるだけだ」
普通。
その言葉が、少し怖い。
中庭に出る。
噴水の音。
風。
揺れる木々。
昨日と同じ景色なのに、足が勝手に止まった。
昨日、立てと言われた場所。
気づけば、そこへ来ていた。
影の中で幼精霊が揺れる。
警戒じゃない。拒否でもない。
**「ここ」**を指している揺れ。
「……なに、これ」
俺が言った時だった。
「おはよう」
背後から声がした。
振り返ると、談話室の初老の教師がひとりで立っていた。
白外套でも制服でもない。
境界が曖昧な装いのまま、穏やかな顔をしている。
「驚かせましたか」
「少し」
「それは、いい」
教師は、噴水の方を見たまま言った。
「昨日。ここで立っている時、あなたの足元の子が揺れましたね」
幼精霊のことを、“子”と言った。
「……見てたんですか」
「遠くから。必要以上に近づくのは、今は違う」
言い方に、押しつけがない。
「確認したいことが一つあります」
教師は、石畳を軽く指した。
「あなたはここで、何かを“感じた”。
あなた自身は、それをうまく言葉にできない」
「……引っかかる、みたいな」
「ええ。それで十分です」
教師は頷く。
「学園は、まだ何も決めません。
あなたに名前を付けない。分類もしない」
それは、昨日までと変わらない対応だった。
でも、教師は続けた。
「ただし――“確かめる”ことはします」
確かめる。
言葉が、少しだけ硬い。
「何を、ですか」
教師は、昨日と同じように急がなかった。
「どこで、あなたが“引っかかる”のか」
「どこで、引っかからないのか」
それだけ。
「つまり……場所?」
「場所です」
教師はきっぱり言った。
「あなたが危険だからではありません。
あなたの周りで起きる“ズレ”が、どこから出てくるのかを知りたい」
ズレ。
俺は、喉が少し乾くのを感じた。
「それって……俺を試す、ってことですか」
教師は首を振った。
「試験ではありません」
「あなたに“正しい答え”を求めない。できることも増やさない」
一拍置いて。
「あなたが、そのままでいた時に、何が起きるかを知るだけです」
そのままで。
机の上に置かれていた言葉を、ふと思い出した。
教師は、掌を上に向けた。
「今日から、許可を一つ増やします」
「図書棟に入っていい」
「ただし、立ち入り禁止の区画には赤い札があります。そこは入らないでください」
それは、自由が増えた、というより。
“動ける範囲”が与えられたという感じだった。
「……なんで図書棟」
聞くと、教師は少しだけ笑った。
「静かで、人が多くて、魔術の痕跡も薄い。
あなたにとって“普通”が揃っている場所です」
普通。
さっきの言葉が戻ってくる。
「そこで、同じ引っかかりが出るかどうか。
出なければ、次へ進める」
次。
どこへ。
そこまでは言わない。
言わないから、余計に分かる。
「無理はしないでください」
教師は最後にそれだけ言って、去っていった。
残った空気が、少しだけ重い。
「なあ」
セイルが言った。
「優しい顔して、結構やることやってるな」
「……でも、縛ってはこない」
「縛る必要がないんだ」
セイルは、影の方を見た。
「お前が自分で歩くなら、それで十分」
俺は中庭の石畳を見る。
昨日と同じ場所。
昨日と同じ噴水の音。
でも。
今日は、“次へ進める”と言われた。
影の中で、幼精霊が小さく揺れた。
前でも、横でもない。
境目。
「……そのまま、でいろって」
俺は呟く。
「そのままじゃ、いられないってことか」
セイルは答えなかった。
答える必要がないほど、
それはもう、始まっていた。
ここまで読んでいただき、ありがとうございます。
学園での時間が、少しずつ動き出しました。
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また次話で。
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