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── 第30話─分類不能(後編)──

 


 翌朝。

 境目の街の外縁――倉庫が並ぶ通りは、昼前でも人影が薄かった。

 石壁と木箱と、乾いた縄の匂い。

 声が少ないぶん、足音がよく響く。

 揉め事が起きるなら、むしろこういう場所だ。

 人目が少なくて、止める手が届きにくい。

 なのに――今日も、通りは妙に整っていた。

 

 

 レンは、そこに立っていた。

 逃げようと思えば逃げられる。足は動く。

 でも「逃げる」と決めるところだけが、いつも途中でほどける。

(怖い。嫌だ。……なのに、決めきれない)

 自分が自分じゃないみたいで、腹が立った。

 足元で、幼精霊の気配が小さく揺れた。

 レンの呼吸と同じテンポで揺れている。

 ――寄り添っている、というより「中心を確かめている」感じがする。

 少し離れた場所でセイルが立っていた。

 見張りではない。

 “距離を計っている”立ち方だった。

「来る」

 セイルが短く言った。

「昨日のやつだけじゃない」

 

 

 通りの奥、倉庫の影から三人が現れた。

 旅人の格好なのに、旅人の匂いがしない。

 靴に土が薄い。荷が軽い。

 歩幅が揃っていて、迷いがない。

 先頭の男は、レンを見ない。

 まず石畳を見た。

 ここが“現象の範囲”かどうか――地面で確かめているみたいに。

「……この区画だ」

 女が布袋を開く。

 中から出てきたのは札だった。

 十枚以上。全部同じ印。

 先頭の男が言う。

「対象、レン。確認を実施する」

 声は淡々としていて、命令というより“読み上げ”。

 この街の揉め事を消しに来たんじゃない。

 揉め事が消える理由を、採取しに来ている。

 

 

「第一。反射の確認」

 女が札を一枚弾いた。

 札は風に乗って飛び、レンの胸へ向かう。

 害はない。ただ“押す”だけの札だ。

 人なら反射で一歩引くか、手で払う。

 レンは嫌だった。

 嫌だ、と思った。

 肩がこわばる。

 ――ここまでは、普通に起きる。

 次の瞬間。

 レンの体は動かなかった。

 動けないんじゃない。

 止められたんじゃない。

 「払う」という続きが、途中で消えた。

 札は胸の前で止まる。

 触れていない。

 押していない。

 ただ、そこで“続きが無い”。

 先頭の男が目を細めた。

「押し返し、無し」

 レンが思わず言った。

「押し返してないです……してないのに、止まりました」

 男はレンを見ず、札だけを見る。

「“押し返す”は行動だ。君は行動していない。記録通り」

 “してない”を肯定されると、背中が冷えた。

 自分が正しいほど、逃げ道が消える。

 

 

「第二。到達の確認」

 今度の札は少し色が濃い。

 相手の苛立ちを引き出して“向けさせる”札。

 喧嘩の火種を作る、再現用の札。

 先頭の男が淡々と告げる。

「怒りが出れば、声が荒くなる。手が動く。――それが正常だ」

 レンの胸の奥がざわついた。

 意味もなくムカつく。

 理不尽だ。

 嫌だ。

 感情は生まれている。

 ――なのに。

 口が続かない。

 言葉が喉の手前でほどける。

 怒鳴る寸前で、怒鳴れない。

 札はレンの目の前で止まり、滲むように薄れて消えた。

 先頭の男が短く言う。

「敵意、発生。到達、不能」

 この言い方が、何より怖い。

 レンが人として見られていない。

 “現象”として測られている。

 

 

 その瞬間、幼精霊の気配が強く揺れた。

 怒りじゃない。恐怖でもない。

 ――“ここの形が変わった”と知らせる揺れ。

 女が小さく呟いた。

「付随反応……精霊、留まり」

 先頭の男が、初めてレンの足元に視線を落とす。

「呼んでいないのに、留まる」

 レンは反射的に言った。

「俺、何もしてないです」

 男が静かに頷く。

「“何もしていない”が、最も異常だ」

 レンの腹の底が冷える。

 力があるなら、まだ分かる。

 でもこれは――力の痕跡が無い。

 “痕跡の無さ”が、異常として確定していく。

 

