── 第40話─何も起きない場所で──
幼精霊が、はっきり前へ揺れた。
急かすんじゃない。
「ここにいると、動けなくなる」——そんな圧で。
俺は一歩、足を出す。
管理区域の通路は、相変わらず同じ顔をしていた。
同じ幅、同じ高さ、同じ明るさ。
歩いてるのに、前に進んでる感じが薄い。
「……出る気か」
セイルが、前を見たまま言った。
「逃げたいっていうより……ここ、落ち着かないです」
自分でも曖昧だと思った。
でもセイルは否定しない。
「ここは“決めないための場所”だ。長くいると、判断がぼやける」
そのときだった。
幼精霊の揺れが変わった。
前でも足元でもない。——通路の奥。
誰かが来る。
気配の出し方が、巡回と違う。
現れたのは三人。
黒い外套。顔がよく見えない。
歩幅が揃っていて、迷いがない。
真ん中の男が、立ち止まる。
声だけは丁寧だった。
「少し待ってもらう」
俺は反射でセイルを見る。
セイルが一歩前に出る。
「理由は」
「今は動かさない方がいい」
それだけ。
黒外套の男が、札を一枚取り出した。
薄い紙切れ。軽い。——のに、近づくだけで胃が縮む。
触れたら、何かが“決まる”。
そんな匂いがした。
「じっとしていれば終わる」
終わる、って言い方が嫌だった。
まるで、俺のほうが“処理”みたいだ。
「……俺、何もしてないんですけど」
出てくる。いつもの言葉が。
今回は笑えないのに。
札が俺の胸の前まで来て——止まった。
触れてない。
押し返してない。
ただ、そこで止まった。
「……?」
男が初めて、戸惑った声を漏らす。
その瞬間。
幼精霊が足元で強く揺れた。
いままでで一番、はっきりした揺れだ。
——そこに触るな。
——ここで線を越えるな。
札が、色を失っていく。
燃えない。破れない。
ただ、効き目だけが抜け落ちていく。
「……うまくいかない」
男が小さく呟いた。
通路の空気が、変わった。
押さえ込まれていた気配が、ほんの少し漏れる。
遠くで、鈴みたいな警告音が鳴った。
セイルが低く言う。
「ここは“何も起きない場所”だ。……そこで今、起きた」
黒外套の男が札を引っ込める。
「手を変える」
嫌な予感しかしない。
そのとき、幼精霊が俺の影の中に戻ってきた。
久しぶりに、近い。
影がほんの少し濃くなる。
守られた感じじゃない。
逃がさないために、寄った——そんな近さだ。
「レン」
セイルが短く言う。
「目を離すな。次は、止まるとは限らない」
黒外套の男の足元に、薄い光が広がり始めていた。
ここで。
この“何も起きない場所”で。
幼精霊が、もう一度揺れた。
今度ははっきり、ひとつだけ。
——ここで止めろ。
ここまで読んでいただき、ありがとうございます!
管理区域という「何も起きない場所」で、
**逆に“起きてしまった”**回でした。
レン自身は相変わらず何もしていないのに、
周囲だけが勝手に手を変え始める――
そのズレを、幼精霊の反応で少し強めに描いています。
ここから先、
「止まらない方法」ではなく
**「止められなくなった時、どうなるか」**が動き出します。
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