── 第30話─分類不能(後編)──
翌朝。
境目の街の外縁――倉庫が並ぶ通りは、昼前でも人影が薄かった。
石壁と木箱と、乾いた縄の匂い。
声が少ないぶん、足音がよく響く。
揉め事が起きるなら、むしろこういう場所だ。
人目が少なくて、止める手が届きにくい。
なのに――今日も、通りは妙に整っていた。
◆
レンは、そこに立っていた。
逃げようと思えば逃げられる。足は動く。
でも「逃げる」と決めるところだけが、いつも途中でほどける。
(怖い。嫌だ。……なのに、決めきれない)
自分が自分じゃないみたいで、腹が立った。
足元で、幼精霊の気配が小さく揺れた。
レンの呼吸と同じテンポで揺れている。
――寄り添っている、というより「中心を確かめている」感じがする。
少し離れた場所でセイルが立っていた。
見張りではない。
“距離を計っている”立ち方だった。
「来る」
セイルが短く言った。
「昨日のやつだけじゃない」
◆
通りの奥、倉庫の影から三人が現れた。
旅人の格好なのに、旅人の匂いがしない。
靴に土が薄い。荷が軽い。
歩幅が揃っていて、迷いがない。
先頭の男は、レンを見ない。
まず石畳を見た。
ここが“現象の範囲”かどうか――地面で確かめているみたいに。
「……この区画だ」
女が布袋を開く。
中から出てきたのは札だった。
十枚以上。全部同じ印。
先頭の男が言う。
「対象、レン。確認を実施する」
声は淡々としていて、命令というより“読み上げ”。
この街の揉め事を消しに来たんじゃない。
揉め事が消える理由を、採取しに来ている。
◆
「第一。反射の確認」
女が札を一枚弾いた。
札は風に乗って飛び、レンの胸へ向かう。
害はない。ただ“押す”だけの札だ。
人なら反射で一歩引くか、手で払う。
レンは嫌だった。
嫌だ、と思った。
肩がこわばる。
――ここまでは、普通に起きる。
次の瞬間。
レンの体は動かなかった。
動けないんじゃない。
止められたんじゃない。
「払う」という続きが、途中で消えた。
札は胸の前で止まる。
触れていない。
押していない。
ただ、そこで“続きが無い”。
先頭の男が目を細めた。
「押し返し、無し」
レンが思わず言った。
「押し返してないです……してないのに、止まりました」
男はレンを見ず、札だけを見る。
「“押し返す”は行動だ。君は行動していない。記録通り」
“してない”を肯定されると、背中が冷えた。
自分が正しいほど、逃げ道が消える。
◆
「第二。到達の確認」
今度の札は少し色が濃い。
相手の苛立ちを引き出して“向けさせる”札。
喧嘩の火種を作る、再現用の札。
先頭の男が淡々と告げる。
「怒りが出れば、声が荒くなる。手が動く。――それが正常だ」
レンの胸の奥がざわついた。
意味もなくムカつく。
理不尽だ。
嫌だ。
感情は生まれている。
――なのに。
口が続かない。
言葉が喉の手前でほどける。
怒鳴る寸前で、怒鳴れない。
札はレンの目の前で止まり、滲むように薄れて消えた。
先頭の男が短く言う。
「敵意、発生。到達、不能」
この言い方が、何より怖い。
レンが人として見られていない。
“現象”として測られている。
◆
その瞬間、幼精霊の気配が強く揺れた。
怒りじゃない。恐怖でもない。
――“ここの形が変わった”と知らせる揺れ。
女が小さく呟いた。
「付随反応……精霊、留まり」
先頭の男が、初めてレンの足元に視線を落とす。
「呼んでいないのに、留まる」
レンは反射的に言った。
「俺、何もしてないです」
男が静かに頷く。
「“何もしていない”が、最も異常だ」
レンの腹の底が冷える。
力があるなら、まだ分かる。
でもこれは――力の痕跡が無い。
“痕跡の無さ”が、異常として確定していく。
◆
来訪者は、札をしまった。
それだけで、場の空気が変わる。
終わった、ではない。
次に進むという合図だった。
「測定は終了だ」
淡々とした声。
報告でも宣言でもない。
ただ、手順が一段落しただけ。
レンは、思わず聞いていた。
「……終わり、ですか」
来訪者は首を横に振る。
「終わらない。ここでは続かない」
言葉の意味を考える前に、セイルが一歩前へ出た。
「移動か」
「そうだ」
来訪者は肯定も説明もしない。
「準備は?」
「済んでいる」
そのやり取りで、レンはようやく気づく。
“これから決める”段階じゃない。
もう、決まっていた。
◆
通りの奥で、気配が増えた。
足音が近づくわけじゃない。
視線が増える。
見ている。
確かめている。
通行人のふりをした者。
倉庫の影に立つ者。
屋根の上から目を伏せる者。
誰も声を出さない。
それでも分かる。
ここは、もう安全な街じゃない。
レンは、拳を握った。
逃げようと思えば、今なら走れる。
足も動く。
体も言うことを聞く。
なのに――
「逃げる」という行動だけが、形にならない。
(……まただ)
前世と同じ。
殴られる直前。
何か言われる直前。
いつも、そこだけが成立しなかった。
違うのは、今回は相手が“街”でも“人”でもないこと。
◆
来訪者が言った。
「対象・レン。同行を求める」
求める、だ。
命令じゃない。
拒否権があるように聞こえる。
セイルが、低く言う。
「拒否した場合は?」
来訪者は、少しだけ間を置いた。
「運搬に切り替える」
その言葉で、十分だった。
選択肢はある。
だが、結果は同じ。
レンは、喉の奥で息を詰まらせてから言った。
「……歩きます」
来訪者は頷いた。
評価も感想もない。
「了解」
◆
動き出した瞬間、街がざわついた。
怒鳴り声は上がらない。
止める者もいない。
それなのに、
「見送られている」感覚だけがはっきりある。
幼精霊の気配が、足元で揺れた。
離れない。
でも、近づきもしない。
まるで――
どこまで一緒に行けるか、確かめているみたいに。
レンは、ふと理解する。
自分は、特別な存在なんかじゃない。
剣も振れない。
魔法も使えない。
命令もできない。
ただ――
何かが始まる前で、終わらせてしまう。
それだけの、ちっぽけな存在だ。
◆
街の外れに出る。
境目の街が、背後に残る。
振り返ると、誰かと目が合った。
すぐに逸らされる。
でも、確かに見られていた。
セイルが、レンの隣で小さく呟く。
「……覚悟はするな」
「え?」
「覚悟すると、行動になる」
レンは、何も言えなかった。
来訪者が、最後に一言だけ告げる。
「これから、君の“中心”を別の場所で測る」
その言葉で、はっきりした。
これは事件じゃない。
戦いでもない。
分類不能な存在を、世界が扱いきれなくなった結果だ。
レンは、歩きながら思う。
何もできないまま、
どこまで連れて行かれるのか。
――もう、境目の街には戻れない。
それだけが、静かに確定していた。
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