── 第45話─置かれない場所──
風は、冷たかった。
管理区域の通路には、風がなかった。
だから、いま頬に当たる空気だけで、ここが“外”だと分かる。
遠くで人の声がする。
近いようで、まだ距離がある。
「……どこだ、ここ」
俺が言うと、セイルは少しだけ周囲を見回した。
「人の管理が届く場所だ。少なくとも、さっきよりはな」
さっき――黒外套の三人が出てきた、あの境目。
思い出すだけで背中がぞわつく。
「追ってきますか」
「来る」
セイルは迷いなく言う。
「“保留”が外れたのは向こうの言葉通りだ。だから確保の優先度が上がる」
つまり、俺はもう“放っておけない”。
俺の意思とは関係なく。
足元で幼精霊が、小さく揺れた。
警戒。
でも、怖がっている揺れじゃない。
“聞け”みたいな揺れ。
その瞬間、風の流れが変わった。
草が擦れる音。
誰かが、こちらに気づいた。
「――止まれ」
声が飛んでくる。
低い。若くはない。
命令というより、“確認”の声。
反射で体が固まる。
セイルが半歩前に出た。
「こちらから害意はない」
それだけ言う。
言い方が、妙に慣れている。
まるで、こういう場面を何度も通ってきたみたいに。
木立の向こうから、二人出てきた。
一人は、白い外套。
もう一人は、制服に近い装い。
どちらも武器は見えない。
でも、立ち方が“魔術師”のそれだった。
白外套の男が、俺を見る。
視線が、俺の顔じゃなくて――“周囲”を測っている。
「……君が、例の“反応の空白”か」
例の。
俺は、何も言ってないのに。
「何の話ですか」
聞き返すと、男は答えず、横の制服の女性に目配せした。
女性が一歩前に出る。
「ここは王立魔術学園の外縁です」
王立。
学園。
その単語だけで、急に現実味が増す。
「境界の監視に出ていました。……あなた、どこから来たの?」
“どこから”。
俺は答えられない。
異世界に落とされてからの経緯を、ここで説明する気にはなれなかった。
「……名前は?」
一拍置いて、俺は答えた。
「レンです」
幼精霊が、揺れた。
今度は、横。
“言わなくていい”って揺れ。
代わりに、セイルが言った。
「説明は後でいい。今は追手が来る」
白外套の男の眉が、わずかに動く。
「追手?」
「黒い外套。三名。札を使う」
その言い方に、男の目が変わった。
一瞬で、理解した目。
「……“天の管理”か」
俺の知らない言葉が出る。
制服の女性が、息を飲む。
「先生、それ本当に――」
「ここで話すことじゃない」
白外套の男は俺を見る。
そして、決めるように言った。
「君を保護する」
保護。
その言葉の響きは優しい。
でも、俺は知ってる。
“保護”って言葉は、たいてい“管理”と紙一重だ。
「……俺、何もしてないんですけど」
また出た。
いつもの言葉。
でも今回、笑えない。
白外套の男は否定しなかった。
「分かっている。だから厄介なんだ」
厄介。
俺は、やっぱり“物”みたいだ。
足元で幼精霊が、強く揺れた。
前。
“行け”の揺れ。
さっきまでみたいな、無理やりの誘導じゃない。
「……安全なんですか」
制服の女性が、少し表情を柔らかくした。
「少なくとも、ここは学園の結界の中。勝手に手は出せない」
その言葉の直後だった。
空気が、きしむ。
音じゃない。
空間そのものが、薄く引っ張られる感覚。
セイルの目が鋭くなる。
「来たぞ」
白外套の男も、即座に手を上げた。
「結界班、起動。——今すぐ中へ!」
制服の女性が懐から小さな笛を出す。
一吹き。
音は小さいのに、地面の紋様が淡く光った。
幼精霊が、俺の影に潜り込む。
影が濃くなる。
逃がさない近さ。
守る近さ。
どっちか、まだ分からない。
「レン!」
制服の女性が、俺の腕を掴む。
その手は温かい。
でも迷いがない。
俺は一度だけセイルを見る。
セイルは小さく頷いた。
「今は、乗れ。……“置かれる側”でもいい。死ぬよりは」
俺は息を吐いて、走り出した。
学園の門が見える。
石造りのアーチ。
その向こうは、光が違う。
背中で、空気が裂ける気配がした。
追手が、結界の外側に“触れた”気配。
でも、完全には入ってこない。
苛立ちみたいな圧だけが、背中を押す。
門をくぐる直前。
白外套の男が、低く言った。
「君は、ここで“置かれない”」
その言葉が、なぜか胸に刺さった。
俺は、門を越える。
世界の音が、少しだけ増えた。
人の気配。
生活の匂い。
そして――
“決められる”前に、決めるための場所。
足元で幼精霊が、ようやく落ち着いた揺れをした。
今だけは。
ここでいい、と言っている揺れだった。
ここまで読んでいただき、ありがとうございます。
いよいよ学園編の入口です。
安全そうで、でも自由ではない場所。
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また次話で。
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