 

  来訪者は、札をしまった。

 それだけで、場の空気が変わる。

 終わった、ではない。

 次に進むという合図だった。

 

「測定は終了だ」

 淡々とした声。

 報告でも宣言でもない。

 ただ、手順が一段落しただけ。

 

 レンは、思わず聞いていた。

「……終わり、ですか」

 来訪者は首を横に振る。

「終わらない。ここでは続かない」

 

 言葉の意味を考える前に、セイルが一歩前へ出た。

「移動か」

「そうだ」

 来訪者は肯定も説明もしない。

 

「準備は?」

「済んでいる」

 

 そのやり取りで、レンはようやく気づく。

 “これから決める”段階じゃない。

 もう、決まっていた。

 

 

 通りの奥で、気配が増えた。

 足音が近づくわけじゃない。

 視線が増える。

 見ている。

 確かめている。

 

 通行人のふりをした者。

 倉庫の影に立つ者。

 屋根の上から目を伏せる者。

 誰も声を出さない。

 

 それでも分かる。

 ここは、もう安全な街じゃない。

 

 レンは、拳を握った。

 逃げようと思えば、今なら走れる。

 足も動く。

 体も言うことを聞く。

 

 なのに――

 「逃げる」という行動だけが、形にならない。

 

(……まただ)

 

 前世と同じ。

 殴られる直前。

 何か言われる直前。

 いつも、そこだけが成立しなかった。

 

 違うのは、今回は相手が“街”でも“人”でもないこと。

 

 

 来訪者が言った。

「対象・レン。同行を求める」

 求める、だ。

 命令じゃない。

 拒否権があるように聞こえる。

 

 セイルが、低く言う。

「拒否した場合は?」

 

 来訪者は、少しだけ間を置いた。

「運搬に切り替える」

 

 その言葉で、十分だった。

 選択肢はある。

 だが、結果は同じ。

 

 レンは、喉の奥で息を詰まらせてから言った。

「……歩きます」

 

 来訪者は頷いた。

 評価も感想もない。

 

「了解」

 

 

 動き出した瞬間、街がざわついた。

 怒鳴り声は上がらない。

 止める者もいない。

 それなのに、

 「見送られている」感覚だけがはっきりある。

 

 幼精霊の気配が、足元で揺れた。

 離れない。

 でも、近づきもしない。

 まるで――

 どこまで一緒に行けるか、確かめているみたいに。

 

 レンは、ふと理解する。

 自分は、特別な存在なんかじゃない。

 剣も振れない。

 魔法も使えない。

 命令もできない。

 

 ただ――

 何かが始まる前で、終わらせてしまう。

 

 それだけの、ちっぽけな存在だ。

 

 

 街の外れに出る。

 境目の街が、背後に残る。

 振り返ると、誰かと目が合った。

 すぐに逸らされる。

 でも、確かに見られていた。

 

 セイルが、レンの隣で小さく呟く。

「……覚悟はするな」

「え?」

「覚悟すると、行動になる」

 

 レンは、何も言えなかった。

 

 来訪者が、最後に一言だけ告げる。

「これから、君の“中心”を別の場所で測る」

 

 その言葉で、はっきりした。

 これは事件じゃない。

 戦いでもない。

 

 分類不能な存在を、世界が扱いきれなくなった結果だ。

 

 レンは、歩きながら思う。

 何もできないまま、

 どこまで連れて行かれるのか。

 

 ――もう、境目の街には戻れない。

 それだけが、静かに確定していた。

読んでいただきありがとうございます。

物語は次の段階へ進みます。

続きが気になったら、ブックマークしてもらえると嬉しいです。

※毎日19時更新

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